2025年3月16日

AirPods でリアルタイム翻訳が可能になるらしいが

Gigazine が「Apple が AirPods で会話をリアルタイム翻訳できる新機能を iOS 19 で計画中との報道」という記事を伝えている。AirPods というのは、Apple の展開するあの結構お高いイヤフォンである。

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記事によればこの機能は 2025年後半に予定されている AirPods のファームウェアアップデートの一部として提供される予定で、秋頃にリリースされるとみられる iOS 19と連動して利用可能になるということだ。

どんな機能かと言えば例えば「英語を話す人がスペイン語で話しているのを聞くと、iPhone がその会話を翻訳し、ユーザーの AirPods に英語で中継する、そして英語を話す人の言葉はスペイン語に翻訳され、iPhone上で再生されるということのようなのだ。

なるほど、相手のスペイン語話者が AirPods を持っていないことを想定して、自分の iPhone 上で再生されるのを聞かせてやるってわけだね。これが AirPods ユーザー同士だと、英語とスペイン語で通訳なしでやり取りしてるように見えるんだろうか。ちょっと異様な光景になりそうだ。

私は AirPods を買う予定なんてないから、「関係ないね〜」ということになる。別にこんな機能に頼らなくても相手にちょっとゆっくりめにしゃべってもらえば、英語なら何とかなるし、スペイン語やドイツ語しか話せない相手と会話をするという機会も個人的にはあまり思いつかない。

そしてヨーロッパ語圏内ならかなりレベルの高い自動翻訳も期待できるだろうが、ヨーロッパ語と日本語の間の自動翻訳って、なんだか完成されたもののような気がしないのだよね。偏見かもしれないが。

さらに言えば、言語で語られる内容というのはその言語特有のテイストみたいなものがあって、とくにヨーロッパ語と日本語の間ではニュアンスみたいなものが吹っ飛んでしまいそうな気もしてしまう。「洒落」が通じなかったら、つまらないだろう。

というわけで、外国語が苦手な人があちこち旅行するというなら便利かもしれないが、私は使う気がないので、よろしく。

【同日 追記】

「ちょっと待てよ」と思ってしまった。というのは、iPhone にこれだけの機能があって、AirPods はそれが送信されて聞くだけみたいだから、AirPods って必須なのかなあという疑問が湧いたのである。相手が AirPods ユーザーじゃない場合は、iPhone 上で再々されるようだし。

この記事、よくわからん。

 

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2025年3月15日

ウグイスってやつは本当に「声はすれども姿は見えず」

「声はすれども姿は見えずほんにお前は屁のような」という都々逸じみた台詞があるが、三味線の伴奏で歌われているのを聞いたことがない。そして屁なんかよりずっと気にかかるのは、ウグイスだ。このところ「ホ—ホケキョ」の囀りを聞くことが増えているのだが、姿を見たことは一度もない。

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ウグイスは花札にも登場するウグイス色の小鳥だと思われているが、実はあれはメジロであってウグイスではない。ウグイスというのはもっと地味な見かけの鳥である。

さらに言えば「メジロ」というぐらいだから、目だって赤くはない。手持ちの図鑑にちょうど隣同士で載っているメジロとウグイスの画像を下に貼り付けておく。

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というわけで、いわゆる「うぐいす色」というのは「ウグイスの色」じゃないのである。これ、少しでもバードウォッチングをする人には常識だが、一般論としては半数以上の人が「えっ、そうだったの !?」と驚く。

ところがバードウォッチングがかなり好きな人でも、ウグイスの姿を直接見たことのある人は少ない。私も時々「ホ—ホケキョ」と声のする藪の中を双眼鏡で必死に探すのだが、やっぱり見つからない。春の初めの枯れた色の藪は、絶好の保護色となっているようだ。

ちなみに「ウグイス嬢」というのも、「声だけ聞こえて姿は見えない」ということで共通している。ただ、この人 は例外だけど。

ついでに書いておくが、花札の梅と松の短冊に書いてある文字は「あのよろし」ではなく「あかよろし」と読んでね。二文字目は「可」という漢字を崩した変体仮名なので。

 

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2025年3月14日

席を譲るって、どんな種類の「恥ずかしさ」なのか?

今月 11日に "席を譲るのを「恥ずかしがる」という妙な免罪符 " という記事を書いた。この国では電車で老人に席を譲りたくても「恥ずかしい」という意識に甘えて実行に移さないことが多いと聞くのだが、私の感覚としては譲らない方がずっと「恥ずかしい」と思うという話である。

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この記事を書いて 2〜3日経ち、「そうか、この 2つの『恥ずかしい』は、実は異なった意識なのだ」と気付いた。日本語では同じ「恥ずかしい」という言葉を使うのが、「周囲に対して恥ずかしい」と「良心に対して恥ずかしい」では、実はまったく別の話なのだ。

この違いを明確にするには、別の言葉で考えるといい。ここでは試しに英語でやってみよう。「英会話ハイウェイ」というサイトの "「恥ずかしい」は英語で? ネイティブが納得する正しい言い方 5選" という記事が参考になる。必要部分だけかいつまんで紹介すると、ざっとこんな感じだ。

  • 人として恥ずかしいは  "ashamed"
    道徳的や社会的に悪いと考えられていることをして罪悪感を覚えるようなときや、見た目を恥じるときの「恥ずかしい」

    I felt ashamed of myself for getting so angry in front of children.
    (子供たちの前でそんなに怒ったことを私は恥ずかしく思いました)

  • 恥を知れ! の恥は  "shame"

    Shame on you!

  • 恥ずかしがり屋は  "shy"

    I was too shy to talk to the girl.
    (私は恥ずかしくてその女の子に話しかけられませんでした)

こうしてみると「周囲に対して恥ずかしい」というのは、英語でいうと「恥ずかしがり屋」に近いと思う。そう、"shy" (シャイ)なのだ。いいことをしようとしても、「無駄にシャイ」なので躊躇してしまうのである。

一方「良心に対して恥ずかしい」というのは、「人として恥ずかしい」の "ashamed" が相応しいだろう。電車内で席を譲らなかったら、より直接的に "Shame on you!" (恥を知れ!)になる。

どうやら日本人、この類いの「恥」にはかなり鈍感で「良心の呵責」みたいなことはあまり問題にされず、「シャイ」感覚の方が圧倒的に先に立ってしまうようなのだね。

日本は古くから「恥の文化」と言われてきたわけだが、この言葉はかなり慎重に取り扱わなければならないだろう。「良心に対して恥ずかしい」というのは、どちらかというと西洋的な「罪の文化」の意識に近いようなのだ。

それって「神」という絶対基準に照らし合わせて「恥ずかしい」のであって、「シャイ」だから見逃されるなんていうような甘ったれた話じゃ済まないのである。

 

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2025年3月13日

土葬の墓地を認めたがらない日本人のメンタリティ

Courrier が "海外メディア「土葬のお墓がほしいと願うイスラム教徒を攻撃する日本」" というニュースを伝えている。"ネットの「誤情報」が深刻な対立を生む" というサブ見出し付きだ。

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この記事は、つぎのようなリードで始まる。

近年、日本に暮らすイスラム教徒が増えるにつれ、教義に則った土葬墓地への需要が高まっている。大分県の別府ムスリム協会は土葬墓地の建設を求めているが、地元の日出町の町長らの反対で難航している。

墓地建設に対する抵抗感の背景には、ネット上で拡散されるイスラム教への誤解があると中国紙「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」は指摘する。

大分県を拠点とする別府ムスリム協会の人々は、ムスリムのための土葬墓地建設の許可が同県日出町の行政から、まもなく得られるだろうと考えていた。2020年9月当時の話である。

だが 5年近く経つ今も承認は下りていない。同協会の代表ムハンマド・タヒル・アッバス・カーン(57)は、「土葬が法律で禁止されていない日本で、自分たちの率直な要望が認められないのは、メディアや SNS で発信された誤解を招く情報に原因がある」と訴えている。

土葬できる墓地の建設に反対しているのは、一部の YouTuber であるらしく、代表的なのは「カーンが日本をムスリム多数派の国にしようと企んでおり、墓地の建設はその活動の一環」という主張だ。馬鹿げた話だが、こんな話に乗って町長までが建設に反対しているというのだから情けない。

こんなことになっているのは、先進国では日本ぐらいのものだろう。多様性を認められないメンタリティというのは、かなり困ったことだ。そもそも日本でも戦前までは土葬が普通に行われていたのだが。

 

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2025年3月12日

アルコール飲料にもがんのリスクがあるという

Reuter が今年 2月 17日付の記事で "WHO、欧州でアルコール飲料にたばこ並み「がん警告」要請" という記事を伝えている。私は煙草を完全に止めてから 50年近いし、最近は酒もほとんど飲まなくなったので、個人的には「それがどうした」程度の印象だが、ショックな人にはショックだろう。

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世界保健機関(WHO)によれば、欧州全域でアルコールとがんとの関連性に関する意識が「憂慮すべき」と言えるほど欠如しているとのだそうだ。それは米国でも日本でも同様だろう。煙草とがんの関連はしっかり認識されているが、酒に関してはあまりシリアスじゃない。

ちなみに Wikipedia で日本における煙草の健康に関する表示を調べてみると、次のように表示されている(参照)。

2005年のたばこ規制枠組条約発効以前は、1972年から 1989年まで「健康のため吸いすぎに注意しましょう」、1990年から 2005年まで「あなたの健康を損なうおそれがありますので吸いすぎに注意しましょう」とパッケージの側面に書かれているのみであった。

今から見れば呆れるほど曖昧な表現でしかない。もし日本で今後酒に関してもこうした表示が求められるようになったとしても、これよりさらに曖昧な表現になってしまうだろう。

日本人男性の喫煙率は、1960年代には約 80%だったと言われている。「男なら煙草を吸うもの」という風潮だったわけだ。それが最近では約 30%と、半分以下になっている。

一方酒に関しては、ほとんど毎日飲む(私も以前はそうだった)という人が、今の世でも結構多い。月々の酒代だけで大変な額になるなんて話もよく聞くところだ。

今後、酒にも煙草同様の警告表示がされるようになっても、消費は煙草ほど極端には減らないような気もする。せいぜい「飲む量を減らす」という程度の反応になるだろう。

まあ、お酒の好きな人にとっては気の毒なニュースである。

 

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2025年3月11日

席を譲るのを「恥ずかしがる」という妙な免罪符

SAWASAKI Fuyuhi さんが Bluesky におもしろい書き込みをしておいでだ(参照)。最近電車内で席を譲られるということが相次いで起きたのだそうだ。これ、中高生世代で「席を譲りましょう週間」開催中なのではないかと推理していらっしゃる。

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会食の席上でその話題になり、「まだ私たちは譲る側になることが多い」という点で見解が一致したのだそうだ。ただ、中高生から席を譲られるほどの年代が、まだ「席を譲る側になることが多い」というのは、ちょっと考え物という気がしてしまったのだが。

私は 72歳という年でもあるので十分に「譲られる側」と思ってもいいのだが、思い返してみても電車内で席を譲られたことなんてほとんどない。まあ、見かけだけは若く見えてしまうのでしょうがないと思ってはいるんだけどね。

最近はさすがに年を考えて 60代の頃ほど気軽に席を譲ることはなくなったが、それでも見るからに危なっかしそうなジイさんやバアさんが乗ってきて座れずにいるのを見ると、いたたまれなくなって席を譲る。譲らないわけにいかないじゃないか。

ところが譲ってから改めて周囲を見ると、20代ぐらいの若者が平気な顔で座り続け、スマホでゲームなんかしている。70代には見えないかも知れないが、60代には十分見えるだろう私が席を立つのを横目で見ても、バツの悪そうな顔すらしない。

この国では「老人には席を譲るもの」という意識が極めて低いようなのだ。あるいは「席を譲りたい」と思いはしても、周囲の目を妙に気にして「恥ずかしい」なんて思ってしまい、実際の行動に至らないというパターンも多いみたいなのだ。

しかしこれってかなりおかしな話で、私の意識としては、近くに座れないでいる老人がいるのに図々しく座り続けている方がずっと恥ずかしいんだがなあ。この方がずっと「まとも」な感覚だと思う。

多くの日本人って、大勢の中で「率先行動」するということにかなりの抵抗を感じてしまうようなのだね。こんな場合、「恥ずかしい」という意識が妙な免罪符として機能するみたいで、しかもこの免罪符がかなり有効ときてるのだからますます「お恥ずかしい話」である。

【3月 14日 追記】

この問題についてもう少し考察を深め、「席を譲るって、どんな種類の「恥ずかしさ」なのか?」という記事にしてみたので、よろしく。

 

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2025年3月10日

北海道沖 千島海溝を震源とする巨大地震の可能性

明日は東日本大震災から 14年目になる。私の住む茨城県つくば地区も大揺れに揺れた(参照)のを、昨日のことのように思い出す。そんな折、「北海道沖 千島海溝 巨大地震起こしうる程度までひずみ蓄積か」という気になるニュースを NHK が伝えている。

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静岡県沖の南海トラフを震源とする「東海地震」の危険性については、マスコミでも幾度となく対策が呼びかけられているが、北海道沖とか千島海溝を震源とする地震に関してはこれまでほとんど報じられなかった。だから私も今回の記事がほとんど初耳である。

観測を行った東北大学などの研究グループによれば、この海域では「ひずみ」の蓄積がすでにマグニチュード 9クラスの巨大地震を引き起こしうる程度まで進んでいる可能性があるのだという。つまり、とんでもない大地震がいつ起きてもおかしくないというのだ。

この海域を震源とする巨大地震は 400年前の 17世紀に発生したと考えられているのだが、現在は当時とは比較にならないほどこの地域の人口が増えているので、発生したら大変な被害が想定される。

この地域には知り合いも少なくないので、かなり心配だ。それにしても日本という国は、この問題に関してはどこに住んでいても気の休まる時がない。

 

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2025年3月 9日

「屋根修理」の詐偽が、また増えてきているらしい

SUUMO のサイトに昨年末の記事だが「屋根のリフォーム詐欺が急増!手口や身を守る方法は?通報や相談、契約解除についても解説」というのがある。一時コロナの影響かあまり聞かなくなっていたのだが、最近になってまた増えてきているらしい。

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これ、「屋根のリフォームを勧めて、ずさんな工事や高額な請求を行うなどの詐欺」のことで、私も過去に 2度書いたことがある。

近頃、悪質勧誘が増えている(2021年 3月 7日付)
悪徳業者による「屋根修理詐欺」にご注意(2022年 2月 9日付)

2021年の方は、玄関のベルに出てみると若い兄ちゃんがいて、「お客様、以前に火災保険を利用して台風被害による屋根の修理をされましたよね」「私、その時に担当させていただいた〇〇という者ですが、この度独立いたしまして、よりお得な保険のご紹介に参りました」なんてことを言ったというものだ。

確かに火災保険を利用して台風で傷んだ屋根の修理をしたことはあるのだが、それはその 10年以上前のことで、こんな若い兄ちゃんが担当していたわけがない。見え見えの嘘ではあるのだが、こちらが保険で屋根修理をしたことが外部に漏れているようなので、ちょっと恐ろしくなった。

さらにその翌年の場合は、「明日から向こうの道の住宅工事で、トラックが道に停まってご迷惑をおかけするかも知れませんので、ご挨拶に来ました」なんて、もっともらしいことを言う。ところが話はそれでは終わらない。

「ところで、ご近所の方が言ってたんですが、お宅の屋根が壊れているみたいなので、ちゃんと点検しましょうか?」なんてことを言い出すのである。ところがどう見ても壊れているようには見えないのでそう告げると、話は馬鹿馬鹿しい方向に発展する。

「いや、素人目にはわからなくても、我々、屋根屋の目線で見るとわかるんです。それにしても、ヒドいことになってますね。一体いつからあんな状態なんですか?」「よろしければウチの専門スタッフが屋根に登って写真を撮らせていただきます。その写真をご覧になればわかりますよ」なんて言い出す。

そもそも「素人目にはわからない」ことが「ご近所の方」にわかるわけないし、屋根に登って撮った写真で初めてわかるようなことを「いつからあんな状態なんですか」なんて聞くのもアタマがおかしい。

こんな連中に下手に屋根に登らせたりなんかしたら、その場でわざと壊して写真を撮るに決まってる。アブナくてしょうがないから、「もう二度と来るな」と言い渡して、ピシャリとドアを閉めた。

というわけでこれを読まれた諸兄も、こんなような詐偽には十分にご注意を。

【3月 11日 追記】

この問題は先月末から NHK が集中的に追ったらしく、以下のように 3本の記事を報じている。

【詳しく】悪質リフォーム 業者がわざと屋根を… (2月 28日)
工事業者名乗りリフォーム代 210万円詐取か 2人逮捕 東京 (3月 7日)
悪質リフォーム業者 “統括”ら 4人逮捕 建設業法違反の疑い (3月 11日)

 

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2025年3月 8日

睡眠時間が短いと、「死亡率」が増加するって?

レバテック LAB というサイトに "「7~9時間睡眠」維持できないと死亡率最大 29%増? 4万人超の睡眠時間 5年分を調査した結果【研究紹介】" という 3月 5日付の記事がある。ただ「死亡率最大 29%増?」なんていうが、人間は元々死亡率 100%だから、それ以上の増加はあり得ないと思うがなあ。

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この見出しがあまりにもミステリアスなので本文を読んでみたところ、こんな表現になっている。

健康的な睡眠時間を維持していた参加者に比べて、最適でない睡眠パターンの参加者は全死因における死亡リスクが最大で 29%高かったことがわかった。

29%高かったのは、「死亡率」なんかじゃなく「全死因における死亡リスク」じゃないか。最近、ニュースサイトの記事タイトルを付ける編集者の質がやたら落ちてるような気がする。

いずれにしてもわかりにくい表現だがニュースとしては、死亡につながるいろいろなファクターがある中で、実際に死ぬリスクが 3割近く高まると言いたいようなのである。繰り返しになるが、人間いずれは死ぬんだけどね。

睡眠時間についていえば、私も「7~9時間睡眠」なんてまったく維持できていない。せいぜい 4〜5時間で、ほんのたまに 9時間ぐらいの「寝だめ」をする。

まあ、妙なことを気にしすぎるのが一番健康によくないから、こんなところで生きて行ってみよう。

【3月 9日 追記】

そういえば、先日クルマを運転しながらラジオで「一般社団法人 日本ショートスリーパー育成協会」代表理事という人の話を聞いたのを思い出した。この人、マジで 1日に 45分ぐらいしか寝ないんだそうだ。

これって、いくらなんでも極端すぎる気がするなあ。個人的にはもうちょっとベッドの中でウダウダしていたい気がする。

 

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2025年3月 7日

「世界一小さな公園」というのだが

カラパイアというサイトに「静岡県のミニミニ公園が世界最小でギネス世界記録に! 世界からも注目が集まる」という記事があるのだが、冒頭に下のような写真の付いた記事なので、「おいおい! 箱庭を『公園』と称するのは反則だろうよ!」と一瞬マジでムカついた。いくら何でもあり得ない。

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ところが実際の「世界最小の公園」というのは下の写真のようなのだ。約 50cm四方で、面積は約 0.24平方m。人が 1人立てばいっぱいになってしまうほど小さくて、名前も付いていないのだが、静岡県駿東郡長泉町ではちゃんと「公園」として認定されているというのである。

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だったら、上の「箱庭写真」は「反則」どころか「デタラメ」じゃないか。こんなもので無駄に人を惑わしちゃいけない。

今回ことさらムッときてしまったのは昨日、愛知県立新川高校に関する記事に何の断りもなく愛知県庁舎の写真を 3枚も使うという、マスコミとしてあり得ないデタラメにムカついた直後(参照)ということもあるのだろう。

ギネスブックに登録されることになった長泉町には「おめでとう」というほかないが、こんなような記事にしてしまったカラパイアには、「ちょっと考え直した方がいいよ」と言うほかない。

まあ、箱庭の背景のボカシ方とか、結構苦労しているのも見えるから、どうしてもこの写真を使いたかったという気持ちもわからないではない。だったらもっと下の方で、完全に「洒落」として掲載すれば笑ってあげることもできたのに。

ちなみにこんなのが話題になってしまうと、安易に 40cm 四方ぐらいのものを作って「ウチの公園の方が小さいから、世界一!」なんて言い出す自治体が出てこないとも限らない。しかしそんなのは「悪趣味な二番煎じ」として呆れられるだけから、よい子のみんなは真似なんかしないようにね。

 

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2025年3月 6日

卒業した高校の通知表なんて要らないし

CBC ニュースに「卒業式で通知表を配布し忘れ 高校 3年生 304人に…先生も生徒も気付かず 愛知・清須市の県立高校」なんていう記事がある。新川高校という高校の担当教師が通知表をプリントし忘れ、2月 28日の卒業式で生徒に渡すことができなかったのだが、それに誰も気付かなかったんだそうだ。

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夕方になって渡しそびれたことに気付いた学校側が授業支援アプリを使い、卒業生に「学校まで受け取りに来て欲しい」とのメッセージを送ったところ、4日朝までに 75人に通知表を渡すことができたという。しかし残る 200人あまりについては、まだ渡し切れていないらしい。

これに関しては、担任の教諭が個別に電話して受け取りに来てくれるよう依頼しているというのだが、聞くだに疲れる話である。そもそも卒業した高校の通知表なんかもらっても、嬉しくもありがたくもないからね。

せっかく高校と縁が切れて清々しているところで「通知表を取りにおいで」なんて電話をもらったら、「やなこった!」となっても全然不思議じゃない。私だったら「要らないから、テキトーに処分しといてください」と応えるだろう。

実際問題としては、最後まで受け取りに来てくれない卒業生の通知表は、書留か何かで送ることになるのだろうか。今の書留郵便料金は 1通 480円というから、200通以上送ったら 10万円を軽く超えることになる。年度末ギリギリで、予想だにしなかった臨時出費だ。

それにしても通知表を渡し忘れたなんて話より驚いてしまったのは、写真で見る新川高校って、なんと 6階建てで、ちょっとしたデパートなんかよりずっと立派だってことだ。まるで御殿みたいに威圧的ですらある。何だか、行きたくない気持ちもわかるなあ。

【同日 追記】

nomibito-shirazu さんのコメントのおかげで判明したのだが、この記事で紹介されている写真は新川高校ではなく愛知県庁舎で、重要文化財に指定されているほどのものなんだそうだ。

ただ、記事ではこの庁舎の写真が何の断り書きもなく 3枚も紹介されている。これはヒドい。CBC の報道姿勢を疑ってしまうよね。地方局だから、見ればたいていの人はわかるはずなんて思ったのかも知れないが、インターネットでは日本中、世界中に紹介されてしまうのだよ。

 

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2025年3月 5日

「ねるねるねるね」というモノのミステリー

さとこ国立公園さんという方の「ねるねるねるねを初めて食べるケニア人の反応が面白い」という YouTube 動画がなかなか興味深い。この方、ケニアをベースにいろいろな活動をされている(参照)ようで、注目しておいていいと思う。

この動画は「ねるねるねるね」というものを初めて食べるケニア人の反応を紹介したもの。しかし私は何しろこの「ねるねるねるね」というものをまったく知らなかったので、反応としては実物を目の前にして匂いまで嗅いでいるケニア人よりさらにプリミティブにならざるを得ない。

そもそも「ねるねるねるね」って食い物なの? というところから入らないと話が始まらないので調べてみると、Wikipedia ちゃんと「ねるねるねるね」という項目があるじゃないか。

「1986年よりクラシエ株式会社 フーズカンパニー(旧カネボウフーズ・ベルフーズ→クラシエフーズ)から発売されている菓子」とある。40年近く前から販売されていて、その筋では「知育菓子」というカテゴリーで知られているというのである。

そんなことならウチの三人娘の幼かった頃に多少は我が家にも入ってきてもよかったのだが、まったく縁がなかったなあ。

さらに調べると、「ねるねるねるね ぶどう味 作り方動画」というのが見つかった。ざっとこんなようなものであるという。

見れば出来上がりはかなり毒々しいまでの色になっているが、使用されているのはすべて天然由来の添加物で、合成着色料は使われていないらしい。とにかく知ってる人にとっては作り方なんてあまりにも当たり前のことのようで、それだけに最初に紹介した動画では手元はほとんど映っていない。

この世というのは深層部はおろか、ポピュラーな分野に至るまでなかなかうかがい知れないことが広がっているもので、下手すると自分だけが知らないなんてことが少なくないようなのだ。ゆめゆめ油断がならない。

ただこれって、「食べてみたいか?」と聞かれたら「別に・・・」と答えるしかないなあ。そりゃ、よっぽど腹が減っていてほかに食うものが見つからなければ食うけど、あまり腹の足しにはなりそうにないしね。

 

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2025年3月 4日

戦前のカレンダーからわかってくること

能栄さんという方が「旅館にあった昭和18年のカレンダー」という画像入りの tweet をしておいでだ(参照)。古色蒼然としたいかにも戦前のものというイメージだが、よく見るとなかなか面白い要素に満ちている。

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これは昭和 18年 1月のカレンダーなのだが、まず嫌でも気付くのが、カレンダーの左端が金曜日になっていることだ。「金、土、日、月、火、水、木」の順に並んでいる。

いくら何でも、戦前の日本では 1週間の始まりが金曜日だったなんてことはないだろうから、これは 1月 1日が金曜日ということに合わせた結果なんだろう。とすれば、2月と 3月は左端が月曜日となり、4月は木曜日ということになるのだろうか。

何だか面倒な気もするが、当時は 1週間が生活のベースとなるサラリーマンより農民の方がずっと多かったから、別に奇異でも不便でもなかったのかもしれない。

それから、1月 5日が祝日となっていることにも注目だ。この日は戦前「新年宴会(しんねんえんかい)」として、宮中において新年の到来を祝う宴会を行う祝祭日とされていたという。これ、現代にも残されていたら、年末年始の休みがちょっと延びることになるかもしれない。

ちなみにこのカレンダー、横書きの部分は数字部分を除けば、すべて右からの表記となっている。これは戦前の話だから当然のことだが、根本的なことを言えば、これは「横書き」というよりは「各行が 1文字の縦書き」というココロなのである。

さらに、右側の枠外には「明治 年号換算 七十六年」「大正 年号換算 三十二年」と表記されている。昭和 18年と言えば明治生まれや大正生まれの人も現役世代として生きていたのだろうから、あってもいいような気もするが、別になくても構わない。

ただ私は最近、「令和〇年」なんて言われてもピンとこないので、もっぱら西暦の方を多用するようになっている。もしかしたら、このカレンダーの「明治七十六年」なんてのは、明治生まれの人にとっての「西暦代わり」みたいな役割を果たしていたのかもしれない。

何しろ「昭和十八年」という表記の横にあるのが「西暦」ではなく「皇紀二千六百三年」という文字なのだから、明治や大正の年号換算の方がピンときやすかったのだろう。いや、もしかしたらこの当時は皇紀にかなり馴染みがあって、余計な心配は無用だったのかもしれないが。

いずれにしてもカレンダーの上に描かれている海軍旗は、軍国主義の台頭した時代ということを如実にうかがわせる。最近のカレンダーにはこんなデザインがないだけ幸せだ。

このカレンダーの製造元である「七十七銀行」というのは、今でも健在である。「日本銀行代理店」なんて表示に驚いてしまったが、よく調べると、この制度は今も存続しているみたいで、七十七銀行はその業務をずっと続けているみたいである(参照)。

 

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2025年3月 3日

つくばの里に雪が降る

天気予報では「午後には雪が舞うかも知れません」なんて言っていたが、「どうせチラッと舞うぐらいで、積もったりはしないだろう」とタカをくくっていた。ところが 2時を過ぎた頃から「チラッと」どころではない様子になり、裏の土手は白くなってしまったのである。

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道路にはまったく積もっていないので交通機関への影響はほとんどないだろうが、それにしても「この辺りでもまだ雪って降るんだ」と再確認させられてしまった。もう 3月とはいえ、今年の冬はなかなか馬鹿にできない。

ただ、昔と比べればこの程度の雪はほんの可愛らしいものである。私がこの土地に引っ越してきたのはほぼ 40年ほど前のことになるが、当時はかなりの積雪になるのが珍しくなかった。

下の写真は 15年近くの前の多分 2〜3月頃に撮影したものだが、雪かきをしないとクルマが駐車場から出られないほどになっている。

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思い返してみると、5〜6年前までは家の前の道路を雪かきしていたが、最近は全然していない。まともに積もることがないので、必要ないのだ。大きな雪かきシャベルも物置にしまいっぱなしで、多分今年も使わずに済むだろう。

明後日は仕事で横浜に行かなければならないのだが、この分だと交通機関がストップしてしまうなんてこともなさそうだ。

 

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