F = d d t ( m v ) {\displaystyle {\boldsymbol {F}}={\frac {\mathrm {d} }{\mathrm {d} t}}(m{\boldsymbol {v}})} フラクタル 的な粗い表面を持つ面どうしが重なり、静止摩擦がはたらいている様子のシミュレーション[ 1] 。
摩擦 (まさつ、英 : friction )とは、固体表面が互いに接しているとき、それらの間に相対運動を妨げる力 (摩擦力 )がはたらく現象をいう。
物体が相対的に静止している場合の静止摩擦 と、運動を行っている場合の動摩擦 に分けられる。多くの状況では、摩擦力の強さは接触面の面積や運動速度によらず、荷重のみで決まる。この経験則はアモントン=クーロンの法則と呼ばれ、初等的な物理教育の一部となっている[ 2] 。
摩擦力は様々な場所で有用なはたらきをしている。ボルト や釘 が抜けないのも、結び目や織物がほどけないのも摩擦の作用である。自動車や列車の車輪が駆動力を得るのも地面との間にはたらく摩擦力(トラクション )の作用である。産業上は物理的な機械の回転、摺動機構の効率に影響を与える。
摩擦力は基本的な相互作用 ではなく、多くの要因が関わっている。巨視的な物体間の摩擦は、物体表面の微細な突出部(アスペリティ )がもう一方の表面と接することによって起きる。接触部では、界面凝着 、表面粗さ 、表面の変形 、表面状態(汚れ、吸着 分子層、酸化層 )が複合的に作用する。これらの相互作用が複雑であるため、第一原理 から摩擦を計算することは非現実的であり、実証研究 的な研究手法が取られる。
動摩擦には相対運動の種類によって滑り摩擦 と転がり摩擦 の区別があり、一般に前者の方が後者より大きな摩擦力を生む。また、摩擦面が流体(潤滑剤 )を介して接している場合を潤滑 摩擦 といい[ 5] [ 6] [ 7] 、流体がない場合を乾燥摩擦 という。一般に潤滑によって摩擦や摩耗は低減される。そのほか、流体内で運動する物体が受けるせん断抵抗(粘性 )を流体摩擦もしくは摩擦抵抗ということがあり、また固体が変形 を受けるとき内部の構成要素間にはたらく抵抗を内部摩擦というが、固体界面以外で起きる現象は摩擦の概念の拡張であり、本項の主題からは離れる。
摩擦力は非保存力 である。すなわち、摩擦力に抗して行う仕事 は運動経路に依存する。そのような場合には、必ず運動エネルギー の一部が熱エネルギー に変換され、力学的エネルギー としては失われる。たとえば木切れをこすり合わせて火を起こすような場合にこの性質が顕著な役割を果たす。流体摩擦(粘性 )を受ける液体の攪拌など、摩擦が介在する運動では一般に熱が発生する。摩擦熱以外にも、多くのタイプの摩擦では摩耗 という重要な現象がともなう。摩耗は機械の性能劣化や損傷の原因となる。摩擦や摩耗はトライボロジー という科学の分野の一領域である。
歴史 「摩擦 (friction )」という語を初めて文献中で用いたのはアイザック・ニュートン だとされる。しかし、アリストテレス を始めとする古代ギリシャ人や、ウィトルウィウス 、大プリニウス らは早くから摩擦の原因や緩和法に興味を持っていた[ 11] 。このころすでに静止摩擦と動摩擦の違いは知られていた。テミスティオスは350年に「動いている物体の運動をさらに強める方が、静止している物体を動かすより易しい」と記している[ 11] [ 12] [ 13] [ 14] 。
1493年、トライボロジー のパイオニアであったレオナルド・ダ・ヴィンチ により、滑り摩擦に関する古典的な法則が発見された。それらは私的な記録に残されたのみだったが[ 15] [ 16] [ 17] [ 18] [ 19] 、ギョーム・アモントン によって1699年に再発見され、後に摩擦の基本法則(アモントン=クーロンの法則 )の一部とみなされるようになった。アモントンは摩擦が生じる理由として、物体表面の微小な凹凸がかみ合うことで相対運動を妨げるという凹凸説 (roughness theory ) を示した。この見方はのちにベルナール・フォレスト・ド・ベリドール(英語版 ) [ 21] とレオンハルト・オイラー によって深化された(1750年)。オイラーは斜面上に置かれたおもりの摩擦角 を導き、静止摩擦と動摩擦を初めて明確に区別した[ 22] 。ジョン・デサグリエ (1734年)は摩擦における凝着 の役割を初めて認識し、接触面の凝着が引きはがされるときに発生するのが摩擦抵抗だという凝着説 (adhesion theory ) を唱えた[ 23] 。
摩擦の理解をさらに進めたのはシャルル・ド・クーロン である(1785年)。クーロンは摩擦の四つの主要因として、物体とその表面塗装の性質、接触面積、接触面に垂直な圧力(荷重)、待機時間[ 注釈 1] に注目した[ 15] 。クーロンはさらに、滑り速度や温度と湿度の影響を考慮に入れて、凹凸説と凝着説のどちらが正しいかを突き止めようとした。クーロンは摩擦の法則の中で静止摩擦と動摩擦を区別した(下記 参照)が、この点は1758年に既にヨハン・アンドレアス・フォン・ゼーグナーによって論じられていた[ 15] 。ピーテル・ファン・ミュッセンブルーク (1762年)は待機時間の効果を説明するため、繊維状になった接触面を想定し、繊維が次第に噛み合っていくことで時間とともに摩擦が進行するという見方を示した。
ジョン・レスリー (1766 - 1832年)はアモントンとクーロンの見方の弱点を指摘した。アモントンが言うように接触面で凹凸が噛み合っているならば、物体を滑らせたとき、接触点が凹凸の傾斜を上る間は抵抗が発生するが、傾斜を下るときに埋め合わされるのではないか? レスリーはデサグリエの凝着説に対しても同程度に懐疑的であり、凝着も抵抗としてだけではなく加速力としてはたらくのではないかと述べた[ 15] 。レスリーの観点では、摩擦とは時間とともにアスペリティが押し延ばされていく過程であって、それによって空洞だったところに新たな障害物が作りだされるのだという。
アーサー・モリン(英語版 ) (1833年)は転がり摩擦と滑り摩擦という概念を展開した。オズボーン・レイノルズ (1866年)は粘性流れの式を導いた。これにより、工学において現在一般に用いられている経験的な摩擦の古典モデル(静止摩擦、動摩擦、流体摩擦)が完成した[ 16] 。1877年にフリーミング・ジェンキン とジェームス・アルフレッド・ユーイングは静止摩擦と動摩擦の連続性について研究した[ 25] 。
20世紀 の摩擦研究は、その物理的なメカニズムの解明に焦点があてられた。フランク・フィリップ・バウデンとデイビッド・テーバーは、微視的 なレベルでの真実接触面積 が見かけの接触面積よりもはるかに小さいことを明らかにした[ 17] 。バウデンとテーバーの著書 The friction and lubrication of solids (1950年。日本語題『固体の摩擦と潤滑』)は摩擦研究の古典とみなされている。彼らによると、アスペリティの先端がもう一方の接触面に触れた部分だけが真実接触部となり、圧力が増えると接触部の面積は増加する。こうした現代的な形の修正凝着理論 が摩擦の基礎理論として広く認められるようになった。また原子間力顕微鏡 ( - 1986年)の開発は原子スケール での摩擦研究を可能にした[ 16] 。その結果、原子スケールでの摩擦は接触面間のせん断応力 と接触面積の積で与えられることが明らかになった。これらの二つの発見によって、アモントンの第一法則、すなわち、巨視的な乾燥摩擦面では垂直抗力と静止摩擦力が比例することが説明された。
1966年、摩擦と潤滑に関する科学技術の振興を目的とした包括的な答申書(ジョスト報告、Jost Report )がイギリスで作成された。この報告が注目を集めたのは、摩擦研究の発展によって、社会全体で国民総生産 の1.3% にのぼる経費が節約できるという試算を示したためである。また同時に摩擦の関連分野の研究を「トライボロジー」という造語で呼ぶことが提案された。日本の通商産業省 はこれに追随して1970年と1971年に「わが国潤滑問題の現状」という報告書を作成した。ドイツ、アメリカもこれに続き、共通基盤技術としてのトライボロジーの重要性が広く認識されるようになった。
摩擦の基礎 摩擦とは、互いに接する二つの物体が接触面に沿って相対的な運動を行うことを妨げる力である。静止した物体の間にはたらく静止摩擦 (静摩擦)と、互いに対して運動している動摩擦 (運動摩擦)の二つの領域がある。摩擦力は常に接触面の相対的な滑り運動を妨げる方向にはたらく。すなわち、静止摩擦の場合には動き出そうとする方向の逆向き、動摩擦の場合には相対速度の逆向きである。たとえば、斜面上の物体が滑り落ちずにその場に止まることができるのは静止摩擦力のはたらきである。また氷の上を滑るカーリング の石はそれを減速させるような動摩擦力を受ける。
この節では摩擦面の間に流体が挟まれておらず(乾燥摩擦)、物体が転がらない場合(滑り摩擦)について論じる。
クーロンの摩擦モデル 摩擦の基本的な性質は15 - 18世紀に実験的に明らかにされた。現在では以下の三つの経験則(アモントン=クーロンの法則 )が知られている。
アモントンの第一法則 : 摩擦力は加えた荷重に直接比例する。 アモントンの第二法則 : 摩擦力は見かけの接触面積にはよらない。 クーロンの摩擦法律 : 動摩擦は滑り速度によらない。 これらの法則は、摩擦係数 が荷重、見かけの接触面積(物体のサイズや形状)、滑り速度によらないことを意味する。「静止摩擦は動摩擦より大きい」という第四の法則を付け加える場合もある。アモントン=クーロンの法則に基づく近似的なモデルをクーロンの摩擦モデル という。このモデルは適用範囲が広いことから摩擦の計算に一般に用いられている。
静止摩擦 斜面に置かれたブロックが受ける力ベクトル の図解。F が摩擦力、N は垂直抗力 、W は重力 である。静止摩擦ではこれらの三力がつり合っている。 静止摩擦の支配的なモデル式は以下である。
F ≤ μ N {\displaystyle F\leq \mu N} 物体につけたひもを引く力 T を増やしていく。物体が静止している間は、静止摩擦力 f と T がつり合っており合力はゼロとなる。外力が増えるとともに摩擦力も増えていき、最大静止摩擦力 f 0 に達するとつり合いが崩れて物体は動き出す。いったん動き始めると動摩擦力 f がはたらくようになるが、その大きさは f 0 よりも小さい。 動摩擦とは、地面の上をすべるそりのように、二つの固体が互いにこすりながら相対運動を行う時に生じる摩擦である。動摩擦力 F は動摩擦係数 μ′ と垂直抗力 N の積で与えられる。
F = μ ′ N {\displaystyle F=\mu ^{\prime }N} 摩擦角 θ とはブロックがちょうど滑り始める角度をいう。滑り出す直前、斜面に沿った方向にかかっている重力の分力 mg sin θ は最大静止摩擦力 f = μN と等しくなっている。 斜面 上に静止させた物体が滑り落ちずに済む最大の傾斜角として静止摩擦を定義することも可能である。この角度を摩擦角 といい、以下のように定義する。
tan θ = μ {\displaystyle \tan {\theta }=\mu } 二つの物体の真実接触部(矢印)は見かけの接触面のごく一部に過ぎない。 摩擦面において実際に接触を担っているのは、様々な長さスケールにわたる固体表面の隆起(アスペリティ)だと考えられている。アスペリティ構造はナノスケール の小ささに至るまで存在する。固体と固体が接触するとき、実際に触れあっているのは有限個のアスペリティの突端のみであり、それら真実接触部 の面積は見かけの接触面積のわずかな部分 (10−3 % - 1%) を占めるに過ぎない。接触面への荷重が増加すると、アスペリティはもう一方の表面に押し付けられ、塑性流動によって接触面積が広がる。これにより、荷重と真実接触面積の間に線形の関係が生まれる。接触部で作られる分子間接合(凝着)を壊して面を滑らせるためには、真実接触面積に材料のせん断強さ(単位面積当たりの結合を切るのに必要なせん断応力)をかけた分だけの力が必要である。このように、クーロン摩擦において最大静止摩擦力と荷重(垂直抗力)が比例する理由は凝着に基づいて説明できる(凝着摩擦 の節参照)[ 42] 。
ただし、この経験則は結局のところ、極度に複雑な物理的相互作用の詳細を無視した近似則でしかない。たとえば、真実接触面積が見かけの接触面積に近づくと変化が飽和して比例関係が壊れるため、荷重が大きい領域ではクーロン近似は成り立たない。あるいは、表面酸化膜が弱い銅 のような金属では、荷重によって表面層が壊れるため摩擦係数は一定とみなせない。また、接触面に結合が生じると、クーロン摩擦は非常に悪い近似となる。たとえば粘着テープ が滑りを妨げる効果は垂直抗力がゼロや負であっても生じる。ゲルにはたらく摩擦力は接触面積に強く依存することがある。この理由によりドラッグレース 用のタイヤには粘着性を持つものがある。
クーロン近似が当てはまらない状況もあるとはいえ、その強みは単純さと適用範囲の広さにあり、多くの物理系の摩擦について十分に有効な描像である。
クーロンモデルの数値的シミュレーション クーロンモデルは単純化されたものであるが、多体系 や粉粒体 での数値的シミュレーション への適用は多くの場合有用である。そのもっとも単純な表式であっても本質的な凝着と滑りの効果が取り入れられており、多くの場面に適用することができる。ただし、クーロン摩擦と単側接触・両側接触を持つ力学系を数値積分 するためには専用のアルゴリズムを設計しなければならない[ 45] [ 46] [ 47] [ 48] [ 49] 。いわゆるパンルヴェのパラドックス(英語版 ) のような非線形性の強い効果のいくつかはクーロン摩擦から起きる[ 50] 。
摩擦係数 摩擦係数 とは垂直抗力に対する摩擦力の比で定義される無次元量 で、多くの場合ギリシャ文字 μ で表される。摩擦係数は物質の組み合わせによってゼロに近い値から1を超える値にまでなる。摩擦係数の項を初めて導入し、その使い方を示したのはアーサー・モリンである[ 15] 。摩擦係数が結び付ける二つの物理量はどちらも力で同一の次元を持つので、本来は摩擦因子 (英 : friction factor )と呼称するのがよいが、日本国においては慣習的に摩擦係数の語が用いられている[ 51] 。
静止摩擦係数と動摩擦係数はどちらも接触している物質の組み合わせに依存する。たとえば、鋼 の上に置かれた氷 は摩擦係数が小さく、舗装道路の上に置かれたゴムは摩擦係数が大きい。金属同士の接触では、異種金属よりも性質の似た金属の組み合わせの方が大きい摩擦係数を持つという原則がある。つまり、真鍮 を鋼やアルミニウムとこすり合わせるより、真鍮どうしをこすり合わせる方が摩擦係数は大きくなる[ 52] 。互いに静止している接触面についての静止摩擦係数は、ほとんどの場合、同じ接触面が互いに滑っている場合の動摩擦係数よりも大きい。しかし、テフロンどうしの組み合わせのように静止摩擦係数と動摩擦係数に差がない場合もある[ 53] 。
乾いた物質の組み合わせでは、摩擦係数はほとんどの場合0.3から0.6までの値になる。この範囲を超える値は希少だが、たとえばテフロン は0.04という低い値を持ちうる。摩擦係数が0となるのは摩擦が全くはたらかない場合であって現実には考えにくい。摩擦係数が1より大きくなることはないという主張がしばしば見られるが、正しくない。1を超える摩擦係数は、単に物体を滑らせるのに必要な力が接触面にはたらく垂直抗力より大きいということを意味するに過ぎない。現実的には μ < 1 となる場合がほとんどだが、たとえばゴムとほかの物質との間の摩擦係数は1から2の値を取りうる。シリコーンゴム やアクリルゴム をコーティングした面の摩擦係数は1よりはるかに大きくなる。
摩擦係数は単純な物性値というより、系全体の特性と考える方が実際に近い。真の物性値(伝導率 、誘電率 、降伏強さ など)が物質の種類だけで決まるのに対し、摩擦係数は温度 や湿度 、滑り速度 、雰囲気 、待機時間など、系に特有の変数に依存する。また物質界面の形状的な特性、すなわち表面粗さ の影響も受ける[ 1] 。たとえば、雪や氷のような融点が低い物質の滑り摩擦では摩擦熱が大きな役割を果たす。氷上を高速で滑ると接触部で融解が起き、水が潤滑剤となって摩擦係数は0.1以下になるが、低速で界面の圧力も低い場合には摩擦係数は 0.6 - 0.8 にまで高くなりうる。ロケットスレッド や銃砲身 などでは、金属界面でさえ融解が起きる[ 55] 。したがって摩擦特性について一般則を見出すのは困難である。摩擦によって表面構造がダイナミックに変化する場合、従来は表面科学的な解析を行うことも困難であった[ 56] 。しかし、近年では摩擦現象のその場観察の手法が進歩しつつある[ 57] 。
静止摩擦係数は物体の変形特性と表面粗さ によって決まるが、その起源をたどれば、それぞれの物体の内部や表面の原子、あるいは吸着分子の間にはたらく化学結合 である。静止摩擦の大きさを決める上で、物体表面のフラクタル性 、すなわちアスペリティのスケーリング挙動を記述するパラメータが重要な役割を持つことも知られている[ 1] 。
応力場の非一様性が顕著な系では、系全体が滑る前に局所的な滑りが生じることによって、巨視的な静止摩擦係数が、荷重、系のサイズ、形状に依存する。すなわち、このような系では巨視的にアモントンの法則 が破れる[ 58] [ 59] 。
摩擦係数の概略値
自己潤滑性 固体物質の中で特に摩擦係数が小さい物質を自己潤滑性材料もしくは固体潤滑剤という。グラファイト やポリテトラフルオロエチレン はその代表で、特に後者は摩擦係数が低いことが知られている。ポリアセタール などの結晶性プラスチックは金属との間の摩擦係数が極めて低く、機械摺動部によく用いられる[ 69] 。鉛 などの軟質金属も自己潤滑材料に含まれる場合がある。これらの固体潤滑剤を用いた軸受は、流体潤滑剤では支持できないような高荷重・低速の条件や、潤滑剤の使用に向かない高温・真空・水中などの環境での用途に発展してきた。
固体潤滑剤以外にも、焼結 金属などの多孔質体 に潤滑油を浸みこませたものや、熱可塑性樹脂 に潤滑油を練り込んだものも自己潤滑性材料と呼ばれる。これらは給油の必要のないメンテナンスフリーな軸受の材料となる。
負の摩擦係数 2012年現在、低負荷領域において実効的な摩擦係数が負となりうる可能性が示されている。これはつまり、垂直抗力を増やすと摩擦が増加するという日常的な経験に反して、垂直抗力を減らすと摩擦が増加するという現象を指す[ 71] 。この研究は酸素が吸着したグラフェンシートの上をAFMの探針を滑らせた時に発生する摩擦に関するもので、2012年10月の『ネイチャー 』で報告された[ 71] 。
摩擦が発生するメカニズム アモントンの素朴な凹凸説は否定されて久しいが、道路とゴムの間の摩擦のように表面粗さの効果が優位となる状況は多い。慣性力よりも表面力が支配的となるマイクロスケール・ナノスケールでも表面粗さと接触面積が物体の動摩擦に影響する[ 72] 。
現在一般に理解されているところでは、動摩擦の原因は大きく分けて3つある。(1) 摩擦面のあちこちにある真実接触部が化学結合を作り(凝着)、滑り面の運動とともに破断と再凝着を繰り返す(凝着摩擦)。(2) 表面の凹凸が互いにぶつかり合って弾性変形を起こし、そのときに内部摩擦 によって力学的エネルギーの一部が熱に変わる(弾性変形抵抗)。(3) アスペリティがもう一方の面に突き刺さり、面を掘り起こしながら進んで行くため仕事が必要となる(掘り起こし摩擦)。その他の塑性変形を4つ目に数えることもある。これらの3つの原因による抵抗力をそれぞれ F 1 、F 2 、F 3 とすれば、摩擦力はその和で与えられる。
F = F 1 + F 2 + F 3 {\displaystyle F=F_{1}+F_{2}+F_{3}} 微小な凹凸を持つ摩擦面のモデル。外力 F と荷重 W 、接触面での垂直抗力 N がつり合っている。 クーロンモデルが成立する機構として、凝着説とともに古くから検討されてきた候補の一つが凹凸説である。クーロンによる議論は以下のようなものである。固体表面の微小な凹凸を、のこぎり歯のような三角形の連なりとしてモデル化する。どの三角形も高さや傾斜角 θ は等しいとする。上下の面の三角形が図のように噛み合った状態で横方向の力を加えて滑り運動を起こさせようとすると、接触点の一つでは、横方向の力 F 、鉛直方向の荷重 W 、斜面からの垂直抗力 N がつり合う。つり合いの条件は
F = N sin θ , W = N cos θ {\displaystyle F=N\sin \theta ,W=N\cos \theta } 潤滑状態と摩擦係数の間の関係を示すストライベック線図。横軸は潤滑流体の粘性・摺動速度・荷重によって決まる無次元数、縦軸は摩擦係数を表す。高粘度で摩擦面に対する荷重が低く、摺動速度が大きいほど摩擦状態は図の右へ移行する。 潤滑摩擦とは固体摩擦面の間に流体が存在する場合をいう。潤滑とは摩擦面に潤滑剤 と呼ばれる物質を塗ることで摩耗 を低減する技術である。適度な潤滑を行うことで機構の動作はなめらかになり、摩耗が緩和され、ベアリング に過剰な応力 や焼き付き が発生することがなくなる。潤滑が効かなくなると、金属などの機械部品の摺動面で異常な高温や損傷・断裂を生じることがある。
潤滑摩擦は流体層の厚さによってさらに流体潤滑、境界潤滑、混合潤滑に分けられる。荷重が小さい領域では、摩擦面の潤滑液が押し出される動きに対して粘性摩擦がはたらくため、流体層はある程度の厚さを保っている(流体潤滑、図の3)。荷重が大きくなると、流体層が薄くなって滑り面の凹凸が互いに接触し始め、摩擦係数が急激に増大する(混合潤滑、図の2)。さらに荷重が増すと、流体層は分子レベルの薄さに達する(境界潤滑、図の1)。
転がり摩擦 転がり摩擦(転がり抵抗とも)とは、車輪などの円形物体が表面上を転がる時に生じる抵抗力をいう。一般的に転がり摩擦は滑り摩擦よりも小さい[ 90] 。転がり摩擦において、動摩擦係数は転がり速度によって増加することが知られている。
転がり摩擦の起源は滑り摩擦と同じく弾性変形や凝着、掘り起こしなどだが、車輪と面の間に滑りがない自由転がりの場合には、弾性変形によるヒステリシス 損失が支配的となる。ゴムのタイヤとアスファルト 舗装 では、動摩擦係数は路面の状態にもよるが0.015程度となる。弾性ヒステリシス損失の少ない金属どうしの場合には転がり摩擦係数は非常に小さく、鉄道の車輪とレールの間では10−2 から10−4 にもなる[ 92] 。
道路を走る自動車のタイヤは転がり摩擦の好例である。タイヤが熱を持ったり走行音 を発するのも摩擦のプロセスによるものである[ 93] 。
真空中での摩擦 金属を高真空中に置くと、表面に吸着 していた気体分子が脱離したり酸化膜が消失したりすることで凝着が起こりやすくなる。同種金属の摩擦係数は空気中で0.6程度だが、真空中では1をはるかに超えることがある。清浄な銅どうしでは100近い摩擦係数すら実現できる。 グラファイト は潤滑剤としても用いられる物質で、摩擦係数は常圧で0.1程度だが、酸素や水の分子を脱離させると0.7以上に増加する。プラスチック はもともと表面エネルギー が低く、ファンデルワールス力 による弱い吸着(物理吸着 )しか起こらないため、吸着による摩擦特性の変化は小さい。
このような結果から、大気圧条件下では潤滑剤を用いない場合にも厳密には乾燥摩擦とは言えないことがわかる。
原子レベルでの摩擦 超潤滑のモデル。凹凸は原子間力のポテンシャルを示す。清浄な微小原子面どうしが接触するとき、互いに向きが異なると凹凸の位置が整合しない。この場合、接触部が上り坂となっている場所もあれば、下り坂となっている場所もあるので、総体としてはどの方向にも力がはたらかない。このとき摩擦力は極度に小さくなる。 ナノマシン の設計では、接触している原子どうしをすれ違わせるのに必要な力を求めるのが課題となる。2008年、単一の原子を物体表面上で動かすのに必要な力が初めて測定された。超高真空中におかれた銅やプラチナの基板を低温 (5 K ) に冷却し、その上に置かれたコバルト原子や一酸化炭素分子を特製の原子間力顕微鏡 によって動かす実験である[ 95] 。
原子スケールで平滑な面どうしが接触している場合、それぞれの面の原子配列が摩擦に大きな影響を与える。原子周期が整合した原子面どうしの接触では、一般に結合力(すなわち摩擦力)は強くなる。逆に原子周期が不整合である場合、すべての原子を同時にエネルギー的に安定な位置に置くことができないため、結合力が実質的にはたらかなくなることがある。たとえば(高配向性熱分解)グラファイト どうしや、タングステンとシリコンの清浄表面の接触で0.01以下の摩擦係数が観察されている[ 96] 。このように極度に摩擦が小さい状態は超潤滑(英語版 ) と呼ばれる。
広義の摩擦 固体接触面で起きるわけではないが、摩擦と名の付く現象をここに挙げる。
内部摩擦 弾性ヒステリシス曲線。変形量(横軸)に対する外力(縦軸)の変化を表す。青色の曲線にそって負荷を増やしていった時と、赤色の曲線にそって負荷を減らしていった時では必要な力が異なる。曲線で囲まれた部分の面積がエネルギー損失を与える。 物体が変形したとき、その内部でエネルギーの一部が熱に変わる現象を内部摩擦という。理想的な弾性体では応力と変形量は線形の関係にあるが、一般の物質では変形を増加させるときと減少させるときとで応力が異なる(弾性ヒステリシス(英語版 ) )。動摩擦において、弾性平面上を接触点が滑っているとすると、その前方では接触点によって面が押し込まれて圧縮変形を受け、後方では凹んだ面が元に戻る時に接触点を前に押し出している。理想的な弾性体ではこれらの仕事はつり合うが、弾性ヒステリシスが存在すると、圧縮の際に面が受ける仕事の方が変形回復の際に放出する仕事よりも大きくなる。すなわち運動体のエネルギー損失を招く。
内部摩擦の大きさを表す量はいくつかある。強制振動 を与えた時に生じる変形量と応力の間の位相遅れ(誘電損失 の損失角と同様)、共振曲線におけるQ値 の逆数、振動サイクルあたりのエネルギー減衰率や対数減衰率である。
流体の内部摩擦 流体 層の間に相対的な速度差があると、それを減少させるようなせん断力がはたらく。これによって流体内部で流れに対する抵抗力が生じることを粘性という。日常的には粘性は「濃い」「ドロッとしている」のように表現される。水は「サラサラ」としていて比較的粘性が低いのに対し、蜂蜜は「ドロドロ」であって粘性が高い。流体の粘性が小さいほど変形させたり運動させたりするのが容易である。
現実の流体は(超流体 を除く)、せん断 力に対して何らかの抵抗を示す。すなわち粘性を持つ。流体力学 の理論では説明のために「理想流体」という概念が使われる。理想流体は粘性を持たず、せん断力に対してなんら抵抗を示さない。
流体摩擦 流体摩擦もしくは摩擦抵抗とは、物体の周りを流れる流体と物体表面との相互作用から生じる抵抗力である。流体摩擦は抗力の式から導かれ、流速の自乗および物体の表面積に比例する。流体摩擦は物体周辺の境界層 における粘性抗力から発生する。流体摩擦を低減するには、流体が周りをなめらかに運動できるような物体形状(エーロフォイル、翼型 )を採用するか、物体の長さと断面積を可能な限り減らす方法がある。
放射摩擦 1909年にアルベルト・アインシュタイン は光圧 が物体の運動に対する抵抗力としてはたらくことを予言し、「放射摩擦 (radiation friction)」と呼んだ[ 100] 。「一枚の板は常に両側から電磁放射 による圧力を受けている。板が静止している限り、両側の圧力は等しい。しかし板が運動している場合には、進行方向側の面(前面)において背面より多くの放射が反射を起こすことになる。したがって、前面の圧力が与える力は、背面の圧力が与える力よりも大きい。よってこれらの合力は板の運動に対する抵抗としてはたらき、板の速度とともに増大する。この合力を簡潔に「放射摩擦」と呼ぶ」
摩擦のエネルギー エネルギー保存則 によればエネルギーが消失することはないが、注目している系から他へ移って見えなくなることはある。特に、力学系からエネルギーが失われて熱 へと変化する現象は多い。摩擦はその典型である。たとえばホッケーパック が氷上を滑ると摩擦によって運動エネルギーが熱に変換され、パックと氷表面の熱エネルギーが上昇する。摩擦熱は急速に散逸するので、アリストテレスをはじめとする古代の自然哲学者はその存在に気づかず、単に運動物体は駆動力がなければエネルギーを自然に失うものと考えていた。
ある物体に力を加えながら経路 C に沿って運ぶとき、熱に変換されるエネルギー量 E th は仕事の定義通りに線積分 で求められる。
E t h = ∫ C F ( x ) ⋅ d x = − ∫ C μ ′ N ( x ) d s {\displaystyle E_{th}=\int _{C}\mathbf {F} (\mathbf {x} )\cdot d\mathbf {x} \ =-\int _{C}\mu ^{\prime }N(\mathbf {x} )ds} 摩擦がはたらくプーリーにかけたロープでおもりを吊っている様子。ロープ両端にはたらく張力をそれぞれ T 1 、T 2 とする。 ベルト摩擦(英語版 ) とは、プーリー にかけたベルトやボラード に巻き付けたロープにはたらく摩擦力をいう。プーリーにかけたベルトの一端を引っぱるとき、もう一端に伝わる張力はプーリーから受ける摩擦力によって弱まっている。この張力はキャプスタン方程式
T 2 = T 1 e μ θ {\displaystyle T_{2}=T_{1}e^{\mu \theta }} 転がり軸受の一種である玉軸受 。外筒側と内筒側の間で転がり摩擦を起こし、回転の摩擦抵抗を減らす。 滑り摩擦が発生する部分に機械要素 (機械部品)を使うと、より摩擦抵抗の小さい転がり摩擦や流体摩擦へと変えることができる。回転する軸 を支えるようなときは、転がり軸受 が活用される。接する物体どうしが直線相対運動を行う場合は転がり案内が有効である。油や空気を用いた流体潤滑を活用する軸受は流体潤滑軸受と呼ばれる。これらには静圧 を利用するものと動圧 を利用するものがある。低摩擦で清浄という利点から、静圧気体軸受が精密加工機や計測機器などで用いられる。
ナイロン 、HDPE やPTFE のような熱可塑性樹脂 の多くは摩擦が小さく、摩擦面の材料として用いられる[ 118] 。これらの物質は、荷重とすべり速度が増えることで接触部が融点もしくは軟化点に達し、摩擦特性が一変するという性質がある[ 55] 。過酷な条件や重要度の高い箇所で使用される軸受では、摩耗耐性を向上させるために分子量が極めて高いグレードの物質が要求される。
潤滑剤 摩擦面にオイル、水、グリースのような潤滑剤を塗ると摩擦係数は劇的に小さくなる。潤滑剤としては主に薄い液体層やグラファイトや滑石などの粉体が用いられるが、音響潤滑(英語版 ) では物質ではなく音を利用する。機械部品の間の摩擦を低減するため、部品の一方に微小な振動を印加する方法がある。この方法はディザと呼ばれ、超音波カッターのように正弦波振動が与えられる場合もあれば、振動ノイズが与えられる場合もある。
脚注
注釈 ^ dwell time。物体が面の上で静止してから次に動かされるまでの時間。time of reposeとも ^ ここでいうトラクション係数を慣用的に「摩擦係数」もしくは「μ(ミュー)」と呼ぶことがあるが、物理的な静止摩擦係数・動摩擦係数とは異なる[ 107] 。
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参考文献
関連項目
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