さとう‐きび〔サタウ‐〕【砂糖×黍】
さとうきび (砂糖黍)
砂糖黍(さとうきび)
多年性の大型イネ科植物で、その茎には多量の糖分を含む。別名を甘蔗(かんしゃ)といい、「カンショ」と通称される。年平均気温20゚C以上、年間降雨量1,200~2,000mmの地域が栽培に適し、わが国では鹿児島県奄美諸島、沖縄県全域で栽培されるが、特に南大東島、与那国島、宮古島が生産地として有名。一般に植えてから一年ないし一年数か月で収穫されるが茎の成熟度は気候により左右され、穂の伸びをみて糖度を判定する。茎の糖分含量が10~20%に達するのは奄美諸島では二月で、茎をもとから切り取る収穫の手作業が続くので「痩(えー)二月」すなわちやせる二月といわれる。島津の琉球入り後、田地奉行となった儀間真常(ぎましんじょう)は元和九(1623)年、中国福州に人を送り製糖法を習得させ、正保三(1646)年、琉球王府は砂糖専売制度を始めた。奄美大島の『和(にぎ)家文書』(186年ごろ)によると和家の先祖三和良(さわら)が屋喜内間切(まぎり)(郷)の役人嘉和知の供をし琉球でカンシャの植付けから製糖技術までを習得、元禄三(1690)年に帰島し、これを奄美に広めたという。なお、大島大和村の川智(かわち)翁が慶長一四(1609)年中国に漂着し、カンシャの苗を国禁を犯して持ち帰り、これを広めたという説もあるが史実性に乏しい。薩摩藩は元禄八(1695)年、サトウキビの植付け、栽培、製糖を監督する役人を奄美に配置し、文政のころ(1818~30年)いは黒糖を成人一人当たり約120キロ上納させた。奄美の黒糖製造を重要視した薩摩藩はサトウキビの収穫、製糖期における島民の焼酎製造を禁止していた。
さとうきび
蔗
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