Category[ 音楽 ] - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ


ヒロトの飾らない本音に潜むドブネズミ

2010年08月14日 23:54

どんな著名な歴史上の哲学者の発言よりも、メロディーにのっけて放たれる短的な詩的メッセージに心奪われる時期がある。
ニーチェや孔子の教えより先に、自らを大事マンと称するモノ達の説法を街のいたるところから説きふせられるという、まるで無くしたエアギターを捜索するかのようなメビウスの輪から抜け出せない時期を過ごしてしまったのだ。

そのお陰かデビュー間もない浅香唯が「芸能人は12~3人しかいないと思ってた」との発言に当時、宮崎出身ゆえの素朴さが奏でる郷土音だと微笑ましてもらったもが、今となっては黒より黒い暗黒級のドス黒さしか感じることができなくなってしまった。
決して 燃える血を忘れた訳じゃない!甘いぬくもりが目に染みただけ!と思いたかったが、もうわたしの色眼鏡は何重にも重なっており、ぬくもり程度じゃ目には染みてこないのだ。

最近になってやっと、「J-RAPの感謝率」「J-POPの会いたい率」「J-ROCKの何かを探せ!率」が異常値である事がわかってきたように、これらメッセージは今となってはほとんど記憶に留めてない。

だが、唯一ブルーハーツ時代のヒロトが放った言葉で今になってその重さを痛感できる言葉がある

「生活は下手な理想主義をぶっ飛ばすくらい重いもんだと思う」

今となってなんと真を突いた言葉だろうかと思い知らされる・・
軽いあこがれだったりうっすら思い描く未来程度の玉など、生活という名のあさま山荘の鉄球に太刀打ちできるわけもない。


下手な詩的メッセージよりも思ったことを直にそのまま発するブルーハーツ時代のヒロトの飾らない本音にこそ、そこに重なる本当のメッセージが見え隠れしていると思う。

そんなブルーハーツ時代のヒロトの飾らない本音を集めてみた。



ファンのことなんか関係ねーよって言うのがカッコいいんだろうけどさ、
結構、ファンのこと意識してやってるんだよね、俺。


僕は僕の偏見で歌を歌っとる


まわりが見えてないと不安でしょうがないんだよ


夢と現実のギャップでさ
押しつぶされそうになるんですよ 


学校がイヤだと言って登校拒否できるやつはええよ。
俺はいじめの対象にもならない本物の劣等性だったんよ。


あのビルん中の一室で毎日おんなじ働きをしとる人があるんだけど、
それが安定した生活かと言われたら、本当ににそうなんかなぁ?と思うよな。


カッコつけんと生きとれんよ。
〝飾りなんかいらないんだ〟というカッコつけ。


ポリシーは・・・・・ポリシーとか何とかを決めないこと。


ボクは一貫して自己満足です。めざすものは。

ブルーハーツは全てをわかってる人達じゃないからさ、
普通の人なんだからさ、人生相談されても困るんだよね



引用文献:ドブネズミの詩(うた)  (著者/ザ・ブルーハーツ 角川書店 1988-12)                  
     ザ・ブルーハーツ『1000の証拠』 (月刊宝島)



唯我独尊と思われたヒロトのこういった一面を知ることで彼らの唄と詩にまた違った広がりがみえてくるからたまらない。
未だにドブネズミに潜む美しさを見出すことはできないが、彼らの人間臭さを放つネズミ達はよく見える

I'M GETTIN' BLUE

2010年08月07日 16:44

この時代のキッカケは何事もドラマであった。


「はいすくーる落書き」で流れたTHE BLUE HEARTSの「トレイン・トレイン」はすぐレコード店で購入した。
それをエンドレスリピートしていると、教室のどこかから「リンダリンダ」がいいよ・・と漏れ聞こえてくる
また、レコード店に走るがリンダリンダなるものをさがすも見当たらない。
当時本当にBLUE HEARTSのCDは品薄だった。
休み時間にどこからかバトン状態で回ってきたそのアルバムの最後にその曲は収録されていた。

この時代、クチコミで回ってきたCDの中にこそ本当の名曲が眠っていた



何事もキッカケはドラマであった。

「同・級・生」で流れたZIGGYの「GLORIA」はすぐ購入した。
地方の唯一の娯楽であるカラオケでイヤでもこの曲を何度も聴くことなる。
そんな時期、教室のどこかから「午前0時のMERRY-GO-ROUND」がいいよ・・
グロリアの後発であるこのCDはすぐ手に入れた。満足だった
しばらくすると「I'M GETTIN' BLUE」 ヤバいよ・・ とまたどこかで漏れ聞こえる
いくら探してもネットもないこの時代、見つけられなかった
諦めかけていると昼休みに3人ぐらいにバトンされた I'M GETTIN' BLUE が机の上に置かれていた


この時代、クチコミで回ってきたCDの中にこそ想い出の詰まった名曲が生まれた



クレヨンしんちゃんからのバトンミス

2010年06月03日 22:50

1999年 2月5日(金曜)

この日のMステに、当時デビュー間もなかったヴィジュアル系の中でも相当過激で猟奇的なパフォーマンスをする事で有名な
Dir en grey が初出場する事となった。

インディーズで登りつめ、メジャーデビューとなる辺りの勢いづいたヴィジュアル系バンドほど怖いものはないと常々考える。
その時代に誰もがヘル・レイザー化するのは、なんなのだろうか?

彼らの黒夢のインディーズ時代を彷彿させるその猟奇さは、一見の一般人が到底理解出来るレベルのものではない。
彼らを知らない多くの視聴者にその世界観を伝える為、より猟奇的なステージパフォーマンスを求められたのだ

と、ここまでは何の問題もない。
過激なパフォーマンスは彼らが初ではないし、その内容もhideの前例もあって想定内と言える
そう、放送事故があった訳ではなく、何の問題もなく放送は終わったのだ。


問題となったのは、ささいなバトンミスから派生していったのだ。


・Mステの前番組は、「ドラえもん」からの黄金バトンを受けての「クレヨンしんちゃん」である


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金曜の19時台はどんな悪ガキもテレビの前がおのずと指定席となるのだ。
小さい子供を抱えるお茶の間がほのぼのする時間帯なのだ


そしてその流れを受けてのMステとなるのだが
・初登場アーティスとはMステではオープニング直後の1発目に歌うことが恒例


そう、クレヨンしんちゃんからの流れでそのままテレビを付けっぱなしにしていた
小さい子供を持つ家庭が多く存在したのだ。


その結果、まさかの東映アニメフェア!
「クレヨンしんちゃん」と「ヘルレイザー」の同時上映が実現されたのだ(笑)




(注)以下、実際に流れた映像です。


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ぞ~うさん 

ぞ~うさん

オラは人気者~から~の~





Dir en grey 
Dir en grey - Zan live.mpg_000047013












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ひまわり~の

食(しょく)し~の

たまねぎたべれる~の







Dir en grey
Dir en grey - Zan live.mpg_000062095Dir en grey - Zan live.mpg_000127427
吊られる亡者












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しんのすけ 「母ちゃん 無駄に長く生きてないね!」~の

みさえ   「 『無駄に』 と 『長く』 は余計じゃ!」~の

しんのすけ 「じゃあ、生きてないね!」~の








Dir en grey
Dir en grey - Zan live.mpg_000147046
壁から飛び出す亡者









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おシリだし~の

プリプリし~の

ウンコ食ってる時にカレーの話すんな~の





Dir en grey
Dir en grey - Zan live.mpg_000168935
吊られてた亡者が暴れだす




この放送を引き続きみてしまった子供たちが思わぬそのギャップで泣き出したり、軽い引きつけを起こす事態となり
お母さんたちの抗議電話がテレ朝に殺到するという事態となったのです。

この件は新聞の投書欄に小さく載った程度のとても些細な出来事ですが
このギャップのおもしろさを当ブログが見過ごすわけにはいきません。
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みんな無名だった。 だけど…無敵だった

2010年05月30日 06:50

野中広務が小渕内閣当時、官房機密費を当時の評論家達に配っていたという驚きの使い道を暴露をした。

由々しき事態だが、それより驚きなのがYOSHIKIのマネジメント会社が当時、
ヨシキがホテルの部屋が狭いとの理由から寝具を窓から投げ捨てるなどで
毎年1~2千万円の破壊行為弁償費用を事前に予算計上していた機密費の存在だろう


「無敵」のタレ幕を掲げ、一万人の観客を文字通り昇天(エクスタシー)させた男たちの動向がなんだかまた騒がしい

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LUNA SEA、満月の夜に“再起動”発表  Yahoo!ニュース 2010年5月29日

再結成をREBOOT(再起動)と表記するのはいかにもLUNA SEAの世界観を表し良いと思うが、
ファンをスレイヴと呼ぶのは未だにどうかと思ってしまうのだが、
サイダーのペットボトルをじっとお見つめになられ、

僕はソーダの泡を見ると、空や宇宙を思い出す・・

と宇宙規模の発想をお持ちの隆一さんに一般人があれこれ口を出すべきではない


ゲーリーヨシキ時代に「暴力に傾いてもなんか出来る・・みたいな(笑)」とよもやの愚連隊の発想で選定された無敵バンド。
その直球すぎる命名と放つひとつひとつのメッセージがあのイケイケの時代を反映して危なかっしいと思う反面、
行き切っていて今の時代に思い返すと、なんだか心地良いのだ。


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(エクスタシーサミット1992年in武道館 告知広告)


といった訳であの時代の活力を分けてもらうべく、しばらくブログ題字に拝借させてもらいます。

カセットテープ1曲目の打席数の多さは異常

2010年04月27日 23:34

2009年  矢沢永吉 × 氷室京介 × 甲本ヒロト × 真島昌利
が同じステージ上で共演した事が大きな話題となった

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(2009年9月19日、矢沢永吉東京ドームLIVE)


このカリスマ達の奇跡のセッションは多くのメディアに取り上げられ、ご存知の方も多いだろう。

だが、奇しくもこのわずか3日後に行われたもう一人の80年代カリスマによるあるセッションがあった事を
皆さんはご存知だろうか?


さきほどの4人に共通している点は、メディア露出を抑える事によって発生するある種のカリスマ性である。
一方GACKTのように音楽活動以外のメディア露出を積極的に行い、音楽活動に弾みをつけるものもいる。
この男はロックミュージシャンながらナベプロ所属もあって、その分岐点で右往左往した経緯がある。


「クイズ番組なんかでチンポン!なんてやってる大人だけになりたくない」

そう言っていた彼は10年の時を経て、金スマにて無人島生活を行っっていた。
そして遂には40半ばにして仮面ライダーの配役を射止めていらした。

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当時の氏の発言を1.21ジゴワットはこちらでなんとかしますので、デロリアンを使って
30代のどこかで大きな舵取りが行われることを当人同士でよく話しあってもらいたい。



そう、この日は、吉川晃司×氣志團という
共にNHK出禁同士の奇跡の対バンが一夜限り実現されていたのだ。

過去、2002年に行われた濃密すぎる対談をこのブログでも取り上げたが、時を経て遂に共演となったのだ。
綾小路 翔 X 吉川晃司 対談


対バン形式の為、相手側の曲を歌うのが許されるたった一曲。
そこで彼らが選んだ曲は、「モニカ」でも「BE MY BABY」でも「恋をとめないで」でもない
COMPLEX時代の「PRETTY DOLL」を選曲したのだ。
この選曲に思わず私は唸りと同時にニヤついてしまった。






免許取り立ての布袋がポルシェ911で高速を疾走している時に、COMPLEXの楽曲のほほとんどのメロディーが出来たと言っているように、非常に疾走感あふれる曲である。

まず言っておきたいが、今も昔も私はこの曲が名曲だとも駄作とも思わない。
だが、いくら脳がボケようとも脳裏からは一生消えない曲となっているのだ。


思い出してほいしい。
BOOWYという支柱をなくし、支持基盤を無くし溢れかえった多くの無党派層に
突如現れた超党派がCOMPLEXだったのだ。

実は同期デビューとなるB'zが、同じロックユニットであるCOMPLEXのライブを2人で観に行き
「圧倒されました・・。あのまま活動されていたら、俺たちは何もできなかったですよ」
と後に評している

その彼らのファーストアルバムの1曲目がこのPRETTY DOLLなのである。
会派の異なる違う2人による超党派が何をアピールするのか・・
多くの無党派層にとってこのPRETTY DOLLは彼らの向かうべき道を示す
まさにマニフェストであったのだ。


今のよう幾千もの楽曲を取り込み、好きな曲番だけをチョイスできた時代ではない。
カセットテープに録音とはまさに刺青。駄作であれ間違い漢字の刺青する外人同様、
一生をそれと共に過ごすこととなるのだ。

特に、A面1曲目の先頭打者の打席数は異常。
一時停止があるから結局聴く回数は同じでは?と思われそうだが、それは机上の空論。


A面先頭から再生中 → 寝落ち → 自動反転 →A面先頭から・・・
という無限ルーチン地獄を80年代を生きた人間は誰もが経験しているのである。

結論はこうである。

カセットテープ時代に録音したアルバムの一曲目は、
名曲駄作に関わらず未だ脳裏にこびりついている





近年、いろんな切り口のコンピレーションアルバム(複数のアーティストの楽曲を特定の方針に基づいて編集したアルバム)
が存在するがアルバム1曲目を集めた切り口は見た覚えがない。
この時代のジャンル問わずのアルバム聴き漁り度は尋常じゃないから、結構需要あると思うんですけどね。
こんなコンピ出たら買ってしまいますね。



1、ムーンライト・ストーリー / プリンセス・プリンセス(LOVERS)
2、Dreamin' /BOØWY( BOØWY)
3、未来は僕等の手の中/ THE BLUE HEARTS (THE BLUE HEARTS )
4,うれしい!たのしい!大好き! /ドリカム(LOVE GOES ON・・・)
5,リフレインが叫んでる/ 松任谷由実(Delight Slight Light KISS)
6,LITTLE WING / リンドバーグ(LINDBERG III)
7,PROLOGUE (〜WORLD ANTHEM)/ X JAPAN(BLUE BLOOD)
8,PRETTY DOLL /COMPLEX(COMPLEX)
9,僕はこの瞳で嘘をつく /CHAGE&ASKA(TREE)
10,Wonderful Opportunity /B'z(IN THE LIFE)

 

倦怠期です

2010年04月20日 22:08

昨日、スマステーションの「懐かしの90年代洋楽 ベストヒット特集」をみていた。
洋楽にウトい私でも耳覚えのあるものばかりで、そんな数ある名曲の中で一位に選ばれたのが、

MC ハマーの 「U Can't Touch This」(1990年) だった。


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(スマステーション(テレビ朝日) 2010年4月17日放送分)

多くの視聴者は当時の流行とともに懐かしくバブルを思い出させていたんだとと思う。
しかしながら私の脳にはそれとは違う、なにかノイズのようなものがちらついてしかたなかった

なにか・・こう・・
  忘れかけている・・

北野井子(ビートたけし娘)のプロデュースがYOSHIKIであった事・・

河村隆一がプロデュースする際は、RKじゃなくてЯKとなる事・・

のようなインパクトがありながら一瞬で消滅したなにかが・・



それは圧倒的な存在感のサビのフレームを繰り返す事で思い返された


Can't Touch This(キャン・タッチ・ディス)

この早口なワンフレーズは日本人にはさまざまに聞こえたはずだ
通常の許されるソラミミ範囲は「ケンタッキーです」までだろう
そして「ケンタッキーです」で笑わせる事ができるのはせいぜい年齢ヒトケタまで。

所詮、そら耳が持つポテンシャルには限界があるのだ。
だが、そんな常識を覆した革命児を思い出したのだ!




MCコミヤ 倦怠期(ケンタイキ)です

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斬新すぎる・・

斬新すぎるよ・・・その言葉のチョイス・・


正直サビ以外のラップの部分の替え歌なんて1ミリも記憶に残っていないし、そこを聴くことに全く意味をなさない

曲冒頭の

ダーララー♪ ダラ♪ ダラ♪ 倦怠期(ケンタイキ)です!


この怒鳴りが全てなのだ
オリジナルを冷静にどう聴いても「ケンタイキ」とは聴こえないこじつけなのである。
しかしながら人間関係がお互いに飽きて嫌になる時期を指す「倦怠期」という
相当限られた状況下で使われるこの言葉と全くマッチしない曲調が
最高のオモシロさを奏でるのだ。


これはまるでウイグル獄長の必殺奥義
蒙古覇極道(もうこはきょくどう)にみる
言葉のまやかしと酷似

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荒々しいその奥義名に圧巻されていたが
大人になり冷静な目で読み返すと
ただのショルダータックルと気づく



そう、全くそら耳になっていないのに言葉のインパクトで全てをねじ込んでいる
その証拠にこのCDのカップリング曲はまさかの放り込み

「遣唐使(ケントウシ)です!」(笑)


「アラレ!あの人とプロレスごっこして来なさい!」級の
言葉と裏腹な大人の冷静な皮算用を感じてしまう

終盤にさしかかると「変声期です」と代わり、もはや大喜利ソングと成り果て
小宮氏の背後に相当腕のある作家の影がチラついてしょうがない。

現在の小宮氏は芸能活動から離れ宣教師(牧師)となっており、
「遣唐使です!」もあながち間違っていない。



その後、わずか数カ月で疾風のように人々の記憶から消え去った訳だが、
数十年経ち「TBS オールスター感謝祭」の問題にて
「バブル当時に一世風靡したこの曲を歌っているのはどちら?」というハマー or コミヤの映像二択問題で、
まさかの7人もがMCコミヤを選択するという奇跡が起きたのもこのインパクトのデカさゆえだろう。


それにしても曲再生わずか10秒でこれだけ爆笑をかっさらえるソングを私は未だ他に知らない



ガイナックス(株)のルーツはここにあり

2008年05月28日 23:02

ガイナックスというアニメ制作会社をご存じだろうか?

この会社を一躍有名にしたのは「機動戦士ガンダム」以来とも言える社会現象を巻き起こした
『新世紀エヴァンゲリオン』だろう。

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元の原作・キャラクターデザインから脱線した他のアニメ会社とも一線を画す個性の強い作品が多く、
コアなファン層を持つアニメ制作会社といえる。

設立当初は赤字続きで自主制作された作品は少なく、制作協力としての仕事が多かった。
それでも「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア (1989年)」でメカニカルデザインを担当したり、「AKIRA(1988年)」で動画協力したりと、
記憶に残る作品にしっかりとその爪痕を残してきている。

そんなガイナックスなる制作集団のルーツをさらに辿っていくと私は驚く場所に行きついてしまった・・・



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BOØWY マリオネット(MARIONETTE) PV (1987年) 

87年のガイナックスが立ち上げして間もない頃に制作されたのが、PVでもLIVE映像が主な彼において
異色ともいえるアニメで構成されたプロモーションビデオ BOØWY 『MARIONETTE』 なのです。

このPVの監督・演出を担当した北久保弘之氏は『AKIRA』 『攻殻機動隊』 『ジョジョの奇妙な冒険』などの作品に関わってきた人物であり、
メトロポリスで逃げ惑う氷室と思われる人物のその世界観にAKIRA、攻殻機動隊がどこかシンクロ出来てしまう。


ちなみにこの作品を知っている方はSINGLES OF BOØWY(ビデオ)で観た方がほとんどだと思うのですが、
このPVの前にMARIONETTEメイキングPVという世にも奇妙なPVが収録されていたのをご記憶だろうか?

大部分が本編のPVに使われている演奏シーン映像そのままで、ところどころにその収録の様子が差し込まれているだけという、
申し訳ないが非常にチープと言わざるを得ない作品だ。
黒猫を背景に布袋のコーラース部分の言葉の文字が無意味にPOPするという
曲のイメージブチ壊しのかなりの急務な突貫工事がみてとれる。

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MARIONETTE(Making PVより)


本編との決定的な違いはアニメパートが一切出てこない点である事に気づくと、
おのずとこの摩訶不思議なメイキングPVが世に出ることになったのか容易に想像できると思う。

1997年の劇場版エヴァンゲリオンでは制作が間に合わず、急遽2本立てになるという前代未聞の出来事があったが、
それと同じような事がこの87年の設立当初もあったということです。


時間が経っていろんなものが繋がっていた事を知るのは大人ならではの楽しみだと思います。

このマリオネットPVに自分の好きだったアニメの20年間のルーツを感じるとともに、
ガイナックスの良い意味でこだわる、悪い意味で期限にルーズの原点をみました(笑)

オチを先行公開する戦略

2008年03月31日 23:13

数多くの再結成ライブをマスコミが華麗にスルーしていくなか、X JAPANの連日の取り上げ方を見ているとやはりその影響度の違いを改めて実感した。
個人的にはhideのホログラムより、「てめーら 暴れん坊将軍でいくぞ おらぁ!」と第一声を発したヨシキのその前のよく聞き取れない小言を取り上げて欲しかった(笑)

そして、本日は解散コンサート&ドーム繋がりで・・

BOΦWYのLAST GIGS”COMPLETE(CD/DVD)の発売まであと数日となった訳ですが、
前作のLAST GIGSはライブ音源としては異例の売り上げとなり多くの人が観た訳で、重要なのはその差分だと思います。

LAST GIGS COMPLETE [DVD]LAST GIGS COMPLETE [DVD]

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色付きが今回新たに収録されたものである


1. B・BLUE
2. ハイウェイに乗る前に(新収録)
3. BABY ACTION(新収録)
4. BAD FEELING(新収録)
5. 1994-LABEL OF COMPLEX-(新収録)

6. DRAMTIC?DRASTIC!
7. MARIONETTE
8. わがままジュリエット
9. LONGER THAN FOREVER
10. CLOUDY HEART
11. WORKING MAN
12. PLASTIC BOMB(新収録)
13. JUNSY(新収録)

14. IMAGE DOWN
15. BEAT SWEET
16. NO! NEW YORK
17. ONLY YOU
18. DREMIN'

〈ENCORE〉
19. ON MY BEAT(新収録)
20. BLUE VACATION(新収録)
21. RENDEZ-VOUS(新収録)


〈ENCORE2〉
22. ホンキー・トンキー・クレイジー(新収録)
23. NO! NEW YORK(新収録)


「そして明らかになる 本当のラストシーン・・」

の宣伝キャッチコピーでわかるように、一番の見どころは本当の最後のナンバーとなった23曲目のNO! NEW YORKである事は間違いない。
本当のラストシーンは解散後20年間も公にされてこなかったのだ。
ちょと調べているとこの最大の見どころを発売当日までYahoo!動画で一般公開している事がわかって我が目を疑った。

Yahoo!動画 BOΦWY 「NO.NEW YORK」(from LAST GIGS) (~4/4まで
http://streaming.yahoo.co.jp/p/t/00067/v02273/

見る限りどうやら高橋まこと氏は最後に失神はしなかったみたいだ・・・


BOOWYは最後の曲をどう歌って、どの様に去って行ったのか。一番の関心時を事前に見れてしまうのだ。
普通に考えれば購入を迷うもこれを見て満足してしまう人も結構いるんじゃないかと思う。
こんな山場を先行公開してしまう旨みは一体なんだろうか?何度か観ているとある事に気づいた。

まずこの未公開映像はもちろん世間的には初出なのだが、残念ながらかなり昔に出回った粗悪なVHS海賊版には収録されていたのだ。
その海賊版映像が頭に残っていたせいか、今回の完全版とはかなりカメラアングルが変わっていることに気づいた。海賊版では氷室の最後のジャンプは見切れていたし、エアギターもどぎのしぐさも違うメンバーにアングルがよっていてそんな行動も知らなかった。逆に高橋まことのスティック投げ失敗は無かった事のように見事に差し替えられていた。

LAST GIGSが音源化される時に主要曲のみとした理由が、演奏のミスが結構ありLIVE中は最後のお祭りとして良いが、その音源で商品化する事にメンバーが難色を示して封印したという話を聞いた覚えがあります。
にも関わらず今回、完全版としてDVD化されるのは10年以上前の粗悪な海賊版がかなり流通した事に加え、それを元にした映像がネットで出回ってしまっている現状への歯止めもあったかと思います。

そんなこともあり、映画でいうなら最後のオチの部分を期間限定ながら誰でも見れるようにしたのには、結局解散から20年も経過したバンドの映像に金を注ぐのは誰かというリサーチから出たものじゃないかと考えます。
一見、我々からすれば損をしてそうなキャンペーン活動も、購入層を巧みに分析して天秤にかけた結果なのでしょう!


<4/5 追記>
布袋さんがブログを始めたそうです。そこでこの LAST GIGS完全版のいろんな想いが書かれてました。
私がいろいろ書くより、このDVDの本当の価値を教えてくれると思います。

HOTEI official BLOG : 布袋寅泰 公式ブログ ーLAST GIGS完全版
http://hotei.com/blog/2008/04/last-gigs.html

バンド名の由来は諸説ありと言われろ!

2008年03月11日 22:18

現在バンド活動をがんばっている若人に、今後売れていく為のある裏アドバイスをしたい。

バンド名の由来は力の限りごまかせ!


以下、私の小言を聞いて欲しい

・質問されたらなんだたっけぇ?顔しながら他のメンバーにふって、なんかみんなでふわふわしてろ
・それでも追及されたら3年周期で違う事を答えろ
・正直ものは米米時代のカールスモーキー石井のいい加減トークを学べ
・ラジオは絶好の風説の流布ポイントだと知れ
・それが元でファン掲示板で長期論争になれ
・「どれが本当なんですか?」とつっこむルポライターには、メンバーの解釈が違った事にしろ
・「バンド名の由来は諸説あって・・」とWikipediaに書かれる事をゴールと思え


そう・・
そうすればファンは自分に都合の良い説を由来として記憶してくれるもののだから・・・
これがビートルズの時代から培われてきた先人たち知恵なのである(笑)

人気バンド解散後のリリースに終わりはあるのか?

2008年03月10日 22:42

CD不況と言われずいぶん経ちますが、近年レコード会社の節操のなさは驚くばかりです。
今回、BOØWY(東芝EMI)の解散後のリリースを時代背景と共に追ってみたいと思います。



1988年 4月4日  東京ドームにてBOOWYは解散
      5月3日  『LAST GIGS』 (album)発売
     12月24日  『SINGLES』 (BEST album)発売


全ては1988年の解散から始まる。解散1ヶ月後にLAST GIGのライブアルバム、その年末に初のベストアルバムリリース。
ここまでは至極当然のリリースの流れと言えよう。


1989年 ORCHESTRATION BOØWY 発売 (オーケストラによるインストゥルメンタルアルバム)

1990年 なし

1991年 SINGLES OF BOØWY(VHS) 発売

1991年 BOØWY COMPLETE  LIMITED EDITION (CD 10枚組)発売
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ここが最初の節目になる。COMPLETEと銘打った通り、全てのアルバムとシングル曲・カップリング曲、そして未発表曲が収録されている全10枚組の限定セットで、価格が2万円もしながらオリコン2位となる異例の快挙を達成した。

集大成とも呼べるリリースで、この年を最後にしばらくBOOWYに関する発売は途絶えるのである。
ちょうどBOOWY再熱が世間的にピークに達したのも90年代前半のこの時期ではないかと思う。彼らの音源、映像に関する需要は高まる一方で、解散しているわけで供給はゼロ。飢餓が起こるわけである。このコンプリート版は中古CD屋で10万円(定価2万)で売られていたのを目撃している。
海賊版も多く出回ったのもこの頃で、音楽雑誌の読者コーナーでは隠し撮り、流出映像が出回り高価な値段で売買されていた。私自身も男同士で文通という苦痛を耐え忍んで購入までこぎつけるも、振り込んだ途端手紙が途絶え、3ヶ月後に「震災して家が無くなりました。ごめんなさい」という2行のみの便せんが、兵庫から送られてきた事がある(笑)

後にBOØWY COMPLETEは再発売を望む多数の声に応え1993年に『BOØWY COMPLETE REQUIRED EDITION』で再販され、さらに2002年にデジタル・リマスタリングされた『BOØWY COMPLETE 21st CENTURY 20th ANNIVERSARY EDITION』が発売され、このプレミアム価値は一気に薄れていったのだ。

1992年 なし
1993年 なし
1994年 なし
1995年 なし
1996年 なし
1997年 なし

1998年 THIS BOØWY (ベスト・アルバム) 発売
解散から10周年と題し、異例のプロモーション展開がなされ、このアルバムはかなり売れる事になった。
9年後にこのアルバムの拡大版が2枚組で発売される事となるとは、当時誰も知る由もないのだ・・

1999年 なし
2000年 なし

2001年 “GIGS”CASE OF BOØWY (ライブ・アルバム) 発売
      "LAST GIGS"(ライブ・ビデオ) 発売
      1224(ライブ・ビデオ)    発売

この年に結成20周年とし、今度は起算日を解散から結成としDVDプレイヤーが一般普及したこの時期に、かなり大がかりな宣伝を行いまとめて発売された。特に”1224”はファンの待ち望んでいた映像作品とし(注1) 、待望の一品であった。このリリースにあたって関係者、及び高橋を筆頭にメンバーもメディアに数多く出演し、沈黙を守り続けてきたメンバーから当時の秘話も聞かれる事となった。
私がはっきりと記憶している事は、「BOOWYに関する事でメディアに出るのはこれが最後。出せるものはこれで全部でしょう」と今後のリリースはないという趣旨の発言を布袋がしていた。そしてこのリリースはメンバー全員が集まって世に出すものと出さないものを4人で話し合い、今回が最後という事で合意したというものであった。 が・・・


2002年 MORAL-TRANCE MIX リミックス・アルバム 発売
     INSTANT LOVE HAMMER TRANCEリミックス・アルバム 発売

2003年 なし

2004年 GIGS at BUDOKAN BEAT EMOTION ROCK'N ROLL CIRCUS TOUR 1986. (DVD/アルバム) 発売

2005年 なし
2006年 なし

2007年 BOØWY解散20周年記念のプロジェクト

      THIS BOØWY DRASTIC (ベスト・アルバム) 発売
      THIS BOØWY DRAMATIC (ベスト・アルバム) 発売
      “GIGS”CASE OF BOØWY COMPLETE ライブ・アルバム 発売
      “GIGS”BOX”DVD      BOØWYの8枚組DVDボックス 発売

B000XT6868“GIGS”BOX
BOФWY
TOSHIBA-EMI LIMITED(TO)(D) 2007-12-24

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私はデジャブに襲われた。なんでまた20周年がやってくるのだと・・。

BOØWY解散20周年記念のプロジェクトと題し、今度は解散を起算日とし記憶にも新しい昨年に怒涛のリリースが相次いだ。2001年の約束は見事に破られた。だが、コレクターの悲しいサガである。既存の所有物との差分を確かめ、足りないものは購入してしまうのだ。特にDVD8枚組は未公開映像の塊で3万円の価値はあったのだろうが、一度流し見をしただけで、それ以後観ていない。なかなか20年間熱を保ち続けるのも難しい。

BOØWYのマネージャーであり、このDVD8枚組の仕掛け人でもある土屋浩氏は

「BOØWYの(ライブ映像の)場合はたとえば僕達でお金を出し合って買ったビデオ・カメラで撮ったものとか、そういった類のものしか残っていないんです。それはあくまで“データ”であって、“作品”ではないんですよ。作品のクォリティとして考えた時に、1枚のDVDの中でその“データ”を1時間半見せるわけにはいかない。古くからのファンは「あの時のライヴの全部が見たい」と思うかもしれないけど、現実的にテープが劣化していたり、作品としてのクォリティに達していなかったり、メンバー自身が「No」と言う場合も当たり前に多い」と話している。



実質の出し尽くし宣言と私はとった。2001年にメンバーの終了宣言。2007年にプロデューサーからの終了宣言がなされたのだ。正直、リミックス版やら、デジタルリマスター版、ファンベストなら今後もいくら出してくれてもかまわない。ただ、未公開映像発掘という悪魔のささやきだけ勘弁してもらいたいのだ。そんな淡い期待もすぐに破られる事となった。


2008年4月5日 “LAST GIGS”の完全版『“LAST GIGS”COMPLETE』 アンコール部分を含む全11曲の未発表楽曲が追加収録!

B0013BECBSLAST GIGS COMPLETE [DVD]
TOSHIBA-EMI LIMITED(TO)(D) 2008-04-05

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この無い無いと言い続けながらも、新たに見つけ出す東芝EMIさんのその技量は ぜひ社会保険庁にでも行って活かしてほしいものである。昨年のDVD8枚組の中には入れずに、結成やら解散何周年のゴロにもかけず、この3月という時期にこんな隠し玉を発表するあたり、決算期アルバム(注2)の匂いがしてなりません。しかし、このDVDは間違いなくまた売れるし、私もそれに貢献してしまうのです。

さて、東芝EMIさんは何度COMPLETE の名のついたCD/DVDを発売するのですか?

解散から20年追いましたが、いつになったら本当のコンプリートは達成できるのでしょうか?



だが、業界を見渡すとBOOWYなんてまだ節操がある方かもしれない。尾崎の未公開音源発見は過去何度耳にしたかわからないし、TM NETWORKに関してはなにがオリジナルかも判別できないほど乱立しています(笑)その中でも今後一番脅威なのがZARDで、坂井泉水さんが亡くなってまだ1年も経たぬのに、既に

・2枚の未発表シングル
・スタッフによる選曲ベスト Brezza di mare 〜dedicated to IZUMI SAKAI〜
・坂井泉水がお気に入りとして上げていた作品を基に収録 Soffio di vento 〜Best of IZUMI SAKAI Selection〜
・ファン投票を基に収録 ZARD Request Best 〜beautiful memory〜

が発売されています。シングルを44枚、オリジナルアルバム11枚、ベストアルバム6枚も発売しているZARDを、今度はどんな切り口で哀悼との名で切り込んでくるのか、戦々恐々となるばかりです。


(注1) BOØWYが解散宣言した夜
(注2) ベストアルバムに巣食う利権