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具中物語 -その6-
 高校受験シーズンを迎えた。この時期、受験生やその父母は不安と期待が入り混じって複雑な心境の毎日を送っているのだろう。
 高校受験の願書が締め切られ、来月7~8日が県立高校の入試予定日だ。私どもの頃は「受験戦争」という言葉もなく、もちろん塾もなかった。同級生の全員が高校進学するのでもない。高校の数も少なく、私立高校も中央高校、沖縄高校の二校だけであった。
 あれは具中3年の旧盆の頃の夜であったと思う。友人の栄野川隆、村浜章の3人で高校進学について話し合った。場所は旧具志川村(当時)の議事堂の階段踊り場付近。何故にその場所へなったのかは記憶が定かでないが人目につきにくい場所であった。
 いろいろと話し合った末に、沖縄工業高校へ(那覇市在)へ受験する事で一致した。3人とも高校で技能を習得し、高卒後に就職して家計を手助けしようとの思いも一致した。意見が一致したところで、赤玉ポートワインを買ってきて乾杯した。(本当に不良中学生だったんだなぁー)
 数日後、蚊帳を吊った寝床で父に高校受験のことを話した。わが家では、夏には蚊帳を吊って雑魚寝であった。父との話は今でも鮮やかに覚えている。

ボク:「オトウ ワンニン 高校ウキティン シムミ」(お父さん、僕も高校受験していいか?)

 父:「ナイラー シェーワ」(できるなら、やれ)

ボク:「うん・・・」

 父:「アンシ マーンカイ イチュガ」(それで、どこに行くか)

ボク:「沖縄工業ンカイ ヤラチ トゥラセー」(沖縄工業へ行かせてくれ)

 父:「アンイル高校ヤ マーンカイアガ」(そういう高校はどこにあるか?)

ボク:「ナーファン カイル アッサー」(那覇にある)

 父:「・・・・」
    しばらく沈黙した後、重大発言が飛び出す。

 父:「アンセー バス賃ヤ ターガ インジャスガ」(誰がバス賃を出すのか)

ボク:「・・・・」

 一緒に蚊帳の中に入った母は黙っている。父と子のやり取りが聞こえたはずだが寝入ったふりをしている。沖縄工業高校に進学した場合、具志川から那覇までのバス賃は誰が払うのか、と亡父は言うのだ。私は、父が高校進学は許すが家計が苦しいので、近くの高校を受験せよと言っているものと理解した。「カネが無いから高校へは行くな」とまでは言えない父。寝たふりの母もつらかったと思う。
 当時、近くには中部農林高校と前原高校しかなかった。一方、工業高校は全琉で沖縄工業高校のみであった。結果的に私は、栄野川・村浜の友人との固い約束を裏切って前原高校へ、二人は沖縄工業高校へ受験し合格した。前原高校へは徒歩、自転車、時折バスで通学した。当時は、家庭の事情で進学せず就職する者も多かった、いわゆる「金の卵」だ。今は、県立、私立の高校も増えて希望すればほぼ高校全入制に近い状況にある。
 母校、具志川中学校の後輩たちにも「15の春」が確実にやってくるよう祈りたい。

2月10日 10時

runking.gif
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