日本陸軍(1899年 - 1945年)
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「伍長」の記事における「日本陸軍(1899年 - 1945年)」の解説
明治32年10月25日勅令第411号(同年12月1日施行)により、陸軍武官官等表が改正されて、旧「二等軍曹」が「伍長」と改称された。 伍長(判任官四等)になるには概ね次の諸過程があった。 嚮導團卒業者。(のちに廃止) 次のような経歴を経て兵から進級した者。一等卒(昭和6年11月10日以後は一等兵)の中から選ばれて上等兵候補者特別教育を受ける。 その後、上等兵候補者特別教育を受けた者のうちで適任と判断された者は、上等兵になった。 在営中に下士官を志願した者(上等兵・一等兵で除隊(現役満期)後の現役下士官勤務を願い出た者)は、1年間陸軍教導学校或いは実施学校の嚮導隊に派遣され下士官教育を受けた。のちに部隊内で下士官教育を行った時期があった。世間の景気がよいと下士官志願者は減り民間のより高給な職に人材が流れ、不景気になると下士官志願者は途端に増加した。 伍長に進級。進級後は伍長から曹長の階級にある限りは4年毎に現役下士官の服役期間を更新する(再役)。勤務成績が悪い場合は更新の申請が受理されない事があった。伍長から軍曹に進級する期間は勤務成績によって各人相違があった。 1927年以後は幹部候補生、中学校卒業者で乙種幹部候補生の教育を受けた者。平時はそのまま除隊し、予備役に編入された。 応召兵のうち、下士官適任証書所持者(現役満期時に上等兵以上から選抜)は「志願ニアラサル下士官」として部隊充員の必要に応じて伍長に進級した。 戦時の進級 陸軍士官学校予科(後年「予科士官学校」)を修了した士官候補生。士官学校生徒は本科進学の前に6ヶ月間(太平洋戦争末期は2ヶ月間)隊付を経験する義務があった。
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「日本陸軍」の例文・使い方・用例・文例
- 彼は日本陸軍の中尉だった。
- ビルマ侵攻は日本陸軍にとって乾坤一擲の作戦だった.
- 憲兵隊という,旧日本陸軍の軍隊
- 皇道派という,日本陸軍内部における派閥
- 旧日本陸軍において,戦時の際の作戦軍の編組
- 旧日本陸軍において,戦時に用いた略帽
- 旧日本陸軍において,戦闘終了直後に上級指揮官に報告する報告書
- 旧日本陸軍の特務曹長という地位
- 日本陸軍にいて,兵営内で起居する上での最小単位となる集団
- 旧日本陸軍で,兵の最下位の階級
- 操典という,旧日本陸軍の書物
- 旧日本陸軍の,特務曹長という地位にある人
- 旧日本陸軍で,連隊に天皇から下賜された,連隊を象徴する旗
- 旧日本陸軍で,軍事警察をつかさどった機関
- 旧日本陸軍で,軍事警察をつかさどった軍人
- 伊沢の任務は,目前に迫った蜂(ほう)起(き)のために革命家たちが武器を手に入れられるよう,日本陸軍の東(あずま)正(まさ)信(のぶ)(渡辺謙)中将をだますことだ。
- 気象神社は,もとは第二次世界大戦中に日本陸軍気象部のために建てられたと言われている。
- 明治39年(1906年),日本陸軍は国防のために全国地図を作成しようと必死に取り組んでいる。
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