表紙、ページ(ジャンル)の割り振り方、扱うネタ、その切り口と論じ方、後書きにくる本音とグチ、すべてが私の思い通りなのだ。ブログはTVやラジオとは違って自然に入ってくるものじゃなく、見に行こうという意思がなければ辿り着かない。この雑誌もつまなければ人が来ず廃刊するだけで、その評価は直にやってくるのがシビアでまたおもしろい。
この1年、うまく行かない事の方が圧倒的に多く、読者がほぼ自分だけという時期を長く経験し、編集長の私としては、タバコの本数も増え、増えない発行部数に何度もデスクを叩いて怒鳴りつけたものだ。もちろん私しかいない編集部なのだが・・。しかし、その頃に文章の表現法だったり、見せ方をいろいろ考え試行錯誤したことは決して無駄になってないし、その過程も人がいないぶん、今より自由にいろいろ出来ておもしろかった。「朝生を北斗に~」なんてネタは今じゃそんな挑戦心は恐ろしくて芽生えない(笑)
なんの地位も実績もないヒラリーマンが、男の夢でもある、自分責任編集で自分の読みたいような雑誌を無料で作れ、それを他の人も自由に読むことができるなんてありがたい限りである。何か新しいものをつくって世に問うという仕事ではない為、いつも受信側で生きてきた私としては、発信側は一度はやってみたかった夢でもあった。
もう元ページも無くなったので書けるのだが、一ヶ月前に驚愕する事態が起きた。
「加勢大周を失墜させた三つの矢」という書いた私でさえ存在を忘れているほど、全く注目されなかった記事があったのだが、そのページに数千、下手すれば万アクセスが短時間に集中していた。加勢さんが何か事件でも起こして、検索でも増えたのかと思ったが、リンク元をたどってみると、赤い電話Boxの中から 君とあいつ出てきた ぐらい焦った。
大手ニュース配信の「Livedoor news」 の
「
加勢大周は今こうしている(本人にインタビュー)」の記事になんと加勢さんの顔写真の横に、
<当時のLivedoor News イメージ図>
livedoor NEWS
加勢さんに会ったのは、JR渋谷駅から徒歩5分の渋谷東武ホテル1階のレストラン。思い描いていた通り、スラリとしていて、さわやかな笑顔だ。加勢さん、今どうしているのか?(提供:ゲンダイネット)
記事全文(リンク)
加勢さん ・加勢さんの公式サイト
顔顔顔顔 ・加勢さんのウィキペディア
写写写写 (一行空けて)
真真真真 ・加勢大周を失墜させた三つの矢 ←わたしのブログ
(´Д`)~ ヒエエぇー (絶叫)
加勢さん本人もクリックしたであろう、その自分の書いたページを恐る恐る覗いてみると、加勢さんが落ちぶれた理由を3つの矢に例えて本当に自由きまま、好き勝手書いていた。
あわわわわわ・・・
これは言い訳のしようがないほど悪意に満ちた記事でした。本当に本当にすいませんでした。
よりによって本人が今の自分と今後の人生をマジメに語っているインタビューなのに、大手企業のニュースサイトが、公式ページの下にリンクしたのかどういう意図なのか理解できませんでした。
私にとってはこの記事は表舞台に出さなかった誰も読んでないであろう昔の記事という認識なんですが、私以外の人からすれば私がどういう状況で書いたなんて関係ないわけで、書かれている内容がすべてなんですよね。
そこでふと思ってしまいました。私の責任編集しているブログは
「BUBUKA」や「週刊アサヒ芸能」のように人のスキャンダルや知られたくない事ばかりを扱って集客しているブログになっていないだろうか・・?
確かにそういったものは過去記事を読んでもいくつかあり、それは認めなければなりません。ネットで長文を読むというのは向かないので、どうしてもこういったスキャンダラスな内容の話は人が集まりやすいのかもしれません。これは私の狙った意図とは関係なく、違う集客力なのでそれでしか成り立たないブログだと、筆をおかなければなりません。順調に伸びてきた発行部数でしたが、一体何の雑誌を出版していたのかと、思い直しました。
自分の舵の取り方(考え方)を「BOOWY」を例に説明したいと思います。
BOOWYに関しては一番取り上げた回数も多く、いろんな切り口で記事を書いてきたのですが、大半が
私のBOOWYに関する強い思い入れを書いた記事になっています。あの時の氷室の横顔が最高だとか・・
それとは対照的に「BOOWY 裏年表」って記事があるのですが、
こちらはその愛情を逆にひっくり返す表記方をとっています。彼らのカルトQ的なエピソードを集めて、そこからおもしろいエピソードを抽出し、布袋の身長などをスパイスしながら、それを年表形式として表記する方法をとりました。これが前者の表記方だと、カルトQ的なエピソードをひたすら書いて、ちょとしたコメントを入れていただけだと思います。
どちらも私の強いBOOWY愛からきている記事なのですが、私がいろいろと愛情を語るよりも、圧倒的に「裏年表」の方が人の目を引くんですね。これは1年苦悩して見つけ出した、人の目を惹く表記法のひとつだと思っています。で、これを楽しんで読んでくれる人は、私以上にBOOWYが好きな方なんですよね。そこは狙い通りなんですが、やっぱりこういうおもしろエピソードばかりを取り上げる表現方法だと「お前はBOOWYをおちょくってるのか?」という人も出てくるんですね。私の中では「BOOWYがかっこいいのは当たり前だろ?」 それよりまこちゃんは声が大きいっ理由で加入したのに、あまりの声の大きさにライブ中松井が噴出して演奏が止まったって方が興味深くないかい? という事なのです。
当然、前者のようにBOOWYへの愛情を普通に語る記事ならこういった批判はでないのですが、果たしてそれがおもしろいのか?と思ってしまうのです。この辺をどう捕らえるかが私のブログを楽しんで読めるか、不愉快になるかの境界線じゃないかと思います。氷室京介を黄金比に例えた記事なんか読んで「ホントくだんねぇー」って苦笑いしてくれる方がわたしにとってはありがたい読者なような気がします。
私のブログの考え方としては、せっかく自分責任編集の雑誌を発行しているのに、それがありきたりな意見だったり、当たり前の事を読まされても、購読はしないと思うのです。果てしなく下らなかったり、多少の毒気があっても、オンリーワンの内容が星の数ほどあるブログの中で、光り輝くと思うのです。大風呂敷広げましたが、オンリーワンってそうそう毎回出るもんじゃないですからね。「週刊文春」「週刊新潮」だって巻頭にグラビアを持って集客をすることはあるわけで、その記事のバランスが重要なのかと思います。
ああ、すいません。いろいろ書きましたが、「
(ブログ)読者は著者がいろいろ心配するほど何も思っちゃいない」の名言が浮かびました(笑)
私の感覚的には、空港の待ち時間や新幹線の移動中の空いた時間にちょと暇をつぶせる雑誌といった感じをもっています。しかし、以前、仕事始まる前にメールチェックよりも先に見てくださるという書き込みを頂いた事ありまして、それは申し訳もない気持ちがありながら、なんだろう・・すごく嬉しかったですね(笑)
ああー私の雑誌を仕事場に持ち込んでくださる方もいるのかと、素直に嬉しかったですね。さすがに「BUBUKA」や「ナックルズ」は会社に持ち込めないですからね。
2年目を迎えて正直マンネリ化を感じている部分もありまして、書いている私がそうなのだから、読んでいる方はもっとそう思っているのかなとも思います。
舵取りを人に頼みたい事もあるのですが、私しか舵を取れないのです。今後のこのブログは、老舗の味を求めて今まで通りやっていくのか? 新味を求め挑戦するのか?
また、一人編集会議を行いたいと思います。
長文、駄文失礼しました。