地球ワーキングトラベラー見聞記
カナダ、アメリカ、オーストラリアの永住権を持ち、ヨーロッパでの滞在経験もあります。世界100カ国以上回った、私の見聞記を楽しんで下さい。
2025/01/14 Tue.
ビクトリアパスに出没する幽霊のお話
Posted on 01:05:52
1800年代、囚人たちの労働によって
ビクトリアパスに道路が作られると
ミッチェルの高架橋(2番目の橋)に
幽霊が出没するという話がありました。
橋に近づくと馬は落ち着かなくなり、
全身黒の服を着た若い女性の姿が
突然目の前に現れたようです。
その女性の長い髪が風になびき、
目は暗闇の中でトラのように輝き、
中には首がなかったという人もいました。
この女性はキャロライン・ジェームズ、
ハートリーベールに宿を経営する
裕福なコリットツ家に嫁ぎました。
しかし彼女の夫ウィリアムは家族の黒い羊
父親に「浪費家のバカ」と呼ばれており
二人の結婚生活は幸せではありませんでした。
キャロラインの妹の夫ジョン・ウォルシュは
実はキャロラインの恋人でもありました。
結婚したウィリアムがジョンの代用品であると
判明したとき、彼女は別れて家を出ました。
ある日郵便配達員はビクトリアパスの道路脇で
ボロボロになったキャロラインの遺体を見付けました。
彼女はまだ17歳で結婚して18か月でした。
彼女の頭蓋ことは彼女の血で汚れた大きな石で
砕かれ、元夫ジョンが殺人犯として逮捕されました。
ジョンは有罪判決を受け、1842年5月3日
バサーストで絞首刑にされました。
その後キャロラインの幽霊が、ビクトリアパスに
出没し、馬や罪のない旅行者を怖がらせながら、
寒くて風の強い夜を永遠に過ごしているそうです。
ヘンリー・ローソン(オーストラリアの詩人)は、
マウントビクトリアに住んでいたとき
「第二橋の幽霊」と題した詩を書きました。
第二橋の幽霊
ビクトリアパスに道路が作られると
ミッチェルの高架橋(2番目の橋)に
幽霊が出没するという話がありました。
橋に近づくと馬は落ち着かなくなり、
全身黒の服を着た若い女性の姿が
突然目の前に現れたようです。
その女性の長い髪が風になびき、
目は暗闇の中でトラのように輝き、
中には首がなかったという人もいました。
この女性はキャロライン・ジェームズ、
ハートリーベールに宿を経営する
裕福なコリットツ家に嫁ぎました。
しかし彼女の夫ウィリアムは家族の黒い羊
父親に「浪費家のバカ」と呼ばれており
二人の結婚生活は幸せではありませんでした。
キャロラインの妹の夫ジョン・ウォルシュは
実はキャロラインの恋人でもありました。
結婚したウィリアムがジョンの代用品であると
判明したとき、彼女は別れて家を出ました。
ある日郵便配達員はビクトリアパスの道路脇で
ボロボロになったキャロラインの遺体を見付けました。
彼女はまだ17歳で結婚して18か月でした。
彼女の頭蓋ことは彼女の血で汚れた大きな石で
砕かれ、元夫ジョンが殺人犯として逮捕されました。
ジョンは有罪判決を受け、1842年5月3日
バサーストで絞首刑にされました。
その後キャロラインの幽霊が、ビクトリアパスに
出没し、馬や罪のない旅行者を怖がらせながら、
寒くて風の強い夜を永遠に過ごしているそうです。
ヘンリー・ローソン(オーストラリアの詩人)は、
マウントビクトリアに住んでいたとき
「第二橋の幽霊」と題した詩を書きました。
第二橋の幽霊
2025/01/13 Mon.
全豪オープンいよいよ開幕
Posted on 01:02:59
みなさんはスポーツお好きですか?
私はほとんどスポーツに縁がありませんが、
若いころは友人たちとゴルフをしました。
でも最近はハイキングと自転車ぐらい。
それもスポーツのレベルではなく、
せいぜい楽しむぐらいですね。
スポーツ天国のオーストラリア。
オリンピックでも人口の割には
中国、アメリカ、ロシアに負けないように
金メダルを獲得する数も多いですよ。
一年中スポーツが盛んな国ですが、
12月下旬から1月にかけては
夏の国技「クリケット」とともに、
テニスの試合がたくさん行われます。
テニスと言えばグランドスラム。
英国、フランス、アメリカと並んで
南半球では唯一オーストラリアが
グランドスラムの開催地になっています。
もともと英国の植民地ですから、
他の国に比べたら知名度がすくないけど、
オーストラリアは魅力的な国です。
オーストラリアンオープンは
毎年1月後半に開催されます。
今年は1月12日から26日まで。
最終日はオーストラリアデー。
建国記念日になっています。
これについては問題もありますが、
歴史の一部ですからお祝いしましょう。
日本選手の活躍を期待しながら、
オーストラリア選手に応援します。
毎年観戦に行く友人もいますが、
私はテレビで観戦します。
オーストラリアンオープン 2025ポスター
私はほとんどスポーツに縁がありませんが、
若いころは友人たちとゴルフをしました。
でも最近はハイキングと自転車ぐらい。
それもスポーツのレベルではなく、
せいぜい楽しむぐらいですね。
スポーツ天国のオーストラリア。
オリンピックでも人口の割には
中国、アメリカ、ロシアに負けないように
金メダルを獲得する数も多いですよ。
一年中スポーツが盛んな国ですが、
12月下旬から1月にかけては
夏の国技「クリケット」とともに、
テニスの試合がたくさん行われます。
テニスと言えばグランドスラム。
英国、フランス、アメリカと並んで
南半球では唯一オーストラリアが
グランドスラムの開催地になっています。
もともと英国の植民地ですから、
他の国に比べたら知名度がすくないけど、
オーストラリアは魅力的な国です。
オーストラリアンオープンは
毎年1月後半に開催されます。
今年は1月12日から26日まで。
最終日はオーストラリアデー。
建国記念日になっています。
これについては問題もありますが、
歴史の一部ですからお祝いしましょう。
日本選手の活躍を期待しながら、
オーストラリア選手に応援します。
毎年観戦に行く友人もいますが、
私はテレビで観戦します。
オーストラリアンオープン 2025ポスター
2025/01/12 Sun.
ビクトリアパスを通過する道路
Posted on 01:03:42
ビクトリアパスは現在も使用されている
オーストラリアで最も古く、最も重要な
土木工事のひとつです。同時期に建設されたのは
ランズベールのレノックスブリッジのみです。
ビクトリアパスはグレートウェスタンハイウェイを
ブルーマウンテンからリスゴーに向かう途中にあり
1830年から1838年にかけて、囚人を使って
山の上から難所を超えるために建設されました。
マウントヨークからハートリーヴェイルに下るパスは
かなり急こう配でとても危険でした。それを回避する
ために1912年から1920年ごろまでは、
ベルクホーファーパスに迂回する形で、曲がりくねって
いるけど、あまり危険でない道路を通りました。
パスは片側は急斜面を切り開き、もう片側は石垣の
堤防を築いて作られました。すべての作業は、囚人の
手作業で行われましたが、その時鎖で繋がれていました。
トーマス・ミッチェルが最初に建設してから、これらの
構造物の改良は行われていません。道路は長年にわたり、
交通量の増加に合わせて部分的に拡幅され、埋め立て
られてきました。道路の大部分は、当初の建設された
ままの状態で残っており、充分に機能しています。
しかし現代は大型セミトレーラーなど、当初の想定を
はるかに超える非常に激しい交通量の問題に直面して
います。
この部分がシドニー首都圏とNSW州の中央西部を
結ぶ主要幹線道路のボトルネックとなっており、
NSW州道路交通局は交通緩和をどう解決するか?
頭を抱えています。
ブルーマウンテンにトンネルを掘る案もありますが、
費用が嵩むので、計画ばかりで、実現する可能性は
全く期待できません。
マウントビクトリアにあるゲストハウス
オーストラリアで最も古く、最も重要な
土木工事のひとつです。同時期に建設されたのは
ランズベールのレノックスブリッジのみです。
ビクトリアパスはグレートウェスタンハイウェイを
ブルーマウンテンからリスゴーに向かう途中にあり
1830年から1838年にかけて、囚人を使って
山の上から難所を超えるために建設されました。
マウントヨークからハートリーヴェイルに下るパスは
かなり急こう配でとても危険でした。それを回避する
ために1912年から1920年ごろまでは、
ベルクホーファーパスに迂回する形で、曲がりくねって
いるけど、あまり危険でない道路を通りました。
パスは片側は急斜面を切り開き、もう片側は石垣の
堤防を築いて作られました。すべての作業は、囚人の
手作業で行われましたが、その時鎖で繋がれていました。
トーマス・ミッチェルが最初に建設してから、これらの
構造物の改良は行われていません。道路は長年にわたり、
交通量の増加に合わせて部分的に拡幅され、埋め立て
られてきました。道路の大部分は、当初の建設された
ままの状態で残っており、充分に機能しています。
しかし現代は大型セミトレーラーなど、当初の想定を
はるかに超える非常に激しい交通量の問題に直面して
います。
この部分がシドニー首都圏とNSW州の中央西部を
結ぶ主要幹線道路のボトルネックとなっており、
NSW州道路交通局は交通緩和をどう解決するか?
頭を抱えています。
ブルーマウンテンにトンネルを掘る案もありますが、
費用が嵩むので、計画ばかりで、実現する可能性は
全く期待できません。
マウントビクトリアにあるゲストハウス
2025/01/11 Sat.
マウントビクトリアにあったストケード
Posted on 01:09:08
トーマス・ミッチェルは測量総監に任命
され、マウントビクトリアからバサーストまで
新しい道路を建設することになりました。
1830年代にはニューサウスウェールズ州の
道路や橋を建設するために働く囚人たちを
収容する施設が各地に建てられ、そのひとつが
マウントビクトリアにありました。
その施設は柵を意味するストケードと呼ばれました。
囚人たちが脱走するのを防ぐために小屋の周りを
高いフェンスで囲んだのでそう呼ばれました。
囚人たちは小屋や携帯用の箱に収容されました。
それ以外に、警備員の兵舎、将校の宿舎、倉庫、
キッチンなども建設されました。
マウントビクトリアで収容されていた囚人は
ビクトリアパスを通過する道路が完成すると、
リスゴー周辺にあった他のストケードに移動し、
さらに道路建設に当たりました。
これらの施設の痕跡はほとんど残っていませんが、
オリ―・レックバンドはリスゴー近郊にあった
5つのストケードの遺跡について詳しく調査し、
その跡地から多くの遺物を発見しました。
遺跡の遺物には、硬貨、軍のボタン、記章、バックル、
ネームプレート、マスケット中の弾丸、指ぬき、瓶、
粘土パイプ、陶磁器、道具の破片が含まれていて、
その手がかりから、囚人とその連隊の警備員の生活様式
と状況など詳細を推測することができます。
彼が著書した本はリスゴーにある地元団体から
購入することができます。オーストラリアの歴史
では学ばないような小さな郷土の歴史が積り、
私たちが住んでいる現在につながっています。
マウントビクトリアにある展望台
され、マウントビクトリアからバサーストまで
新しい道路を建設することになりました。
1830年代にはニューサウスウェールズ州の
道路や橋を建設するために働く囚人たちを
収容する施設が各地に建てられ、そのひとつが
マウントビクトリアにありました。
その施設は柵を意味するストケードと呼ばれました。
囚人たちが脱走するのを防ぐために小屋の周りを
高いフェンスで囲んだのでそう呼ばれました。
囚人たちは小屋や携帯用の箱に収容されました。
それ以外に、警備員の兵舎、将校の宿舎、倉庫、
キッチンなども建設されました。
マウントビクトリアで収容されていた囚人は
ビクトリアパスを通過する道路が完成すると、
リスゴー周辺にあった他のストケードに移動し、
さらに道路建設に当たりました。
これらの施設の痕跡はほとんど残っていませんが、
オリ―・レックバンドはリスゴー近郊にあった
5つのストケードの遺跡について詳しく調査し、
その跡地から多くの遺物を発見しました。
遺跡の遺物には、硬貨、軍のボタン、記章、バックル、
ネームプレート、マスケット中の弾丸、指ぬき、瓶、
粘土パイプ、陶磁器、道具の破片が含まれていて、
その手がかりから、囚人とその連隊の警備員の生活様式
と状況など詳細を推測することができます。
彼が著書した本はリスゴーにある地元団体から
購入することができます。オーストラリアの歴史
では学ばないような小さな郷土の歴史が積り、
私たちが住んでいる現在につながっています。
マウントビクトリアにある展望台
2025/01/10 Fri.
エルビスエクスプレスに乗ってみませんか?
Posted on 01:03:46
昭和生まれの私にとって、かつての御三家や高3トリオ、
1982年にデビューした歌手の歌を聴いていると、
「懐かしい」と思うだけでなく青春時代に戻れます。
海外の歌手ならマイケル・ジャクソンやマドンナが
一番の思い出です。昔ほどは体が動きませんが、
体がそのままリズムをとって踊りだしそうです。
皆さんにとって誰が一番の思い出に残っていますか?
コンサートを見に行ったことはないですが、今でも
忘れられない歌手のひとりがエルビス・プレスリー。
若いころはカッコ良いですよね。あの歌声を聞いたら
今でも溶けてしまいそうになります。
エルビス・プレスリーが亡くなったのが1977年。
すでに50年近い年月が流れようとしていますが、
現在でも世界中に大勢のファンがいます。彼の物まね
をするのは小さな子供から同年代の方までいます。
エルビスと言えば、テネシー州メンフィスにある
「グレイスランド」、彼のお墓があるだけでなく、
博物館として公開されています、もちろん私も
グレイハウンドでアメリカ一周した時に、
メンフィスまで足を運びました。
エルビスが生まれたのは1935年1月8日。
この時期ニューサウスウェールズ州のパークスで
「エルビスフェスティバル」が開催されます。
今年は1月8日から12日までです。
プログラムのメインは、エルビスの物まねを
生業としているエンターティナたちのショーです。
有料から無料までたくさんのエルビスに会えます。
しかし一番の話題は「エルビスエクスプレス」です。
シドニーのセントラル駅からパークスまで、毎年
列車が運行されます。今年は1月9日に出発しました。
車内にはステージ衣装を身に着けたエルビスが
250名乗車して、パークスまで9時間の旅。
その間ずっとエルビスの曲が歌われるそうです。
もし皆さんがエルビスの大ファンなら、
是非一度参加して見てください。
なぜパークスなのか?私も知らないので
いつかお話したいと思います。
エルビスエクスプレスに乗ってみよう
1982年にデビューした歌手の歌を聴いていると、
「懐かしい」と思うだけでなく青春時代に戻れます。
海外の歌手ならマイケル・ジャクソンやマドンナが
一番の思い出です。昔ほどは体が動きませんが、
体がそのままリズムをとって踊りだしそうです。
皆さんにとって誰が一番の思い出に残っていますか?
コンサートを見に行ったことはないですが、今でも
忘れられない歌手のひとりがエルビス・プレスリー。
若いころはカッコ良いですよね。あの歌声を聞いたら
今でも溶けてしまいそうになります。
エルビス・プレスリーが亡くなったのが1977年。
すでに50年近い年月が流れようとしていますが、
現在でも世界中に大勢のファンがいます。彼の物まね
をするのは小さな子供から同年代の方までいます。
エルビスと言えば、テネシー州メンフィスにある
「グレイスランド」、彼のお墓があるだけでなく、
博物館として公開されています、もちろん私も
グレイハウンドでアメリカ一周した時に、
メンフィスまで足を運びました。
エルビスが生まれたのは1935年1月8日。
この時期ニューサウスウェールズ州のパークスで
「エルビスフェスティバル」が開催されます。
今年は1月8日から12日までです。
プログラムのメインは、エルビスの物まねを
生業としているエンターティナたちのショーです。
有料から無料までたくさんのエルビスに会えます。
しかし一番の話題は「エルビスエクスプレス」です。
シドニーのセントラル駅からパークスまで、毎年
列車が運行されます。今年は1月9日に出発しました。
車内にはステージ衣装を身に着けたエルビスが
250名乗車して、パークスまで9時間の旅。
その間ずっとエルビスの曲が歌われるそうです。
もし皆さんがエルビスの大ファンなら、
是非一度参加して見てください。
なぜパークスなのか?私も知らないので
いつかお話したいと思います。
エルビスエクスプレスに乗ってみよう