六朝
六朝時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 10:23 UTC 版)
3世紀から4世紀にかけて新道家とも言われる「玄学」(神秘的な学問)の興隆がみられた。この流れの最も重要な哲学者は王弼、向秀、郭象らである。この学派の取り組んだ主な問題として存在は非存在に先立つか(中国語で存在は「名」、非存在は「無名」である)というものがある。こういった竹林の七賢のような道家哲学者の特徴的な形質は「風流」、つまり自然や本能的な衝動に身を任せるある種のロマンチックな精神である。 仏教は紀元後1世紀に中国に到来していたが、南北朝時代、隋、唐の頃になって初めて大きな影響力と認知を有するようになった。最初、仏教は道家の教派の一つだと考えられ、道家の始祖老子について、インドへ行って自分の哲学を仏陀に伝えたという説も存在した。大乗仏教は中国においてライヴァルの小乗仏教よりもずっと成功した。どちらの仏教も中国土着の教団とともに5世紀に興隆した。二人の重要な僧哲学者として僧肇と道生がいる。しかしおそらくもっとも重要で独自の教派は禅宗で、日本に対しても大きな影響を与えた。 中唐に仏教は最盛期を迎え、伝えられるところによれば4600の寺院、40000の招提・蘭若があり、260500人の僧・尼僧がいたという。仏教の僧正の権威と修道院の財力は仏教を外国の宗教とみなす儒者たちから批判を受けるほどであった。845年に武宗が会昌の廃仏と呼ばれる廃仏令をだし、財産は没収されて僧・尼僧は還俗させられた。この後仏教は影響力を大きく減じることになった。
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