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照屋寛徳 社民党・衆議院議員 沖縄2区
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具中物語 -その8-
具志川中学校在学中、特に2年次終了前から卒業までの一年有半の私やウーマク達の行為は、明らかに少年法が定める虞犯(ぐはん)行為である。従って、ウーマク達は触法少年であり、検挙され家庭裁判所へ送致されても不思議ではなかった。そうはならなかったのは、当時の時代背景の中で教師もPTAも大騒ぎしたり、警察沙汰にしなかった教育的(?)配慮の賜物だろう。教師達は、ヤナ ウーマクターヤ(この悪たれ小僧どもめ)と心の中で思っていたに違いない。
もらった色紙には、次の文言が墨痕鮮やかに書かれていたと記憶する。
「人多き 人の中にも 人ぞなき 人になれ人 人になれ人」
誰の言葉か未だに知らない。社会科担任の横田裕之先生が卒業のとき色紙に書いてくれたものだ。色紙は、私が卒業記念に頼み込んでもらったものだ。横田先生は、温厚で誠実な教師であった。授業内容もわかり易く、生徒から慕われていた。奥さんは、隣り部落の兼箇段出身で前原高校の恩師・比嘉善栄先生の妹、スポーツマンだった。
前記の色紙の意味は、当時から何となく感ずるものがあった。おそらく横田先生は、余りにもウーマクすぎる私の将来を心配して、努力して”真人間”になれよと励ましてくれたのだろう。沖縄には”チュ ニンジン”という言葉がある。”チュ”も人、”ニンジン”も人を意味する。だが、”チュ ニンジン”と続けると「人の道を外すことなく人間らしく生きよ」という強い意味が込められた言葉となる。
具志川中学校を卒業してから間もなく半世紀を迎える。横田先生は、今でも若々しく、活発でお会いする度に嬉しく思う。同時に、心配や迷惑を掛けたな、と反省する。横田先生から頂いた色紙の言葉は、約半世紀を経た今でも覚えているので、ウーマクだった私にとって余程の訓示になったのだろう。「ウーマク寛徳よ、”チュ ニンジン”になれよ」と言いたかったに違いない。
私自身の、そして3名の子供を育てた経験に照らすと、小・中学生の頃は、担任教師や指導教師の人柄、指導力等によって多大な影響を受けると思う。中・高・大学の同期で友人の久高将雄が、現役教師の時に語った言葉が忘れられない。
彼は、県内の工業高校で教えていた。同期生模合の席でいわく、「カントク、僕らの頃は『三尺さがって師の影を踏まず』と言われていたが、今は『三尺跳んで師の顎を蹴る』だよ」と。大笑いした。「荒れる学校」「学級崩壊」「学校崩壊」が大きな社会問題化した頃の話だ。
友人の久高将雄は、私のようなウーマクとは対極に位置する真面目な生徒であった。その彼とは、琉球大学在学中の4年間、6畳間を10ドルで借りて一緒に住んでいた。
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【2009/02/12 15:35】
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