塩の道、足助町
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1984年(昭和59年)9月21日、岡崎を軽トラックで出発。40日間、塩の道(矢作川河口~長野県飯田市)の旅スケッチをした。旅の途中の9月23日、東加茂郡足助町(現・豊田市足助町)の三州足助屋敷を訪れると、2代目館長の鈴木茂夫に促されそのまま足助屋敷に2、3泊した。「変わった奴が来たというので、いろりで宴会となった。すごい温かいというか、ここは面白い町だなと思った」と柄澤はのちに述べている。これが切っ掛けとなり、足助の人々との交流が始まる。塩の道はその後も仕事で度々訪れ、本も出版している。 1985年(昭和60年)、足助町に滞在。町並みや三州足助屋敷の職人などを描いた。人物を初めてペン画で描く。塩の道と足助町は柄澤のライフワークとなる。 1986年(昭和61年)前半は『岡崎文化』の編集に携わる傍ら、市制施行以降の岡崎市の文化史年表を作成。同年6月から11月にかけて、岡崎市の鳥瞰画を10景描いた。12月、代表作となる画集「岡崎鳥瞰画集 第一集・第二集」を刊行。 1987年(昭和62年)、菅江真澄の足跡を訪ね、信州、東北、北海道を旅する。朝日新聞に「ガタゴト旅日記」を連載。同年から1988年(昭和63年)にかけて、朝日新聞に「訪問スケッチ―甲山かいわいの人々―」を連載。同年、北海道江差町に半年間滞在。北海道新聞に「三河人のみた道南スケッチ」を連載。 1990年(平成2年)、常滑市のやきもの散歩道を訪れ、職人が土管をつくる風景やれんが造りの煙突や人々の暮らしをスケッチ。朝日新聞知多版に「散歩道の絵日記」を連載。 1991年(平成3年)から1992年(平成4年)にかけて朝日新聞に「柄澤照文のあ~した天気になあれ―東海スケッチ―」を連載。 1993年(平成5年)、朝日新聞に名古屋市広小路通プロムナードのスケッチを連載。
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