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あれから14年が過ぎた。あと何年待つのか・・・。
 1996年4月12日、当時の橋下総理とモンデール駐日大使が会談し、「普天間飛行場を5~7年以内に全面返還する」と発表した。昨日(4月12日)は、日米の合同発表から満14年目の年であった。あれから長い長い14年が過ぎた。

 日米の合意発表に先立つ1996年3月22日には、当時の大田昌秀知事が「普天間飛行場の早期返還」を要求していた。沖縄県議会も同年3月27日、「普天間飛行場の全面返還に関する要請決議」を全会一致で可決している。

 普天間飛行場の全面返還は、その後、県内移設が前提となり、移設先や基地建設の規模・方法をめぐり紆余曲折した。県内での不幸な対立も生んだ。そればかりか、2005年8月には、沖縄国際大学への大型ヘリ墜落炎上という惨事も発生した。

 そして、2006年5月、日米両政府は現行辺野古沿岸埋立てV字滑走路案で合意した。ところが、2009年8月には「無欠革命」とも称される政権交代が実現し、新政権(3党連立)の下で辺野古以外の移設先を決めることになったのだ。だが、鳩山新政権下でも移設先決定は漂流し続け、今日に至っている。

 旧自公政権下で13年かけて決定できなかったのは、県内移設ありきで県外・国外移設の可能性を全く検討しなかったのが大きな原因である。要するに、米軍基地の犠牲と負担を沖縄県民のみに強要しようとしたのが抵抗に合い、駄目になったのである。

 4月12日付けの沖縄タイムスに、当時の大田昌秀知事が次のように語っている。「前政権が13年かけてできなかったことを現政権が半年で実現できるわけない。基地問題は沖縄の運命であり、将来の幸、不幸を決定する重要な問題。あわてて間違った結論を出す必要はない。ただし普天間飛行場はいつ事故が起きてもおかしくない。その間の安全性を確保するためには、一刻も早くグアムへの海兵隊移転を実行することだ。」さすがに悲惨な沖縄戦を体験し、平和学者、元知事、元参議院議員としての大田氏の言葉は重たい。

 さて、普天間の移設先を「5月末までに私が決める」「できる限り国外。少なくとも県外。」と沖縄県民に公約した鳩山総理だが、どのような結論になるのか。

2010年4月13日 16時30分

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