他にもこれ観ながら2024年がゆく
2024年12月31日
「太陽と桃の歌」
スペインのカタルーニャで桃農園を営んでいるソレ家。
今年も収穫の季節がやって来た。
しかし地主から夏の終わりには土地を明け渡すように通達される。
桃の木を伐採してソーラーパネル事業に切り替えるためである。
親父は大激怒。
妻と妹夫婦は楽して稼げるんならアリでしょと乗り気になる。
聞く耳を持たない親父は頑なになり、いつもと変わらぬ日常を送っている風を装う。
ジイジは土地を買うためにギャンブルに挑む。
親父に認められたい息子は農園の片隅で大麻を栽培して資金を作ろうとする。
家の中がギスギスしていることに心を痛める長女。
いずれ訪れる、どうしようもない現実のときに向けて家族の者たちそれぞれの自己主張が頭をもたげだす。
突然泣きむせぶ親父。 キレる母親。 ふてくされる娘。 オラつく息子。
静かな崩壊を見せる家族だが、遂に訪れた“その時”に、全員が揃って農園が消えゆく様をジッと見守ってるラストが切ない。
スペインは再生可能エネルギーに特に力を入れてる国で、本作のように農園を追われた家族も少なくない。
太陽光発電。 それ自体はけっこうなことだ。
だが、その陰で何世代も続いていた農業一家の人生が蹂躙されてゆく。 こんなケースがスペイン中に散らばってるのだろう。
そのワンケースを私たちは見届ける。
どこにでもある家族のリアルな姿を優しいタッチで描きながらもハードな案件がのしかかってくる、観る前の想像とは違った意外な問題作。
「クラブゼロ」
「ルルドの泉で」や「リトル・ジョー」など、一風変わった物語の映画を撮るジェシカ・ハウスナー監督のファスティングスリラー。
とある名門校に赴任してきた栄養学の教師ノヴァク(ミア・ワシコウスカ)。
彼女が教えるのは「食べないこと」。
食事摂取を抑えれば人は心身共に健康になれるという「意識的な食事」を生徒たちに推奨なさっております。
ほほぉ、それは興味深いですな。
ちょっとお話をお伺いしましょう。
「意識的な食事」というのは具体的にはどのようなもので?
「目の前の食事から食べれば何が得られるのかをイメージして実際には食べないで済ませるというものです」
早い話が断食ですね?
「ただ食べなければいいというものではありません。 大事なのは食物と意識を一体化させ、食べれば何を犠牲にしてるか、食べないことで何を得ているのかを学ぶ姿勢です。 自身の健康はもちろん社会的意義にも重要なことなのです」
社会的にも?
「食肉の牛や豚を育てる畜産業というのは毎年CO2換算で71億トンもの温室効果ガスを排出しているという現実をご存じですか? この数値は世界の排出量の14%を占めており、さらに言えば食品が消費者に届くまで、それらを運ぶ運輸などの排気ガス、プラスチック素材の包装やレジ袋の生産、コンロや電子レンジの使用、ゴミ処理などの要素も含めれば、人が物を食べるという行為だけで相当な量のCO2が生まれるのです。 食べないということで地球の環境保護にもつながりますし、個々がその意識を高めることも重要なのです」
健康的な懸念もありますが?
「人間の体は食べ物を与えないとそれはそれで細胞が自ら強くなるという性質を持っているのです。 体の老廃物が廃棄され新しい免疫細胞が作られ、病気になりにくくなるのです。 体が弱るのではという心配は無用。 むしろその逆。 体が強くなるのです。 食べなければ死ぬという考えは大間違いです」
いや、死ぬでしょう。
「誰にでもお勧めはできません。 お年寄には無理です。 歳を取れば取るほどハードルは上がるので、最適なのはうちの生徒のような年代です。 人間力を養っていく上でも若い人には「意識的な食事」を実戦してほしいですね」
親御さんが黙っちゃいないでしょう。
「ここの学校の生徒たちは裕福な家庭の子ばかりです。 成功した親の姿を見てきた彼らは何でも親の言いなりになろうとする傾向があります。 実に怖いことです。 自分の本当の可能性を知らない子が多くなっているのです。 親や社会の期待に応えようとして自分自身を見失うことは悲劇と言うほかありません」
生徒全員があなたの考えについては来ないでしょう?
「もちろん相容れない人の方が多数です。 視野の狭い人は自分の理解できるものしか受け入れない。 そういう人が世界を滅ぼすのです。 その時に数少ない生存者になっているのが「意識的な食事」を極めた“クラブゼロ”の者たちなのです」
クラブゼロ?
「詳しく話せないことをご理解下さい。 信念を持って食べない生き方を心から受け入れてくれる方ならどなたでも入会できる集まりです。 クラブゼロの人間は「より良き世界のより良き場所」へと行けるのです」
ヤバい匂いがしてきたな。
これはカルトだ。 洗脳だ。 生徒の皆さん、だまされちゃいけないよー!
「先生のおかげで僕たちは生まれ変わることができました。 今では五感の神経が研ぎ澄まされ、それまでの自分と明らかに違う自分がいて、人間としての一つの高みに到達できたような幸福感に浸っています。 地球の環境保護の助けを担い、人間的にも成長することができました。 ノヴァク先生には感謝しかありません」
ハァ? ハァ?ですわ。 ハァ?しかねえですわ。
まあ、勝手にすりゃええわいと思いながらこの映画を観てますと、カルトに洗脳される仕組みとその怖さももちろん描かれてるのですが、あながちそれだけではなく、生徒たちの両親たちも少なからずワケありでして、“教師”という存在に依存しないと、どう子供を教育していいのか、その道を見失う親たちの姿も描写されています。
自分で呼んどいた教師を追放し、またその人を頼るバカみたいなドタバタには笑うしかありません。
全員が机を並べて、自分たちはどうして何もできなかったのか、どうするべきだったのかという答えに行き詰まり、思考停止したようにフリーズするエンディングは、信念を持った一人の教師に、信念のなかった保護者が敗北した瞬間でもあります。
ノヴァク先生の言うことにも一理はあるのでしょうが、その一方で学食をゴミ箱にポイポイ捨てるというフードロスなど知ったこっちゃない本末転倒なシーンもあって、食というものにどれだけ多くの問題が生まれてるのかと考えさせられる部分もあります。
吐瀉物を食べる女。 ワンちゃんまでペロペロ。
ワンちゃんにとってケーキというのは吐瀉物だったら大丈夫なんでしょうか?
糖尿病を患っているという男子が「インスリンなんかもう要らない体になったよ」と言いながら、生死の境をさまようくだりなどはもはやコント。
♬ トトトン ペンッ トトトン ペンッ ♬
♪ ハウーン ハウーン ハウーン ♪
シュールで不穏な音楽が彩り、観る者の神経を逆なでするシーンがこれでもかとばかりに叩きつけてくる、「心の闇映画」の中では挑戦的野心に溢れた作品。
監督にはこの路線をどんどん極めていってほしいです。
「クレイヴン・ザ・ハンター」
スパイダーマンの宿敵であるクレイヴン・ザ・ハンターを主人公にした「ソニーズ・スパイダーマン・ユニバース」の第4弾というか最終作。
超人的にもほどがある身体能力を駆使して、この世の悪党を狩りまくるダークヒーローの物語ですが、スパイダーマンは出てこないというか、そこに至るまでの話。
彼が何故その能力を身につけたのかが明かされると共に、毒父との確執や、嫉妬に駆られる弟との複雑な関係を掘り下げた親兄弟の愛憎劇になっています。
「キック・アス」の頃のモヤシにいちゃんの面影など影も形もなく、「筋肉を見せたい、見せたくない、どーっちなんだい!」と言わんばかりのゴリゴリのマッチョ俳優が今やすっかり板についたアーロン・テイラー=ジョンソン。
彼の主演作の中では過去イチ特色を活かせてたと言ってもいい映画ではないでしょうか。
アメリカではゲェ出るほど酷評されてますが、そうかなあ? アッシは全然面白かったですけどね。
ソニーのCEOトニー・ヴィンシクエラがマスコミに対して恨み節を吐いてますが、まあ言いたいことは分かりますよ。
このことについて書くと別の話が長くなるので辞めときますけども。
人の意見は人の意見。 自分は自分。
「スピーク・ノー・イーブル 異常な家族」
2022年のデンマーク映画で、日本では今年公開されて強烈なトラウマを残した不穏系スリラー「胸騒ぎ」。
これをブラムハウスがリメイクしたハリウッド版。
日本に限ったことかどうかは分りませんが、オリジナル作品とリメイク作品が同年に鑑賞できるというのはこれまた珍しい経験。
「Speak No Evil」とは、ことわざの「見ざる聞かざる言わざる」の“言わざる”を指すフレーズで「悪口は言わない」という意味。
TPOなんて知らねえよみたいな、場と空気も人への気遣いさえも眼中にないイカレ夫婦の夫にジェームズ・マカヴォイ、妻にはアシュリン・フランクオーシが扮し、旅行先で知り合ったある夫妻とその娘を自宅に招いて地獄のおもてなしを施す恐怖の物語は概ねオリジナルと同じ筋を辿るのですが、ラストは大きく改変されています。
「胸騒ぎ」の監督クリスチャン・タフドロップが本作の制作総指揮を担当しており、ジェイソン・ブラムとどう話を詰めたかは分りませんが、DVDによくある“別バージョンのエンディング”みたいなのを撮りたかったんでしょうかね?
「胸騒ぎ」は恐ろしいほどに鬱々とした救いがたい形で映画が終わりますが、此度のリメイク品は良くも悪くもハリウッドタイプで、やれやれ良かったねという終わり方。
クライマックスは脱出アクションへスイッチし、「こんなお呼ばれは嫌だ」に巻き込まれた家族と舌なし坊やは難を逃れるわけですが、これは好みの問題でしょうかね。
アッシは断然「胸騒ぎ」の方が好きですね。 ハッピーエンドがお好きな方にはこちらでしょう。
娘がなぜウサギのぬいぐるみに固執するのかの理由付けが成されている点がナイスな補完ですね。
オリジナルは、人のことを悪く言いたくないし、自分たちも人から「良い人間」と思われたい夫婦に対して、人からどう思われようが知ったこっちゃないデリカシー皆無の夫婦がジワジワと欺瞞を剥がしながらリベラル夫婦を地獄に叩き込むその構図がまた巧みでしたが、リメイクはそこが弱い。
ジェームズ・マカヴォイがちょっとだけ「おまえらみたいな種類の人間が一番嫌いなんだ」みたいなことを言ってましたっけね。
それそれ。 それをもっと時間をかけて多く喋ればこのホラーも深くなるんだけどなと思いましたけどね。
「はたらく細胞」
原作漫画やアニメは知らないのですが、これはなかなか勉強になるいい話ですねえ。
是非ともご家族揃って・・・と言いたいところですが、白血球さん(佐藤健)がやたらに「ぶっ殺す!」を連呼なさるので、ちょっとここら辺はお子様の鑑賞の際はお気をつけ下さい。
少々天然が入っている赤血球さん(永野芽郁)がかわいいですね。
予想外にほぼ全編がアクションと言っていいほどバトルとチェイスがてんこ盛り。 死ぬキャラも後を絶ちません。
つまりそれだけ体の中というのは侵入してくる雑菌・細菌を細胞たちが阻止撃退しようと働き回っている戦場の状態であると言うこと。
「赤色骨髄」がお城みたいになっていて、まるでディズニーランドっぽい日胡ちゃん(芦田愛菜)の体内に対し、不摂生ばかりしてる親父(阿部サダヲ)の体内が寂れた飲み屋街みたいになっているなど、ユニークな直喩表現に溢れてて楽しい世界は、欲を言えばもう少しじっくりと見たいキャラも多かったですがね。
深キョンの出番が少なすぎるどぉぉぉ!
造血幹細胞が変異した白血病細胞(Fukase)との壮絶な死闘。
本当にたくさんの細胞たちが頑張るのですが、思えば最も重要な役割を果たす“はたらく細胞”だったのはお父さんとカレシの武田くんの二人だったのではないでしょうか。
ガラスの向こうの精一杯の励ましは何よりも効果絶大なキラー細胞になったはずです。
彼らの想いがあったから手術も成功したと言っても過言ではないでしょう。
その分、白血病がなんだかアッサリと治っちゃいましたねみたいに見えてしまいますが、尺の関係上しょうがないでしょう。
「バグダッド・カフェ 4Kレストア版」
日本では1989年に公開され、未だカルト的な人気を誇る名作「バグダッド・カフェ」が2009年以来のリバイバル。
劇場は満杯でした。 やっぱ凄い人気ですねえ。
たいした事件が起きる映画ではありません。 実に淡々としてカラッとした語り口で砂漠に立つ一軒のカフェ兼モーテル兼ガソリンスタンドで二人の女性が友情を育む素朴な物語です。
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カリフォルニアのモハーヴェ砂漠を通るルート66にあるバグダッド・カフェの女主人ブレンダ(CCH・パウンダー)はいつも機嫌が悪い。
コーヒーマシンがつぶれてる。 「コーヒー出せないカフェがどこにあんのさ!」
新しいマシンを注文してるが夫のサルが取りに行ったはずが忘れて、代わりに黄色い魔法瓶を持って帰ってきた。
「その頭は飾りかい! 魔法瓶? 拾った? 戻してこい!」
息子のサロモがピアノを弾く。
「ミシンの音みたいなピアノを弾くのをやめな!」
娘のフェリスに「いつまで寝てんだ、学校に遅れるよ!」
ハンモックで寝てる店員のカヘンガに「ちょっとは手伝いな、役立たず!」
こんなんだから夫のサルは嫌気が差してしまい、遂に出て行ってしまう。
「涙を流すと思ったら大間違いだよ!」と言いつつ、カフェの玄関先の壁にもたれてハラハラと泣いていると、スーツケースをゴロゴロ転がしてこっちに歩いてくる女が一人。
ドイツ人だった。 ジャスミン・ムンシュテットナー(マリアンネ・ゼーゲブレヒト)と名乗るちょっとぽっちゃりな女性はモーテルの部屋を借りたいというのでブレンダは、砂漠の道を汗だくになって一人で歩いてきた女をいぶかしく思いながらも部屋を貸した。
・・・・・・・
ジャスミンは夫と共に車に乗ってラスベガスを目指していたが途中でケンカになり、車を自ら降りて一人でこのカフェに辿り着いたのだった。
スーツケースを開けたら、それは中身は夫の物だった。 ため息しか出ない。
しばらくモーテルで過ごすことにしたジャスミンは徐々にカフェの人たちと打ち解け、カフェのそばのトレーラーハウスに住む絵描きの老人ルディとも仲が良くなった。
しかし、ブレンダは「あの女、フツーじゃない」とジャスミンを疑い、こっそり入った部屋に男物があることからますます彼女を怪しみ、保安官まで呼ぶ始末だった。
だがジャスミンはそんなブレンダとも次第に距離を縮めて少しずつ友情を育んでいく。
夫の荷物の中に入っていたマジックのセットで練習したジャスミンは腕を上げ、カフェに来る客にマジックを披露するとそれが大いに受けて、少し前まで寂れていたカフェは大繁盛するまでになる。
今やブレンダとジャスミンは固い絆で結ばれていたが、密かにジャスミンを調べていた保安官からビザの期限切れと労働許可証の不所持を問われ、ジャスミンは店を去らなければならなくなる。
しばらく経ったある日。
フラッと現れたジャスミンと再会するブレンダ。
またあの頃が戻ってくると互いに二人は喜び合う。
ルディがジャスミンの部屋を訪ねる。
「面倒を避ける道がある」
プロポーズだった。
はにかみながらジャスミンは答えた。 「ブレンダに相談するわ」
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省略しても良かったのですが、ふいに粗筋をザッと書きたくなりまして、もちろん映画を思い出しながら書くものですから物凄く良い気分になってきます。
いや、ホントに良い映画です、これ。
なんなんでしょうね。 不思議な魅力です。
砂漠に咲いた花一輪のような黄色い給水塔。
コーヒーもビールもない乾ききったカフェにも黄色い魔法瓶という花一輪が咲く。
魔法瓶と共にやってきた異国の女性が友情の花を咲かせ、砂漠の向こうできらめくラスベガスにも負けないほどのショーの世界へと昇華していく一軒のカフェ。
だが何よりも美しい友情とささやかな愛。
月並みだけど、人間っていいよね。
赤焼けの夕陽に染まった砂漠に響くジェヴェッタ・スティールの「コーリング・ユー」がゲキ的にシブい。
「ライオン・キング:ムファサ」
2019年に「超実写版」と銘打って公開されたフルCGミュージカルアニメ「ライオン・キング」の続編かつ前日譚。
シンバの父ムファサがプライドランドの王となるまでを描くと共に、のちにムファサを死に追いやるスカーとの知られざる因縁が明かされます。
他にもある数々の起源や理由が次々と明らかになる、「そうだったのか」みたいな面白さに満ちあふれてる作品です。
シンバの娘キアラがプンヴァやティモンと一緒にかつての王だったムファサの物語をラフィキから聞かされる回想形式で話は始まります。
ここでDVDオンリーの作品である「ライオン・キング2 シンバズ・プライド」(99)を観ていない当方は「え?」となります。
シンバの子ってフラッフィーっていう男の子だったのでは?
まあ事情は知りませんが、キアラに変更されています。 まあ気にはしませんが。
水害によって両親と離れ離れになってしまったムファサを助けたのが、ある部族の王の息子タカでした。 彼こそがのちのスカー。
類い希なるスピードと勇気ある行動が認められて部族に受け入れられたムファサはタカと義兄弟となって友情を育みます。
義兄弟? 実の弟だったのでは? 「ライオン・キング」でのムファサがシンバにあえてややこしい事情を話さなかったということですかね? まっ、いいでしょう。 スルーさせていただきます。
本当の兄弟のように仲が良かったムファサとタカがどうして関係に亀裂が入ってしまうのか・・・
そんな悪い子でもなさそうなタカがなんであんなやさぐれたスカーになってしまうのか・・・
女。 女ですわ。
男二人に女一人が加わればドラマの始まりですわ。
サラビという、のちのムファサの妻となる牝ライオンが中盤から登場し、そこから生まれた三角関係からやるせない愛憎劇へと発展します。
ムファサがいいとこばっかり見せて、将来の王であるタカはプライドがグラッとなってきているタイミングだったのもありますね。
ムファサはタカに命を救われた恩義もあって、サラビの危機を自分が救っても「タカが助けた」みたいに遠慮するのです。
おいおいムファサ、それは良くないぞ。 まちがってるぞ。 タカにとっても良くないことだぞ。
そしてタカは「ありがとう」。 いや、ありがとうじゃなくてよ。
そもそもタカの父王であるオバシは「相手をダマすことも偉大な王には重要だ」と息子に教えるような親だから、そりゃ息子もひねた子になるわ。
結局恋に敗れたタカは「命を助けられた恩を忘れて俺を裏切りやがった」とムファサに理不尽な憎しみを抱くようになってしまいます。
ホワイトライオンの一団に追われながら、永遠の地「ミレーレ」を目指すムファサ、タカ、サラビ、そして一向に途中から加わったマンドリルのラフィキ。
やがて辿り着いたミレーレ。 これって・・・ そう。 この地こそがプライドランド。
そしてホワイトライオンたちとの決戦を経て大団円を迎えます。
☆ 斜め上に突き出た舞台のようなプライドロックはどうやってできたか? これ感動もの。
☆ 最初の登場時には杖を持っていないラフィキ。 ではあの杖はどうやって?
☆ タカはなぜスカー(傷)と名乗るのか。 片目の傷はどうやってついたのか? 憎しみの中にほんのわずか残っていた情ゆえの傷。 それを忘れまいとする気持ちがやるせない。
「ライオン・キング」の重要な要素でもある「崖」。
ここでも、ムファサとタカの運命を暗示するかのように、何度か「落ちそうなムファサ」と「その上にいるタカ」が描写されます。 ここも哀しい。
色んなことがポンポンと明らかになる前日譚としての魅力もさることながら、なんといっても映像の美しさはえげつないレベル。
その角度から表現するのかと唸らされるカメラワークも抜群。
観て損はございません。
さて、今回の記事が今年の最後です。
今年もお世話になりました。 来年もよろしくお願いいたします。
良いお年をお迎え下さい。
インフルエンザが流行ってますので注意して下さいね。
今年は元旦から大変な年でしたが、来年こそはみんなが笑顔で過ごせて、いい映画を一杯観れる年になるといいですね。