渋谷高等学校
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渋谷高等学校(しぶたに/しぶや こうとうがっこう)は、日本の高等学校。
- 1 渋谷高等学校とは
- 2 渋谷高等学校の概要
渋谷高等学校
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「大阪府立渋谷高等学校」の記事における「渋谷高等学校」の解説
学制改革により、1947年に新制中学校制度が発足し、旧制高等女学校2・3年の生徒は併設の新制中学校に移行する形になった。 また同時期、占領軍は新制高等学校について、都道府県立を主として規模は1000人~1500人規模とすることが望ましいとする見解を出した。大阪府下の他市では市立の旧制中等学校が新制高校に改編されないまま廃校になった例も複数あったが、池田市では市民や当時の市長が池田市立高等女学校の存続を訴え、同校は新制高等学校へ改編されることになった。 1948年には学制改革により新制の池田市立高等学校が発足し、池田市上渋谷町210番地(現在の五月が丘4丁目)に移転した。旧ダイハツ寮跡地にあたる上渋谷町の校舎では池田市立渋谷中学校と校舎・敷地を共有した。 1949年度新入生より男女共学となり、また1950年には池田市立渋谷高等学校へと改称している。 中学校との校舎共有を解消するため、1963年3月には池田市才田町486番地(現在の池田市緑丘2-5-12)に独立校舎の建設工事を開始した。建設開始とほぼ同時期の1963年3月、従来の校舎で火災が発生し、12教室焼失の被害を受けている。そのため1963年4月より池田市立池田小学校内に分校を設置し、1年生7クラスを分校に収容した。 1963年11月27日には独立校舎が完成し、緑丘に移転している。 池田市は1972年、渋谷高等学校の府立移管方針を決定した。その際に「渋谷」の校名維持を求めた。 1975年4月1日付で大阪府に移管し、大阪府立渋谷高等学校となった。移管と同時に現在地に移転している。
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