平安の変遷
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仏教も伝来以来日本人の死生観に最も影響を与えたものの一つであった。飛鳥・奈良時代を通じてまでは遣唐使など中国・朝鮮と行き来があり文化をそのまま受容する風が強かったが、平安時代に菅原道真の進言で遣唐使が廃止されると、国風文化を始め文化の独自色が強まっていく。仏教も独特の発展を遂げ、釈迦の死後2000年経つと像法を経て末法の世が来るという末法思想が広がり、永承7年(1052年)が末法到来の始まりとして有力視された(『扶桑略記』永承七年正月二十六日に「今年始めて末法に入る」と記されている)。貴族を中心として阿弥陀仏による往生を願う阿弥陀来迎図が広まり、1052年にはその思想を反映した平等院鳳凰堂が藤原頼通によって建てられ、「極楽いぶかしくば宇治の御寺(平等院。宇治にあった)をうやまへ」とまで言われるようになる。浄土教が創始され広く定着させたのは僧源信の手による『往生要集』(985年)の功績が大きかった。この中では「厭離穢土、欣求浄土」の念が強調され穢れた土地・現世からの離脱、浄土という他界への往生が説かれる。それを裏付けるかのように現世に繋がる地獄の凄惨な様子を執拗に描いて浄土との対応を際立たせ、厭世・往生への志向を後押しするものになっていた。この志向は後、浄土へ向かおうとする補陀落渡海にも影響を与える。 日本神話での黄泉の世界は、死の穢れという意識こそあるものの善悪という教条的・道徳的価値観は伴っていない。仏教が入ってきてから、善者と悪者の魂の行方が選別される観念が広がってきたが原始仏教そのままで伝わったのではなく、ヒンドゥー教のヤマ神が原形の閻魔が死者の裁きの場に出るなど状況は少し複雑である。これには習合という現象を考えてみなければならない。もともと外来の宗教が地元に定着するには土着の信仰による、いわば土壌が無いと根付き芽を出すのは難しく、その際土着信仰に添ったいくらかの変容を伴う。キリスト教ではクリスマスが典型である(詳細は項目を参照)。閻魔の場合は、中国の道教的影響が入り泰山府君の死の神の性質を受け継いで同一視されたため、実際に描かれる閻魔の服装も中国風になっている。日本では小野篁と同一視されて、浄土(極楽)と地獄を行き来する同じ伝説が残っている。その際用いられたのは井戸とされ、六道珍皇寺等に伝わっている。井戸は前述した風土記の黄泉の穴と同じく古い日本人の他界観念にも繋がっていた。。のち、漢訳仏典による十王信仰によって、閻魔の本地仏は地蔵菩薩とされ神仏習合は進む。地蔵菩薩は前述の塞の神・道祖神と習合して道の辻などに祀られるようになる(知らない所の道や境は死の隠喩で「他界へ旅する」という表現もある)。一方日本人の心では祟る霊すなわち怨霊という観念もあり無我を是とする純粋な仏教的教義には馴染まなかったが折口は六道の一つ餓鬼との習合を指摘し、地蔵菩薩はその救済を担うこととなる。 葬制の変化も認識の変化を促したと思われる。古来の日本の葬制は土葬で、これは甕棺墓や鎌倉で大量に出土する人骨などに認めることが出来る。火葬が始まり室町時代にほぼ普及するまでには長い時間を要したが、貴族など教養階級の間では早くから定着していたとみえ平安時代の『源氏物語』では鳥部山で火葬の煙を詠む箇所がある。穢れの観念も屍体の腐敗を伴う土葬と無縁では無かろうし、例えば記紀で描写される死んだイザナミの腐乱した様は人々の恐怖心を窺わせる。それに対し来迎図の仏は上方から紫雲に乗って降りてくるように描かれ、土中の陰湿感は払拭されている。 来迎図に関しては当時独特の信仰儀礼・臨終行儀があり、『往生要集』で説かれているものを基としている。著者の源信はまず、死に臨んだ病者を無常院という一堂に安置すること、その病者の目前に金色阿弥陀仏像を置き、仏像の手に五色の糸を結びつけて病者にもう片方の端を握らせる設えを整えることから説く。そして病者が臨終の際何を見たかの報告、話せなければ看病人から積極的に聞くこと。罪相を観ることがあれば共に念仏を称え罪を滅すべきことを源信は勧める。この儀礼の際は視覚的イメージが一貫して重視され、看病人達も共有することが求められている。源信は儀礼を仏画に適用することも認め、京都知恩院所蔵の法然上人絵巻、同金戒光明寺の山越阿弥陀図に窺うことが出来る。浄土教からは死後への往生志向が更に進んで、『一言芳談』(1330年頃)のように「今生は一夜の宿り、夢幻の世、とてもかくてもありなむ」「死を急ぐ心ばへは、後生の第一のたすけにてあるなり」という死に急ぎの立場も出てきた。「厭離穢土、欣求浄土」の概念を考えるとこういう立場が出ても不思議ではない。
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