平安の変遷とは? わかりやすく解説

平安の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 02:22 UTC 版)

死生観」の記事における「平安の変遷」の解説

仏教伝来以来日本人死生観に最も影響を与えたもの一つであった飛鳥・奈良時代通じてまでは遣唐使など中国・朝鮮行き来があり文化そのまま受容する風が強かったが、平安時代菅原道真進言遣唐使廃止されると、国風文化始め文化独自色強まっていく。仏教も独特の発展遂げ釈迦の死後2000年経つと像法経て末法の世が来るという末法思想広がり永承7年1052年)が末法到来始まりとして有力視された(『扶桑略記永承七年正月二十六日に「今年始めて末法に入る」と記されている)。貴族中心として阿弥陀仏による往生を願う阿弥陀来迎図広まり1052年にはその思想反映した平等院鳳凰堂藤原頼通によって建てられ、「極楽いぶかしくば宇治御寺平等院宇治にあった)をうやまへ」とまで言われるうになる浄土教創始され広く定着させたのは僧源信の手による『往生要集』(985年)の功績大きかったこの中では「厭離穢土欣求浄土」の念が強調され穢れた土地現世からの離脱浄土という他界への往生説かれる。それを裏付けるかのように現世に繋がる地獄凄惨な様子執拗に描いて浄土との対応を際立たせ、厭世往生への志向後押しするものになっていた。この志向は後、浄土向かおうとする補陀落渡海にも影響与える。 日本神話での黄泉世界は、死の穢れという意識こそあるものの善悪という教条的・道徳的価値観伴っていない。仏教入ってきてから、善者と悪者の魂の行方選別され観念広がってきたが原始仏教そのまま伝わったではなくヒンドゥー教ヤマ神が原形閻魔死者裁きの場に出るなど状況は少し複雑である。これには習合という現象考えてなければならない。もともと外来宗教地元定着するには土着の信仰による、いわば土壌が無いと根付き芽を出すのは難しくその際土着信仰に添ったいくらか変容を伴う。キリスト教ではクリスマス典型である(詳細は項目を参照)。閻魔場合は、中国の道教影響入り泰山府君の死の神の性質受け継いで同一視されたため、実際に描かれる閻魔服装中国風になっている。日本では小野篁同一視されて、浄土極楽)と地獄行き来する同じ伝説残っている。その際用いられたのは井戸とされ、六道珍皇寺等に伝わっている。井戸前述した風土記黄泉の穴と同じく古い日本人他界観念にも繋がっていた。。のち、漢訳仏典による十王信仰によって、閻魔本地仏地蔵菩薩とされ神仏習合は進む。地蔵菩薩前述塞の神道祖神習合して道の辻などに祀られるうになる知らない所の道や境は死の隠喩で「他界旅する」という表現もある)。一方日本人の心では祟る霊すなわち怨霊という観念もあり無我是とする純粋な仏教的教義には馴染まなかったが折口六道一つ餓鬼との習合指摘し地蔵菩薩はその救済を担うこととなる。 葬制変化認識変化促した思われる古来日本葬制土葬で、これは甕棺墓鎌倉大量に出土する人骨などに認めることが出来る。火葬始まり室町時代にほぼ普及するまでには長い時間要したが、貴族など教養階級の間では早くから定着していたとみえ平安時代『源氏物語』では鳥部山火葬の煙を詠む箇所がある。穢れ観念屍体腐敗を伴う土葬無縁では無かろうし、例え記紀描写される死んだイザナミ腐乱した様は人々恐怖心窺わせる。それに対し来迎図の仏は上方から紫雲乗って降りてくるように描かれ土中陰湿感は払拭されている。 来迎図に関して当時独特の信仰儀礼臨終行儀があり、『往生要集』で説かれているものを基としている。著者源信はまず、死に臨んだ病者無常院という一堂安置すること、その病者目前金色阿弥陀仏像を置き、仏像の手五色の糸を結びつけて病者にもう片方の端を握らせる設え整えることから説く。そして病者臨終の際何を見たかの報告話せなければ看病人から積極的に聞くこと。罪相を観ることがあれば共に念仏称え罪を滅すべきことを源信勧める。この儀礼の際は視覚的イメージ一貫して重視され看病人達も共有することが求められている。源信儀礼仏画適用することも認め京都知恩院所蔵法然上人絵巻同金光明寺山越阿弥陀図窺うことが出来る。浄土教からは死後への往生志向が更に進んで、『一言芳談』(1330年頃)のように「今生一夜の宿り、夢幻の世、とてもかくてもありなむ」「死を急ぐ心ばへは、後生第一のたすけにてあるなり」という死に急ぎ立場出てきた。「厭離穢土欣求浄土」の概念考えるとこういう立場出ても不思議ではない。

※この「平安の変遷」の解説は、「死生観」の解説の一部です。
「平安の変遷」を含む「死生観」の記事については、「死生観」の概要を参照ください。

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