清水谷高等学校
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「大阪府立清水谷高等学校」の記事における「清水谷高等学校」の解説
学制改革により、1947年に過渡的に併設中学校が設置され、旧制高等女学校2・3年相当の生徒が新制中学校2・3年として移行した。1948年に新制大阪府立清水谷高等学校が発足した。 1948年4月28日には、近隣の大阪府立高津高等学校(旧制大阪府立高津中学校)と、新制高校1年・併設中学校3年の生徒および教職員を交流し男女共学となった。旧制清水谷高等女学校生徒はくじ引きにより、新制高津・清水谷の両高等学校に振り分けられた。男女共学を実施した4月28日を、新制高等学校としての創立記念日と位置づけている。 また1948年4月から、校舎の一部を新制大阪市立天王寺第二中学校に貸し出し、同校と同居した。当初は新制中学校への校舎全面転用による清水谷高等学校の廃校も検討されたが、校舎転用は一部にとどまった。新制中学校は1951年8月に独立校舎を建てて退去している。 1962年には音楽学科の設置構想が持ち上がったが、実現はしなかった。 1969年には学園紛争の影響を受け、一部生徒グループが学校をバリケード封鎖する事件も発生している。 1987年には校舎改築の調査費が計上され、校舎改築が具体化した。1990年より改築工事が始まり、1995年4月15日に新校舎竣工式典が実施された。 1995年度には2期制・65分授業が導入された。65分授業については大阪府立大手前高等学校とともに、大阪府立高等学校では初めての導入となった。また2期制についても、前年度の1994年度より導入していた大阪府立布施高等学校・大阪府立天王寺高等学校に次ぐ、大阪府立高等学校では3例目(大手前高等学校と同時導入)となっている。65分授業については2007年度より、通常の50分授業へと戻されている。
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