ロジャヴァ革命
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ロジャヴァ革命は、シリア北部、ロジャヴァと呼ばれる地域で起こった軍事的な紛争を伴う政治的変革である。アラブの春、続くシリア内戦の中で事実上の自治区を手にしたクルド人のグループは連帯し、一方では統治機関の構築を模索しつつ、一方では彼らの軍事部門と民兵からなる同盟部隊とで自治区を守るために戦った。この革命は女性たちが担う大きな役割に特徴的で、彼女たちは戦場と政治の双方で活躍した。さらには地域の集会を基本単位とし、大衆の民主主義という形をとる民主的連邦主義にも特徴が見られる。
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ロジャヴァ革命
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詳細は「ロジャヴァ革命」を参照 2012年7月12日、2つの主要なクルド人組織であるクルド国民評議会(英語版)(KNC)とクルド民主統一党は共同で、クルド人の政治主体となるクルド人最高委員会(DBK)を設立した。DBKはシリア国内のクルド人居住地域を守る目的でクルド人民防衛隊(YPG)を組織した。2012年7月の末、そのYPGがコバニ、アムダ(Amuda)、アフリーンを支配に置いた。その後マリキヤ、ラース・アル=アイン、アル=ダルバシヤ(Al-Darbasiyah)、アル=マーバダ(Al-Maabadah)等の都市もYPGの支配下に置かれた。 クルド人が多数派を占める都市としてはハサカとカーミシュリーのみがシリア政府の統治下に置かれていたが、すぐにこれらの都市からも幾つかの地区はYPGの支配に入った。 2013年7月、ISILはラッカ県のクルド人住民の立ち退きを強制し始める。7月21日、タル・アブヤドでは立ち退かなければ殺すというISILの脅迫によってトルクメン人、アラブ系住民も含めた数千人の市民が土地を離れた。タル・アブヤドに入ったISILはクルド人の財産を略奪、破壊した。場合によってはリーフ・ディマシュク、デリゾール、ラッカから連れてきたスンニー派アラブ人を、追い出したクルド人の住居に住まわせた。他の地域でも同様の事が行われている。ISILがラッカ県を支配地域に加えるとクルド系住民は2014年3月にはテル・アカダ(Tel Akhader)を、9月にはコバニを追われた。 2014年、コバニはISILにより包囲された(コバニ包囲戦)。コバニは後にクルド人民防衛隊(YPG)と自由シリア軍が共同で行った作戦により開放された。この作戦はユーフラテス・ボルケイノゥと呼ばれ、アメリカが主導する空爆による支援も受けていた。 2015年1月、クルド人民防衛隊(YPG)はハサカにてそれまで敵対していなかったシリア政府軍と交戦した。2015年6月にはカーミシュリーに駐屯するシリア政府軍と衝突、クルド人の高官ナシル・ハッジ・マンスール(Nasir Haj Mansour)は以下のように語っている。「シリア政府は日に日に弱体化してる。今後再び政府が主導権を取り戻す日が来るとは思えない」。 これ以降も、シリア政府軍、クルド人民防衛隊(YPG)とも反体制派やISILとの戦闘を優先する姿勢は変わらないものの、ハサカなどでは散発的な小競り合いが続き、2016年8月に軍事衝突に発展した。8月21日、YPGはハサカ南部の政権側支配地域を包囲、これに対し政権側はクルド人実効支配地域に内戦下で初めて空爆を実施したが、ハサカの大半を実効支配するYPGが優勢で、23日までにハサカのほぼ全域を制圧した。 新たな大規模衝突に発展する事も懸念されたが、双方は23日には停戦入りした。戦闘員の遺体や捕虜を交換し、交通規制を撤廃することも決まった。アサド政権とYPGの双方にパイプを持つロシアなどによる仲介があったとみられる。 国営メディアは政権側の撤退を報じていないが、YPG側は「政府軍や政権側民兵は市外に撤退し、将来的にも市内に駐留しないことで合意した」と説明している。YPGが新たに制圧した地域もクルド側が支配権を握り、政権側は市中心部の一部に警察が残るだけとなる。 アサド政権とYPGが対立と協調の微妙な関係を続ける背景には、シリア政府軍はアラブ人の居住エリアを取り廻すだけで手一杯であり、ロジャヴァ(クルド人地区)に対して人員を割くだけの余力がない一方で、ロジャヴァとしては、バース党の統治に変わる行政と治安維持を行うための組織・制度を作ることで手一杯である事に加え、合併・分裂・内部衝突を繰り広げる反体制派に加担するよりは、内戦後も存続する可能性が濃厚なアサド政権との関係を維持し、具体的な譲歩を得る方が現実的との思惑があると考えられる。また、内戦勃発以来アサド政権打倒に熱心且つ、クルド人勢力の自治や独立に対して強硬姿勢も辞さない地域大国トルコの存在が、アサド政権とYPG双方の共通の敵として協調関係を保っている。 2018年1月のトルコ軍によるアフリーン郡侵攻以降は、反体制派の各勢力がトルコ軍と協調するかアサド政権との戦闘を優先する中で、YPGはアサド政権に軍事支援を要請。交渉の末、アサド政権側も支援要請に応じ部隊派遣を決定した為、一部占領地域をアサド政権に移譲するなど両者が急速に接近し、少なくともアフリーン一帯に置いてはその立場は「反体制派」からアサド政権の「同盟者」に変質しつつある。2018年12月にはアメリカがシリアからの撤退を発表し、トルコがロジャヴァに対する新たな軍事作戦を準備するに先立ち、YPGはアサド政権にマンビジの防衛を要請。12月28日に政府軍部隊がマンビジに投入された。米軍の後ろ盾を失った中でYPGはアサド政権と協調してトルコに対抗する姿勢を鮮明にした。
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