報復措置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 05:13 UTC 版)
9月19日以降に暴力的なデモが収束した後は、2010年の尖閣諸島中国漁船衝突事件の後と同じく、日本からの輸入品の通関を厳格化させ遅滞させている。また北京市新聞出版局は「思想を統一し、(政治的な)方向を把握せよ」と出版社の編集者らに指示を出し、書店から日本人作家の著作や日本語学習書などの日本関連書籍を引き上げさせた。 中国が尖閣周辺の日本領海内や日中接続水域などに監視船を派遣し始めたのは2008年12月であり、2010年9月の漁船衝突事件以降は、「漁政」や「海監」等の中国公船の派遣をほぼ毎月のペースに激化させ、領海侵犯も繰り返していた。 国有化以降は、それを更にエスカレートさせ、2012年9月14日には過去最多となる6隻の「海監」が同時に尖閣諸島を領海侵犯し、9月18日は過去最多となる12隻の公船が接続水域に侵入しこのうち3隻が領海侵犯した。この際、日中のメディアにより「漁政」が1,000隻の漁船団を引き連れて尖閣海域にやってくると報じられていたため、日本の海上保安庁は過去最大となるPS(350トン型未満)以上の巡視船50隻体制で領海警備に当たり、海上警備行動が発令される事態に備えて海上自衛隊の自衛艦も距離を置いて集結した。以後も中国公船は接続水域の出入りを繰り返し、海上保安庁の巡視船艇や海上自衛隊のP-3C哨戒機の監視を受けている。 18日以降、7日連続で、中国当局の航行が続いていたが、9月24日の午前6時半過ぎ「海監46」と「海監66」の2隻が、10時40分には「漁政310」が、それぞれ領海侵犯したのを、海上保安庁の第十一管区海上保安本部が確認。巡視船が無線を使い退去を求めたが、反応がなかった。これを受け、同日午前に、野田佳彦総理は総理官邸危機管理センターに官邸対策室を設置。河相周夫外務事務次官らと首相官邸で協議し、次官に対し「情報収集を徹底し、連絡を密にとってほしい。」との指示をした。その後、河相事務次官は程永華在日本中国大使に対し、電話で可及的速やかに領海外へ退去するように求めた。また、杉山晋輔外務省アジア大洋州局長が、在日本中国大使館の韓志強公使に、電話を通じて「日本の領海への侵入は容認できない。」との抗議を行った。 さらに9月24日午後から河相周夫外務事務次官が、2日間の日程で訪中。25日に張志軍中国外交部筆頭副部長と4時間に渡り会談した。双方は協議継続で一致したものの、議論は平行線のままで、関係改善の糸口を見いだすには至らなかった。 9月27日国際連合総会の一般討論演説では、楊潔篪中国外交部長が「日本が釣魚島を盗んだ。」などと主張し、日本を非難した。これに対し、兒玉和夫・国連大使が、尖閣諸島は日本の領土であるとの答弁を行い、中国の李保東国連大使と論戦を交わした。 漁船衝突事件(2010年9月7日)以降、「漁政」等の中国公船が毎月、尖閣諸島の接続水域を徘徊し、領海侵犯もするようになり、国有化(2012年9月11日)以降は12月13日までの約3月で計17回領海侵犯した。12月13日には統計を取り始めてから初めて、中国の航空機(国家海洋局所属機)が魚釣島を領空侵犯し尖閣諸島の領有権を主張した。海上保安庁の巡視船から通報を受けた航空自衛隊は、F-15J戦闘機8機とE-2C早期警戒機を緊急発進させたが、既に中国機は領海の外に飛び去った後だった。尖閣諸島は自衛隊の地上レーダーの覆域外で、海保からの通報があるまで自衛隊は中国機の領空侵犯を認知できなかった(中国機尖閣諸島領空侵犯事件)。
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