I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ + ローレンス君は他にもこれを観た
2025年01月22日
実はこれが2024年の最後に観た映画。
レンタルDVDが全盛だった2003年のカナダを舞台に、我が強すぎて人とうまく付き合えない映画好きの高校生の成長を描く青春ドラマ。
主人公の名はローレンス・クウェラー。 アルダーショット高校3年生。
片田舎のバーリントンで母親と二人暮らし。
・・・・・・・・・・
僕は映画が大好き。
すでにタイトルで言っちゃってるけどね。
映画を観ること。 これが僕の生きがい。
映画を観なきゃ生きられません。
近所のレンタルDVDショップ「シークエルズ」は僕の聖地。
ここでDVDをよく借りるけど、未だ「ワイルドシングス」を延滞中。
将来は映画監督になるんだ。
そのためにアメリカの大学に進学したい。 カナダの大学なんかで妥協する気なんかないよ。
「カナダの監督」と言われたくないんだよなあ。
そりゃあね。 カナダ人であることは動かしがたいから、そこはしょうがない。
ジェームズ・キャメロンもカナダの人だけど、彼はアメリカの学校を出た。 確かカリフォルニアの大学だっけ。
つまり僕もそういうステップを踏むんだ。
目指すはニューヨーク大学。 ここを出た映画監督と言えばマーティン・スコセッシ、オリバー・ストーン、ウディ・アレン、M・ナイト・シャマラン、スパイク・リーとかがいる。
偉大な先輩を輩出したニューヨーク大学で映画制作をトッド・ソロンズから学び、僕もその偉大な道への一歩を踏み出すのさ。
もう自主制作映画も撮っちゃったりなんかしてね。
まっ、卒業制作の“想い出ビデオ”なんだけどね。 クラスメイトのマットと一緒に撮った力作なんだけど、先生が「メディアの偏見」というテーマに即してないじゃないかとダメ出しする。
「メディアの偏見」なんかキョーミありましぇ~ん。
マットは唯一の友人。 唯一の。
土曜の夜は「はみ出しものの夜」と称して僕んちでマットと一緒に「サタデー・ナイト・ライブ」を観る。
彼はいいヤツさ。 でも正規の友人じゃない。 (仮)だ。
変な言い方だけど、もうすぐしたら僕はアメリカに行くんだから、いつまでもそうベタベタと付き合ってられる仲じゃないからね。
彼にもそう言った。 「君は(仮)だ」と。
ニューヨークに行きたいかぁーっ! 行きたいともぉーっ!
しかしママはそんな大学に行かせるカネなんかないとしょっぺえことを言う。 地元の大学で手を打てと。
やなこってすわ。
カネは自分で稼ぎます。
バイト先は「シークエルズ」と決めてた。
ここで働けば従業員特典として10枚のDVDが無料で借りれる。 やったね。
店長さんはアラナという女性。
他にブレンダン、シャノンという従業員も居る。
3人ともここの従業員のまま人生を終えるつもりだろうかと人ごとながら心配になった。・・・というようなことを当人たちの前で口にしそうになった。
危ない危ない。 思ったことをすぐ口に出す。 僕のダメなところだ。 それは自覚してる。
しかし悪くない職場だ。 四方を映画で囲まれてるし。
アラナから「シュレック」のワイドスクリーン版を3枚売るようにとノルマを課せられた。 ムリだね。
売れるワケないっしょ。 だいたい「シュレック」は好きじゃない。 あれは本物の映画じゃない。
『シュレックのことは私に聞いてください』というタスキをかけることも言われたが断固拒否・・・したのにやらされた。
では、こちらからも提案。
「スタッフのオススメのコーナー」みたいな棚を作ってちょ。
アラナは渋ってたけど、やってみればこれが大好評。
アラナは僕のことをちょっと見直した。
彼女は元々は女優になりたかったらしい。 クラスメイトが自殺して大学を中退したところから歯車が狂ったらしい。
僕のパパもだ。 4年前にね。
僕は違う。 好きなことで勝者になる。 こんな田舎の町でくすぶる気はないよ。
アラナは映画が好きだし、ここの仕事も好きだと言う。 ホント? こんな仕事が?
マットがローレン・Pという女子を連れてきた。 卒業ビデオを手伝ってくれるとか?
余計なお世話です。 機材を持ってる? お金持ちでけっこうですな。
でも女の手なんか必要ねえっすわ。 マット、おまえも色気づいてんじゃねえっすわ。 キモいぞ。
それ以来、マットとはちょっと疎遠になった。
しばらくやってない「はみ出しものの夜」をまたやろうぜと誘ったがアイツは来なかった。
なんなんだろうか。
モヤモヤした不安感が少しずつ膨らんでいく。
人は変わっていく。
女優になりたかったはずのアラナの人生も、マットも。 もっと生きるはずだったパパも。
僕の人生も間違いなく変わる。 でも、なりたいはずの自分になれなかった時に僕はどうなる?
映画が大好きだという自分は変わらないけど、自分の力ではどうすることもできない不透明な未来への不安に胸が押しつぶされそうになる。
挫折はいつか来る。 そのとき僕は一人ぼっち。 これは確か。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
主人公は自己肯定が激しく、承認欲求も強い割に、人のことを職業や性別で見下すクズである。
父親の自殺が自分の心を歪ませてしまったことは自身も認めており、人生のままならなさと孤独を恐れるあまりに、根拠のない自信のもとにこれでもかと我を出す。
自分の好きな映画のことをまくし立てることに顕著にそれは現れており、「スタッフのオススメの映画」の棚を作りたがるところが自己アピール強めの一面が出ている。
友人に「おまえは(仮)だ」などということを平気で言うローレンスから人は離れていく。
自分も父親の様になるのではないかと恐れ、じわじわと自信を喪失していく彼は、職場で取り返しのつかない失態をやらかし、挙げ句ニューヨーク大学の受験も失敗してしまう。
挫折は学びになる。
救いがたいクズだったけども、そんな自分をようやく自覚できたがために、一人の映画大好き少年は再生への道を踏み出していく。
「どうしたら人とうまくやれるのか」とアラナに尋ねたローレンスの第一声は大きい。
自分の弱さを認め、人をリスペクトしたのだ。
「自分のことばかりじゃなく、相手の話を興味を持って聞くの。 相手の好きなことについて質問して耳を傾けるの」
これは自分もかつて同じようなことを言われたことがあったのでササるシーンだった。
アラナは「実は私は映画が嫌い」と打ち明け、なぜ女優の道を断念したのかという、その本当の理由も明らかになる。
「SHE SAID/シー・セッド その名を暴け」を思い出さずにはいられない、多くの映画好きの女性たちの心を踏みにじった業界の暗部。
アラナのローレンスへのアドバイスには、性暴力に涙を呑んできた人の声に耳を傾けてほしいとの作り手が込めた裏の意味も感じる。
「I Like Movies」と言う少年が「I Dislike Movies」と言う女性から教わる「アイ・ライク・ピープル」。
アラナの好きな映画は「マグノリアの花たち」。 分るような気がする。
カナダのオタワにあるカールトン大学に入り、入寮したローレンスの部屋にタビサという女子が「部屋を見せて」とやって来るシーンは、「自分から相手のふところに飛び込んで相手のことを知る」というアラナの言葉が象徴されたものだ。
設定上で言うなら、ローレンスは今はもう四十になっている。 映画監督になっているのだろうか? それとも地元に帰って「シークエルズ」の店長やってるとか?
では、“あの時”のローレンスくんに「他にもこれ観ました」を紹介していただこう。
「型破りな教室」
メキシコの北東部、アメリカの国境沿いにある町マタモロス。
犯罪が横行する町で、学力が国内最低の学校に赴任してきた教師がユニークな授業で学ぶ楽しさと大切な探究心を教えて子どもたちを導いていく、実話ベースの物語。
先生役は「コーダ あいのうた」のV先生、エウヘニオ・デルベスじゃないか。 V先生のまんまだったね。
「変わる必要はない。 そのままでいろ」 いい先生だ。 校長先生と徐々に友情を育んでいくところもいいよね。
知識欲がどんどん湧いてくる子どもたちの成長も美しい。
哲学にハマって図書館に通い出す女の子のまっすぐな感じが愛おしいね。
熱血教師ものの映画は、観る側も生徒の気分になって一緒に“授業を受ける”楽しみが味わえる。
「モノはなぜ水に浮くのか?」 考えたこともないよ。
「1から100までの数字を足すといくらか?」 これをスッと答えたあの女の子スゲーよ。 なるほどそういう解き方か。
僕もそれができればニューヨーク大学に行けてたかも? 無理か。
でもさ、学校どうこうより、周辺の治安を行政がなんとかしろよっていう問題の深さが気になってしょうがないよ。
学校にパソコンを設置したら次の日には盗まれてた? なんだよ、それ。
町なかではしょっちゅう銃声が聞こえるし、通学路に死体が転がってるし。
そりゃ、あんな悲劇が起こるよ。 やり切れないよ。
全国テストでいい成績をあげてメデタシもいいんだけどさ。 やっぱ、あの町は勉学に励む環境じゃない。 何も解決していないメキシコという国の闇の方が気になるよ。
「ローレンスのオススメ」
熱血教師映画なら、日本未公開だけど、めっちゃ若いモーガン・フリーマンが鬼のように厳しい校長を演じる「ワイルド・チェンジ」(89)が面白いかな。
アクションも楽しみたい人にはドニー・イェン主演の「スーパーティーチャー 熱血格闘」(19)を観てちょーだい。
「ビーキーパー」
ジェイソン・ステイサム主演の痛快リベンジアクション。
片田舎で養蜂家としてひっそりと暮らす男アダム・クレイ。 実は凄腕の元特殊工作員。
お世話になった地主の老女がネット詐欺に遭い、全財産を失った挙げ句に自殺してしまう。
クレイはキレた。 ミツバチの集団を荒らすスズメバチどもを叩っ殺したるでと立ち上がった養蜂家の壮絶なお仕置きが始まる!
普通の一般人を装いながら、実はとんでもないスーパースキルの持ち主でしたというパターンのアクションはやっぱりスカッとする。
しかもこの映画に出てくる悪党は、僕らが普段いじってるパソコンやスマホにしょーもないメールや電話をかけるクソ詐欺どもという、いわば身近な存在の奴らだから、そいつらがステ兄にボコられるのを見るのはサイコーだね。
「『二度と弱者から盗みません』と言え! 繰り返せ!」
今回のステ兄演じる蜂蜜おじさんの活躍はピンチになるシーンなどほとんど無く、ほぼノンストップで悪党どもを蹴散らしていく無敵の一人軍隊。
それにしてもステ兄の身体能力はエグい。 57歳だよ? よくあんなにバッキバキに体が動くよね。
しかし、ジェレミー・アイアンズはパッとしない役だったなあ。
詐欺の元締の若造が大統領(女性)の息子と来たもんだ。 これ、面白い展開だったね。
これは銃の不法所持で有罪になった次男坊を恩赦にしたバイデンへの揶揄かな?
「ローレンスのオススメ」
「実は凄腕でしたテッテレー!系」の映画って、けっこうあるよね。
やっぱりギャップの差で言うなら「ドント・ブリーズ」(16)かな。 だっておじいちゃんだよ。目が見えないんだよ。 そりゃ強盗も舐めプするよね。
もう一つは「Mr.ノーバディ」(21)だろうな。 あれも家族からも舐められてるくらいの冴えないオッチャンだからね。 ボブ・オデンカークがスバリ、ハマってるよ。
「エマニュエル」
1974年に公開され大ヒットした官能映画「エマニエル夫人」。
個人的には随分あとになってからビデオで観た。
ボカシ(許しがたい悪行)だらけだとあらかじめ聞いてたので気にしなかったが、本当にアレばっかりの映画なのでストーリーは屁みたいな内容だった。
劇場公開時は「一般映画」なのか「成人映画」として扱うのかで各地の自治体で対応が分かれるなど物議を醸し、「R-指定」という区分が生まれるきっかけになったという点でもセンセーショナルな映画ではあった。
その「エマニエル夫人」が「エマニュエル」というタイトルの現代版として再映画化。
74年にシルビア・クリステルが演じたエマニエル夫人は暇を持て余した外交官夫人だったが、「燃ゆる女の肖像」のノエミ・メルランが演じるエマニュエルはホテルの品質調査員というキャリア・ウーマン。
香港の高級ホテルに滞在しながら査察をする彼女が自らの性を解放するために様々な体験を重ねる物語。
おもんなっ! なによコレ?
普通におもんないよ。
「エマニエル夫人」をどう現代化したかったんだよ?
さほど過激でもない性描写を適度に散りばめながら、キャラクター造形や行動原理にまるで説得力がないヒロインが出てくる映画の何が面白い?
今の時代、男女がボカシなしで性器を出す描写がある映画なんて珍しくもないじゃん。
少々のアッハンウッフンが出てきたって、チンコはピクリともしないよ。
ストーリーは二の次と開き直って、ドン引きするほどのエロ映画に振り切ってもよかったじゃんよ。
何のための「エマニュエル」なのさ。
「ローレンスのオススメ」
どうせならアブノーマルなものがいいかな。
「ラストタンゴ・イン・パリ」(73)はマーロン・ブランドがバターの正しい使い方を教えてくれるよ。 僕はやったことないけどね。
それと、カトリーヌ・ドヌーヴが無茶苦茶される「昼顔」(67)もお楽しみ下さい。 上戸彩のやつじゃないよ。
「デリカテッセン 4Kレストア」
ジャン=ピエール・ジュネとマルク・キャロが共同監督した1991年のカルト的ブラックコメディが4Kレストア版でリバイバル。
核戦争後の近未来のパリ。 精肉屋兼アパートになんでも屋として雇われ、住み込みで働くことになった元ピエロのルイゾン。
クセがすごい住人たちと共に過ごすルイゾンだったが、肉屋の主人にはヤバい秘密があった・・・・
久しぶりに観ると色々と忘れてるね。
シンプルなストーリーで、「白雪姫」的パターンの展開をする大人のおとぎ話だね。
アパートの中の縦構造を活かしたドタバタや凝ったギミックが詰め込まれた世界観の楽しさはまったく色あせないよ。
ベッドのスプリングギシギシミュージカル、「お〜ま〜え〜はア〜ホ〜か〜」のノコギリ芸など見どころモリモリ。
やっぱ、ピタゴラ自殺チャレンジオバハンがサイコーだな。
「ローレンスのオススメ」
ジャン=ピエール・ジュネなら、やっぱり「アメリ」(01)は外せないけどさ、こういうときこそ「エイリアン4」(97)を再見して良さを見つけよう。 シガニー・ウィーバーの一発ガチ・ロングシュートもご堪能あれ。
「オークション 盗まれたエゴン・シーレ」
エゴン・シーレ (1890~1918)。
ウィーン画壇の帝王グスタム・クリムトの弟子であり、独特のポージングの人物画で知られる表現主義の画家。
若くして亡くなっているが、ゴッホの没年と同じ年に生まれたことに縁を感じていたシーレは、リスペクトする形で彼なりに解釈した「ひまわり」を何点か描いている。
ナチスによって略奪されて以来行方が分らなかった、24歳時のシーレが描いた「ひまわり」の一点が2005年に発見され、美術界では大きなニュースになった。
その出来事をベースにして、美術オークションの世界の裏側を赤裸々に描いたスリリングな人間ドラマ。
絵を売るためなら何でもすると豪語し、歯に衣着せぬやり手のオークショニア、アンドレが一応は主人公なんだけど、発見された「ひまわり」のオークションを巡って、それにまつわる様々な人間模様が交錯する語り口になってるんだね。
アンドレの仕事仲間の元奥さん。 何の絵か知らずに所有していた工場勤めの青年と工場の同僚。 鑑定依頼をする弁護士。 オークションハウスの上層部。 「ひまわり」の元々の所有者。
思いがけず発見されたお宝の競売に色んな人の思惑が絡む、僕らのよく知らない美術界の駆け引きなどが描かれてて興味深い。
人間関係の説明が適度に端折られてて、こちらが想像力を働かせる仕組みになってるけど徐々にそれがくっきりしてくる。
アンドレの部下で研修生のオロールという女性の家庭環境が最初はボカされてるんだけど、彼女がしょっちゅう嘘をつくという面倒くさいクセを持ってるばっかりに、観てるこちらも嘘に心地よく振り回されて想像を働かせる楽しみがあるよ。
凄く面白かった。 90分じゃ物足りない。 もっと時間を取ればさらに濃いドラマが描けたんじゃないかな。
あと、このサブタイトルは良くないね。
「ローレンスのオススメ」
美術界やアートを題材にした映画はけっこうあるんだけど、コレというものに乏しいと思うのが率直なところ。
僕的には「真珠の耳飾りの少女」(04)かな。 フェルメールの名作ができる過程のフィクションだけど、当時19歳のスカーレット・ヨハンソンの色気がたまりませんよ。
あとはドキュメンタリーの「美術館を手玉にとった男」(14)かな。 精巧な贋作を描いては無償で美術館に寄贈する変なおじさん。 彼がなぜそんなことをするのかはあなたの目で確かめて。
あっ、でもね。
やっぱり一番のオススメは「I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ」だよ。
レンタルDVDが全盛だった2003年のカナダを舞台に、我が強すぎて人とうまく付き合えない映画好きの高校生の成長を描く青春ドラマ。
主人公の名はローレンス・クウェラー。 アルダーショット高校3年生。
片田舎のバーリントンで母親と二人暮らし。
・・・・・・・・・・
僕は映画が大好き。
すでにタイトルで言っちゃってるけどね。
映画を観ること。 これが僕の生きがい。
映画を観なきゃ生きられません。
近所のレンタルDVDショップ「シークエルズ」は僕の聖地。
ここでDVDをよく借りるけど、未だ「ワイルドシングス」を延滞中。
将来は映画監督になるんだ。
そのためにアメリカの大学に進学したい。 カナダの大学なんかで妥協する気なんかないよ。
「カナダの監督」と言われたくないんだよなあ。
そりゃあね。 カナダ人であることは動かしがたいから、そこはしょうがない。
ジェームズ・キャメロンもカナダの人だけど、彼はアメリカの学校を出た。 確かカリフォルニアの大学だっけ。
つまり僕もそういうステップを踏むんだ。
目指すはニューヨーク大学。 ここを出た映画監督と言えばマーティン・スコセッシ、オリバー・ストーン、ウディ・アレン、M・ナイト・シャマラン、スパイク・リーとかがいる。
偉大な先輩を輩出したニューヨーク大学で映画制作をトッド・ソロンズから学び、僕もその偉大な道への一歩を踏み出すのさ。
もう自主制作映画も撮っちゃったりなんかしてね。
まっ、卒業制作の“想い出ビデオ”なんだけどね。 クラスメイトのマットと一緒に撮った力作なんだけど、先生が「メディアの偏見」というテーマに即してないじゃないかとダメ出しする。
「メディアの偏見」なんかキョーミありましぇ~ん。
マットは唯一の友人。 唯一の。
土曜の夜は「はみ出しものの夜」と称して僕んちでマットと一緒に「サタデー・ナイト・ライブ」を観る。
彼はいいヤツさ。 でも正規の友人じゃない。 (仮)だ。
変な言い方だけど、もうすぐしたら僕はアメリカに行くんだから、いつまでもそうベタベタと付き合ってられる仲じゃないからね。
彼にもそう言った。 「君は(仮)だ」と。
ニューヨークに行きたいかぁーっ! 行きたいともぉーっ!
しかしママはそんな大学に行かせるカネなんかないとしょっぺえことを言う。 地元の大学で手を打てと。
やなこってすわ。
カネは自分で稼ぎます。
バイト先は「シークエルズ」と決めてた。
ここで働けば従業員特典として10枚のDVDが無料で借りれる。 やったね。
店長さんはアラナという女性。
他にブレンダン、シャノンという従業員も居る。
3人ともここの従業員のまま人生を終えるつもりだろうかと人ごとながら心配になった。・・・というようなことを当人たちの前で口にしそうになった。
危ない危ない。 思ったことをすぐ口に出す。 僕のダメなところだ。 それは自覚してる。
しかし悪くない職場だ。 四方を映画で囲まれてるし。
アラナから「シュレック」のワイドスクリーン版を3枚売るようにとノルマを課せられた。 ムリだね。
売れるワケないっしょ。 だいたい「シュレック」は好きじゃない。 あれは本物の映画じゃない。
『シュレックのことは私に聞いてください』というタスキをかけることも言われたが断固拒否・・・したのにやらされた。
では、こちらからも提案。
「スタッフのオススメのコーナー」みたいな棚を作ってちょ。
アラナは渋ってたけど、やってみればこれが大好評。
アラナは僕のことをちょっと見直した。
彼女は元々は女優になりたかったらしい。 クラスメイトが自殺して大学を中退したところから歯車が狂ったらしい。
僕のパパもだ。 4年前にね。
僕は違う。 好きなことで勝者になる。 こんな田舎の町でくすぶる気はないよ。
アラナは映画が好きだし、ここの仕事も好きだと言う。 ホント? こんな仕事が?
マットがローレン・Pという女子を連れてきた。 卒業ビデオを手伝ってくれるとか?
余計なお世話です。 機材を持ってる? お金持ちでけっこうですな。
でも女の手なんか必要ねえっすわ。 マット、おまえも色気づいてんじゃねえっすわ。 キモいぞ。
それ以来、マットとはちょっと疎遠になった。
しばらくやってない「はみ出しものの夜」をまたやろうぜと誘ったがアイツは来なかった。
なんなんだろうか。
モヤモヤした不安感が少しずつ膨らんでいく。
人は変わっていく。
女優になりたかったはずのアラナの人生も、マットも。 もっと生きるはずだったパパも。
僕の人生も間違いなく変わる。 でも、なりたいはずの自分になれなかった時に僕はどうなる?
映画が大好きだという自分は変わらないけど、自分の力ではどうすることもできない不透明な未来への不安に胸が押しつぶされそうになる。
挫折はいつか来る。 そのとき僕は一人ぼっち。 これは確か。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
主人公は自己肯定が激しく、承認欲求も強い割に、人のことを職業や性別で見下すクズである。
父親の自殺が自分の心を歪ませてしまったことは自身も認めており、人生のままならなさと孤独を恐れるあまりに、根拠のない自信のもとにこれでもかと我を出す。
自分の好きな映画のことをまくし立てることに顕著にそれは現れており、「スタッフのオススメの映画」の棚を作りたがるところが自己アピール強めの一面が出ている。
友人に「おまえは(仮)だ」などということを平気で言うローレンスから人は離れていく。
自分も父親の様になるのではないかと恐れ、じわじわと自信を喪失していく彼は、職場で取り返しのつかない失態をやらかし、挙げ句ニューヨーク大学の受験も失敗してしまう。
挫折は学びになる。
救いがたいクズだったけども、そんな自分をようやく自覚できたがために、一人の映画大好き少年は再生への道を踏み出していく。
「どうしたら人とうまくやれるのか」とアラナに尋ねたローレンスの第一声は大きい。
自分の弱さを認め、人をリスペクトしたのだ。
「自分のことばかりじゃなく、相手の話を興味を持って聞くの。 相手の好きなことについて質問して耳を傾けるの」
これは自分もかつて同じようなことを言われたことがあったのでササるシーンだった。
アラナは「実は私は映画が嫌い」と打ち明け、なぜ女優の道を断念したのかという、その本当の理由も明らかになる。
「SHE SAID/シー・セッド その名を暴け」を思い出さずにはいられない、多くの映画好きの女性たちの心を踏みにじった業界の暗部。
アラナのローレンスへのアドバイスには、性暴力に涙を呑んできた人の声に耳を傾けてほしいとの作り手が込めた裏の意味も感じる。
「I Like Movies」と言う少年が「I Dislike Movies」と言う女性から教わる「アイ・ライク・ピープル」。
アラナの好きな映画は「マグノリアの花たち」。 分るような気がする。
カナダのオタワにあるカールトン大学に入り、入寮したローレンスの部屋にタビサという女子が「部屋を見せて」とやって来るシーンは、「自分から相手のふところに飛び込んで相手のことを知る」というアラナの言葉が象徴されたものだ。
設定上で言うなら、ローレンスは今はもう四十になっている。 映画監督になっているのだろうか? それとも地元に帰って「シークエルズ」の店長やってるとか?
では、“あの時”のローレンスくんに「他にもこれ観ました」を紹介していただこう。
「型破りな教室」
メキシコの北東部、アメリカの国境沿いにある町マタモロス。
犯罪が横行する町で、学力が国内最低の学校に赴任してきた教師がユニークな授業で学ぶ楽しさと大切な探究心を教えて子どもたちを導いていく、実話ベースの物語。
先生役は「コーダ あいのうた」のV先生、エウヘニオ・デルベスじゃないか。 V先生のまんまだったね。
「変わる必要はない。 そのままでいろ」 いい先生だ。 校長先生と徐々に友情を育んでいくところもいいよね。
知識欲がどんどん湧いてくる子どもたちの成長も美しい。
哲学にハマって図書館に通い出す女の子のまっすぐな感じが愛おしいね。
熱血教師ものの映画は、観る側も生徒の気分になって一緒に“授業を受ける”楽しみが味わえる。
「モノはなぜ水に浮くのか?」 考えたこともないよ。
「1から100までの数字を足すといくらか?」 これをスッと答えたあの女の子スゲーよ。 なるほどそういう解き方か。
僕もそれができればニューヨーク大学に行けてたかも? 無理か。
でもさ、学校どうこうより、周辺の治安を行政がなんとかしろよっていう問題の深さが気になってしょうがないよ。
学校にパソコンを設置したら次の日には盗まれてた? なんだよ、それ。
町なかではしょっちゅう銃声が聞こえるし、通学路に死体が転がってるし。
そりゃ、あんな悲劇が起こるよ。 やり切れないよ。
全国テストでいい成績をあげてメデタシもいいんだけどさ。 やっぱ、あの町は勉学に励む環境じゃない。 何も解決していないメキシコという国の闇の方が気になるよ。
「ローレンスのオススメ」
熱血教師映画なら、日本未公開だけど、めっちゃ若いモーガン・フリーマンが鬼のように厳しい校長を演じる「ワイルド・チェンジ」(89)が面白いかな。
アクションも楽しみたい人にはドニー・イェン主演の「スーパーティーチャー 熱血格闘」(19)を観てちょーだい。
「ビーキーパー」
ジェイソン・ステイサム主演の痛快リベンジアクション。
片田舎で養蜂家としてひっそりと暮らす男アダム・クレイ。 実は凄腕の元特殊工作員。
お世話になった地主の老女がネット詐欺に遭い、全財産を失った挙げ句に自殺してしまう。
クレイはキレた。 ミツバチの集団を荒らすスズメバチどもを叩っ殺したるでと立ち上がった養蜂家の壮絶なお仕置きが始まる!
普通の一般人を装いながら、実はとんでもないスーパースキルの持ち主でしたというパターンのアクションはやっぱりスカッとする。
しかもこの映画に出てくる悪党は、僕らが普段いじってるパソコンやスマホにしょーもないメールや電話をかけるクソ詐欺どもという、いわば身近な存在の奴らだから、そいつらがステ兄にボコられるのを見るのはサイコーだね。
「『二度と弱者から盗みません』と言え! 繰り返せ!」
今回のステ兄演じる蜂蜜おじさんの活躍はピンチになるシーンなどほとんど無く、ほぼノンストップで悪党どもを蹴散らしていく無敵の一人軍隊。
それにしてもステ兄の身体能力はエグい。 57歳だよ? よくあんなにバッキバキに体が動くよね。
しかし、ジェレミー・アイアンズはパッとしない役だったなあ。
詐欺の元締の若造が大統領(女性)の息子と来たもんだ。 これ、面白い展開だったね。
これは銃の不法所持で有罪になった次男坊を恩赦にしたバイデンへの揶揄かな?
「ローレンスのオススメ」
「実は凄腕でしたテッテレー!系」の映画って、けっこうあるよね。
やっぱりギャップの差で言うなら「ドント・ブリーズ」(16)かな。 だっておじいちゃんだよ。目が見えないんだよ。 そりゃ強盗も舐めプするよね。
もう一つは「Mr.ノーバディ」(21)だろうな。 あれも家族からも舐められてるくらいの冴えないオッチャンだからね。 ボブ・オデンカークがスバリ、ハマってるよ。
「エマニュエル」
1974年に公開され大ヒットした官能映画「エマニエル夫人」。
個人的には随分あとになってからビデオで観た。
ボカシ(許しがたい悪行)だらけだとあらかじめ聞いてたので気にしなかったが、本当にアレばっかりの映画なのでストーリーは屁みたいな内容だった。
劇場公開時は「一般映画」なのか「成人映画」として扱うのかで各地の自治体で対応が分かれるなど物議を醸し、「R-指定」という区分が生まれるきっかけになったという点でもセンセーショナルな映画ではあった。
その「エマニエル夫人」が「エマニュエル」というタイトルの現代版として再映画化。
74年にシルビア・クリステルが演じたエマニエル夫人は暇を持て余した外交官夫人だったが、「燃ゆる女の肖像」のノエミ・メルランが演じるエマニュエルはホテルの品質調査員というキャリア・ウーマン。
香港の高級ホテルに滞在しながら査察をする彼女が自らの性を解放するために様々な体験を重ねる物語。
おもんなっ! なによコレ?
普通におもんないよ。
「エマニエル夫人」をどう現代化したかったんだよ?
さほど過激でもない性描写を適度に散りばめながら、キャラクター造形や行動原理にまるで説得力がないヒロインが出てくる映画の何が面白い?
今の時代、男女がボカシなしで性器を出す描写がある映画なんて珍しくもないじゃん。
少々のアッハンウッフンが出てきたって、チンコはピクリともしないよ。
ストーリーは二の次と開き直って、ドン引きするほどのエロ映画に振り切ってもよかったじゃんよ。
何のための「エマニュエル」なのさ。
「ローレンスのオススメ」
どうせならアブノーマルなものがいいかな。
「ラストタンゴ・イン・パリ」(73)はマーロン・ブランドがバターの正しい使い方を教えてくれるよ。 僕はやったことないけどね。
それと、カトリーヌ・ドヌーヴが無茶苦茶される「昼顔」(67)もお楽しみ下さい。 上戸彩のやつじゃないよ。
「デリカテッセン 4Kレストア」
ジャン=ピエール・ジュネとマルク・キャロが共同監督した1991年のカルト的ブラックコメディが4Kレストア版でリバイバル。
核戦争後の近未来のパリ。 精肉屋兼アパートになんでも屋として雇われ、住み込みで働くことになった元ピエロのルイゾン。
クセがすごい住人たちと共に過ごすルイゾンだったが、肉屋の主人にはヤバい秘密があった・・・・
久しぶりに観ると色々と忘れてるね。
シンプルなストーリーで、「白雪姫」的パターンの展開をする大人のおとぎ話だね。
アパートの中の縦構造を活かしたドタバタや凝ったギミックが詰め込まれた世界観の楽しさはまったく色あせないよ。
ベッドのスプリングギシギシミュージカル、「お〜ま〜え〜はア〜ホ〜か〜」のノコギリ芸など見どころモリモリ。
やっぱ、ピタゴラ自殺チャレンジオバハンがサイコーだな。
「ローレンスのオススメ」
ジャン=ピエール・ジュネなら、やっぱり「アメリ」(01)は外せないけどさ、こういうときこそ「エイリアン4」(97)を再見して良さを見つけよう。 シガニー・ウィーバーの一発ガチ・ロングシュートもご堪能あれ。
「オークション 盗まれたエゴン・シーレ」
エゴン・シーレ (1890~1918)。
ウィーン画壇の帝王グスタム・クリムトの弟子であり、独特のポージングの人物画で知られる表現主義の画家。
若くして亡くなっているが、ゴッホの没年と同じ年に生まれたことに縁を感じていたシーレは、リスペクトする形で彼なりに解釈した「ひまわり」を何点か描いている。
ナチスによって略奪されて以来行方が分らなかった、24歳時のシーレが描いた「ひまわり」の一点が2005年に発見され、美術界では大きなニュースになった。
その出来事をベースにして、美術オークションの世界の裏側を赤裸々に描いたスリリングな人間ドラマ。
絵を売るためなら何でもすると豪語し、歯に衣着せぬやり手のオークショニア、アンドレが一応は主人公なんだけど、発見された「ひまわり」のオークションを巡って、それにまつわる様々な人間模様が交錯する語り口になってるんだね。
アンドレの仕事仲間の元奥さん。 何の絵か知らずに所有していた工場勤めの青年と工場の同僚。 鑑定依頼をする弁護士。 オークションハウスの上層部。 「ひまわり」の元々の所有者。
思いがけず発見されたお宝の競売に色んな人の思惑が絡む、僕らのよく知らない美術界の駆け引きなどが描かれてて興味深い。
人間関係の説明が適度に端折られてて、こちらが想像力を働かせる仕組みになってるけど徐々にそれがくっきりしてくる。
アンドレの部下で研修生のオロールという女性の家庭環境が最初はボカされてるんだけど、彼女がしょっちゅう嘘をつくという面倒くさいクセを持ってるばっかりに、観てるこちらも嘘に心地よく振り回されて想像を働かせる楽しみがあるよ。
凄く面白かった。 90分じゃ物足りない。 もっと時間を取ればさらに濃いドラマが描けたんじゃないかな。
あと、このサブタイトルは良くないね。
「ローレンスのオススメ」
美術界やアートを題材にした映画はけっこうあるんだけど、コレというものに乏しいと思うのが率直なところ。
僕的には「真珠の耳飾りの少女」(04)かな。 フェルメールの名作ができる過程のフィクションだけど、当時19歳のスカーレット・ヨハンソンの色気がたまりませんよ。
あとはドキュメンタリーの「美術館を手玉にとった男」(14)かな。 精巧な贋作を描いては無償で美術館に寄贈する変なおじさん。 彼がなぜそんなことをするのかはあなたの目で確かめて。
あっ、でもね。
やっぱり一番のオススメは「I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ」だよ。
海底軍艦 & 妖星ゴラス
2025年01月13日
2025年の「映画初め」は60年代に公開された東宝の特撮映画2本からスタートです。
近年の「午前十時の映画祭」は往年の特撮映画がラインナップに入るので嬉しい限りですね。
今後もB級作品でもいいからどんどん上映してほしいなあ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〈 少々マニアックなセリフもあることをご了承下さい〉
ミラー、スパーク!
うーん、朝焼けの光の中に立つと気持ちがいいな。
ファイヤー!
さあ今日も地球を襲う神秘の影にむかってゆくぞー。
やあ、炎くん。 あけましておめでとう。
あけましておめでとうございます、鏡にいさん。
炎くん、金杯取った?
かすりもしませんでしたね。
俺もだ。 金杯で惨敗だな。 気晴らしに映画でも観に行こうか?
いいですね。 何にします?
我ら東宝ファミリーが見逃しちゃいけない映画があるぞ。
そりゃ是非とも観ねば。
1963年に公開された「海底軍艦」。 本多猪四郎、円谷英二のゴールデンコンビが放つSF大作だ。
「海底軍艦」。 凄いタイトルだ。 これ以上最強の四文字熟語はないな。
1万2000年前に海底に没したムウ帝国が再び世界を植民地にしようと侵攻を開始する。 それに対して帝国海軍の残党が密かに造り上げた海底軍艦「轟天号」がムウ帝国との戦いに挑むという一大スペクタクルだ。
ムウ帝国? 確か「鉄人タイガーセブン」の敵が「ムー帝国」でしたね。
そういえば。
ついでに「ムー一族」ってTVドラマもありましたよね?
懐かしいな。 郷ひろみや樹木希林が出てたな。
ということはこの映画にも郷ひろみが出てくるんすか? 郷ひろみが世界を侵略? そりゃまた愉快な。
郷ひろみが出てくるわけないだろ。 ってか、郷ひろみが世界を侵略する話ってのもそれはそれで面白そうだがな。
てっきり海底軍艦の名前を「ゴーテンゴー」と郷ひろみが命名したのかと思ったんですが。
違うな。 いいかげん郷ひろみから離れようじゃないか炎くん。 話が進まんぞ。
これが轟天号か。 カッチョいいっすね。 いかついドリルがシブい。
カラーリングは宇宙戦艦ヤマトと同じだな。 悠然と飛行する姿が惚れ惚れする。
海も潜るし空も飛ぶ。 マイティジャックを思い出しますね。
マイティジャックなあ。 途中打ち切りになったがインパクトは凄かったな。 メカニックがメインの特撮作品の中では群を抜くデキの良さだった。
とは言っても轟天号の迫力もマジで凄い。 怪獣だけでなくメカニックの物体を質感や重量感をキッチリと表現してダイナミズムを十分すぎるほど醸し出す東宝特撮の技術力のクオリティには感心するしかないですね。
帝国海軍の大佐、神宮寺(田崎潤)が同志と共に南海の孤島の秘密基地で20年かけて建造したという執念が凄い。 そこまでやりゃあアッパレな大和魂だな。
まだ戦争を続けて大日本帝国を復興させるのが本来の目的だったんだから、ムウ帝国と本質が変わらない大佐の考え方は悲しいですね。
高島忠夫から「戦争キチガイ」って言われてたな。
おいおいおい。
「海底軍艦はキチガイに刃物」とまで。
おいおいおいおい。 バリバリの「ふてほど」じゃないすか。 今の時代ならそれ言ったらアウトですよ。
本編終了後にも「不適切な表現がありますが当時の時代を考慮して・・・」みたいなテロップが出てくるが。 それだけ昔は普通に使ってた言葉ってことだ。
ムウ帝国の描写がなんともユニークですね。 文明が進んでるのか遅れたままなのかよく分からん。
脅迫メッセージを小包で送ってくる。 しかもちゃんと十字結びで紐をかけて。 日本的な礼節をわきまえてるところが微笑ましい。
中を開ければちっちゃなオープンリールテープ。 冒頭で律儀にムウ帝国のあらましを紹介してから宣戦布告する。 なんてマジメなんだ。
やたらと踊るしな。 天本英世さんはこの時代からすでにこんな役なんだな。
痩せた銀色のミニオンみたいな工作員なんかは、金をかけたメカやセットと違ったテキトー感が出てて妙な可笑しみがある。
東宝らしく怪獣も出してくるところが嬉しいな。
なんで「マンダ」って名前なんですかね? サラマンダーから取ってるのかな?
いや、マンモス級の大きさの蛇、「マンモス蛇(だ)」だからマンダらしい。
え? 蛇? どう見ても願い事を叶えてくれるアレにしか見えませんがね。
残念ながらマンダにはクリリンを生き返らせることはできない。 当初の設定はマンモススネークという名の蛇だった。 この映画は正月興行映画として卯年の12月末に公開されたんだが、年が明ければ辰年だからという理由で竜に変更したんだそうだ。
名前はそのまま放置したんですな。
敵の親玉が女性というのも当時にすれば斬新だった設定かもな。 皇帝役の小林哲子さんの熱演が素晴らしい。
身柄を抑えられるも、轟天号から海に飛び込んで、噴煙に向かって泳ぎながら少しずつ姿が見えなくなるラストが物悲しい。
お次はこちら。
「海底軍艦」の前年に公開された「妖星ゴラス」だ。 もちろん本多猪四郎と円谷英二の鉄板タッグ。
これはどういう話で?
早い話が「アルマゲドン」みたいなもんだな。 ゴラスという名の天体が地球に衝突するという危機を、さあどうするという話だ。
♪ 地球が地球が大ピンチ〜 ♪ ですね。
そういうことだ。 さて炎くん、君ならこの未曾有の危機をどうやって回避する?
小惑星だかなんだか知りませんがファイヤーフラッシュを数発くらい浴びせりゃイケるっしょ?
正確には小惑星というよりゴラスは黒色矮星だな。 大きさは地球の4分の3で質量は地球の6000倍ある。
それ、計算がおかしいのでは?
有り得ない設定ではない。 一応は東大の教授も考証に参加してるからな。
うーん・・・僕が全ての技を繰り出してもしんどいな。 エネルギーがもたない。
君のことは一応置いといて、人類は果たしてどうするのかという話だ。
そんなバケモノみたいな質量の物体を破壊できる武器なんて地球上にはありません。 核ミサイルでも無理です。 しょうがない。 ブルース・ウィリスに相談しますかね。
残念だがこの時代のブルース・ウィリスは小学生だ。
降参です。 僕は地球と運命を共にします。 さよなら鏡にいさん。 今までお世話になりました。 マリオのソフトを借りパクしたままですいません。
あきらめるな炎くん。 地球を救う方法が一つだけある。 ってか、ソフト返せよこのヤロー。
すいません、すぐ持ってきます。 それで地球を救う方法とは?
地球が逃げればいいのだ。
バカボンのパパみたいな発想じゃないですか。
地球の軌道を変えればゴラスとは衝突せずに済む。
そんなこと簡単にできるわけないじゃないですか。
できるんだな、これが。
できるんですか。
映画だからな。 特撮映画だからな。 なんたって東宝だ。 不可能なことなど無い。
それじゃペガッサ星人の立場がない。 地球の軌道を変えてくれとお願いに来た時に「いいよ」と応じてやればよかったのに。
それとこれとは別だ。 ペガッサ星人の時はタイミングが悪かった。
かわいそうなペガッサ星人。
「アンヌちゃん、地球軌道変更のこと考えてくれた?」
「髪のセット中は話しかけないでって言ってるでしょ、このアンポンタン」
100日間かけて地球を40万キロ移動させるという壮大な計画だ。
具体的にどうやるんです?
南極に重水素原子力のジェットパイプを1089基設置するんだ。 660億メガトンの推力が発生するジェット噴射によって地球が動くのだ。
夢が有るっちゃあ有りますがね。
全人類が力を合わせれば世界の平和なんて容易いことなのだ。 ミラーマンやファイヤーマンなど居ても邪魔なだけだ。
そんな言い方しなくても。
東宝映画だがら怪獣だって出現するぞ。
ほら言わんこっちゃない。 僕らの出番だ。 ってか、ゴム感丸出しのショボい怪獣だなあ。
最初は登場する予定がなかったが、撮影終了前になってから、東宝のえらいさんが「せっかくだから怪獣も出そうよ」と言い出したので登場することになった「シェフの気まぐれサラダ」みたいな怪獣だ。
さもありなんな話だな。
本田監督は反対したらしいがな。 「あんな怪獣さえ出さなければ自分の映画の中では好きな作品になったはず」と述懐されておられる。 ちなみに海外版ではこの怪獣のシーンはカットだ。
南極から出現するのに「マグマ」って名前なんですね。
当時の子供たちはみんな心の中でそうツッコんだんだろうな。
あっ! ジェットビートルだ!
そう思っちゃうよな。 国連が保有してるという設定のVTOLジェット機で、この映画の4年後の「ウルトラマン」に出てくる科特隊のジェットビートルとは無関係。 とは言え、今観るとテンションが上がるよな。
この“国連ビートル”のレーザー攻撃でマグマが倒されるけど、思えばこの怪獣はかわいそうすぎる。 地底で眠ってたのに何やら騒がしいから起き出してきて、ちょっとウロウロしただけ。 何も悪いことはしてないのに。
まあ、無理矢理登場させた怪獣だから、設定は二の次になるわな。
怪獣だって生き物なんだ。 人間に闇雲に嫌われる理由はない。 姿が大きかろうと人から見て醜かろうと大切な命を持ったかけがえのない存在なんだ。 怪獣=殺す。 そんな人間の野蛮なところは好きになれない。
どうした急に。 さっきは自分の出番だとか言いながら。 やけにマグマの肩を持つじゃないか。
♪ 燃えるマグマのファイヤーマン ♪ ですから。
なるほどな。
池部良って男前ですねえ。
シブみが混ざった独特の二枚目だな。 若い頃は戦争に駆り出されて何度も死地をくぐり抜けてきた人だ。 映画では高倉健とよく共演していた。
てっきり久保明が演じるパイロットが主人公なのかなと思いましたけど、“にぎやかし”に毛が生えた程度の扱いでしたね。 途中から記憶喪失でヘロヘロになったりで。
水野久美に凄い暴言を浴びせてたな。
「君も高校時代で発育が止まったな!」
ダメでしょ、コレは。 死ぬほどのハラスメントじゃないですか。 しかも元カレの写真をマンションの窓からポイと捨てるだなんて。 何様にもほどがある。 っていうか、下に人がいたらどうすんだよ。
「元カレ写真突き刺さり殺人事件」の被害者にはなりたくないもんだな。
♬ 狭い地球にゃ未練はないさ~
未知の世界に 夢がある 夢がある~
広い宇宙は 俺のもの 俺のもの~
はばたき行こう 空の果て
でっかい希望だ 憧れだ
俺ら宇宙の 俺ら宇宙の 俺ら宇宙のパイロットぉ~ ♬
なんじゃその歌は!
「若大将シリーズ」ならいざ知らずだが、パニック特撮映画でこんなご陽気な歌がガッツリ歌われるのも珍しい演出だ。 冒頭の隼号玉砕のシーンでの万歳三唱なんかでもそうだが、戦時の兵隊気分のなごりが出てるのだろう。 ちなみにこの歌がパーティーで合唱されるシーンも海外版では全カットだ。
脱力するけど、時代を感じさせる意味では味があるとも言えますがね。
炎くん、信じがたいことに、この歌は今、カラオケで配信されてるぞ。
さっそく歌いに行きましょう、鏡にいさん。 ファイヤースティック手に持って歌いましょう。
マイクだろ。
そうでした。
よし、JOY SOUNDに行くなら今だ!キックを使え!目だ!
何がですか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「海底軍艦」、「妖星ゴラス」。 これ初めて観ましたね。
と言うのも、「地球防衛軍」とか「宇宙大怪獣ドゴラ」や「緯度0大作戦」などの色んな映画と記憶が混同してしまってるからですね。
あれ?こんな内容だっけ?と思いながら観てましたもんで、今回の2本は初見ですね。
いずれにしても素晴らしい映画ですね。
そりゃ今の感覚で言えばツッコミどころも散見されますし、コンプラ的にどうかという表現もありますが、これが60年前の作品であるという揺るぎない歴史の前には「細かいことなどどうでもええわい」という寛容さのこもった感動が押し寄せます。
昔の特撮映画などを観て毎回感じるのは、CGのシの字もない時代で知恵をめぐらし、時間と手間をかけて、空想の世界を映像化してみせる職人技の数々の凄さです。
驚愕するしかないこれらの映像には「いいものを作るんだ」、「全国の子供たちに喜んでもらうんだ」という気概の情熱がこれでもかと滲み出ています。
感謝しかありません。
「海底軍艦」の轟天号。 デザインと表現力。 信じがたいレベルのクオリティです。
「妖星ゴラス」では、南極でのジェットパイプの基地建設シーンで、様々な車両や機器のミニチュアが動き回るシーンは言葉を失うほどの世界観です。 見事の一語です。
日本中の街が水没していくシーンも圧巻ですね。 震災の被害に遭われた方にはキツいかもしれませんが。
あと、両作とも「住民が避難する」というシーンがありますね。
昔の怪獣映画やウルトラ・シリーズでもお約束のように出てきますが、「海底軍艦」でも「妖星ゴラス」でも描かれている「避難シーン」ではエキストラの皆さんが真剣に“逃げている”熱演にはちょっとグッとくるものがあります。
群衆の中にヘラヘラ笑いながらチンタラ逃げている演者は居ないかなどという目線で観てしまいましたことをお詫び申し上げます。
エキストラの皆さんの仕事には感服いたしました。 素晴らしい映画が完成したのは皆さんのおかげでもあります。
佐原健二。 平田昭彦。 田崎潤。 上原謙。 桐野洋雄。 沢村いき雄。 緒方燐作。 佐藤功一。 宇野晃司。 丸山謙一郎。 大前亘。 渋谷英男(当時・三井紳平)。 今井和雄。 由起卓也。 熊谷卓三。 池谷三郎アナ。 山田圭介。 坂本晴哉。 岡豊。 安芸津広。 鈴木治夫。
調べれた限りではコレ皆さん、「海底軍艦」と「妖星ゴラス」の両作品に出てる方たち。
もちろんその2作以外の特撮映画に多数出演なさってる“常連さん”です。
皆さんにも感謝申し上げます。
本多さん、円谷さん、タナコウさん他スタッフの皆さんにも感謝。
今、日本の特撮が世界で認められた栄光は先人の偉大な遺産があったればこそ。
これからも見守って下さい。
特撮は不滅なり。
「賢人のお言葉」
「他人から『できますか?』と聞かれたら、とりあえず『できます』と答えちゃうんだよ。 その後で頭が痛くなるくらい考え抜けば、大抵のことはできてしまうものなんだ」
円谷英二
近年の「午前十時の映画祭」は往年の特撮映画がラインナップに入るので嬉しい限りですね。
今後もB級作品でもいいからどんどん上映してほしいなあ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〈 少々マニアックなセリフもあることをご了承下さい〉
ミラー、スパーク!
うーん、朝焼けの光の中に立つと気持ちがいいな。
ファイヤー!
さあ今日も地球を襲う神秘の影にむかってゆくぞー。
やあ、炎くん。 あけましておめでとう。
あけましておめでとうございます、鏡にいさん。
炎くん、金杯取った?
かすりもしませんでしたね。
俺もだ。 金杯で惨敗だな。 気晴らしに映画でも観に行こうか?
いいですね。 何にします?
我ら東宝ファミリーが見逃しちゃいけない映画があるぞ。
そりゃ是非とも観ねば。
1963年に公開された「海底軍艦」。 本多猪四郎、円谷英二のゴールデンコンビが放つSF大作だ。
「海底軍艦」。 凄いタイトルだ。 これ以上最強の四文字熟語はないな。
1万2000年前に海底に没したムウ帝国が再び世界を植民地にしようと侵攻を開始する。 それに対して帝国海軍の残党が密かに造り上げた海底軍艦「轟天号」がムウ帝国との戦いに挑むという一大スペクタクルだ。
ムウ帝国? 確か「鉄人タイガーセブン」の敵が「ムー帝国」でしたね。
そういえば。
ついでに「ムー一族」ってTVドラマもありましたよね?
懐かしいな。 郷ひろみや樹木希林が出てたな。
ということはこの映画にも郷ひろみが出てくるんすか? 郷ひろみが世界を侵略? そりゃまた愉快な。
郷ひろみが出てくるわけないだろ。 ってか、郷ひろみが世界を侵略する話ってのもそれはそれで面白そうだがな。
てっきり海底軍艦の名前を「ゴーテンゴー」と郷ひろみが命名したのかと思ったんですが。
違うな。 いいかげん郷ひろみから離れようじゃないか炎くん。 話が進まんぞ。
これが轟天号か。 カッチョいいっすね。 いかついドリルがシブい。
カラーリングは宇宙戦艦ヤマトと同じだな。 悠然と飛行する姿が惚れ惚れする。
海も潜るし空も飛ぶ。 マイティジャックを思い出しますね。
マイティジャックなあ。 途中打ち切りになったがインパクトは凄かったな。 メカニックがメインの特撮作品の中では群を抜くデキの良さだった。
とは言っても轟天号の迫力もマジで凄い。 怪獣だけでなくメカニックの物体を質感や重量感をキッチリと表現してダイナミズムを十分すぎるほど醸し出す東宝特撮の技術力のクオリティには感心するしかないですね。
帝国海軍の大佐、神宮寺(田崎潤)が同志と共に南海の孤島の秘密基地で20年かけて建造したという執念が凄い。 そこまでやりゃあアッパレな大和魂だな。
まだ戦争を続けて大日本帝国を復興させるのが本来の目的だったんだから、ムウ帝国と本質が変わらない大佐の考え方は悲しいですね。
高島忠夫から「戦争キチガイ」って言われてたな。
おいおいおい。
「海底軍艦はキチガイに刃物」とまで。
おいおいおいおい。 バリバリの「ふてほど」じゃないすか。 今の時代ならそれ言ったらアウトですよ。
本編終了後にも「不適切な表現がありますが当時の時代を考慮して・・・」みたいなテロップが出てくるが。 それだけ昔は普通に使ってた言葉ってことだ。
ムウ帝国の描写がなんともユニークですね。 文明が進んでるのか遅れたままなのかよく分からん。
脅迫メッセージを小包で送ってくる。 しかもちゃんと十字結びで紐をかけて。 日本的な礼節をわきまえてるところが微笑ましい。
中を開ければちっちゃなオープンリールテープ。 冒頭で律儀にムウ帝国のあらましを紹介してから宣戦布告する。 なんてマジメなんだ。
やたらと踊るしな。 天本英世さんはこの時代からすでにこんな役なんだな。
痩せた銀色のミニオンみたいな工作員なんかは、金をかけたメカやセットと違ったテキトー感が出てて妙な可笑しみがある。
東宝らしく怪獣も出してくるところが嬉しいな。
なんで「マンダ」って名前なんですかね? サラマンダーから取ってるのかな?
いや、マンモス級の大きさの蛇、「マンモス蛇(だ)」だからマンダらしい。
え? 蛇? どう見ても願い事を叶えてくれるアレにしか見えませんがね。
残念ながらマンダにはクリリンを生き返らせることはできない。 当初の設定はマンモススネークという名の蛇だった。 この映画は正月興行映画として卯年の12月末に公開されたんだが、年が明ければ辰年だからという理由で竜に変更したんだそうだ。
名前はそのまま放置したんですな。
敵の親玉が女性というのも当時にすれば斬新だった設定かもな。 皇帝役の小林哲子さんの熱演が素晴らしい。
身柄を抑えられるも、轟天号から海に飛び込んで、噴煙に向かって泳ぎながら少しずつ姿が見えなくなるラストが物悲しい。
お次はこちら。
「海底軍艦」の前年に公開された「妖星ゴラス」だ。 もちろん本多猪四郎と円谷英二の鉄板タッグ。
これはどういう話で?
早い話が「アルマゲドン」みたいなもんだな。 ゴラスという名の天体が地球に衝突するという危機を、さあどうするという話だ。
♪ 地球が地球が大ピンチ〜 ♪ ですね。
そういうことだ。 さて炎くん、君ならこの未曾有の危機をどうやって回避する?
小惑星だかなんだか知りませんがファイヤーフラッシュを数発くらい浴びせりゃイケるっしょ?
正確には小惑星というよりゴラスは黒色矮星だな。 大きさは地球の4分の3で質量は地球の6000倍ある。
それ、計算がおかしいのでは?
有り得ない設定ではない。 一応は東大の教授も考証に参加してるからな。
うーん・・・僕が全ての技を繰り出してもしんどいな。 エネルギーがもたない。
君のことは一応置いといて、人類は果たしてどうするのかという話だ。
そんなバケモノみたいな質量の物体を破壊できる武器なんて地球上にはありません。 核ミサイルでも無理です。 しょうがない。 ブルース・ウィリスに相談しますかね。
残念だがこの時代のブルース・ウィリスは小学生だ。
降参です。 僕は地球と運命を共にします。 さよなら鏡にいさん。 今までお世話になりました。 マリオのソフトを借りパクしたままですいません。
あきらめるな炎くん。 地球を救う方法が一つだけある。 ってか、ソフト返せよこのヤロー。
すいません、すぐ持ってきます。 それで地球を救う方法とは?
地球が逃げればいいのだ。
バカボンのパパみたいな発想じゃないですか。
地球の軌道を変えればゴラスとは衝突せずに済む。
そんなこと簡単にできるわけないじゃないですか。
できるんだな、これが。
できるんですか。
映画だからな。 特撮映画だからな。 なんたって東宝だ。 不可能なことなど無い。
それじゃペガッサ星人の立場がない。 地球の軌道を変えてくれとお願いに来た時に「いいよ」と応じてやればよかったのに。
それとこれとは別だ。 ペガッサ星人の時はタイミングが悪かった。
かわいそうなペガッサ星人。
「アンヌちゃん、地球軌道変更のこと考えてくれた?」
「髪のセット中は話しかけないでって言ってるでしょ、このアンポンタン」
100日間かけて地球を40万キロ移動させるという壮大な計画だ。
具体的にどうやるんです?
南極に重水素原子力のジェットパイプを1089基設置するんだ。 660億メガトンの推力が発生するジェット噴射によって地球が動くのだ。
夢が有るっちゃあ有りますがね。
全人類が力を合わせれば世界の平和なんて容易いことなのだ。 ミラーマンやファイヤーマンなど居ても邪魔なだけだ。
そんな言い方しなくても。
東宝映画だがら怪獣だって出現するぞ。
ほら言わんこっちゃない。 僕らの出番だ。 ってか、ゴム感丸出しのショボい怪獣だなあ。
最初は登場する予定がなかったが、撮影終了前になってから、東宝のえらいさんが「せっかくだから怪獣も出そうよ」と言い出したので登場することになった「シェフの気まぐれサラダ」みたいな怪獣だ。
さもありなんな話だな。
本田監督は反対したらしいがな。 「あんな怪獣さえ出さなければ自分の映画の中では好きな作品になったはず」と述懐されておられる。 ちなみに海外版ではこの怪獣のシーンはカットだ。
南極から出現するのに「マグマ」って名前なんですね。
当時の子供たちはみんな心の中でそうツッコんだんだろうな。
あっ! ジェットビートルだ!
そう思っちゃうよな。 国連が保有してるという設定のVTOLジェット機で、この映画の4年後の「ウルトラマン」に出てくる科特隊のジェットビートルとは無関係。 とは言え、今観るとテンションが上がるよな。
この“国連ビートル”のレーザー攻撃でマグマが倒されるけど、思えばこの怪獣はかわいそうすぎる。 地底で眠ってたのに何やら騒がしいから起き出してきて、ちょっとウロウロしただけ。 何も悪いことはしてないのに。
まあ、無理矢理登場させた怪獣だから、設定は二の次になるわな。
怪獣だって生き物なんだ。 人間に闇雲に嫌われる理由はない。 姿が大きかろうと人から見て醜かろうと大切な命を持ったかけがえのない存在なんだ。 怪獣=殺す。 そんな人間の野蛮なところは好きになれない。
どうした急に。 さっきは自分の出番だとか言いながら。 やけにマグマの肩を持つじゃないか。
♪ 燃えるマグマのファイヤーマン ♪ ですから。
なるほどな。
池部良って男前ですねえ。
シブみが混ざった独特の二枚目だな。 若い頃は戦争に駆り出されて何度も死地をくぐり抜けてきた人だ。 映画では高倉健とよく共演していた。
てっきり久保明が演じるパイロットが主人公なのかなと思いましたけど、“にぎやかし”に毛が生えた程度の扱いでしたね。 途中から記憶喪失でヘロヘロになったりで。
水野久美に凄い暴言を浴びせてたな。
「君も高校時代で発育が止まったな!」
ダメでしょ、コレは。 死ぬほどのハラスメントじゃないですか。 しかも元カレの写真をマンションの窓からポイと捨てるだなんて。 何様にもほどがある。 っていうか、下に人がいたらどうすんだよ。
「元カレ写真突き刺さり殺人事件」の被害者にはなりたくないもんだな。
♬ 狭い地球にゃ未練はないさ~
未知の世界に 夢がある 夢がある~
広い宇宙は 俺のもの 俺のもの~
はばたき行こう 空の果て
でっかい希望だ 憧れだ
俺ら宇宙の 俺ら宇宙の 俺ら宇宙のパイロットぉ~ ♬
なんじゃその歌は!
「若大将シリーズ」ならいざ知らずだが、パニック特撮映画でこんなご陽気な歌がガッツリ歌われるのも珍しい演出だ。 冒頭の隼号玉砕のシーンでの万歳三唱なんかでもそうだが、戦時の兵隊気分のなごりが出てるのだろう。 ちなみにこの歌がパーティーで合唱されるシーンも海外版では全カットだ。
脱力するけど、時代を感じさせる意味では味があるとも言えますがね。
炎くん、信じがたいことに、この歌は今、カラオケで配信されてるぞ。
さっそく歌いに行きましょう、鏡にいさん。 ファイヤースティック手に持って歌いましょう。
マイクだろ。
そうでした。
よし、JOY SOUNDに行くなら今だ!キックを使え!目だ!
何がですか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「海底軍艦」、「妖星ゴラス」。 これ初めて観ましたね。
と言うのも、「地球防衛軍」とか「宇宙大怪獣ドゴラ」や「緯度0大作戦」などの色んな映画と記憶が混同してしまってるからですね。
あれ?こんな内容だっけ?と思いながら観てましたもんで、今回の2本は初見ですね。
いずれにしても素晴らしい映画ですね。
そりゃ今の感覚で言えばツッコミどころも散見されますし、コンプラ的にどうかという表現もありますが、これが60年前の作品であるという揺るぎない歴史の前には「細かいことなどどうでもええわい」という寛容さのこもった感動が押し寄せます。
昔の特撮映画などを観て毎回感じるのは、CGのシの字もない時代で知恵をめぐらし、時間と手間をかけて、空想の世界を映像化してみせる職人技の数々の凄さです。
驚愕するしかないこれらの映像には「いいものを作るんだ」、「全国の子供たちに喜んでもらうんだ」という気概の情熱がこれでもかと滲み出ています。
感謝しかありません。
「海底軍艦」の轟天号。 デザインと表現力。 信じがたいレベルのクオリティです。
「妖星ゴラス」では、南極でのジェットパイプの基地建設シーンで、様々な車両や機器のミニチュアが動き回るシーンは言葉を失うほどの世界観です。 見事の一語です。
日本中の街が水没していくシーンも圧巻ですね。 震災の被害に遭われた方にはキツいかもしれませんが。
あと、両作とも「住民が避難する」というシーンがありますね。
昔の怪獣映画やウルトラ・シリーズでもお約束のように出てきますが、「海底軍艦」でも「妖星ゴラス」でも描かれている「避難シーン」ではエキストラの皆さんが真剣に“逃げている”熱演にはちょっとグッとくるものがあります。
群衆の中にヘラヘラ笑いながらチンタラ逃げている演者は居ないかなどという目線で観てしまいましたことをお詫び申し上げます。
エキストラの皆さんの仕事には感服いたしました。 素晴らしい映画が完成したのは皆さんのおかげでもあります。
佐原健二。 平田昭彦。 田崎潤。 上原謙。 桐野洋雄。 沢村いき雄。 緒方燐作。 佐藤功一。 宇野晃司。 丸山謙一郎。 大前亘。 渋谷英男(当時・三井紳平)。 今井和雄。 由起卓也。 熊谷卓三。 池谷三郎アナ。 山田圭介。 坂本晴哉。 岡豊。 安芸津広。 鈴木治夫。
調べれた限りではコレ皆さん、「海底軍艦」と「妖星ゴラス」の両作品に出てる方たち。
もちろんその2作以外の特撮映画に多数出演なさってる“常連さん”です。
皆さんにも感謝申し上げます。
本多さん、円谷さん、タナコウさん他スタッフの皆さんにも感謝。
今、日本の特撮が世界で認められた栄光は先人の偉大な遺産があったればこそ。
これからも見守って下さい。
特撮は不滅なり。
「賢人のお言葉」
「他人から『できますか?』と聞かれたら、とりあえず『できます』と答えちゃうんだよ。 その後で頭が痛くなるくらい考え抜けば、大抵のことはできてしまうものなんだ」
円谷英二
2024 映画ベスト二十選~邦画の巻
2025年01月05日
昨年の邦画は良作が多かったですねえ。
確かに、洋画が押されるのも無理もないですかね。
しかしですね。
昨年の邦画の興行収入のベスト10の中でアッシが観たのは7位の「変な家」だけ。 しかもイマイチな映画。
1作目以外観てないシリーズものの「キングダム 大将軍の帰還」(3位)もTVドラマの延長の「ラストマイル」(5位)も観てません。
「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」(8位)はハナから興味外。
コナン(1位)もハイキュー(2位)もSPY✕FAMILY(4位)もガンダム(6位)もドラえもん(9位)もヒロアカ(10位)も観てない。
・・・うん。 まあそうなるよね。 この10作の顔ぶれを見ると。
では20位から11位までをどうぞ。
20位 「一月の声に歓びを刻め」
19位 「ゴールデンカムイ」
18位 「ゴールド・ボーイ」
17位 「悪は存在しない」
16位 「青春18✕2 君へと続く道」
15位 「映画 からかい上手の高木さん」
14位 「碁盤斬り」
13位 「劇場版 アナウンサーたちの戦争」
12位 「侍タイムスリッパー」
11位 「ディア・ファミリー」
惜しくも20位以内に入らなかったのは・・・
「コットンテール」
「化け猫あんずちゃん」
「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」
「違国日記」
「Cloud クラウド」
それではベストテンです。
10位からカウントぉぉぉぉぉダァンッ!
10位 「鬼平犯科帳 血闘」
何と言っても嬉しいのは、奇をてらうことなく正統派時代劇を真っ向から作ってくれたこと。
時代劇が少なくなった今の時代、異世代へのウケを考慮した現代風描写も見られる昨今の流れに抗うかのように、ステレオタイプ上等な昔ながらのゴリゴリ時代劇で一貫した見事な鬼平犯科帳がスクリーンに見参。
爽快なテンポで突っ走り、きっちりとチャンバラを見せて、悪役の作り込みも完璧な一級の娯楽。
9位 「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章」
突如として巨大な宇宙船が東京上空に出現し、世界の終わりが近づいている状況で青春を謳歌する少女の姿を描いた革新的アニメーション。
確実に世界はヤバいことになっているのに誰もが自分の人生、今そこにある日常を普通にこなす、震災やコロナ禍で体験したある意味人の強さでもあるし弱さ。
閉塞感の中のパーソナルワールドを煮詰めたストーリーの斬新姓に圧倒された作品。
後章は残念ながらランク外。
8位 「僕が生きてる、ふたつの世界」
聾者の子として生まれ育ったエッセイスト五十嵐大の自伝エッセイを呉美保監督が映画化した感動作。
コーダの人生を物心ついた時から送ってきた主人公の葛藤に満ちた青春時代をリアルに繊細に、温かな目線で描いた物語は障害のことに疎い周囲の我々の目をも開かせる、より良き社会へのヒントとして意義の高い良作となっている。
「手話で話してくれてありがとう」の言葉のぬくもりにはただひれ伏すしかない。
7位 「あんのこと」
2020年の新聞の三面記事に載った一人の少女の記事からインスパイアされた壮絶な人間ドラマ。
幼少期から母親の虐待を受け、小学生で売春をさせられ、薬物依存症となった21歳の杏。
東京の団地で祖母の介護をしながら無為に暮らしていた彼女は覚醒剤使用で逮捕されるが、出会った刑事の男から生活保護や更生の手助けをしてもらい、母親と縁を絶って徐々に自分の居場所を見出していくのだが・・・
どん底から光を求める不撓の情熱をすくい上げる希望の物語が一転して、親も支援者も、ひいては社会までもが未来を叩き潰す無情の冷や水を浴びせるという救いなき物語に暗転する、その打ちのめされ感がハンパない。
コロナ禍という不運があったにせよ、一人の少女の人生にも光を与えれぬ社会の限界をまざまざと知る問題作は河合優美が名女優として完全覚醒したモニュメントでもある。
6位 「正義の行方」
2022年にNHKーBSで放送されたドキュメンタリーの劇場版。
1992年、福岡県の飯塚市で2人の女児が行方不明になり、甘木市(現・朝倉市)の森林の中で他殺体となって発見された「飯塚事件」。
逮捕された被疑者は終始無実を訴えるも死刑判決を受け、2008年に刑が執行される。
しかしその後も再審請求がなされるなど今も余波が続くこの事件を、弁護士、当時の捜査関係者、新聞記者らがそれぞれの立場から語る「真実」と「正義」をもとに司法の在り方などを浮き彫りにしていく。
一方的に冤罪だという主張だけでなく、やはり死刑囚が犯人だったのではという冷静な視点も尊重されたフェアな構成になっている。
まるでリアルな「羅生門」を見ているかのような、それぞれの立場から発せられる一種の信念の言葉の数々が観る者をカメラを持つ側のそばへと容赦なく引きずり込むその引力が凄い。
5位 「ぼくのお日さま」
カンヌの「ある視点」部門で日本人監督として史上最年少で選出された奥山大史の初商業映画。
雪に囲まれた田舎町。 吃音を持つ少年タクヤはフィギュアの練習をする少女さくらの姿を見て心を奪われる。
さくらのコーチをしている元フィギュアの選手である荒川は、さくらを真似てホッケー靴のままステップをして転んでいる少年を見かけて、彼の恋を応援してやろうと決めた。
荒川に誘われて、フィギュアを始めたタクヤはさくらと共にアイスダンスの大会を目指して練習に励むのだが・・・・
恋が始まる瞬間、その重要な場となるアイススケートリンクの立ちこめるスモークと淡い逆光という緻密な演出の元に表現される、人物の心が動き出すすべての始まりの美しさが見事と言うほかない。
とりわけ、あやふやな想いの人との関係が行き場を求めて浮遊する物語が、目線のやり取りや目配せによって語られるアプローチがまた複雑な感情を揺り起こさせるところも巧い。
小粒ながら小憎らしいまでに技巧を感じさせる秀作だ。
4位 「愛に乱暴」
吉田修一の同名小説を映画化したヒューマンサスペンス。
夫とともに夫の実家の離れで暮らす主婦桃子。 子供はいない。
母屋に住む義母に気を遣い、何ごとにも無関心な夫のこともやり過ごしながら、丁寧な暮らしに勤めてきた彼女の日常が次第に脅かされてゆく。
近所で相次ぐ不審火。 行方不明の愛猫。 匿名の人物の不倫アカウント。
そして、夫の突然の浮気の告白と相手の女性の妊娠。
黒い感情と共に桃子の失った愛が心の床下から堀り起こされようとしている・・・
日常のかすかな圧にさえも感情を閉じ込めたのはすべて喪失を埋めるため。 そんな女の退路が容赦なく断たれていく。
全編出ずっぱりの江口のりこの能面からほとばしる狂気と共に、求めても失い奪われていく女のカオスの底へと観る者も引きずり込まれる。
静から動へとストーリーのトーンが変化しながら負のエネルギーがみなぎり出す不思議な筆致の人間ドラマ。
3位 「ミッシング」
世の中の嫌な部分を引きずり出す映画の名手である吉田恵輔の、またしても容赦ない人間ブラック絵図。
失踪した幼い娘を必死に探す母親とその夫。 母親の些細な落ち度さえ攻撃するネットの悪意。 人の悲劇にも“賞味期限”があるメディア組織の思惑に翻弄される地元TV局のディレクター。 犯人扱いされながら後ろめたい傷を掘り返されて社会から弾かれる弟。
情報に頼らざるを得ない夫婦が世間に顔を出してビラを配り、顔を見せない悪意の情報に振り回されてゆくという歪んだ社会の皮肉な構図。
被害者さえもバッシングする冷血な世間の描写と並び、渋る弟までをカメラの前に引っ張り出すなど、なりふり構わぬ、ある意味、視野狭窄なまでの暴走と混迷の中で彷徨う母親の姿を時に突き放し、時に寄り添う視線でリアルに繊細に描いている。
頭の線が一本飛んだようなぶっ壊れ方を見せる石原さとみの壮絶なまでの体現力。 中村倫也、森優作の抑制の先にある感情の滲ませ方。
演者の鬼気迫るエネルギーがこの映画に強靱な生命を与え、観る者の胸に確かなくさびを打ち込み、「人の気持ちになる心」の薄れた世の中の姿を闘う問題作にして傑作である。
2位 「夜明けのすべて」
PMS(月経前症候群)のせいで怒りが抑えられなくなる藤沢さん。
彼女が転職先の町工場で出会ったパニック障害を抱えた青年、山添君と同志のような絆を育みながら、病気と向き合ってそれぞれの人生を見つけていく物語。
瀬尾まい子の同名小説を「ケイコ 目を澄ませて」の三宅唱監督が映画化した本作は、多くの気づきをもたらしてくれる。
まるで知らないPMSというデリケートな面も含んだ女性の病。 漠然とは知っていてもこれも知識に乏しいパニック障害。
この映画はまずは、よく知られていない病気に対する見識を啓発する目的も備えながら、決して同情を乞うものではなく、私たちのすぐそばにいてもなんら不思議ではない“普通の人々”が慎ましく生きる姿の物語である。
主人公たちがドラマチックに病気を克服したり、恋愛関係に発展するような通俗的な方向に振るのではなく、ハンデを持つ者なりの、他の誰かの支えになる道へと踏み出すドラマが優しい眼差しで描かれている。
変わるかも知れないし、変わらないかも知れない。
人知れず、人と違う日々を送る人がささやかな笑顔で仰ぐ朝の空。
特別何かが起こる話ではないが確かに美しく優しいものを感じさせる。
こんな映画の撮り方があるのかと目からウロコの取れる名作だ。
1位 「ルックバック」
「チェンソーマン」の藤本タツキの長編読み切り作品を劇場アニメ化し、センセーションを巻き起こしたわずか58分の珠玉の物語が文句なしの1位。
小学校の中で、ちょっと絵の上手い少女・藤野は、不登校児ながら藤野よりも凄い画力を持った京本という子の存在を知る。
京本の才能に一時は漫画家になりたい道を断念した藤野だが、卒業証書を届けに行った時の出会いがきっかけで、京本とコンビで漫画を書き始め、やがて二人は漫画賞を受賞するまでに。
高校生になった二人は共同のペンネームでアマチュア漫画家として成功の道を歩み始めるが、京本の進学の意志が固く、ケンカ別れしたのちにお互いが別の道を往くことになる。
やがて、一人で漫画家として連載に追われる日々を送る藤野に耳を疑うニュースが飛び込んでくる・・・・
漫画。アニメ。 日本が世界に誇る文化。 そんな最高の芸術に日々アイデアを募らせ、ペンを走らせ、紆余曲折もありながら私たちに感動を届けてくれるクリエイターの人たち。
誰もが通ってきた夢への道の一歩一歩。
もっとうまくなりたい。 もっといいものを作りたい。 もっと。 もっと。 もっと。 もっと・・・・
そんな高みを目指す志を禍々しい悪が踏みにじる。
どうしても京アニ事件が思い起こされ、それと結びつけていいか否かは別として、それでも悲劇を乗り越えて今も机に向かう人たちの後ろ姿にエールを送らずにはいられない。
最初の出会いで秋田弁でまくし立てながら藤野を追って息を切らせる京本のシーン。
冬の夜のコンビニの雑誌売り場でジャンプを開く藤野と京本が固唾を呑む顔のシーン。
人と話すのが苦手な京本が「練習するもん」と藤野に訴えるシーン。
忘れがたき光景の数々が今も涙腺を刺激する。
京本は生き続ける。 藤野の背中をいつも見ている。
1時間にも満たない時間の中に凝縮された絶望と希望と不滅の青春。
6年前に倒れた36名の魂とすべての創作者の情熱に捧ぐ永久不滅の名作。
それではベスト20をおさらいです。
1位 「ルックバック」
2位 「夜明けのすべて」
3位 「ミッシング」
4位 「愛に乱暴」
5位 「ぼくのお日さま」
6位 「正義の行方」
7位 「あんのこと」
8位 「僕が生きてる、ふたつの世界」
9位 「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章」
10位 「鬼平犯科帳 血闘」
11位 「ディア・ファミリー」
12位 「侍タイムスリッパー」
13位 「劇場版 アナウンサーたちの戦争」
14位 「碁盤斬り」
15位 「映画 からかい上手の高木さん」
16位 「青春18✕2 君へと続く道」
17位 「悪は存在しない」
18位 「ゴールド・ボーイ」
19位 「ゴールデンカムイ」
20位 「一月の声に歓びを刻め」
ええ仕事の俳優20人です。 鑑賞順です。
【ええ仕事の男優20人】
岡山天音 「笑いのカイブツ」
高良健吾 「罪と悪」
松村北斗 「夜明けのすべて」
光石研 「夜明けのすべて」
羽村仁成 「ゴールド・ボーイ」
井浦新 「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」
市川染五郎 「鬼平犯科帳 血闘」
北村有起哉 「鬼平犯科帳 血闘」
草彅剛 「碁盤斬り」
中村倫也 「ミッシング」
森優作 「ミッシング」
青木崇高 「ミッシング」
高橋文也 「映画 からかい上手の高木さん」
大泉洋 「ディア・ファミリー」
森田剛 「劇場版 アナウンサーたちの戦争」
池松壮亮 「ぼくのお日さま」
吉沢亮 「僕が生きてる、ふたつの世界」
菅田将暉 「Cloud クラウド」
仲野太賀 「十一人の賊軍」
横浜流星 「正体」
【ええ仕事の女優20人】
前田敦子 「一月の声に歓びを刻め」
上白石萌音 「夜明けのすべて」
杉咲花 「52ヘルツのクジラたち」
長澤まさみ 「四月になれば彼女は」
芋生悠 「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」
濱尾咲綺 「水深ゼロメートルから」
清原果耶 「青春18✕2 君へと続く道」
見上愛 「不死身ラヴァーズ」
渋谷采郁 「悪は存在しない」
石原さとみ 「ミッシング」
杏 「かくしごと」
永野芽郁 「映画 からかい上手の高木さん」
菅野美穂 「ディア・ファミリー」
河合優美 「あんのこと」
新垣結衣 「違国日記」
江口のりこ 「愛に乱暴」
忍足亜希子 「僕が生きてる、ふたつの世界」
河井青葉 「ルート29」
小泉今日子 「海の沈黙」
中村映里子 「雨の中の慾情」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
以上になります。
今年もたくさん映画を楽しみましょう。
確かに、洋画が押されるのも無理もないですかね。
しかしですね。
昨年の邦画の興行収入のベスト10の中でアッシが観たのは7位の「変な家」だけ。 しかもイマイチな映画。
1作目以外観てないシリーズものの「キングダム 大将軍の帰還」(3位)もTVドラマの延長の「ラストマイル」(5位)も観てません。
「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」(8位)はハナから興味外。
コナン(1位)もハイキュー(2位)もSPY✕FAMILY(4位)もガンダム(6位)もドラえもん(9位)もヒロアカ(10位)も観てない。
・・・うん。 まあそうなるよね。 この10作の顔ぶれを見ると。
では20位から11位までをどうぞ。
20位 「一月の声に歓びを刻め」
19位 「ゴールデンカムイ」
18位 「ゴールド・ボーイ」
17位 「悪は存在しない」
16位 「青春18✕2 君へと続く道」
15位 「映画 からかい上手の高木さん」
14位 「碁盤斬り」
13位 「劇場版 アナウンサーたちの戦争」
12位 「侍タイムスリッパー」
11位 「ディア・ファミリー」
惜しくも20位以内に入らなかったのは・・・
「コットンテール」
「化け猫あんずちゃん」
「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」
「違国日記」
「Cloud クラウド」
それではベストテンです。
10位からカウントぉぉぉぉぉダァンッ!
10位 「鬼平犯科帳 血闘」
何と言っても嬉しいのは、奇をてらうことなく正統派時代劇を真っ向から作ってくれたこと。
時代劇が少なくなった今の時代、異世代へのウケを考慮した現代風描写も見られる昨今の流れに抗うかのように、ステレオタイプ上等な昔ながらのゴリゴリ時代劇で一貫した見事な鬼平犯科帳がスクリーンに見参。
爽快なテンポで突っ走り、きっちりとチャンバラを見せて、悪役の作り込みも完璧な一級の娯楽。
9位 「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章」
突如として巨大な宇宙船が東京上空に出現し、世界の終わりが近づいている状況で青春を謳歌する少女の姿を描いた革新的アニメーション。
確実に世界はヤバいことになっているのに誰もが自分の人生、今そこにある日常を普通にこなす、震災やコロナ禍で体験したある意味人の強さでもあるし弱さ。
閉塞感の中のパーソナルワールドを煮詰めたストーリーの斬新姓に圧倒された作品。
後章は残念ながらランク外。
8位 「僕が生きてる、ふたつの世界」
聾者の子として生まれ育ったエッセイスト五十嵐大の自伝エッセイを呉美保監督が映画化した感動作。
コーダの人生を物心ついた時から送ってきた主人公の葛藤に満ちた青春時代をリアルに繊細に、温かな目線で描いた物語は障害のことに疎い周囲の我々の目をも開かせる、より良き社会へのヒントとして意義の高い良作となっている。
「手話で話してくれてありがとう」の言葉のぬくもりにはただひれ伏すしかない。
7位 「あんのこと」
2020年の新聞の三面記事に載った一人の少女の記事からインスパイアされた壮絶な人間ドラマ。
幼少期から母親の虐待を受け、小学生で売春をさせられ、薬物依存症となった21歳の杏。
東京の団地で祖母の介護をしながら無為に暮らしていた彼女は覚醒剤使用で逮捕されるが、出会った刑事の男から生活保護や更生の手助けをしてもらい、母親と縁を絶って徐々に自分の居場所を見出していくのだが・・・
どん底から光を求める不撓の情熱をすくい上げる希望の物語が一転して、親も支援者も、ひいては社会までもが未来を叩き潰す無情の冷や水を浴びせるという救いなき物語に暗転する、その打ちのめされ感がハンパない。
コロナ禍という不運があったにせよ、一人の少女の人生にも光を与えれぬ社会の限界をまざまざと知る問題作は河合優美が名女優として完全覚醒したモニュメントでもある。
6位 「正義の行方」
2022年にNHKーBSで放送されたドキュメンタリーの劇場版。
1992年、福岡県の飯塚市で2人の女児が行方不明になり、甘木市(現・朝倉市)の森林の中で他殺体となって発見された「飯塚事件」。
逮捕された被疑者は終始無実を訴えるも死刑判決を受け、2008年に刑が執行される。
しかしその後も再審請求がなされるなど今も余波が続くこの事件を、弁護士、当時の捜査関係者、新聞記者らがそれぞれの立場から語る「真実」と「正義」をもとに司法の在り方などを浮き彫りにしていく。
一方的に冤罪だという主張だけでなく、やはり死刑囚が犯人だったのではという冷静な視点も尊重されたフェアな構成になっている。
まるでリアルな「羅生門」を見ているかのような、それぞれの立場から発せられる一種の信念の言葉の数々が観る者をカメラを持つ側のそばへと容赦なく引きずり込むその引力が凄い。
5位 「ぼくのお日さま」
カンヌの「ある視点」部門で日本人監督として史上最年少で選出された奥山大史の初商業映画。
雪に囲まれた田舎町。 吃音を持つ少年タクヤはフィギュアの練習をする少女さくらの姿を見て心を奪われる。
さくらのコーチをしている元フィギュアの選手である荒川は、さくらを真似てホッケー靴のままステップをして転んでいる少年を見かけて、彼の恋を応援してやろうと決めた。
荒川に誘われて、フィギュアを始めたタクヤはさくらと共にアイスダンスの大会を目指して練習に励むのだが・・・・
恋が始まる瞬間、その重要な場となるアイススケートリンクの立ちこめるスモークと淡い逆光という緻密な演出の元に表現される、人物の心が動き出すすべての始まりの美しさが見事と言うほかない。
とりわけ、あやふやな想いの人との関係が行き場を求めて浮遊する物語が、目線のやり取りや目配せによって語られるアプローチがまた複雑な感情を揺り起こさせるところも巧い。
小粒ながら小憎らしいまでに技巧を感じさせる秀作だ。
4位 「愛に乱暴」
吉田修一の同名小説を映画化したヒューマンサスペンス。
夫とともに夫の実家の離れで暮らす主婦桃子。 子供はいない。
母屋に住む義母に気を遣い、何ごとにも無関心な夫のこともやり過ごしながら、丁寧な暮らしに勤めてきた彼女の日常が次第に脅かされてゆく。
近所で相次ぐ不審火。 行方不明の愛猫。 匿名の人物の不倫アカウント。
そして、夫の突然の浮気の告白と相手の女性の妊娠。
黒い感情と共に桃子の失った愛が心の床下から堀り起こされようとしている・・・
日常のかすかな圧にさえも感情を閉じ込めたのはすべて喪失を埋めるため。 そんな女の退路が容赦なく断たれていく。
全編出ずっぱりの江口のりこの能面からほとばしる狂気と共に、求めても失い奪われていく女のカオスの底へと観る者も引きずり込まれる。
静から動へとストーリーのトーンが変化しながら負のエネルギーがみなぎり出す不思議な筆致の人間ドラマ。
3位 「ミッシング」
世の中の嫌な部分を引きずり出す映画の名手である吉田恵輔の、またしても容赦ない人間ブラック絵図。
失踪した幼い娘を必死に探す母親とその夫。 母親の些細な落ち度さえ攻撃するネットの悪意。 人の悲劇にも“賞味期限”があるメディア組織の思惑に翻弄される地元TV局のディレクター。 犯人扱いされながら後ろめたい傷を掘り返されて社会から弾かれる弟。
情報に頼らざるを得ない夫婦が世間に顔を出してビラを配り、顔を見せない悪意の情報に振り回されてゆくという歪んだ社会の皮肉な構図。
被害者さえもバッシングする冷血な世間の描写と並び、渋る弟までをカメラの前に引っ張り出すなど、なりふり構わぬ、ある意味、視野狭窄なまでの暴走と混迷の中で彷徨う母親の姿を時に突き放し、時に寄り添う視線でリアルに繊細に描いている。
頭の線が一本飛んだようなぶっ壊れ方を見せる石原さとみの壮絶なまでの体現力。 中村倫也、森優作の抑制の先にある感情の滲ませ方。
演者の鬼気迫るエネルギーがこの映画に強靱な生命を与え、観る者の胸に確かなくさびを打ち込み、「人の気持ちになる心」の薄れた世の中の姿を闘う問題作にして傑作である。
2位 「夜明けのすべて」
PMS(月経前症候群)のせいで怒りが抑えられなくなる藤沢さん。
彼女が転職先の町工場で出会ったパニック障害を抱えた青年、山添君と同志のような絆を育みながら、病気と向き合ってそれぞれの人生を見つけていく物語。
瀬尾まい子の同名小説を「ケイコ 目を澄ませて」の三宅唱監督が映画化した本作は、多くの気づきをもたらしてくれる。
まるで知らないPMSというデリケートな面も含んだ女性の病。 漠然とは知っていてもこれも知識に乏しいパニック障害。
この映画はまずは、よく知られていない病気に対する見識を啓発する目的も備えながら、決して同情を乞うものではなく、私たちのすぐそばにいてもなんら不思議ではない“普通の人々”が慎ましく生きる姿の物語である。
主人公たちがドラマチックに病気を克服したり、恋愛関係に発展するような通俗的な方向に振るのではなく、ハンデを持つ者なりの、他の誰かの支えになる道へと踏み出すドラマが優しい眼差しで描かれている。
変わるかも知れないし、変わらないかも知れない。
人知れず、人と違う日々を送る人がささやかな笑顔で仰ぐ朝の空。
特別何かが起こる話ではないが確かに美しく優しいものを感じさせる。
こんな映画の撮り方があるのかと目からウロコの取れる名作だ。
1位 「ルックバック」
「チェンソーマン」の藤本タツキの長編読み切り作品を劇場アニメ化し、センセーションを巻き起こしたわずか58分の珠玉の物語が文句なしの1位。
小学校の中で、ちょっと絵の上手い少女・藤野は、不登校児ながら藤野よりも凄い画力を持った京本という子の存在を知る。
京本の才能に一時は漫画家になりたい道を断念した藤野だが、卒業証書を届けに行った時の出会いがきっかけで、京本とコンビで漫画を書き始め、やがて二人は漫画賞を受賞するまでに。
高校生になった二人は共同のペンネームでアマチュア漫画家として成功の道を歩み始めるが、京本の進学の意志が固く、ケンカ別れしたのちにお互いが別の道を往くことになる。
やがて、一人で漫画家として連載に追われる日々を送る藤野に耳を疑うニュースが飛び込んでくる・・・・
漫画。アニメ。 日本が世界に誇る文化。 そんな最高の芸術に日々アイデアを募らせ、ペンを走らせ、紆余曲折もありながら私たちに感動を届けてくれるクリエイターの人たち。
誰もが通ってきた夢への道の一歩一歩。
もっとうまくなりたい。 もっといいものを作りたい。 もっと。 もっと。 もっと。 もっと・・・・
そんな高みを目指す志を禍々しい悪が踏みにじる。
どうしても京アニ事件が思い起こされ、それと結びつけていいか否かは別として、それでも悲劇を乗り越えて今も机に向かう人たちの後ろ姿にエールを送らずにはいられない。
最初の出会いで秋田弁でまくし立てながら藤野を追って息を切らせる京本のシーン。
冬の夜のコンビニの雑誌売り場でジャンプを開く藤野と京本が固唾を呑む顔のシーン。
人と話すのが苦手な京本が「練習するもん」と藤野に訴えるシーン。
忘れがたき光景の数々が今も涙腺を刺激する。
京本は生き続ける。 藤野の背中をいつも見ている。
1時間にも満たない時間の中に凝縮された絶望と希望と不滅の青春。
6年前に倒れた36名の魂とすべての創作者の情熱に捧ぐ永久不滅の名作。
それではベスト20をおさらいです。
1位 「ルックバック」
2位 「夜明けのすべて」
3位 「ミッシング」
4位 「愛に乱暴」
5位 「ぼくのお日さま」
6位 「正義の行方」
7位 「あんのこと」
8位 「僕が生きてる、ふたつの世界」
9位 「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章」
10位 「鬼平犯科帳 血闘」
11位 「ディア・ファミリー」
12位 「侍タイムスリッパー」
13位 「劇場版 アナウンサーたちの戦争」
14位 「碁盤斬り」
15位 「映画 からかい上手の高木さん」
16位 「青春18✕2 君へと続く道」
17位 「悪は存在しない」
18位 「ゴールド・ボーイ」
19位 「ゴールデンカムイ」
20位 「一月の声に歓びを刻め」
ええ仕事の俳優20人です。 鑑賞順です。
【ええ仕事の男優20人】
岡山天音 「笑いのカイブツ」
高良健吾 「罪と悪」
松村北斗 「夜明けのすべて」
光石研 「夜明けのすべて」
羽村仁成 「ゴールド・ボーイ」
井浦新 「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」
市川染五郎 「鬼平犯科帳 血闘」
北村有起哉 「鬼平犯科帳 血闘」
草彅剛 「碁盤斬り」
中村倫也 「ミッシング」
森優作 「ミッシング」
青木崇高 「ミッシング」
高橋文也 「映画 からかい上手の高木さん」
大泉洋 「ディア・ファミリー」
森田剛 「劇場版 アナウンサーたちの戦争」
池松壮亮 「ぼくのお日さま」
吉沢亮 「僕が生きてる、ふたつの世界」
菅田将暉 「Cloud クラウド」
仲野太賀 「十一人の賊軍」
横浜流星 「正体」
【ええ仕事の女優20人】
前田敦子 「一月の声に歓びを刻め」
上白石萌音 「夜明けのすべて」
杉咲花 「52ヘルツのクジラたち」
長澤まさみ 「四月になれば彼女は」
芋生悠 「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」
濱尾咲綺 「水深ゼロメートルから」
清原果耶 「青春18✕2 君へと続く道」
見上愛 「不死身ラヴァーズ」
渋谷采郁 「悪は存在しない」
石原さとみ 「ミッシング」
杏 「かくしごと」
永野芽郁 「映画 からかい上手の高木さん」
菅野美穂 「ディア・ファミリー」
河合優美 「あんのこと」
新垣結衣 「違国日記」
江口のりこ 「愛に乱暴」
忍足亜希子 「僕が生きてる、ふたつの世界」
河井青葉 「ルート29」
小泉今日子 「海の沈黙」
中村映里子 「雨の中の慾情」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
以上になります。
今年もたくさん映画を楽しみましょう。
2024 映画ベスト二十選~洋画の巻
2025年01月05日
まずは御挨拶。 ヘビばっかり出てきまがご容赦のほどを。
諸君、新年あけましておめでとう。
へび年の今年は俺から賀正の言葉を授けよう。
今年こそは我がショッカーが必ずや世界を征服するので乞うご期待。
ちなみに戦闘員は随時募集している。
各種保険完備。 昇給あり。 福利厚生も充実。
働きが認められれば改造人間にしてもらえるチャンスだってあるぞ。 俺も同型の友だちがほしいしな。
ハブ男、マムシ男、アオダイショウ男、ニシキヘビ男、アナコンダ男、ヤマカガシ男・・・うーん、考えただけで気持ちがニョロニョロ・・・・
おい、コブやん。 てめえ、どこに座ってんだ?
あっ、ガラ兄さん。
そこは幹部の座る席だろが、このボケ。
すいません、つい脱皮して、いや違った。 つい魔がさして。
ちょいと目を離すとすぐこれだ、てめえは。 あんまり調子こいてたら奥歯ガラガラいわしちゃるぞ。
おい、おめえら。
あっ、首領。
まだ餅は焼けねえのか。 いつまで待たせんだ、この野郎。
(しまった、忘れてた・・・)た、ただいまお持ちします。お餅だけに。
つまんねえシャレ抜かしてたら処刑するぞ、このクソ蛇が。
申し訳ありません。(コブやん、ダッシュでサトウの切り餅をトースターで焼いてくれ)
ええっ!? 戦闘員にさせりゃあ・・・って、みんな帰省中か。
まだかあ、おい。 早くしねえと「格付けチェック」が始まっちゃうじゃねえかよ。
し、しばしお待ちを。(ううっ困った)
首領の正月は「餅を食いながら「格付けチェック」を観る」ことから始まるんだよな。
あらためまして。
今年もよろしくお願いします。
さて、今年は早速2024年の映画ベストランキングから参ります。
まずは洋画。
毎年勢いをなくしていますが昨年は特に元気がなかったですねえ。
日本国内の興行収入でベストテン入りしたのは「インサイド・ヘッド2」と「怪盗グルーのミニオン超変身」というアニメの2本。
実写映画では「デッドプール&ウルヴァリン」の16位が最高。
寂しいっちゃあ寂しいけど、この結果には驚きもしなくなりましたな。
今年はガツーンとくるものがほしいですねえ。
では20位から11位までを。
20位 「僕らの世界が交わるまで」
19位 「デューン 砂の惑星 PART2」
18位 「サウンド・オブ・フリーダム」
17位 「人間の境界」
16位 「マッドマックス:フュリオサ」
15位 「ザ・バイクライダーズ」
14位 「ネクスト・ゴール・ウィンズ」
13位 「関心領域」
12位 「本日公休」
11位 「2度目のはなればなれ」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
20位以内に入らなかった惜しい作品。
「カラーパープル」
「マリウポリの20日間」
「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」
「助産師たちの夜が明ける」
「ゴンドラ」
それではベストテン。
10位からカウーントぉぉ、ダーン!
10位 「12日の殺人」
一般のウケは今ひとつだったが、個人的には強烈にブッ刺さったフランスのサスペンドラマ。
女子大生が生きて焼かれた惨殺事件を警察が捜査するも、結局は迷宮入りする話だが、あくまで謎解きミステリーではなく、刑事という生き物がスーパーヒーローなどではない、シビアな現実に直面して、時に我を見失う一人の人間であることを浮き彫りにする。
被害者の隠された多面性から不確実な人間の不透明さと男性優位社会の批判までもが浮上してくる、練り込まれた多層構造のドラマが素晴らしい。
9位 「哀れなるものたち」
ヨルゴス・ランティモス監督による、一人の女性の成長と進化を描く幻想的なロードムービー。
自ら命を絶った女性ベラが天才外科医によって赤子の脳を移植されて蘇生。
次々と新しいことを覚え、やがて外の世界のことを知りたくなったベラは旅の中で戦争、貧富、性欲、思想、人間の残酷さ、そして「自分らしさ」を学んでいく。
タブーの境界を突き抜け、不文律に毒された世界を一度破壊して再構築するほどの衝撃的な人間進化を遂げるヒロインを通して新しい人生観を発見させてくれる怪作にして傑作。
8位 「アイアンクロー」
プロレスラー一家として名を馳せたフリッツ・フォン・エリックとその息子たちに降りかかる死の連鎖の悲劇。
兄弟という常にそばにいてくれる存在がありながら、孤独に苛まれ、自己の存在を疑い、破滅への泥沼にはまり込んでいく若者たちのあまりに悲しい運命に、健全であるべきスポーツファミリーの暗い一面を垣間見せられる。
父親の期待に怯え、望まぬ道でも己の心身にムチ打ちながらこの世を去らねばならなかった兄弟たちが向こう側の世界で抱擁し合うシーンには感涙を禁じ得ない。
7位 「ロボット・ドリームズ」
人間を動物に置き換えた80年代のニューヨークを舞台に、孤独な犬と“友だちロボット”の切ない絆をセリフなしで描く感動のアニメ。
アーケードゲーム、ディスコミュージック、ワールドトレードセンターをはじめ、今は衰退・消滅した様々なカルチャーとなぞらえつつ、今も残るノスタルジーというエネルギーを思い起こさせながら、時代の波にかき消されない不変の友情を讃えた、深いにもほどがある絶品のストーリー。
ニューヨークの空気感をディテール豊かに再現したアートの密度が素晴らしく、ストーリーを牽引するアース・ウインド&ファイヤーの「セプテンバー」のイメージさえ刷新してしまった、画と音楽の持つメッセージが圧倒してくる至高のアニメ。
6位 「ビヨンド・ユートピア 脱北」
北朝鮮から他国へと逃れる脱北者。 その知られざる逃避行の一部始終をある家族にカメラが密着した緊迫のドキュメンタリー。
幼い子供2人と老婆を含む5人の家族が、野を越え山を越え、バレたら一巻の終わりという息を抜けない状況下でひたすらタイを目指す1万2000キロの逃亡行脚。
彼らを支援する牧師の奮闘や、先に脱北し、あとから来るはずの息子と再会できぬ一人の若き母親の姿も追いながら、人が暮らす国としての体を為していない北朝鮮という国家の惨状をも浮き彫りにしていく。
本当に北朝鮮という国について我々はあまりにまだよく知らないことを痛感させられながら、未来に向かって支え合う家族の強さもまざまざと見せつけられる迫真の記録である。
5位 「パスト ライブス/再会」
韓国に暮らし、互いに想い合っていたが、やがて離ればなれになる12歳の少年と少女。
それから12年後の24歳、さらに12年後の36歳の二人の姿を追い、今は違う道を行く彼らの切ない再会と別れを描いたラブストーリー。
好き同士だったにも関わらず実らなかった愛はこの世にゴマンとあり、その“縁”というもののシビアなスレ違いと恋の清算を人物の繊細な心情描写と共に描く24年の大河は、誰の心の奥にもあるささくれに優しく触れるのではないだろうか。
きちんとお別れを言えなかった二人の互いの道を再度確かめ合うための再会。
その間に入れぬヒロインの新しい伴侶の葛藤という視点を交えながら、愛という存在の懐の奥深さと包容力を胸に染みさせてくれ、バーのカウンターの3ショットに萌え、ラストのカメラの横移動には心が震える。
叙情的でポエティックな映像美と、真摯で真っ直ぐな語り口。
個人的に恋愛映画が食わず嫌いな自分に衝撃を与えた一品。
4位 「落下の解剖学」
フランスの雪山に建つ一軒の山荘。
そこに暮らすのは作家の妻と元教師の夫。 そして目の不自由な息子+一匹の犬。
ある日、夫が原因不明の転落死を遂げ、その時一人家に居た妻の他殺が疑われて裁判が始まる。 そこで明らかになるのは・・・・
この映画も「真相は藪の中」というパターンのオチなのだが、「人は自分の信じたいことを真実とする」というセリフにも言及されてるように、ハナから妻の完全犯罪の尻尾を探しながら映画を鑑賞していたであろう観客を巻き込む形で、法廷という場が先入観の元に人の人格を晒しながら地獄の罵り合いへと発展していく醜態をあぶり出していく。
愛し合っていたはずの夫婦が自己憐憫と配偶者の人格否定に暴走し、関係が破壊されていく中で放置された息子がいかにどの“真実”を選択してこれからの人生に臨んでいくのか。
事件の真相も誰の本心も明らかにはしない。 その謎にあれやこれやと想像をかきめぐらさせるための巧妙な罠が散りばめられた、個人的に大好物の変化球型心理解剖ミステリーである。
3位 「オッペンハイマー」
クリストファー・ノーランが原爆の父と呼ばれた科学者オッペンハイマーの功罪と数奇な運命を描き、アカデミー賞7部門を受賞した伝記ドラマの大作。
この作品は日本の有識者が求めるような原爆に対する贖罪や総括という被爆国におもねる反省・謝罪映画ではない。
我々とは思考回路の違う偉い学者先生でさえも、一番になりたい競争心や名誉欲に囚われる一人の人間であるというその仮面を剥がす人間ドラマである。
オッペンハイマーは戦争に勝つための知恵を持った戦争屋ではない。 戦争のことは素人であり、物理学の分野で誰も為し得ていないことを誰より先に為し得たいために、原子力爆弾という名の研究成果として想像を絶するエネルギーのカタマリを造り上げただけだ。
その実験をすれば大気引火で地球が燃え尽きるかも知れない恐れや、それを戦争のプロたちがどう使うのか深く考えもせずに。
強力な武器さえ持って力を誇示さえすれば平和が保証されるという、核保有の神話に人類が囚われてしまった世界の設計者になってしまったことに気づいた彼は大統領からも蔑まれ、警告していた同じ研究者からも見放され、果ては共産主義者のレッテルを貼られる陰謀に巻き込まれて地位を失墜する。
人類初の大発明の陰に短絡的な功名心と浅はかな嫉妬と妬みが交錯していた、愚かな人間臭に満ちた歴史の転換劇を時間軸を交差させながら、その時はもう戻らぬ絶望感をたっぷりと滲ませて、人間オッペンハイマーを骨まで描ききった力作である。
2位 「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリデイ」
「アバウト・シュミット」、「サイドウェイ」のアレクサンダー・ペイン監督十八番の人間再生映画。
1970年の12月。 ある全寮制の寄宿学校で、誰もが家族とクリスマスを過ごすために学校を離れる中、ある理由で残った嫌われ者の教師と友人のいない生徒、息子をベトナムで亡くした料理長の3人のささやかな交流が人生の再発見をもたらす物語である。
人生の、ある地点から置いてけぼりになっていた3人の出会いは中盤からボストンへと舞台を移し、3人の秘められた過去を明かしながら人生に不意に訪れる喪失を乗り越えたときの大事な悟りの尊さを、物語を追う私たちにもそっと差し出してくれる。
この温かな眼差しがアレクサンダー・ペインの真骨頂でもある。
人は過去から学ぶ。 しかし過去でその人の人生は決定されるものではない。
ましてや親や権力が押しつける自己の埋没に未来はない。
一人の人間として自身を見つめて、今をどう生きるかで新しい未来は幾らでも築けるのだ。
ポール・ジアマッティのリアルでナチュラルな佇まい。 新星ドミニク・セッサの絶妙なツンキャラ。 ダヴァイン・ジョイ・ランドルフの要所で見せ場をかっさらう存在感もピカイチだ。
疑似家族のような関係でつながった3人が街の片隅でささやかな灯りをともすシーンの美しさが忘れがたい。
1位 「憐れみの3章」
ヨルゴス・ランティモスが依存と支配とその代償を描く、狂気の165分のオムニバス。
同じ役者を起用した3編の全く別の内容の物語で構成された、一粒で三度美味しいランティモス・ワンダーランドである。
上司と永らく同性愛の関係にあり、私生活さえもコントロールされてるほど上司に従属する男にふっかけられた無理難題。
一度拒否して関係を解消した途端、人生がうまくいかなくなった男が下す決断とは?(1章 「R.M.Fの死」)
警官の妻は海で遭難して行方不明になっていたが、奇跡的に無事に発見されて帰宅。 しかし戻ってきた女がどうしても本物の自分の妻だとは思えない夫はますます疑心暗鬼に陥り、妻に対して恐ろしい要求を突きつける。(2章 「R.M.Fは飛ぶ」)
死者を甦らせる能力を持った人物を探す、あるカルト教団信者の女は、別れた夫と娘と密かに会ってるところ教団に知られて破門となる。 信頼回復のために必死になる女は教団が探し求める能力を有した女と遂にめぐり会うのだが・・・(3章 「R.M.F サンドイッチを食べる」)
支配者と被支配者の織りなす悪い夢のような物語はどれもが自己破壊をもたらす不条理な狂気へと突っ走った人間冷笑奇譚。
どいつもこいつも宇宙人が乗り移ってるのかと思うほど、常軌を逸した言動と人の道から躊躇なく外れていくブザマな暴走の見本市はまさしくランティモスの変態芸風が久々に炸裂した唯一無二の映像体験。
ユーリズミックスのサウンドが突き抜け、エマ・ストーンやジェシー・プレモンス、ウィレム・デフォーらがちょっと壊れた3つの多元宇宙が観るものの理性を侵食する。
万人を寄せ付けない、まさに映画バカにしか踏み入れることのできぬ驚異の怪作だ。
それではベスト20のおさらい。
1位 「憐れみの3章」
2位 「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリデイ」
3位 「オッペンハイマー」
4位 「落下の解剖学」
5位 「パスト ライブス/再会」
6位 「ビヨンド・ユートピア 脱北」
7位 「ロボット・ドリームズ」
8位 「アイアンクロー」
9位 「哀れなるものたち」
10位 「12日の殺人」
11位 「2度目のはなればなれ」
12位 「本日公休」
13位 「関心領域」
14位 「ネクスト・ゴール・ウィンズ」
15位 「ザ・バイクライダーズ」
16位 「マッドマックス:フュリオサ」
17位 「人間の境界」
18位 「サウンド・オブ・フリーダム」
19位 「デューン 砂の惑星 PART2」
20位 「僕らの世界が交わるまで」
ええ仕事の俳優20人。 鑑賞順です。
【ええ仕事の男優20人】
フィン・ウォルハード 「僕らの世界が交わるまで」
ウィレム・デフォー 「哀れなるものたち」
コールマン・ドミンゴ 「カラーパープル」
ホアキン・フェニックス 「ボーはおそれている」
オスカー・ナイトリー 「ネクスト・ゴール・ウィンズ」
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ 「DOGMAN ドッグマン」
バスティアン・ブイヨン 「12日の殺人」
ユ・テオ 「パスト ライブス/再会」
キリアン・マーフィー 「オッペンハイマー」
ロバート・ダウニー・Jr. 「オッペンハイマー」
ザック・エフロン 「アイアンクロー」
ポール・ジアマッティ 「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリデイ」
ドミニク・セッサ 「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリデイ」
アダム・ドライバー 「フェラーリ」
ドゥニ・メノーシェ 「越境者たち」
ジェシー・プレモンス 「憐れみの3章」
デニズ・ジェリオウル 「二つの季節しかない村」
マイケル・ケイン 「2度目のはなればなれ」
デンゼル・ワシントン 「グラディエーターⅡ 英雄を呼ぶ声」
オースティン・バトラー 「ザ・バイクライダーズ」
【ええ仕事の女優20人】
ジュリアン・ムーア 「僕らの世界が交わるまで」
エマ・ストーン 「哀れなるものたち」
ファンテイジア・バリーノ 「カラーパープル」
サンドラ・ヒュー 「落下の解剖学」
キム・ソヒョン 「ビニールハウス」
エリザベス・バンクス 「コール・ジェーン -女性たちの秘密の電話-」
グレタ・リー 「パスト ライブス/再会」
ケイリー・スピーニー 「プリシラ」
ヘレナ・ツェンゲル 「システム・クラッシャー」
レオニー・ベネシュ 「ありふれた教室」
アニャ・テイラー=ジョイ 「マッドマックス:フュリオサ」
ゼンデイヤ 「チャレンジャーズ」
ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ 「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリデイ」
エリザベス・モス 「Shirley シャーリイ」
ペネロペ・クルス 「フェラーリ」
ナタリー・ポートマン 「メイ・ディセンバー ゆれる真実」
スカーレット・ヨハンソン 「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」
アリョーナ・ミハイロワ 「チャイコフスキーの妻」
ルー・シャオフェン 「本日公休」
イサベル・ファーマン 「ノーヴィス」
次回、「邦画の巻」に続く。
諸君、新年あけましておめでとう。
へび年の今年は俺から賀正の言葉を授けよう。
今年こそは我がショッカーが必ずや世界を征服するので乞うご期待。
ちなみに戦闘員は随時募集している。
各種保険完備。 昇給あり。 福利厚生も充実。
働きが認められれば改造人間にしてもらえるチャンスだってあるぞ。 俺も同型の友だちがほしいしな。
ハブ男、マムシ男、アオダイショウ男、ニシキヘビ男、アナコンダ男、ヤマカガシ男・・・うーん、考えただけで気持ちがニョロニョロ・・・・
おい、コブやん。 てめえ、どこに座ってんだ?
あっ、ガラ兄さん。
そこは幹部の座る席だろが、このボケ。
すいません、つい脱皮して、いや違った。 つい魔がさして。
ちょいと目を離すとすぐこれだ、てめえは。 あんまり調子こいてたら奥歯ガラガラいわしちゃるぞ。
おい、おめえら。
あっ、首領。
まだ餅は焼けねえのか。 いつまで待たせんだ、この野郎。
(しまった、忘れてた・・・)た、ただいまお持ちします。お餅だけに。
つまんねえシャレ抜かしてたら処刑するぞ、このクソ蛇が。
申し訳ありません。(コブやん、ダッシュでサトウの切り餅をトースターで焼いてくれ)
ええっ!? 戦闘員にさせりゃあ・・・って、みんな帰省中か。
まだかあ、おい。 早くしねえと「格付けチェック」が始まっちゃうじゃねえかよ。
し、しばしお待ちを。(ううっ困った)
首領の正月は「餅を食いながら「格付けチェック」を観る」ことから始まるんだよな。
あらためまして。
今年もよろしくお願いします。
さて、今年は早速2024年の映画ベストランキングから参ります。
まずは洋画。
毎年勢いをなくしていますが昨年は特に元気がなかったですねえ。
日本国内の興行収入でベストテン入りしたのは「インサイド・ヘッド2」と「怪盗グルーのミニオン超変身」というアニメの2本。
実写映画では「デッドプール&ウルヴァリン」の16位が最高。
寂しいっちゃあ寂しいけど、この結果には驚きもしなくなりましたな。
今年はガツーンとくるものがほしいですねえ。
では20位から11位までを。
20位 「僕らの世界が交わるまで」
19位 「デューン 砂の惑星 PART2」
18位 「サウンド・オブ・フリーダム」
17位 「人間の境界」
16位 「マッドマックス:フュリオサ」
15位 「ザ・バイクライダーズ」
14位 「ネクスト・ゴール・ウィンズ」
13位 「関心領域」
12位 「本日公休」
11位 「2度目のはなればなれ」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
20位以内に入らなかった惜しい作品。
「カラーパープル」
「マリウポリの20日間」
「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」
「助産師たちの夜が明ける」
「ゴンドラ」
それではベストテン。
10位からカウーントぉぉ、ダーン!
10位 「12日の殺人」
一般のウケは今ひとつだったが、個人的には強烈にブッ刺さったフランスのサスペンドラマ。
女子大生が生きて焼かれた惨殺事件を警察が捜査するも、結局は迷宮入りする話だが、あくまで謎解きミステリーではなく、刑事という生き物がスーパーヒーローなどではない、シビアな現実に直面して、時に我を見失う一人の人間であることを浮き彫りにする。
被害者の隠された多面性から不確実な人間の不透明さと男性優位社会の批判までもが浮上してくる、練り込まれた多層構造のドラマが素晴らしい。
9位 「哀れなるものたち」
ヨルゴス・ランティモス監督による、一人の女性の成長と進化を描く幻想的なロードムービー。
自ら命を絶った女性ベラが天才外科医によって赤子の脳を移植されて蘇生。
次々と新しいことを覚え、やがて外の世界のことを知りたくなったベラは旅の中で戦争、貧富、性欲、思想、人間の残酷さ、そして「自分らしさ」を学んでいく。
タブーの境界を突き抜け、不文律に毒された世界を一度破壊して再構築するほどの衝撃的な人間進化を遂げるヒロインを通して新しい人生観を発見させてくれる怪作にして傑作。
8位 「アイアンクロー」
プロレスラー一家として名を馳せたフリッツ・フォン・エリックとその息子たちに降りかかる死の連鎖の悲劇。
兄弟という常にそばにいてくれる存在がありながら、孤独に苛まれ、自己の存在を疑い、破滅への泥沼にはまり込んでいく若者たちのあまりに悲しい運命に、健全であるべきスポーツファミリーの暗い一面を垣間見せられる。
父親の期待に怯え、望まぬ道でも己の心身にムチ打ちながらこの世を去らねばならなかった兄弟たちが向こう側の世界で抱擁し合うシーンには感涙を禁じ得ない。
7位 「ロボット・ドリームズ」
人間を動物に置き換えた80年代のニューヨークを舞台に、孤独な犬と“友だちロボット”の切ない絆をセリフなしで描く感動のアニメ。
アーケードゲーム、ディスコミュージック、ワールドトレードセンターをはじめ、今は衰退・消滅した様々なカルチャーとなぞらえつつ、今も残るノスタルジーというエネルギーを思い起こさせながら、時代の波にかき消されない不変の友情を讃えた、深いにもほどがある絶品のストーリー。
ニューヨークの空気感をディテール豊かに再現したアートの密度が素晴らしく、ストーリーを牽引するアース・ウインド&ファイヤーの「セプテンバー」のイメージさえ刷新してしまった、画と音楽の持つメッセージが圧倒してくる至高のアニメ。
6位 「ビヨンド・ユートピア 脱北」
北朝鮮から他国へと逃れる脱北者。 その知られざる逃避行の一部始終をある家族にカメラが密着した緊迫のドキュメンタリー。
幼い子供2人と老婆を含む5人の家族が、野を越え山を越え、バレたら一巻の終わりという息を抜けない状況下でひたすらタイを目指す1万2000キロの逃亡行脚。
彼らを支援する牧師の奮闘や、先に脱北し、あとから来るはずの息子と再会できぬ一人の若き母親の姿も追いながら、人が暮らす国としての体を為していない北朝鮮という国家の惨状をも浮き彫りにしていく。
本当に北朝鮮という国について我々はあまりにまだよく知らないことを痛感させられながら、未来に向かって支え合う家族の強さもまざまざと見せつけられる迫真の記録である。
5位 「パスト ライブス/再会」
韓国に暮らし、互いに想い合っていたが、やがて離ればなれになる12歳の少年と少女。
それから12年後の24歳、さらに12年後の36歳の二人の姿を追い、今は違う道を行く彼らの切ない再会と別れを描いたラブストーリー。
好き同士だったにも関わらず実らなかった愛はこの世にゴマンとあり、その“縁”というもののシビアなスレ違いと恋の清算を人物の繊細な心情描写と共に描く24年の大河は、誰の心の奥にもあるささくれに優しく触れるのではないだろうか。
きちんとお別れを言えなかった二人の互いの道を再度確かめ合うための再会。
その間に入れぬヒロインの新しい伴侶の葛藤という視点を交えながら、愛という存在の懐の奥深さと包容力を胸に染みさせてくれ、バーのカウンターの3ショットに萌え、ラストのカメラの横移動には心が震える。
叙情的でポエティックな映像美と、真摯で真っ直ぐな語り口。
個人的に恋愛映画が食わず嫌いな自分に衝撃を与えた一品。
4位 「落下の解剖学」
フランスの雪山に建つ一軒の山荘。
そこに暮らすのは作家の妻と元教師の夫。 そして目の不自由な息子+一匹の犬。
ある日、夫が原因不明の転落死を遂げ、その時一人家に居た妻の他殺が疑われて裁判が始まる。 そこで明らかになるのは・・・・
この映画も「真相は藪の中」というパターンのオチなのだが、「人は自分の信じたいことを真実とする」というセリフにも言及されてるように、ハナから妻の完全犯罪の尻尾を探しながら映画を鑑賞していたであろう観客を巻き込む形で、法廷という場が先入観の元に人の人格を晒しながら地獄の罵り合いへと発展していく醜態をあぶり出していく。
愛し合っていたはずの夫婦が自己憐憫と配偶者の人格否定に暴走し、関係が破壊されていく中で放置された息子がいかにどの“真実”を選択してこれからの人生に臨んでいくのか。
事件の真相も誰の本心も明らかにはしない。 その謎にあれやこれやと想像をかきめぐらさせるための巧妙な罠が散りばめられた、個人的に大好物の変化球型心理解剖ミステリーである。
3位 「オッペンハイマー」
クリストファー・ノーランが原爆の父と呼ばれた科学者オッペンハイマーの功罪と数奇な運命を描き、アカデミー賞7部門を受賞した伝記ドラマの大作。
この作品は日本の有識者が求めるような原爆に対する贖罪や総括という被爆国におもねる反省・謝罪映画ではない。
我々とは思考回路の違う偉い学者先生でさえも、一番になりたい競争心や名誉欲に囚われる一人の人間であるというその仮面を剥がす人間ドラマである。
オッペンハイマーは戦争に勝つための知恵を持った戦争屋ではない。 戦争のことは素人であり、物理学の分野で誰も為し得ていないことを誰より先に為し得たいために、原子力爆弾という名の研究成果として想像を絶するエネルギーのカタマリを造り上げただけだ。
その実験をすれば大気引火で地球が燃え尽きるかも知れない恐れや、それを戦争のプロたちがどう使うのか深く考えもせずに。
強力な武器さえ持って力を誇示さえすれば平和が保証されるという、核保有の神話に人類が囚われてしまった世界の設計者になってしまったことに気づいた彼は大統領からも蔑まれ、警告していた同じ研究者からも見放され、果ては共産主義者のレッテルを貼られる陰謀に巻き込まれて地位を失墜する。
人類初の大発明の陰に短絡的な功名心と浅はかな嫉妬と妬みが交錯していた、愚かな人間臭に満ちた歴史の転換劇を時間軸を交差させながら、その時はもう戻らぬ絶望感をたっぷりと滲ませて、人間オッペンハイマーを骨まで描ききった力作である。
2位 「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリデイ」
「アバウト・シュミット」、「サイドウェイ」のアレクサンダー・ペイン監督十八番の人間再生映画。
1970年の12月。 ある全寮制の寄宿学校で、誰もが家族とクリスマスを過ごすために学校を離れる中、ある理由で残った嫌われ者の教師と友人のいない生徒、息子をベトナムで亡くした料理長の3人のささやかな交流が人生の再発見をもたらす物語である。
人生の、ある地点から置いてけぼりになっていた3人の出会いは中盤からボストンへと舞台を移し、3人の秘められた過去を明かしながら人生に不意に訪れる喪失を乗り越えたときの大事な悟りの尊さを、物語を追う私たちにもそっと差し出してくれる。
この温かな眼差しがアレクサンダー・ペインの真骨頂でもある。
人は過去から学ぶ。 しかし過去でその人の人生は決定されるものではない。
ましてや親や権力が押しつける自己の埋没に未来はない。
一人の人間として自身を見つめて、今をどう生きるかで新しい未来は幾らでも築けるのだ。
ポール・ジアマッティのリアルでナチュラルな佇まい。 新星ドミニク・セッサの絶妙なツンキャラ。 ダヴァイン・ジョイ・ランドルフの要所で見せ場をかっさらう存在感もピカイチだ。
疑似家族のような関係でつながった3人が街の片隅でささやかな灯りをともすシーンの美しさが忘れがたい。
1位 「憐れみの3章」
ヨルゴス・ランティモスが依存と支配とその代償を描く、狂気の165分のオムニバス。
同じ役者を起用した3編の全く別の内容の物語で構成された、一粒で三度美味しいランティモス・ワンダーランドである。
上司と永らく同性愛の関係にあり、私生活さえもコントロールされてるほど上司に従属する男にふっかけられた無理難題。
一度拒否して関係を解消した途端、人生がうまくいかなくなった男が下す決断とは?(1章 「R.M.Fの死」)
警官の妻は海で遭難して行方不明になっていたが、奇跡的に無事に発見されて帰宅。 しかし戻ってきた女がどうしても本物の自分の妻だとは思えない夫はますます疑心暗鬼に陥り、妻に対して恐ろしい要求を突きつける。(2章 「R.M.Fは飛ぶ」)
死者を甦らせる能力を持った人物を探す、あるカルト教団信者の女は、別れた夫と娘と密かに会ってるところ教団に知られて破門となる。 信頼回復のために必死になる女は教団が探し求める能力を有した女と遂にめぐり会うのだが・・・(3章 「R.M.F サンドイッチを食べる」)
支配者と被支配者の織りなす悪い夢のような物語はどれもが自己破壊をもたらす不条理な狂気へと突っ走った人間冷笑奇譚。
どいつもこいつも宇宙人が乗り移ってるのかと思うほど、常軌を逸した言動と人の道から躊躇なく外れていくブザマな暴走の見本市はまさしくランティモスの変態芸風が久々に炸裂した唯一無二の映像体験。
ユーリズミックスのサウンドが突き抜け、エマ・ストーンやジェシー・プレモンス、ウィレム・デフォーらがちょっと壊れた3つの多元宇宙が観るものの理性を侵食する。
万人を寄せ付けない、まさに映画バカにしか踏み入れることのできぬ驚異の怪作だ。
それではベスト20のおさらい。
1位 「憐れみの3章」
2位 「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリデイ」
3位 「オッペンハイマー」
4位 「落下の解剖学」
5位 「パスト ライブス/再会」
6位 「ビヨンド・ユートピア 脱北」
7位 「ロボット・ドリームズ」
8位 「アイアンクロー」
9位 「哀れなるものたち」
10位 「12日の殺人」
11位 「2度目のはなればなれ」
12位 「本日公休」
13位 「関心領域」
14位 「ネクスト・ゴール・ウィンズ」
15位 「ザ・バイクライダーズ」
16位 「マッドマックス:フュリオサ」
17位 「人間の境界」
18位 「サウンド・オブ・フリーダム」
19位 「デューン 砂の惑星 PART2」
20位 「僕らの世界が交わるまで」
ええ仕事の俳優20人。 鑑賞順です。
【ええ仕事の男優20人】
フィン・ウォルハード 「僕らの世界が交わるまで」
ウィレム・デフォー 「哀れなるものたち」
コールマン・ドミンゴ 「カラーパープル」
ホアキン・フェニックス 「ボーはおそれている」
オスカー・ナイトリー 「ネクスト・ゴール・ウィンズ」
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ 「DOGMAN ドッグマン」
バスティアン・ブイヨン 「12日の殺人」
ユ・テオ 「パスト ライブス/再会」
キリアン・マーフィー 「オッペンハイマー」
ロバート・ダウニー・Jr. 「オッペンハイマー」
ザック・エフロン 「アイアンクロー」
ポール・ジアマッティ 「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリデイ」
ドミニク・セッサ 「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリデイ」
アダム・ドライバー 「フェラーリ」
ドゥニ・メノーシェ 「越境者たち」
ジェシー・プレモンス 「憐れみの3章」
デニズ・ジェリオウル 「二つの季節しかない村」
マイケル・ケイン 「2度目のはなればなれ」
デンゼル・ワシントン 「グラディエーターⅡ 英雄を呼ぶ声」
オースティン・バトラー 「ザ・バイクライダーズ」
【ええ仕事の女優20人】
ジュリアン・ムーア 「僕らの世界が交わるまで」
エマ・ストーン 「哀れなるものたち」
ファンテイジア・バリーノ 「カラーパープル」
サンドラ・ヒュー 「落下の解剖学」
キム・ソヒョン 「ビニールハウス」
エリザベス・バンクス 「コール・ジェーン -女性たちの秘密の電話-」
グレタ・リー 「パスト ライブス/再会」
ケイリー・スピーニー 「プリシラ」
ヘレナ・ツェンゲル 「システム・クラッシャー」
レオニー・ベネシュ 「ありふれた教室」
アニャ・テイラー=ジョイ 「マッドマックス:フュリオサ」
ゼンデイヤ 「チャレンジャーズ」
ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ 「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリデイ」
エリザベス・モス 「Shirley シャーリイ」
ペネロペ・クルス 「フェラーリ」
ナタリー・ポートマン 「メイ・ディセンバー ゆれる真実」
スカーレット・ヨハンソン 「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」
アリョーナ・ミハイロワ 「チャイコフスキーの妻」
ルー・シャオフェン 「本日公休」
イサベル・ファーマン 「ノーヴィス」
次回、「邦画の巻」に続く。
他にもこれ観ながら2024年がゆく
2024年12月31日
「太陽と桃の歌」
スペインのカタルーニャで桃農園を営んでいるソレ家。
今年も収穫の季節がやって来た。
しかし地主から夏の終わりには土地を明け渡すように通達される。
桃の木を伐採してソーラーパネル事業に切り替えるためである。
親父は大激怒。
妻と妹夫婦は楽して稼げるんならアリでしょと乗り気になる。
聞く耳を持たない親父は頑なになり、いつもと変わらぬ日常を送っている風を装う。
ジイジは土地を買うためにギャンブルに挑む。
親父に認められたい息子は農園の片隅で大麻を栽培して資金を作ろうとする。
家の中がギスギスしていることに心を痛める長女。
いずれ訪れる、どうしようもない現実のときに向けて家族の者たちそれぞれの自己主張が頭をもたげだす。
突然泣きむせぶ親父。 キレる母親。 ふてくされる娘。 オラつく息子。
静かな崩壊を見せる家族だが、遂に訪れた“その時”に、全員が揃って農園が消えゆく様をジッと見守ってるラストが切ない。
スペインは再生可能エネルギーに特に力を入れてる国で、本作のように農園を追われた家族も少なくない。
太陽光発電。 それ自体はけっこうなことだ。
だが、その陰で何世代も続いていた農業一家の人生が蹂躙されてゆく。 こんなケースがスペイン中に散らばってるのだろう。
そのワンケースを私たちは見届ける。
どこにでもある家族のリアルな姿を優しいタッチで描きながらもハードな案件がのしかかってくる、観る前の想像とは違った意外な問題作。
「クラブゼロ」
「ルルドの泉で」や「リトル・ジョー」など、一風変わった物語の映画を撮るジェシカ・ハウスナー監督のファスティングスリラー。
とある名門校に赴任してきた栄養学の教師ノヴァク(ミア・ワシコウスカ)。
彼女が教えるのは「食べないこと」。
食事摂取を抑えれば人は心身共に健康になれるという「意識的な食事」を生徒たちに推奨なさっております。
ほほぉ、それは興味深いですな。
ちょっとお話をお伺いしましょう。
「意識的な食事」というのは具体的にはどのようなもので?
「目の前の食事から食べれば何が得られるのかをイメージして実際には食べないで済ませるというものです」
早い話が断食ですね?
「ただ食べなければいいというものではありません。 大事なのは食物と意識を一体化させ、食べれば何を犠牲にしてるか、食べないことで何を得ているのかを学ぶ姿勢です。 自身の健康はもちろん社会的意義にも重要なことなのです」
社会的にも?
「食肉の牛や豚を育てる畜産業というのは毎年CO2換算で71億トンもの温室効果ガスを排出しているという現実をご存じですか? この数値は世界の排出量の14%を占めており、さらに言えば食品が消費者に届くまで、それらを運ぶ運輸などの排気ガス、プラスチック素材の包装やレジ袋の生産、コンロや電子レンジの使用、ゴミ処理などの要素も含めれば、人が物を食べるという行為だけで相当な量のCO2が生まれるのです。 食べないということで地球の環境保護にもつながりますし、個々がその意識を高めることも重要なのです」
健康的な懸念もありますが?
「人間の体は食べ物を与えないとそれはそれで細胞が自ら強くなるという性質を持っているのです。 体の老廃物が廃棄され新しい免疫細胞が作られ、病気になりにくくなるのです。 体が弱るのではという心配は無用。 むしろその逆。 体が強くなるのです。 食べなければ死ぬという考えは大間違いです」
いや、死ぬでしょう。
「誰にでもお勧めはできません。 お年寄には無理です。 歳を取れば取るほどハードルは上がるので、最適なのはうちの生徒のような年代です。 人間力を養っていく上でも若い人には「意識的な食事」を実戦してほしいですね」
親御さんが黙っちゃいないでしょう。
「ここの学校の生徒たちは裕福な家庭の子ばかりです。 成功した親の姿を見てきた彼らは何でも親の言いなりになろうとする傾向があります。 実に怖いことです。 自分の本当の可能性を知らない子が多くなっているのです。 親や社会の期待に応えようとして自分自身を見失うことは悲劇と言うほかありません」
生徒全員があなたの考えについては来ないでしょう?
「もちろん相容れない人の方が多数です。 視野の狭い人は自分の理解できるものしか受け入れない。 そういう人が世界を滅ぼすのです。 その時に数少ない生存者になっているのが「意識的な食事」を極めた“クラブゼロ”の者たちなのです」
クラブゼロ?
「詳しく話せないことをご理解下さい。 信念を持って食べない生き方を心から受け入れてくれる方ならどなたでも入会できる集まりです。 クラブゼロの人間は「より良き世界のより良き場所」へと行けるのです」
ヤバい匂いがしてきたな。
これはカルトだ。 洗脳だ。 生徒の皆さん、だまされちゃいけないよー!
「先生のおかげで僕たちは生まれ変わることができました。 今では五感の神経が研ぎ澄まされ、それまでの自分と明らかに違う自分がいて、人間としての一つの高みに到達できたような幸福感に浸っています。 地球の環境保護の助けを担い、人間的にも成長することができました。 ノヴァク先生には感謝しかありません」
ハァ? ハァ?ですわ。 ハァ?しかねえですわ。
まあ、勝手にすりゃええわいと思いながらこの映画を観てますと、カルトに洗脳される仕組みとその怖さももちろん描かれてるのですが、あながちそれだけではなく、生徒たちの両親たちも少なからずワケありでして、“教師”という存在に依存しないと、どう子供を教育していいのか、その道を見失う親たちの姿も描写されています。
自分で呼んどいた教師を追放し、またその人を頼るバカみたいなドタバタには笑うしかありません。
全員が机を並べて、自分たちはどうして何もできなかったのか、どうするべきだったのかという答えに行き詰まり、思考停止したようにフリーズするエンディングは、信念を持った一人の教師に、信念のなかった保護者が敗北した瞬間でもあります。
ノヴァク先生の言うことにも一理はあるのでしょうが、その一方で学食をゴミ箱にポイポイ捨てるというフードロスなど知ったこっちゃない本末転倒なシーンもあって、食というものにどれだけ多くの問題が生まれてるのかと考えさせられる部分もあります。
吐瀉物を食べる女。 ワンちゃんまでペロペロ。
ワンちゃんにとってケーキというのは吐瀉物だったら大丈夫なんでしょうか?
糖尿病を患っているという男子が「インスリンなんかもう要らない体になったよ」と言いながら、生死の境をさまようくだりなどはもはやコント。
♬ トトトン ペンッ トトトン ペンッ ♬
♪ ハウーン ハウーン ハウーン ♪
シュールで不穏な音楽が彩り、観る者の神経を逆なでするシーンがこれでもかとばかりに叩きつけてくる、「心の闇映画」の中では挑戦的野心に溢れた作品。
監督にはこの路線をどんどん極めていってほしいです。
「クレイヴン・ザ・ハンター」
スパイダーマンの宿敵であるクレイヴン・ザ・ハンターを主人公にした「ソニーズ・スパイダーマン・ユニバース」の第4弾というか最終作。
超人的にもほどがある身体能力を駆使して、この世の悪党を狩りまくるダークヒーローの物語ですが、スパイダーマンは出てこないというか、そこに至るまでの話。
彼が何故その能力を身につけたのかが明かされると共に、毒父との確執や、嫉妬に駆られる弟との複雑な関係を掘り下げた親兄弟の愛憎劇になっています。
「キック・アス」の頃のモヤシにいちゃんの面影など影も形もなく、「筋肉を見せたい、見せたくない、どーっちなんだい!」と言わんばかりのゴリゴリのマッチョ俳優が今やすっかり板についたアーロン・テイラー=ジョンソン。
彼の主演作の中では過去イチ特色を活かせてたと言ってもいい映画ではないでしょうか。
アメリカではゲェ出るほど酷評されてますが、そうかなあ? アッシは全然面白かったですけどね。
ソニーのCEOトニー・ヴィンシクエラがマスコミに対して恨み節を吐いてますが、まあ言いたいことは分かりますよ。
このことについて書くと別の話が長くなるので辞めときますけども。
人の意見は人の意見。 自分は自分。
「スピーク・ノー・イーブル 異常な家族」
2022年のデンマーク映画で、日本では今年公開されて強烈なトラウマを残した不穏系スリラー「胸騒ぎ」。
これをブラムハウスがリメイクしたハリウッド版。
日本に限ったことかどうかは分りませんが、オリジナル作品とリメイク作品が同年に鑑賞できるというのはこれまた珍しい経験。
「Speak No Evil」とは、ことわざの「見ざる聞かざる言わざる」の“言わざる”を指すフレーズで「悪口は言わない」という意味。
TPOなんて知らねえよみたいな、場と空気も人への気遣いさえも眼中にないイカレ夫婦の夫にジェームズ・マカヴォイ、妻にはアシュリン・フランクオーシが扮し、旅行先で知り合ったある夫妻とその娘を自宅に招いて地獄のおもてなしを施す恐怖の物語は概ねオリジナルと同じ筋を辿るのですが、ラストは大きく改変されています。
「胸騒ぎ」の監督クリスチャン・タフドロップが本作の制作総指揮を担当しており、ジェイソン・ブラムとどう話を詰めたかは分りませんが、DVDによくある“別バージョンのエンディング”みたいなのを撮りたかったんでしょうかね?
「胸騒ぎ」は恐ろしいほどに鬱々とした救いがたい形で映画が終わりますが、此度のリメイク品は良くも悪くもハリウッドタイプで、やれやれ良かったねという終わり方。
クライマックスは脱出アクションへスイッチし、「こんなお呼ばれは嫌だ」に巻き込まれた家族と舌なし坊やは難を逃れるわけですが、これは好みの問題でしょうかね。
アッシは断然「胸騒ぎ」の方が好きですね。 ハッピーエンドがお好きな方にはこちらでしょう。
娘がなぜウサギのぬいぐるみに固執するのかの理由付けが成されている点がナイスな補完ですね。
オリジナルは、人のことを悪く言いたくないし、自分たちも人から「良い人間」と思われたい夫婦に対して、人からどう思われようが知ったこっちゃないデリカシー皆無の夫婦がジワジワと欺瞞を剥がしながらリベラル夫婦を地獄に叩き込むその構図がまた巧みでしたが、リメイクはそこが弱い。
ジェームズ・マカヴォイがちょっとだけ「おまえらみたいな種類の人間が一番嫌いなんだ」みたいなことを言ってましたっけね。
それそれ。 それをもっと時間をかけて多く喋ればこのホラーも深くなるんだけどなと思いましたけどね。
「はたらく細胞」
原作漫画やアニメは知らないのですが、これはなかなか勉強になるいい話ですねえ。
是非ともご家族揃って・・・と言いたいところですが、白血球さん(佐藤健)がやたらに「ぶっ殺す!」を連呼なさるので、ちょっとここら辺はお子様の鑑賞の際はお気をつけ下さい。
少々天然が入っている赤血球さん(永野芽郁)がかわいいですね。
予想外にほぼ全編がアクションと言っていいほどバトルとチェイスがてんこ盛り。 死ぬキャラも後を絶ちません。
つまりそれだけ体の中というのは侵入してくる雑菌・細菌を細胞たちが阻止撃退しようと働き回っている戦場の状態であると言うこと。
「赤色骨髄」がお城みたいになっていて、まるでディズニーランドっぽい日胡ちゃん(芦田愛菜)の体内に対し、不摂生ばかりしてる親父(阿部サダヲ)の体内が寂れた飲み屋街みたいになっているなど、ユニークな直喩表現に溢れてて楽しい世界は、欲を言えばもう少しじっくりと見たいキャラも多かったですがね。
深キョンの出番が少なすぎるどぉぉぉ!
造血幹細胞が変異した白血病細胞(Fukase)との壮絶な死闘。
本当にたくさんの細胞たちが頑張るのですが、思えば最も重要な役割を果たす“はたらく細胞”だったのはお父さんとカレシの武田くんの二人だったのではないでしょうか。
ガラスの向こうの精一杯の励ましは何よりも効果絶大なキラー細胞になったはずです。
彼らの想いがあったから手術も成功したと言っても過言ではないでしょう。
その分、白血病がなんだかアッサリと治っちゃいましたねみたいに見えてしまいますが、尺の関係上しょうがないでしょう。
「バグダッド・カフェ 4Kレストア版」
日本では1989年に公開され、未だカルト的な人気を誇る名作「バグダッド・カフェ」が2009年以来のリバイバル。
劇場は満杯でした。 やっぱ凄い人気ですねえ。
たいした事件が起きる映画ではありません。 実に淡々としてカラッとした語り口で砂漠に立つ一軒のカフェ兼モーテル兼ガソリンスタンドで二人の女性が友情を育む素朴な物語です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カリフォルニアのモハーヴェ砂漠を通るルート66にあるバグダッド・カフェの女主人ブレンダ(CCH・パウンダー)はいつも機嫌が悪い。
コーヒーマシンがつぶれてる。 「コーヒー出せないカフェがどこにあんのさ!」
新しいマシンを注文してるが夫のサルが取りに行ったはずが忘れて、代わりに黄色い魔法瓶を持って帰ってきた。
「その頭は飾りかい! 魔法瓶? 拾った? 戻してこい!」
息子のサロモがピアノを弾く。
「ミシンの音みたいなピアノを弾くのをやめな!」
娘のフェリスに「いつまで寝てんだ、学校に遅れるよ!」
ハンモックで寝てる店員のカヘンガに「ちょっとは手伝いな、役立たず!」
こんなんだから夫のサルは嫌気が差してしまい、遂に出て行ってしまう。
「涙を流すと思ったら大間違いだよ!」と言いつつ、カフェの玄関先の壁にもたれてハラハラと泣いていると、スーツケースをゴロゴロ転がしてこっちに歩いてくる女が一人。
ドイツ人だった。 ジャスミン・ムンシュテットナー(マリアンネ・ゼーゲブレヒト)と名乗るちょっとぽっちゃりな女性はモーテルの部屋を借りたいというのでブレンダは、砂漠の道を汗だくになって一人で歩いてきた女をいぶかしく思いながらも部屋を貸した。
・・・・・・・
ジャスミンは夫と共に車に乗ってラスベガスを目指していたが途中でケンカになり、車を自ら降りて一人でこのカフェに辿り着いたのだった。
スーツケースを開けたら、それは中身は夫の物だった。 ため息しか出ない。
しばらくモーテルで過ごすことにしたジャスミンは徐々にカフェの人たちと打ち解け、カフェのそばのトレーラーハウスに住む絵描きの老人ルディとも仲が良くなった。
しかし、ブレンダは「あの女、フツーじゃない」とジャスミンを疑い、こっそり入った部屋に男物があることからますます彼女を怪しみ、保安官まで呼ぶ始末だった。
だがジャスミンはそんなブレンダとも次第に距離を縮めて少しずつ友情を育んでいく。
夫の荷物の中に入っていたマジックのセットで練習したジャスミンは腕を上げ、カフェに来る客にマジックを披露するとそれが大いに受けて、少し前まで寂れていたカフェは大繁盛するまでになる。
今やブレンダとジャスミンは固い絆で結ばれていたが、密かにジャスミンを調べていた保安官からビザの期限切れと労働許可証の不所持を問われ、ジャスミンは店を去らなければならなくなる。
しばらく経ったある日。
フラッと現れたジャスミンと再会するブレンダ。
またあの頃が戻ってくると互いに二人は喜び合う。
ルディがジャスミンの部屋を訪ねる。
「面倒を避ける道がある」
プロポーズだった。
はにかみながらジャスミンは答えた。 「ブレンダに相談するわ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
省略しても良かったのですが、ふいに粗筋をザッと書きたくなりまして、もちろん映画を思い出しながら書くものですから物凄く良い気分になってきます。
いや、ホントに良い映画です、これ。
なんなんでしょうね。 不思議な魅力です。
砂漠に咲いた花一輪のような黄色い給水塔。
コーヒーもビールもない乾ききったカフェにも黄色い魔法瓶という花一輪が咲く。
魔法瓶と共にやってきた異国の女性が友情の花を咲かせ、砂漠の向こうできらめくラスベガスにも負けないほどのショーの世界へと昇華していく一軒のカフェ。
だが何よりも美しい友情とささやかな愛。
月並みだけど、人間っていいよね。
赤焼けの夕陽に染まった砂漠に響くジェヴェッタ・スティールの「コーリング・ユー」がゲキ的にシブい。
「ライオン・キング:ムファサ」
2019年に「超実写版」と銘打って公開されたフルCGミュージカルアニメ「ライオン・キング」の続編かつ前日譚。
シンバの父ムファサがプライドランドの王となるまでを描くと共に、のちにムファサを死に追いやるスカーとの知られざる因縁が明かされます。
他にもある数々の起源や理由が次々と明らかになる、「そうだったのか」みたいな面白さに満ちあふれてる作品です。
シンバの娘キアラがプンヴァやティモンと一緒にかつての王だったムファサの物語をラフィキから聞かされる回想形式で話は始まります。
ここでDVDオンリーの作品である「ライオン・キング2 シンバズ・プライド」(99)を観ていない当方は「え?」となります。
シンバの子ってフラッフィーっていう男の子だったのでは?
まあ事情は知りませんが、キアラに変更されています。 まあ気にはしませんが。
水害によって両親と離れ離れになってしまったムファサを助けたのが、ある部族の王の息子タカでした。 彼こそがのちのスカー。
類い希なるスピードと勇気ある行動が認められて部族に受け入れられたムファサはタカと義兄弟となって友情を育みます。
義兄弟? 実の弟だったのでは? 「ライオン・キング」でのムファサがシンバにあえてややこしい事情を話さなかったということですかね? まっ、いいでしょう。 スルーさせていただきます。
本当の兄弟のように仲が良かったムファサとタカがどうして関係に亀裂が入ってしまうのか・・・
そんな悪い子でもなさそうなタカがなんであんなやさぐれたスカーになってしまうのか・・・
女。 女ですわ。
男二人に女一人が加わればドラマの始まりですわ。
サラビという、のちのムファサの妻となる牝ライオンが中盤から登場し、そこから生まれた三角関係からやるせない愛憎劇へと発展します。
ムファサがいいとこばっかり見せて、将来の王であるタカはプライドがグラッとなってきているタイミングだったのもありますね。
ムファサはタカに命を救われた恩義もあって、サラビの危機を自分が救っても「タカが助けた」みたいに遠慮するのです。
おいおいムファサ、それは良くないぞ。 まちがってるぞ。 タカにとっても良くないことだぞ。
そしてタカは「ありがとう」。 いや、ありがとうじゃなくてよ。
そもそもタカの父王であるオバシは「相手をダマすことも偉大な王には重要だ」と息子に教えるような親だから、そりゃ息子もひねた子になるわ。
結局恋に敗れたタカは「命を助けられた恩を忘れて俺を裏切りやがった」とムファサに理不尽な憎しみを抱くようになってしまいます。
ホワイトライオンの一団に追われながら、永遠の地「ミレーレ」を目指すムファサ、タカ、サラビ、そして一向に途中から加わったマンドリルのラフィキ。
やがて辿り着いたミレーレ。 これって・・・ そう。 この地こそがプライドランド。
そしてホワイトライオンたちとの決戦を経て大団円を迎えます。
☆ 斜め上に突き出た舞台のようなプライドロックはどうやってできたか? これ感動もの。
☆ 最初の登場時には杖を持っていないラフィキ。 ではあの杖はどうやって?
☆ タカはなぜスカー(傷)と名乗るのか。 片目の傷はどうやってついたのか? 憎しみの中にほんのわずか残っていた情ゆえの傷。 それを忘れまいとする気持ちがやるせない。
「ライオン・キング」の重要な要素でもある「崖」。
ここでも、ムファサとタカの運命を暗示するかのように、何度か「落ちそうなムファサ」と「その上にいるタカ」が描写されます。 ここも哀しい。
色んなことがポンポンと明らかになる前日譚としての魅力もさることながら、なんといっても映像の美しさはえげつないレベル。
その角度から表現するのかと唸らされるカメラワークも抜群。
観て損はございません。
さて、今回の記事が今年の最後です。
今年もお世話になりました。 来年もよろしくお願いいたします。
良いお年をお迎え下さい。
インフルエンザが流行ってますので注意して下さいね。
今年は元旦から大変な年でしたが、来年こそはみんなが笑顔で過ごせて、いい映画を一杯観れる年になるといいですね。
ザ・バイクライダーズ
2024年12月27日
アメリカの写真家ダニー・ライオンが60年代のシカゴに実在したバイク集団「アウトローズ・モーターサイクル・クラブ」を数年間に渡って密着し、その日常をとらえた写真集がある。
タイトルは「The Bikeriders」(1968年出版)。
ジェフ・ダニエルズ監督の「ラビング 愛という名前のふたり」以来、実に7年振りの新作映画は、この写真集からインスパイアされたクールなバイカー青春ムービーである。
本作では「アウトローズ・モーターサイクル・クラブ」を“ヴァンダルズ”という架空のバイク集団に置き換え、バイクを愛するアウトローたちの自由の場所だった集団が、時代のすう勢と共に犯罪組織へと成り下がっていく悲劇を追った激シブの物語だ。
1965年。 ベトナムのケンカに首を突っ込んでしまったアメリカと同じくして、反逆の熱をたぎらせた魂たちもまた駆け抜けるべき時代を見失っていく。
そんな儚い男たちのレクイエム。
語ってくれるのはこの男。
俺か? 一応“名無し”ということにしておこう。
俺は「ヴァンダルズ」というバイク集団のメンバーとして、シカゴの街をブイブイ言わしているバイクライダーだ。
ここだけの話だが俺は大型二輪に乗れる免許は持っていない。
俺は、ふと考えた。
男子がバイクに憧れだすという感覚は一体どこから生まれてくるのだろうか。
バイクというのは男にとって何なのだ?
ここからしばらく個人的な昔話をするので付き合ってもらおう。
ちなみに俺は日本人だ。 1965年よりももっと後に生まれた大阪人で、映画ばっかり観てるオッサンである。
まあそこはあまり気にしないでくれ。
さてと。
男子なら16歳の時が来たら「免許を取れる」ということに誰しも気分がアガッったのではないだろうか。
高校時代、原付き及び普通二輪免許が取れる年齢が近づくとクラスの男子のほとんどがソワソワしていた。
「おまえ、いつから免許取りに行くねん?」、「もう免許取った?」の言葉が学校での会話の中にしょっちゅう出てきたものだ。
チャリンコより遥かに速いスピードが出る乗り物を自分が運転して自由にスピードを出すことができる。
そういう新たな世界へ踏み出せることが思春期の男子のハートを揺さぶった。
「バイクに乗る、乗れる」というカッコ良さは、「ギターを弾く」とか「タバコを吸う」などの“イキリ”とはまた違ったものがあった。
「運転免許証」という資格を得ることのステータス。 つまり、オコチャマではできないことができるという、大人の仲間入りへの入り口に立てることもバイクに乗りたい羨望をかき立てたのも事実だ。
新しいオモチャではない。 一緒に風を受けて、一緒にどこへでも行ける良き相棒。
そんなバイクに乗っている自分のカッコ良さに酔ってもいたのだ。
16歳になったら一日でも早くバイクに乗りたかったものだから、普通二輪免許のために教習所に通うという悠長なことをする気もないし、ましてや技能試験にチャレンジしたって一発合格できる可能性はほぼ皆無なので、必然的に学科オンリーの原付免許を取る選択をした。
人生で一番勉強したのではなかろうか。 その甲斐あって一発合格。
バイクのカタログ雑誌を毎日眺めてよだれを垂らしながら新聞配達をしてカネを貯めた。
同居していた叔父さんもそんな努力の毎日を認めてくれたのか、誕生日プレゼントとして購入費用を一部負担してくれた。
そして買ったバイクがこれだ。
SUZUKIのマメタン50カスタムである。
ファイヤーデカールがキラめくタンクとカウルにプルバックハンドルというチョッパースタイル。
「嬉しがり屋かオマエは」のツッコミ上等な「イキリ原チャリ」の王様である。
良き友だった。
炎のデカールはあまり長持ちせずに剥がれ、やがてはハンドルをコンチに変えたり、なんやかんやイジりながら、乗り潰すというほど乗らずに二十歳過ぎには手放した。
青春をありがとう、マメタン。
「暴走族」か・・・。
俺はそっちの方へは傾かなかった。
うるさい音の何がカッコいいのか俺には分らない。 バイクは人様に迷惑かける道具じゃない。
俺の時代でよく名前を耳にした暴走族は「大正連合」だろうか。
あとは「修羅」というのもあったよな。
まっ、興味のキョの字もなかったがな。
今でも暴走族なんて居るのだろうか? 居るのだろう。 数はだいぶ減ったと聞くが。
まあ好きにしろ。 バイクは人を選ばねえ。
殺しや盗みやクスリに手を出さなきゃいい、と言いたいが今のゾクはヤー公がケツ持ちやってるから平気でつまらんバカをやりやがる。
バイクが泣いてるぞ。
長々と昔話に時間を潰しちまったな。 無駄に歳を食うと話が長くなるからロクでもねえ。
さて。 俺が居るヴァンダルズだが、断っとくが暴走族じゃない。
ただのバイク好きが雁首揃えた連中さ。
バイクというメカを愛し、バイクで風を受ける至高の喜びを共に分かち合うライダーたちのオフ会みたいなもんよ。
人様から嫌がられるような悪事に手を染めるためにバイクに乗ってるんじゃねえのさ。
ただ、中にはイキりたいだけの勘違いしたコマったちゃんも居ることは居るから、少々のイザコザは付いて回る。
しかし、そこはやっぱり仲間だからな。 ほっとくわけにはいかねえ。 誰かが売られたケンカはみんなで買わせていただきます。
我らのリーダーはジョニー(トム・ハーディ)。
「乱暴者(あばれもの)」(53)という映画を観たのがきっかけでこのバイク集団を結成したと聞いた。
映画の主人公にかぶれたとは可愛らしい理由だ。
確かにあの映画に出てくるマーロン・ブランドのニーサンは死ぬほどカッコいい。 ドクロの革ジャンを着て颯爽とロクハンのサンダーバードに乘ったニーサンのカリスマ性に惚れねえ男は居ねえだろう。
そういや役名もジョニーだな。
育ちのよろしくねえ俺たちをしっかりと束ねてくれる頼れるリーダーのジョニーだが、ここんとこは悩み事が多くてイマイチ元気がない。
俺たちは有名になりすぎた。
俺たちヴァングルズの噂を聞きつけて、「仲間に入れてくれ」とやって来るバイク小僧が後を絶たねえ。
バイク好きというよりは、こういう集団に入ればおおっぴらに悪さができることを期待してるようなグレた奴らだ。
ジョニーもそんなボケナスは相手にしない。
だがメンバーは次第に増えていった。
このままじゃシカゴの道路が芋の子を洗うようにバイクで溢れる。
それはそれで遊園地のパレードみたいになってキショいし走りにくい。
そんなわけで各地に支部を作ることにした。
支部だってよ。 初めは仲間内の集まりだったものが今や大層な組織になっちまったな。
当初ジョニーは反対だった。
ミルウォーキーで自分のチームを持ちたいと抜かしてきたビッグジャックをシバいてシメたものの、最終的には「支部を作る」形にした。
組織も肥大化してしまうとコントロールが難しい。
そのことにジョニーは頭を悩ませていた。
もう一つのジョニーの悩み事は、チームに増え始めた若者たちのノリについていけないことだった。
ジョニーをはじめ、古参はみんなオッサンだ。
新しく入ってくる奴はみな若い。 流行ごとの話に耳を傾けてもチンプンカンプンだ。
それは別にいいのだが、何かとヤンチャ自慢を語り、もっと派手に暴れましょうやみたいなことをヘラヘラと抜かすガキが少なくねえ。
確実にヴァンダルズはヤバい方向に行ってることをジョニーも俺も感じ取っていた。
ここでベニー(オースティン・バトラー)という男を紹介しよう。
年は若いが昔からメンバーに居る奴で、ジョニーもちょっとばかし目をかけている。
「俺は群れるのは嫌いだ」と「聖闘士星矢」のフェニックスみたいなことを言うくせに、チームに居座っている酔狂な奴だ。
しかもゲキ的に無口。
だが、どことなく物凄く強い芯を持った空気感を漂わせていて、只者じゃねえことは一目瞭然。
俺たちが行きつけの店で盛り上がっていた夜のこと。
白のリーバイスを履いたイカしたネーチャンが入ってきた。
客の中の誰かを迎えに来たのだろうが、なんせ場所が悪い。
いやらしい目で見るなというのが無理な話だった。
みんなアソコがヒューヒューな気分になっているところを、彼女に声をかけたのがベニーだった。
野郎もオトコなんだな。
女の名前はキャシー(ジョディ・カマー)。
おっと。 「乱暴者」のヒロインもキャシーという名だったな。
しかしキャシーにはすでに旦那さんが居た。
お生憎様だなベニー。
だからといって悔し涙で枕を濡らすような奴じゃない。
こいつはキャシーの家の前の道の向こう側に停めたバイクに腰掛けながら何も言わずに待ち続けるという変質者みたいなことをやりやがった。 日が暮れても夜が更けても。
怖すぎるぜ、こいつ。
朝になってもまだ家の前にいるベニーに気味が悪くなった旦那さんはついに根をあげて、キャシーと別れて出ていった。
「あんた、なんのつもりよ!」とベニーにブチ切れてたキャシーだが、5週間後には二人は結婚していた。
わからねえもんだな。 男と女の謎を解くにはもう一世紀待ってもらおう。
ともかく恋にもバイクにも一本気な野郎、ベニー。
どこから来て、何の縁でヴァンダルズに入って、何を求めて生きているのかは知らない。
繊細であり、危うくもあり、ひたむきでもある。
カリスマ性とかリーダーシップとは違う、唯一無二の神秘性を持った男だった。
ジョニーが一目置くのも分かる。
そんなベニーは、よその縄張りのバーで堂々とヴァンダルズのマークが目立つチームジャケットを着て酒を飲むということも平気の平左でやる。
カラみに来てくださいと言ってるようなもんで、さっそく目の血走った2人のおっさんから「そのジャケットを脱げ」とスゴまれる。
ベニーのファイナルアンサーは「脱がせたけりゃ俺を殺せ」。
もちろんケンカに突入し、ベニーはシャベルで殴られ・・・いや、スコップか? いや、シャベルか? ってか、ショベルか?シャベルか? いややっぱスコップか? あーもぉ、どうでもいい。 まあそういう道具で後頭部をバチコーン!
ついでに片足も切断寸前まで潰されたベニーは病院でしばらくオネンネすることになった。
当然ジョニーは黙っちゃいない。
イザコザの現場になった店は焼き払われ、二人の男はその後・・・まあ、それなりのことになったんだろうよ。
これがきっかけだったわけじゃないが、俺たちの周りの風向きはどんどんおかしな方向へと進んでいった。
あとから入ってきたベトナム帰りのヤクチューもチームのギャング化に拍車をかけた。
ジョニーの右腕でもあったブルーシーが事故で死に、葬儀で遺族からジョニーはツバをかけられた。
古参のメンバーのコックローチ(もっとマシなあだ名を付けてもらえ)が警官になりたいと言い出した。
キャシーはバーで男たちに輪姦されそうになった。
いろんな事がある。 チームは制御不能に陥りかけていた。
ベニーは「これが今のクラブの在り方か? 俺たちの姿か?」とジョニーに問う。
ジョニーはヴァンダルズをどう導いていくかに行き詰まっていた。
「誰も話が通じない。 俺の手に負えない」
あんな弱気なジョニーを見るのも初めてだった。
ジョニーはベニーにリーダーの座を譲りたかったが奴は拒否した。
「俺は誰にも頼らないし頼られたくもない」
ベニーにとって、もはや自分の場所として居られるヴァンダルズではなかった。
加えて、暴力沙汰に巻き込まれかねない夫を案じて何かと束縛したがるキャシーとの将来さえも見失っていたベニーは突如として姿を消した。
無理もねえ。 ヴァンダルズにも家庭にも自由を感じることができなくなっちまったアイツにはそうするしかなかったんだろう。
人間、自分の居場所を失うことほど辛いもんはない。
ベニーがいなくなってからキャシーの元へジョニーが訪ねてきてこう言ったらしい。
「何かにすべてを投げ打っても、なるようにしかならない」
出世をあきらめた公務員みたいな哀しいことを言ってくれるが、この世の現実を受け入れるときが来たってことだ。
俺たちはそれだけ年寄りになっちまった。 夢からいいかげん覚めなきゃいけない時を迎えたんだ。
まもなくしてジョニーは死んだ。
支部の若造がジョニーにリーダーの座を降りろと要求してきて、決闘ということになった。
「こぶしか、ナイフか?」
ジョニーにとってそれが決闘の流儀だったが、哀しいかな、もうそんな時代じゃなくなっていたんだ。
素手でも光り物でもねえ。 話をつけるのはハジキ一丁で事足りる。
胸に鉛の弾をくらったジョニーは仰向けのまま星空を拝んで死んだ。
リーダーが変わったヴァンダルズはひたすら外道の道をまっしぐら。
カネのために殺しも盗みもヤクも売春もやる、ただのギャンク組織に成り下がっちまった。
バイク好きが集まってバイクのことを語り合い、自由気ままにバイクを転がして人生を満喫する集まりだったあの頃のヴァンダルズの姿はこれっぽっちもなかった。
古参の中には辞めた者もいれば残った者もいる。
ベニーか? そういえば突然フラッとキャシーの元に帰ってきたらしい。
それからどうしたかは知らない。 バイクに乗ること自体からも足を洗ったと風の噂で聞いた。
俺か? もちろん俺は辞めた。
せっかくデストロンを抜けたのに、デストロンに戻るみたいに極道に逆戻りしたら、俺のアイデンティティは崩壊する。
ただひたむきに、己を貫く道をまっすぐに走るのみ。
俺は「バイクに乗る男」、ライダーマンなのだからな。
人は自分の好きなことや熱中できるものにアイデンティティを見出す。
そんな自分を発信し、認めてほしい気持ちが同類の者を自然と引きつける。
こうしてグループができ、集団となり、組織と化していくが、人の数が増えるほど、皮肉なことに互いの繋がりは希薄になっていくものだ。
統率のコントロールの融通が効かなくなると、組織という形を維持するためにルールが作られる。
一見重要な、ルールという決め事は個々の自由を奪い、志を同じくしていた集団は形骸化の道を突き進むしかなくなるのだ。
最初からグループを作るべきではなかったのか。 事は簡単じゃない。
バイク乗りという生き物は仲間を欲するものなのだ。
今どきの若者のバイカーは独りを楽しむためにバイクに跨るのだろうが、古いバイカーは「俺のバイク、俺の話」を誰かに誇示したいために、必然的に徒党を組みたがる生き物なのだ。
群れなきゃ生きていけねえのさ。
そんなオヤジたちが時代という非情のマシンに追い抜かれてゆく。
バイクライダーズ。 悲しい生き物さ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
男のロマンの栄枯盛衰。
破滅へと加速していく痛ましき青春の悲劇を60年代末の空気感にびっしりと覆われたノスタルジックな描写で活写した傑作。
ダニー・ライオンの写真集からのインスパイアはもちろんのこと、劇中でも触れられるマーロン・ブランドの映画「乱暴者」を明らかに意識しているシーンや設定も見受けられるように、コンプレックスなど屁でもない反逆の美学に満ちていた古き良き時代のノスタルジーか込められている。
特筆すべきはハッとするような独特の色気を放つオースティン・バトラーである。
オープニングにちょいと暴れ、たまにボソッと喋るくらいで特に何かをする役ではない。 しかも途中で一旦ストーリーからバックレるし。
それでいてこのとんでもないインパクトは何なのだろうか? 昔のみんなはこれになりたかったのだろうな。
“何もしない、付け足さない”オースティン・バトラーのベニーがクライマックスで泣きむせび、ラストでうっすらと笑みを浮かべる。
この二つの感情の発露が、かつて青春の終わりの悲しみと諦めを感じた世代の胸を切なく焦がす。
トム・ハーディも、昔と今のイキり方の違いについていけずに戸惑う時代遅れの男がぴったりとハマっている。
最後にはバイクではなく、車に乗ってしまっているオヤジライダー。
どこまでも走り続けることができなかった男が昔の流儀を貫いてあっさりと人生の幕を下ろす。
あのブッ倒れるときのボーゼンとした顔がまた切ない。
さらば青春。 さらばバイクライダー。
バイカーの皆さん、安全運転をどうぞよろしくお願いします。
「賢人のお言葉」
「ここで生きていくのなら、もう慣れている。 よそに行って生きるのも、君の望み通にできる。 死ぬとすれば、使命を終えただけのことだ。 他には何もない。 だから勇気を出せ」
マルクス・アウレリウス
タイトルは「The Bikeriders」(1968年出版)。
ジェフ・ダニエルズ監督の「ラビング 愛という名前のふたり」以来、実に7年振りの新作映画は、この写真集からインスパイアされたクールなバイカー青春ムービーである。
本作では「アウトローズ・モーターサイクル・クラブ」を“ヴァンダルズ”という架空のバイク集団に置き換え、バイクを愛するアウトローたちの自由の場所だった集団が、時代のすう勢と共に犯罪組織へと成り下がっていく悲劇を追った激シブの物語だ。
1965年。 ベトナムのケンカに首を突っ込んでしまったアメリカと同じくして、反逆の熱をたぎらせた魂たちもまた駆け抜けるべき時代を見失っていく。
そんな儚い男たちのレクイエム。
語ってくれるのはこの男。
俺か? 一応“名無し”ということにしておこう。
俺は「ヴァンダルズ」というバイク集団のメンバーとして、シカゴの街をブイブイ言わしているバイクライダーだ。
ここだけの話だが俺は大型二輪に乗れる免許は持っていない。
俺は、ふと考えた。
男子がバイクに憧れだすという感覚は一体どこから生まれてくるのだろうか。
バイクというのは男にとって何なのだ?
ここからしばらく個人的な昔話をするので付き合ってもらおう。
ちなみに俺は日本人だ。 1965年よりももっと後に生まれた大阪人で、映画ばっかり観てるオッサンである。
まあそこはあまり気にしないでくれ。
さてと。
男子なら16歳の時が来たら「免許を取れる」ということに誰しも気分がアガッったのではないだろうか。
高校時代、原付き及び普通二輪免許が取れる年齢が近づくとクラスの男子のほとんどがソワソワしていた。
「おまえ、いつから免許取りに行くねん?」、「もう免許取った?」の言葉が学校での会話の中にしょっちゅう出てきたものだ。
チャリンコより遥かに速いスピードが出る乗り物を自分が運転して自由にスピードを出すことができる。
そういう新たな世界へ踏み出せることが思春期の男子のハートを揺さぶった。
「バイクに乗る、乗れる」というカッコ良さは、「ギターを弾く」とか「タバコを吸う」などの“イキリ”とはまた違ったものがあった。
「運転免許証」という資格を得ることのステータス。 つまり、オコチャマではできないことができるという、大人の仲間入りへの入り口に立てることもバイクに乗りたい羨望をかき立てたのも事実だ。
新しいオモチャではない。 一緒に風を受けて、一緒にどこへでも行ける良き相棒。
そんなバイクに乗っている自分のカッコ良さに酔ってもいたのだ。
16歳になったら一日でも早くバイクに乗りたかったものだから、普通二輪免許のために教習所に通うという悠長なことをする気もないし、ましてや技能試験にチャレンジしたって一発合格できる可能性はほぼ皆無なので、必然的に学科オンリーの原付免許を取る選択をした。
人生で一番勉強したのではなかろうか。 その甲斐あって一発合格。
バイクのカタログ雑誌を毎日眺めてよだれを垂らしながら新聞配達をしてカネを貯めた。
同居していた叔父さんもそんな努力の毎日を認めてくれたのか、誕生日プレゼントとして購入費用を一部負担してくれた。
そして買ったバイクがこれだ。
SUZUKIのマメタン50カスタムである。
ファイヤーデカールがキラめくタンクとカウルにプルバックハンドルというチョッパースタイル。
「嬉しがり屋かオマエは」のツッコミ上等な「イキリ原チャリ」の王様である。
良き友だった。
炎のデカールはあまり長持ちせずに剥がれ、やがてはハンドルをコンチに変えたり、なんやかんやイジりながら、乗り潰すというほど乗らずに二十歳過ぎには手放した。
青春をありがとう、マメタン。
「暴走族」か・・・。
俺はそっちの方へは傾かなかった。
うるさい音の何がカッコいいのか俺には分らない。 バイクは人様に迷惑かける道具じゃない。
俺の時代でよく名前を耳にした暴走族は「大正連合」だろうか。
あとは「修羅」というのもあったよな。
まっ、興味のキョの字もなかったがな。
今でも暴走族なんて居るのだろうか? 居るのだろう。 数はだいぶ減ったと聞くが。
まあ好きにしろ。 バイクは人を選ばねえ。
殺しや盗みやクスリに手を出さなきゃいい、と言いたいが今のゾクはヤー公がケツ持ちやってるから平気でつまらんバカをやりやがる。
バイクが泣いてるぞ。
長々と昔話に時間を潰しちまったな。 無駄に歳を食うと話が長くなるからロクでもねえ。
さて。 俺が居るヴァンダルズだが、断っとくが暴走族じゃない。
ただのバイク好きが雁首揃えた連中さ。
バイクというメカを愛し、バイクで風を受ける至高の喜びを共に分かち合うライダーたちのオフ会みたいなもんよ。
人様から嫌がられるような悪事に手を染めるためにバイクに乗ってるんじゃねえのさ。
ただ、中にはイキりたいだけの勘違いしたコマったちゃんも居ることは居るから、少々のイザコザは付いて回る。
しかし、そこはやっぱり仲間だからな。 ほっとくわけにはいかねえ。 誰かが売られたケンカはみんなで買わせていただきます。
我らのリーダーはジョニー(トム・ハーディ)。
「乱暴者(あばれもの)」(53)という映画を観たのがきっかけでこのバイク集団を結成したと聞いた。
映画の主人公にかぶれたとは可愛らしい理由だ。
確かにあの映画に出てくるマーロン・ブランドのニーサンは死ぬほどカッコいい。 ドクロの革ジャンを着て颯爽とロクハンのサンダーバードに乘ったニーサンのカリスマ性に惚れねえ男は居ねえだろう。
そういや役名もジョニーだな。
育ちのよろしくねえ俺たちをしっかりと束ねてくれる頼れるリーダーのジョニーだが、ここんとこは悩み事が多くてイマイチ元気がない。
俺たちは有名になりすぎた。
俺たちヴァングルズの噂を聞きつけて、「仲間に入れてくれ」とやって来るバイク小僧が後を絶たねえ。
バイク好きというよりは、こういう集団に入ればおおっぴらに悪さができることを期待してるようなグレた奴らだ。
ジョニーもそんなボケナスは相手にしない。
だがメンバーは次第に増えていった。
このままじゃシカゴの道路が芋の子を洗うようにバイクで溢れる。
それはそれで遊園地のパレードみたいになってキショいし走りにくい。
そんなわけで各地に支部を作ることにした。
支部だってよ。 初めは仲間内の集まりだったものが今や大層な組織になっちまったな。
当初ジョニーは反対だった。
ミルウォーキーで自分のチームを持ちたいと抜かしてきたビッグジャックをシバいてシメたものの、最終的には「支部を作る」形にした。
組織も肥大化してしまうとコントロールが難しい。
そのことにジョニーは頭を悩ませていた。
もう一つのジョニーの悩み事は、チームに増え始めた若者たちのノリについていけないことだった。
ジョニーをはじめ、古参はみんなオッサンだ。
新しく入ってくる奴はみな若い。 流行ごとの話に耳を傾けてもチンプンカンプンだ。
それは別にいいのだが、何かとヤンチャ自慢を語り、もっと派手に暴れましょうやみたいなことをヘラヘラと抜かすガキが少なくねえ。
確実にヴァンダルズはヤバい方向に行ってることをジョニーも俺も感じ取っていた。
ここでベニー(オースティン・バトラー)という男を紹介しよう。
年は若いが昔からメンバーに居る奴で、ジョニーもちょっとばかし目をかけている。
「俺は群れるのは嫌いだ」と「聖闘士星矢」のフェニックスみたいなことを言うくせに、チームに居座っている酔狂な奴だ。
しかもゲキ的に無口。
だが、どことなく物凄く強い芯を持った空気感を漂わせていて、只者じゃねえことは一目瞭然。
俺たちが行きつけの店で盛り上がっていた夜のこと。
白のリーバイスを履いたイカしたネーチャンが入ってきた。
客の中の誰かを迎えに来たのだろうが、なんせ場所が悪い。
いやらしい目で見るなというのが無理な話だった。
みんなアソコがヒューヒューな気分になっているところを、彼女に声をかけたのがベニーだった。
野郎もオトコなんだな。
女の名前はキャシー(ジョディ・カマー)。
おっと。 「乱暴者」のヒロインもキャシーという名だったな。
しかしキャシーにはすでに旦那さんが居た。
お生憎様だなベニー。
だからといって悔し涙で枕を濡らすような奴じゃない。
こいつはキャシーの家の前の道の向こう側に停めたバイクに腰掛けながら何も言わずに待ち続けるという変質者みたいなことをやりやがった。 日が暮れても夜が更けても。
怖すぎるぜ、こいつ。
朝になってもまだ家の前にいるベニーに気味が悪くなった旦那さんはついに根をあげて、キャシーと別れて出ていった。
「あんた、なんのつもりよ!」とベニーにブチ切れてたキャシーだが、5週間後には二人は結婚していた。
わからねえもんだな。 男と女の謎を解くにはもう一世紀待ってもらおう。
ともかく恋にもバイクにも一本気な野郎、ベニー。
どこから来て、何の縁でヴァンダルズに入って、何を求めて生きているのかは知らない。
繊細であり、危うくもあり、ひたむきでもある。
カリスマ性とかリーダーシップとは違う、唯一無二の神秘性を持った男だった。
ジョニーが一目置くのも分かる。
そんなベニーは、よその縄張りのバーで堂々とヴァンダルズのマークが目立つチームジャケットを着て酒を飲むということも平気の平左でやる。
カラみに来てくださいと言ってるようなもんで、さっそく目の血走った2人のおっさんから「そのジャケットを脱げ」とスゴまれる。
ベニーのファイナルアンサーは「脱がせたけりゃ俺を殺せ」。
もちろんケンカに突入し、ベニーはシャベルで殴られ・・・いや、スコップか? いや、シャベルか? ってか、ショベルか?シャベルか? いややっぱスコップか? あーもぉ、どうでもいい。 まあそういう道具で後頭部をバチコーン!
ついでに片足も切断寸前まで潰されたベニーは病院でしばらくオネンネすることになった。
当然ジョニーは黙っちゃいない。
イザコザの現場になった店は焼き払われ、二人の男はその後・・・まあ、それなりのことになったんだろうよ。
これがきっかけだったわけじゃないが、俺たちの周りの風向きはどんどんおかしな方向へと進んでいった。
あとから入ってきたベトナム帰りのヤクチューもチームのギャング化に拍車をかけた。
ジョニーの右腕でもあったブルーシーが事故で死に、葬儀で遺族からジョニーはツバをかけられた。
古参のメンバーのコックローチ(もっとマシなあだ名を付けてもらえ)が警官になりたいと言い出した。
キャシーはバーで男たちに輪姦されそうになった。
いろんな事がある。 チームは制御不能に陥りかけていた。
ベニーは「これが今のクラブの在り方か? 俺たちの姿か?」とジョニーに問う。
ジョニーはヴァンダルズをどう導いていくかに行き詰まっていた。
「誰も話が通じない。 俺の手に負えない」
あんな弱気なジョニーを見るのも初めてだった。
ジョニーはベニーにリーダーの座を譲りたかったが奴は拒否した。
「俺は誰にも頼らないし頼られたくもない」
ベニーにとって、もはや自分の場所として居られるヴァンダルズではなかった。
加えて、暴力沙汰に巻き込まれかねない夫を案じて何かと束縛したがるキャシーとの将来さえも見失っていたベニーは突如として姿を消した。
無理もねえ。 ヴァンダルズにも家庭にも自由を感じることができなくなっちまったアイツにはそうするしかなかったんだろう。
人間、自分の居場所を失うことほど辛いもんはない。
ベニーがいなくなってからキャシーの元へジョニーが訪ねてきてこう言ったらしい。
「何かにすべてを投げ打っても、なるようにしかならない」
出世をあきらめた公務員みたいな哀しいことを言ってくれるが、この世の現実を受け入れるときが来たってことだ。
俺たちはそれだけ年寄りになっちまった。 夢からいいかげん覚めなきゃいけない時を迎えたんだ。
まもなくしてジョニーは死んだ。
支部の若造がジョニーにリーダーの座を降りろと要求してきて、決闘ということになった。
「こぶしか、ナイフか?」
ジョニーにとってそれが決闘の流儀だったが、哀しいかな、もうそんな時代じゃなくなっていたんだ。
素手でも光り物でもねえ。 話をつけるのはハジキ一丁で事足りる。
胸に鉛の弾をくらったジョニーは仰向けのまま星空を拝んで死んだ。
リーダーが変わったヴァンダルズはひたすら外道の道をまっしぐら。
カネのために殺しも盗みもヤクも売春もやる、ただのギャンク組織に成り下がっちまった。
バイク好きが集まってバイクのことを語り合い、自由気ままにバイクを転がして人生を満喫する集まりだったあの頃のヴァンダルズの姿はこれっぽっちもなかった。
古参の中には辞めた者もいれば残った者もいる。
ベニーか? そういえば突然フラッとキャシーの元に帰ってきたらしい。
それからどうしたかは知らない。 バイクに乗ること自体からも足を洗ったと風の噂で聞いた。
俺か? もちろん俺は辞めた。
せっかくデストロンを抜けたのに、デストロンに戻るみたいに極道に逆戻りしたら、俺のアイデンティティは崩壊する。
ただひたむきに、己を貫く道をまっすぐに走るのみ。
俺は「バイクに乗る男」、ライダーマンなのだからな。
人は自分の好きなことや熱中できるものにアイデンティティを見出す。
そんな自分を発信し、認めてほしい気持ちが同類の者を自然と引きつける。
こうしてグループができ、集団となり、組織と化していくが、人の数が増えるほど、皮肉なことに互いの繋がりは希薄になっていくものだ。
統率のコントロールの融通が効かなくなると、組織という形を維持するためにルールが作られる。
一見重要な、ルールという決め事は個々の自由を奪い、志を同じくしていた集団は形骸化の道を突き進むしかなくなるのだ。
最初からグループを作るべきではなかったのか。 事は簡単じゃない。
バイク乗りという生き物は仲間を欲するものなのだ。
今どきの若者のバイカーは独りを楽しむためにバイクに跨るのだろうが、古いバイカーは「俺のバイク、俺の話」を誰かに誇示したいために、必然的に徒党を組みたがる生き物なのだ。
群れなきゃ生きていけねえのさ。
そんなオヤジたちが時代という非情のマシンに追い抜かれてゆく。
バイクライダーズ。 悲しい生き物さ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
男のロマンの栄枯盛衰。
破滅へと加速していく痛ましき青春の悲劇を60年代末の空気感にびっしりと覆われたノスタルジックな描写で活写した傑作。
ダニー・ライオンの写真集からのインスパイアはもちろんのこと、劇中でも触れられるマーロン・ブランドの映画「乱暴者」を明らかに意識しているシーンや設定も見受けられるように、コンプレックスなど屁でもない反逆の美学に満ちていた古き良き時代のノスタルジーか込められている。
特筆すべきはハッとするような独特の色気を放つオースティン・バトラーである。
オープニングにちょいと暴れ、たまにボソッと喋るくらいで特に何かをする役ではない。 しかも途中で一旦ストーリーからバックレるし。
それでいてこのとんでもないインパクトは何なのだろうか? 昔のみんなはこれになりたかったのだろうな。
“何もしない、付け足さない”オースティン・バトラーのベニーがクライマックスで泣きむせび、ラストでうっすらと笑みを浮かべる。
この二つの感情の発露が、かつて青春の終わりの悲しみと諦めを感じた世代の胸を切なく焦がす。
トム・ハーディも、昔と今のイキり方の違いについていけずに戸惑う時代遅れの男がぴったりとハマっている。
最後にはバイクではなく、車に乗ってしまっているオヤジライダー。
どこまでも走り続けることができなかった男が昔の流儀を貫いてあっさりと人生の幕を下ろす。
あのブッ倒れるときのボーゼンとした顔がまた切ない。
さらば青春。 さらばバイクライダー。
バイカーの皆さん、安全運転をどうぞよろしくお願いします。
「賢人のお言葉」
「ここで生きていくのなら、もう慣れている。 よそに行って生きるのも、君の望み通にできる。 死ぬとすれば、使命を終えただけのことだ。 他には何もない。 だから勇気を出せ」
マルクス・アウレリウス
世界中の誰よりきっと他にもこれ観てたから
2024年12月21日
「アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師」
「カメラを止めるな!」の上田慎一郎監督による痛快クライムエンタテインメント。
税務署の役人・熊沢(内野聖陽)は中古車を買うのに個人売買を利用したがそれは詐欺だった。 80万円やられた。
友人の刑事に頼んで調べてもらい、自分を騙したのが氷室(岡田将生)という詐欺師だと突き止めた。
詐欺がバレた氷室は熊沢に、ある提案を持ちかける。
被害届を取り下げてくれれば、おたくらが手こずっている脱税王からカネを奪ってあげますよ、と。
明らかに10億にものぼる巨額の脱税をしている大企業の社長である橘(小澤征悦)という男に熊沢は手を焼いていた。
橘は税務署の上とつながっていて熊沢は手が出せず、逆につまらぬ因縁をつけられて謝罪させられるという屈辱を味わっていた。
そいつから10億を徴収する。 詐欺師の手を借りて。 公務員の自分が。
真面目一筋で自分のポストを守るために人畜無害な役人人生を送ってきた熊沢だが、かつて橘に手を出したために税務署をクビになって自殺した同僚のことがずっとしこりとして残っていた。
死んだその税務署員の男の名を橘は覚えていなかったことが熊沢の正義に火をつける。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
勧善懲悪ものとしてのカタルシスを得るのに最適な一本。 スカッとしますよねえ。
確かに強引というか、ご都合的な部分もありますけど、まあエンタメとして許容範囲でしょう。
小道具の伏線的使い方なども巧く、「カメ止め」を思わせるフラッシュバックでの種明かしでコンゲームのだまされる快感を観客も味わえる趣向の一級娯楽に仕上がっています。
バラエティ豊かな演者の中では特に小澤征悦の悪役ぶりが素晴らしく、万人をムカつかせるインパクトが作品に大きな貢献をもたらしています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
皆さまの暮らしは皆さまの税金で成り立っています。 適正な申告・納税をお願いします。
詐欺もダメてす。
「グラディエーターⅡ 英雄を呼ぶ声」
帝政ローマ時代の剣闘士(グラディエーター)を描き、アカデミー賞5部門に輝いた2000年の作品「グラディエーター」の続編。
24年前の前作の舞台から16年後という時代設定なので、ほぼほぼリアル続編。
面白い。 面白いんだけどね。
基本的にはストーリーは前作と似通っているので、続編を作る意味がどこに?とも思いましたが。
まあ、楽しめたからいいですけどね。
ポール・メスカル。 どうなんでしょう。 線が細いとまでは言いませんが、今までのイメージが邪魔をしますよね。
悪だくみが目つきに出てるデンゼル・ワシントンの凄い存在感に食われた感もあり。
バカ兄とアホ弟の双子共同皇帝はほとんどコメディパート。 イッてる目と血色のない顔。 変なクスリでもやってる設定なのか?
反面、ペドロ・パスカル演じるアカシウス将軍のカッチョいいこと!
前半の、ヌミディアにローマ軍が侵攻する時の大バトルが凄い迫力。
これを筆頭として今回はかなりアクション多め。
主人公以外の主要キャラは全滅するという凄い展開が待っています。
「海の沈黙」
倉本聰が長年構想してきた物語を脚本も手掛けて映画化したヒューマンドラマ。
世界的に著名な画家・田村修三(石坂浩二)の展覧会で、ある一つの絵が贋作だと判明する事件が起きた。
世間が騒然とする中、北海道で全身に刺青の入った女性の死体が発見される。
この二つの事件に浮かび上がったのは天才画家と言われながら突然姿を消した津山竜次(本木雅弘)という男。
かつて竜次の恋人であり、現在は田村の妻である安奈(小泉今日子)は北海道へと向かう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「漁村シリーズ」という絵画が普通にいい絵だったので、もう少しじっくりと絵を見たかったですね。
前半は面白いというか興味深く観れます。
ネームバリューだけで高い値がつけばそれで「名画」なのかという美術界の欺瞞をチクリと刺す贋作騒動のくだりは色々と考えさせられるものがあり、けっこう食いつけたのですが、後半からの「芸術家の性分」を語る展開になってくるとさすがにダレます。
何が天才画家の創作魂を揺さぶるのか、パンピーのアッシには理解できません。
複数の人物関係の過去にも何があったのかの説明がもう少しあってもよかったのでは。
やけにハードボイルド感を出そうとしているような中井貴一のグラサン番頭がなんか浮いてるなあ。
年代的な弊害か、80年代アイドル戦国期をかけてきたキョンキョンとモッくんの二人がからんでるだけで、ストーリーから頭が離れてしまう。
「何年ぶりかしら?」
「忘れました・・・」
「お痩せになったのね」
「歳ですよ」
なんとも感慨深い。
この映画を観た一週間後に中山美穂の悲しいニュースを知る。
早い。 早すぎますよミポリン。
「チネチッタで会いましょう」
時代遅れの映画監督の災難を描いたナンニ・モレッティ監督の自伝的なヒューマンコメディ。
イタリアの映画監督ジョバンニは新作映画の制作に忙しい。
どんな映画かというと、1956年のハンガリー動乱のさなか、イタリア共産党がソ連から脱却する歴史ドラマである。
そんなもん誰が観るねんってか? 観るやろが、やかましわい。 やかましいと言えば女優様がいちいち演出に口出ししよる。 この映画がラブストーリーやと堂々と誤解釈しよってからに。 歴史ドラマやっちゅうとるやろが。 っちゅうか、俺の嫌いなミュールを履いてくんなや。 撮影は順調そのものと思とったら、プロデューサーが警察にパクられよった。 詐欺師? 勘弁せえよ。 え?カネは? ない? 映画どうすんねん? こんなことで撮影が中断するとは。 俺を支えてくれ、愛しの女房よ。 え?別れてくれ? なんで? そんな殺生な。 娘よ、おまえからも何か言うてくれ。 え?カレシを紹介? それどころでは。 おや、こちらはカレシのお父さん? え?あんたがカレシ? 俺より年上やんけ。 もう知らん。 どうでもええ。 それよりカネはどないすんねん? 背に腹は代えられん。 Netflixを頼るか。 この際、配信でも何でもええわ。 「我々の作品は190ヶ国で観られます」 あ、そうでっか。 ユーザーの評価は最初の2分で決まるんやてよ。 映画を1.5倍速で観る奴らに何が分んねん。 プロデューサーもしている女房から韓国の制作会社を紹介された。 韓国資本に頼ることになろうとは。 韓国人に俺の映画の良さが分るんかい? 映画はなんとか完成しそうやな。 結末を変えたろうかな。 もっと明るいものに。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
主演も兼ねているナンニ・モレッティ監督は「自伝のつもりじゃないけど」とおっしゃってますが、まあ監督やってると苦労は絶えませんよという体験談もチョロッとは入ってるんでしょう。
ハンガリー侵攻とともにソ連から距離を取ったイタリアの話の映画を撮りながら、妻の反抗や周囲との軋轢から、自身も人の意見にも徐々に耳を傾けだし、他者との距離の取り方に目覚めていく過程が描かれていますが、これがちょっと伝わりにくいですね。
様々な映画からの引用もあるということですが、アッシにはほとんど分らず。
全体的に「うーん・・・」な映画でしたね。
若手監督の撮影現場で暴力描写の論争になって「スコセッシに聞いてみよう」と電話をかけるシーンがおもろい。
「人体の構造について」
ドクター目線のウェアラブルカメラや内視鏡カメラなどで、普段見れない外科手術などの模様を映しながら人体の神秘に迫ろうというフランスのドキュメンタリー・・・・なのですが、予告編から想像する内容とは少々ズレているのが問題ありな作品。
多分、誰もが予想するのは、人間の臓器ってこうなってるのかとか、その臓器にメスが入り病巣を切除する一部始終など、ある種の“スプラッタ”映像の数々。
確かに、帝王切開の意外な力仕事や遺体安置所で服を着せる(ラジオを聴きながら)人たちの様子など、「へえ~」な映像はチラチラ出てきます。
しかし、それよりもメインなのは職場の不平不満や、手を動かしながらも取り留めのない冗談が口をつくお医者様たちの音声のオンパレードです。
「一人で20人受け持つなんてこんな体制おかしいよ」
「320日徹夜しても待遇が同じ。 やってられんな」
(尿道に管を入れながら)「忙しすぎてアソコも勃たん」 「ペニスと男根の違いって知ってるか?」(どうでもええわ)
(頭蓋骨に穴を開ける手術中に)「俺って昔から機械いじりが好きなんだよね」
(吸引管を助手が床に落としてしまい、代わりのものをその場で作り直すことに)「吸引管を渡せ」 「今、作ってる」(あまりに遅いので)「レゴでも作ってんのか!」(このツッコミおもろかった)
もしもし。 「人体の構造について」語ってくれるんじゃなかったの?と言いたくなる映画。
何回か出てくる落書きだらけの地下通路はアレなんなん?
病院の敷地内ではないのか?
ラストの前衛的なアートもなあ・・・ そんなん要りますかな?
「ドリーム・シナリオ」
「皆さん、夢でお会いして以来ですね」(オードリー・春日俊彰)
主人公は妻と二人の娘と共に暮らす大学教授のポール(ニコラス・ケイジ)。
下の娘が「パパが出てくる変な夢を見た」と言っていた。 へぇ。
元カノと会った。 「最近夢にあなたがよく現れる」という。 ほぉ。
そのことをブログに書いていいかしらと言うので私は「いいよ」と答えた。
私の写真入りで記事がアップされた途端、俺もこの彼を夢で見た、アタシも見たと、私の夢を同時期に見ていた人が何百万人も出現したのだ。 なんじゃいそれは?
夢は私を知ってる人だけでなく、会ったこともない赤の他人の夢にでさえも私が現れ、特に何をするわけでもなく、ただ、突っ立ってるだけらしい。
この謎の現象で私は死ぬほどバズった。
それまで私の講義などまるで聞いてなかった学生たちからはキャーキャー言われ、街なかでもアイドルのような反応をされるようになった。
それまで誰からも認知されてなかったような自分の日常がいっぺんにひっくり返ったが、まあ悪い気分じゃない。
ただ不思議なのは妻(ジュリアンヌ・ニコルソン)だけは私の夢を見ないことだった。
バラ色の日々は突然終わった。
それまで夢の中の自分は何もしない存在だったのに、ある日から、夢の中で私が当事者に対して危害を加えてくる内容の悪夢へと変わったのだ。
一転して私は人々から憎まれる存在となってしまった。
学生からはガン無視され、街なかでは嫌悪の目で見られ、暴力まで振るわれるようになった。
チョー待てよ。 夢ん中のことだろ。 現実には私は何もしてないのに、なんでこんな仕打ちを受けなきゃならない?
一体私に何が起きてるのだ? こんな悪夢はいつ覚めるのだ?
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監督が誰かと思えば「シック・オブ・マイセルフ」のクリストファー・ボルグリ。
承認欲求の権化と化した女の目も当てられない転落劇を描いた前作に引き続き、今作もいわば承認欲求がネタになっているスリラー。
学生からも教授同士からも面白味のない男だとして相手にされない男の承認欲求が不思議な夢の現象になったのか、その理屈はともかく、「かまってちゃんオヤジ」に対して、人を讃えたかと思えばちょっとしたことで叩く方へと極端に振り切るネット民の構図を悪意たっぷりの比喩で描いている。
夢の中でも人に無関心な男は、ただ「出てきた」だけてバズり、それに乗じて現実で著書や論文のことで自分を主張しだすと、一転して人から忌み嫌われる。
SNSの歪んだ一面をデフォルメした物語はクライマックスには「そんなアホな」みたいな行き着くところまで行く。
ポールが奥さんに唯一ウケたトーキング・ヘッズのモノマネ姿のラストが少し救われる。
「雨の中の慾情」
つげ義春の漫画を知らないと理解しがたい映画でしょうね。
アッシもチラッとヘタウマな絵とドロドロした世界観の漫画を書店でパラパラッとめくって見たことがある程度。
その、つげ義春の「雨の中の慾情」他、「夏の思いで」、「池袋百点会」、「隣の女」の計4編の短編を巧みに構成させて「岬の兄妹」、ドラマ「ガンニバル」の片山慎三監督が映画化した官能作品です。
なかなかエロくて、シュールで幻想的。
難解というほどではないのですが正直、入り込みづらくて退屈な前半。
後半になると、今まで観てたものが「えーっ、そうだったの?」というサプライズな展開が訪れます。
それでも・・・
ストーリー構成が時系列も含めて色々と迷走するので、やっぱりとっつきにくい。
つげ義春の世界観を壊さないためにはこうなるのでしょうな。
「大きな家」
東京のとある児童養護施設で、家族とも他人とも言い切れないつながりの中で共に生活している子供たちと彼らを支える職員の日常に密着したドキュメンタリー。
ここに出てくる子供たちはモザイク無しで紹介され、何故この施設にいるのかという背景はあえて説明されません。
親がどうなったのか、何をしたのか。 そんな想像をさせる余地さえ挟む隙もありません。
それほどに、子供たちはしっかりと現実を見て一日一日をちゃんと生きている、その姿だけで何も言うことはないです。
それに彼らは素直な気持ちをちゃんと吐き出してくれる。 それだけで彼らは大人になっても全然大丈夫だと思えます。
施設を案内してくれる、しっかり屋さんの7歳の少女。
将来なりたいものは「ちょうちょ」。
妊娠記録の手帳に母親の匂いを感じる11歳。
「慣れるところもあれば慣れないところもある」
まもなく中学に上がる12歳の少年。
制服の初めてのネクタイに悪戦苦闘。 「何でネクタイ? 意味わかんね」
他のみんなについては「一緒に暮らしてる他人ってとこかな。 ベストフレンズ? それはない」
野球少年の14歳。
「家族じゃないから。 グイグイいけるか、いけないかの違い。 いろいろ家庭の事情があるから大変だ」
18歳を超えたら施設を出て独り立ちする少女や少年もいる。
旅立っていく者たちが普通に生きてきた姿に職員の人たちも涙する。
登山のシーンもぶつかり合い励まし合いなどがあって素敵でした。
日本ではなんらかの事情で親元を離れて社会的養護のもとで暮らす子供が約4万2000人いる。
そこを出た後も人一倍様々な苦労をする方々も多い。
でも、家族ではないけど一緒に暮らし、いずれ一人で外に出て生きていく志を共にしてきた経験は力になるであろうことを祈りたい。
映画館に入る前に渡されたチラシや本編の冒頭とエンディングで、SNSで映画の中の個人を特定してプライバシーを侵害したり、誹謗中傷したりするのはご遠慮して下さいとの文言が出てきます。 いるかな、そんなバカをする奴が。
今の御時世なら然もありなん。
本来は多くの人に観てほしい本作ですが、この時代ではちょっとジレンマですね。
「正体」
染井為人の同名小説を藤井道人監督が映画化したサスペンス。
先日、報知映画賞作品賞など3部門を受賞。
日本中を震撼させた通り魔一家惨殺事件の容疑者として逮捕された当時18歳だった鏑木慶一(横浜流星)。 しかし3年後、服役中に脱走した彼は各地を転々として潜伏生活を送りながら、ある目的の地を目指す。
鏑木を追う刑事の又貫(山田孝之)と、鏑木が潜伏先で出会った人たちと絆を育むドラマを交差させながら、情報に振り回されずに直接人と触れ合い、人を信じることの重みが訴えかけられています。
正直言って、ちょっと無理があるのでは?と思える描写もチラホラあり、ストーリーも予想の範疇を出ないオーソドックスなもの。 構成や展開が同じ映画はいくらでもあり、目新しい作品ではありません。
しかし、前述したように訴えかけるテーマはしっかりしています。
我々が学ばねばならないのは、ニュースやネットの書き込み、権威の言葉などを鵜呑みにせず、垂れ流される情報の「正体」を見抜くことです。
人と正対し、人の目を見て、直接言葉を聞いてこそ、人のことが理解できるのではないでしょうか。
鏑木と交流を持った3人(森本慎太郎・吉岡里帆・山田安奈)は正体に気づかなかったのではなく、「彼は悪人ではない」という“正体”をちゃんと感じていたのです。
鏑木も成年として初めて外の世界に出て、色んな人と触れ合って「もっと生きたいと思いました」と語る。
一旦咎人の烙印を押されたら世界中が敵になってしまう情報偏重社会の中で、人から自分のことを信じてもらえることの尊さ。
一介の逃亡者映画ではない真摯なメッセージがあるところが素晴らしい作品です。
横浜流星の化けっぷりが凄いですね。
元々どんな顔してたっけ?
「ホワイトバード はじまりのワンダー」
2018年日本公開の感動作で、アッシもその年のベストワンに選んだ「ワンダー 君は太陽」。
遺伝子の病気で、人と違う顔で生まれてきた少年オギーの勇気ある生き方と、彼を支える人々の心温まる物語だったその映画からスピンオフ作品が誕生。
オギーをいじめたのが原因で学校を退学になった(というより親が転校させた)ジュリアンという少年のその後から始まるストーリーですが、ジュリアンというよりは、彼の祖母の若き日の物語。
現在パリ在住の著名な画家サラ(ヘレン・ミレン)がメトロポリタン美術館で催される回顧展の出席も兼ねて、ニューヨークの孫息子のジュリアン(ブライス・ガイザー)のもとを訪れる。
新しい学校に転入したジュリアンは誰とも関わろうとせず、自分の居場所を失った鬱屈した日々を送っていた。
そんな孫を見かねたサラは自身の少女時代のことを語りだす。
1942年、ナチスドイツの占領下にあったフランスで、ユダヤ人家族であったサラの一家にも強制連行の危機が迫る。
その日、ユダヤ人の生徒を全員連行しようと親衛隊が学校に乗り込んでくるが、危機一髪の所でサラは同じクラスのジュリアンという男の子に救われる。
ポリオの後遺症のために松葉杖で歩く彼は「カニ」を意味するトゥルトーとみんなから呼ばれいじめられていた。
サラ自身、そんなに関心を払っていた子ではない。 そんな彼から助けられた。
ナチスを忌み嫌う彼の両親からも愛情の手を差し伸べられたサラは、詮索好きで密告屋らしい隣家の目を避けるため、納屋の中で隠れ住む生活を送る。
ジュリアンは学校から戻るとサラに勉強を教え、安否の分からぬ両親に心を痛める彼女を励まし、二人にはかけがえのない絆が芽生える。
しかし、ナチスに協力する少年兵となった同級生男子のサラの行方を追う足音が次第に近づいていた・・・・
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お祖母様の話は君の胸に響いただろうか、ジュリアン君。
君の名付け親はもしかしてお祖母様なのかな?
君と同じ名の少年と出会わなければお祖母様もこの世にいないし君の親もいないし、君もいない。 これは屁理屈ではない。 人の縁というのは起こるべくして起こる奇跡。
「危険をさらして人を助けるとき、その親切は奇跡に近い」とお祖母様はおっしゃる。
まさにそのとおりだな
あの時代なら尚更のこと。 人の心が醜悪か清廉かは関係なく、我が命を守るための選択をするのもやむを得ない。 そんな時代だった。
それでも、悪意に満ちた多数派の恐怖に屈しない勇気が、いびつに傾きかけた世界を救ったのも事実だ。
理不尽に命が奪われていく闇の裏で、見知らぬ誰かに救われた命もある。
動物は他者を選別したりしない。 人の欠点を笑ったりしない。 コウモリも、オオカミも、白い鳥も。
人間にもできないはずはない。
権威に迎合せずに弱者に手を差し伸べることができるのが「人間万歳」と心底から叫べる真の強者なのだよ、ジュリアン君。
お祖母様にも一言。 「うちの息子が何か悪いことをしましたかしら?」とほざいてらしたジュリアン君の母親はあなたの娘さん? それとも父親の方があなたの息子さんですかな?
この2人を先に教育された方がよろしいかと。