六波羅攻略とは? わかりやすく解説

六波羅攻略

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:26 UTC 版)

元弘の乱」の記事における「六波羅攻略」の解説

播磨国では赤松則村円心)が挙兵しその他の各地でも反乱起きた。則周辺の後醍醐方を糾合し、京都進撃する勢いであった。このような状況見て、閏2月後醍醐天皇名和長年働き隠岐島脱出し伯耆国船上山入って倒幕綸旨天下発した船上山の戦い)。 幕府船上山を討つため足利高氏名越高家らの援兵送り込んだ。しかし、4月27日には高家赤松則村討たれ高氏所領のあった丹波国篠村八幡宮幕府反旗を翻す5月7日足利高氏佐々木道誉や則らと呼応して六波羅探題攻め落とし京都制圧した北条仲時北条時益六波羅探題一族郎党東国逃れようとするが、5月9日近江国番場蓮華寺自刃し、光厳天皇後伏見上皇花園上皇捕らえられた。

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六波羅攻略

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/28 10:07 UTC 版)

赤松則村」の記事における「六波羅攻略」の解説

勢い駆った円心尼崎久々知陣取り24日には酒部進出3月10日六波羅軍1万瀬川布陣した。その日の夜、尼崎から上陸した四国小笠原勢が奇襲をかけてきたが、円心は僅か50騎で敵を突破し久々知帰陣した。そこで三男・則祐の進言聞き入れ集合した兵3,000騎を率いて敵陣夜襲をかけ、敵を敗走させた(瀬川合戦)。ここでまた則祐の追撃案に基づいて12日には摂津山城国国境山崎侵攻京都淀・赤井西岡付近に放火敢行した。 これに対して六波羅軍は、高橋隅田検断2万預けて出陣させた。円心は、軍を二つ分けて一方久我縄手差し向け、自らは進軍し桂川挟んで六波羅軍対峙した。桂川増水してとても渡れそうになかったが、則祐が先陣切って押し渡り、敵を蹴散らした。そのまま大宮猪熊堀川・油小路放火しつつ六波羅目指し東山攻め込んだ六波羅側は危機感覚えたのか、時の天皇光厳天皇六波羅迎えて六波羅仮御所とした。また、新手河野陶山初め、兵を大量に投入したため、これまで破竹進撃をしていた円心軍は総崩れとなった円心と則祐は急ぎ男山まで逃れ、ここで円心自刃すると従者告げたと言われている。しかし思い直した円心自分旗印である左三つ巴の旗の上大龍描き八幡菩薩お告げとして再度京都攻め込む告げた再起した円心山崎八幡陣取り淀川西国街道押さえ兵糧攻め切り替え3月28日4月3日京都攻めたが、六波羅落とせ八幡待機27日鎌倉から派遣され追討軍の大将軍名越高家足利高氏尊氏)の出陣を知ると迎撃出陣久我畷の合戦において一族家臣佐用城主の佐用範家名越高家討ち取って戦は終わった。この戦の後、高氏畿内領地である丹波篠村向かい、兵を集めて2万3,000騎で反幕府として挙兵した。円心5月8日千種忠顕結城親光高氏らに合流して京都包囲六波羅陥落させた。六波羅探題北条仲時北条時益落ち延びる途中で捕捉され自殺関東では新田義貞足利義詮鎌倉落とし元弘の乱終結した円心六波羅陥落後、帰洛の途についた後醍醐天皇30日兵庫拝謁している。

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