仏教絵画
仏教絵画
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大治4年(1129年)に白河法皇が没したとき、院の発願で制作された仏像仏画の数は、丈六像・半丈六像合わせて193体、等身像3,150体、仏画5,470余におよんだとの記録があるように、院政期は仏教絵画も多数描かれた時代であった。 院政期仏画の特色としては、描写が繊細で豊かな色彩をもつ傾向があり、截金(切金)はじめ様々な工芸手法を用いたり、貴金属をちりばめたものが多く、きわめて装飾的な表現で描かれたものが少なくないことが挙げられる。総じて優美で繊細な傾向を有する。前代の密教絵画を流れを引き継いだものも多いが、浄土教の隆盛を反映して阿弥陀如来を描いたものも多い。 密教絵画では、京都市東山区青蓮院の『不動明王二童子像』(絹本着色 、通称「青不動」)があり、「不動十九観」に依拠する現存最古の画像であり、11世紀の製作である。感得画として名高い園城寺「黄不動」を模した京都曼殊院の「黄不動」は12世紀前半の作であり、国宝に指定されている。滋賀県大津市の石山寺に伝承する『不動明王二童子像』(紙本白描)は12世紀の作で重要文化財に指定されている。なだらかな曲線と優美な色彩、精緻な截金文様で知られる東京国立博物館所蔵の『孔雀明王像』(国宝)は12世紀中葉の作である。大阪府藤田美術館所蔵の国宝『両部大経感得図』は、密教の重要経典『大日経』と『金剛頂経』がインドで感得されたという場面を描いている。奈良県天理市の内山永久寺にあったもので、藤原宗弘が保延2年(1136年)に描いたものである。 曼荼羅には、保元元年(1156年)に平清盛が自らの血を用いて描いたと伝承される「両界曼荼羅」(金剛峯寺蔵、重要文化財)があり、「血曼荼羅」と称される。法隆寺や久米田寺(大阪府岸和田市)に伝わる「星曼荼羅」はともに12世紀の作(いずれも重要文化財)である。 ボストン美術館蔵の「千手観音像」「馬頭観音像」「如意輪観音像」は、いずれもフェノロサ・ウェルドコレクションで12世紀の作である。3作とも絹本着色で、それぞれ多様な工芸的手法を用いた装飾味豊かな絵画であり、描写は繊細、彩色や文様は優雅ななかに清新さもみえる傑作である。和歌山県金剛峯寺蔵「善女龍王像」は久安元年(1145年)の定智(じょうち)筆の仏画であり、国宝に指定されている。 仏伝図としては、金剛峯寺蔵の「仏涅槃図」(国宝、「応徳涅槃図」)が知られる。仏涅槃図は釈迦がいっさいの煩悩がことごとく消滅した涅槃の境地に達した様子を描いたもので、平安後期から鎌倉・室町期にかけて宗派を問わずさかんに製作され、涅槃会に際して懸用された。金剛峯寺蔵品は応徳3年(1086年)4月7日の銘があり、日本最古の仏涅槃図の作例であるのみならず、在銘仏画としては最古のものとしても知られる。慈愛に満ちた明るい涅槃図であり、平安仏画の代表作と称されるほどの素晴らしい出来映えを示している。これと双璧をなす傑作が、京都国立博物館所蔵で11世紀後半の『釈迦金棺出現図』(国宝)である。釈迦が入滅して金の棺に納められたあと、嘆き悲しむ摩耶夫人のために釈迦が棺の蓋を開けて復活し、夫人はじめ人びとに最後の説法をして諭す場面を描いたものである。金棺は手前が短い逆遠近法で表されており、画面が求心的でしかも動的に構成され、きわめて表現性に富んでいる。 西方極楽浄土より往生者を迎えに来るようすを描いた絵画が「来迎図」である。名品が多いなかでとくに傑作とされるのが、12世紀後半に制作された高野山有志八幡講十八箇院『阿弥陀聖衆来迎図』(国宝、高野山霊宝館保管)である。阿弥陀如来と29体の菩薩が大画面いっぱいに広がり、いずれも正面向きの坐像で描かれる。中央の阿弥陀如来はとりわけ大きく、肉身部分に金泥、着衣部分には截金文様が施されており、全体が金色に輝いている。 他にこの時代の代表作として下記が挙げられる(いずれも国宝)。 東京国立博物館 普賢菩薩像 東京国立博物館 虚空蔵菩薩像 岐阜・来振寺 五大尊像 寛治4年(1090年) 京都・神護寺 釈迦如来像 京都・東寺 五大尊像 大治2年(1127年) 京都国立博物館(東寺伝来)十二天像 大治2年(1127年) 京都・松尾寺 普賢延命菩薩像 広島・持光寺 普賢延命菩薩像仁平3年(1153年)
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