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他にもこれ観てる途中でしょうが
2024年11月11日

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「若き見知らぬ者たち」

「佐々木、イン、マイマイン」の内山拓也監督による若者の絶望を描き上げた最新作。

風間彩人(磯村勇斗)は昼は工事現場で働き、夜は両親が残したカラオケスナックのカウンターに立つ。
すでに父親は借金を残して自殺しており、母の麻美(霧島れいか)は心を病み、人の世話無しでは暮らしていけぬ生ける屍となった。
彩人の弟の壮平(福山翔大)は総合格闘技の選出として日々の練習に明け暮れ、兄と同居しながら共に借金の返済と母の介護を担っている。
彩人は心の中で堰き止めてるものがいつか壊れるかもしれない閉塞感を抱きながら、恋人の日向(岸井ゆきの)とささやかな幸せをつかみたいと、なけなしの希望にすがっていた、
しかし、スナックの仕事が終わったあとに、親友の大和(染谷将太)の結婚祝の席に駆けつけるはずだった彩人は思いもよらぬ暴力に巻き込まれて命を落としてしまう・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは社会の、そして誰にでもある「見て見ぬ振り」をこれでもかと描き上げた問題作。

借金と病気の母親。 どれか一つでも解決できれば違うのかもしれないがそうはいかない。
母親は手のつけようがないほど精神が壊れ、部屋と台所はゴミ屋敷状態と化している。
兄弟たちはそれを見て見ぬ振りするのだ。 もう慣れっこだと自分に無理に言い聞かせて。
そうしないと自分が保たないのだ。
兄は淡々と日常を保とうし、弟も格闘技のトレーニングに埋没する。 破滅と隣り合わせだという現状に目をつぶりながら。

はたから見れば、相談する機関はいくらでもあるのにと思うが、相談したくてもできないものなのだ。 相談しようとしないのだ、こういう環境の若者は。
それを社会は見て見ぬ振りしてるわけではなく、突き放してるわけでもないが、こういう若者の存在を私たち気にかけることもない。

昨今、闇バイトの事件が多発している。
若者たちは何であんなのに手を出すのかと誰もが不思議に思うだろう。
彼らは分かっている。 アホではない。
ホワイト案件だと騙されたのではなく、知ってて危ない橋を渡り、ムショに入って今の生活から開放されることを望んで一線を越えたまでだ。

劇中に散らばる「見て見ぬ振り」の描写はリアルなものから「そんなわけないだろ」とツッコミたくなるようなものもあるが、すべて「そんなわけある」のだ。
何もかもに疲れたら無かったことにするのだ。
そういう環境の者は。 今の社会は、今の我々は。
誰もが知らない、気づかない、見てもスルー。 そんな表現がスキなく詰め込まれている。

主人公の父親もそうだったのだろう。
夢見た店が持てたのもつかの間。 借金で首が回らなくなった現実からも目をそらした挙げ句に自ら死を選ぶ。
母親は見れる力もなくなった。

劇中に「拳銃」の描写が2度出てくるが、これは誰にでもある心の一線の向こう側にあるものを表している。
自分はもう人としてオワってることを既に悟っている人物が、いずれ人生が文字通り終了する闇を心の中で覗き見た、そんな光景なのだ。

皮肉なことに、現実から目を背けてきた彩人が他人のことに見て見ぬ振りをしなかった行動が悲劇の連鎖を生む。

仕事帰りに路上で警官から職質を受けている若者がリュックの中を見せる見せないで激しくモメているところだった。
別に関わる必要はなく、彩人はやり過ごそうしたが引き返し、警官に対して「もういいじゃないですか」と割って入り込み、余計に場がこじれてしまう。
もう一つ。 親友の結婚祝をもちろんスルーできないことが元でスナックの酔客とトラブルになった彩人は理不尽な暴力に巻き込まれることになる。

この「見知らぬ若者」と親友に関する、2つのスルーしなかったことが彩人の運命を大きく変えてしまう。
駆けつけた警官は傷害の現行犯どもさえ見て見ぬ振りし、あの職質に割り込んできた“あの時”の若者だと気づいた“あの時の”警官は非道な意趣返しに走った挙げ句、一人の若者の死さえ「見知らぬ」ことにしてしまうのだ。

一人の見知らぬ若者の不幸の末路を問答無用に叩きつけるしんどい映画だが、そのしんどさを与えるのが狙いだ。
染谷将太の「我が良き友よ」に少し楽になるが。
        

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「最後の乗客」

東北の震災からはや13年。 宮城・仙台への想いが込められた、わずか55分の自主制作映画。

タクシードライバーの遠藤(冨家ノリマサ)は深夜の道を流していた。
道に一人佇んでタクシーを停める奇妙な女が”出る“と噂の道だ。
その噂の道で遠藤は一人の女性客を拾う。 まさかなと思いながら。
しかしその女性は東京の大学に行ったきり連絡もよこさない娘のみずき(岩田華怜)と分かり、ぎくしゃくしたやり取りが始まる。
そこへ突然道路に飛び出すように現れた子連れの女性が、どうしても「浜町まで乗せてほしい」と懇願するので遠藤はみずきと相乗りさせる形でその親子をタクシーに乗せるのだが・・・
やがて遠藤は知る。
“あの日”のことを。 最後の乗客は誰だったのかを。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
観客の大方の人は映画を観ながら途中でなんとなく察しはついていただろうと思います。
ただ、どっちが“アレ”なんだろうかと迷った方も多いのでは?
娘が“アレ”? 親子? 遠藤? それとも全員が“アレ”?
なんにせよ、13年前の「3.11」、一瞬の判断で運命が変わった人は多くいらっしゃったことでしょう。
あのとき、こうしてれば。こうしていなかったら。
そのとき、自分のことより誰かのために行動したことに、後悔より納得の思いがあったことを願わずにはいられません。
残された者と逝った者をつなぐ一夜のファンタジーが、癒やしの一つの在り方を感じさせてくれます。
エンドロールの写真がまた切ない。
        

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「二つの季節しかない村」

「雪の轍」のヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の最新作は、トルコ東部の村を舞台に一人の教師の人物像に焦点を当て、人間のろくでもない部分をあぶり出すドラマです。

これは面白い映画ですね。
主人公の男が笑えますね。
自己チュー。 何でも人のせいにする。 運や環境のせいにする。 自分と人を比べて卑屈に物事を考える。 人を陰で小馬鹿にして下の者に尊大に振る舞う。 人の繊細な感情に無頓着。 人の幸せを妬む。 斜に構えた口を利くだけで何も行動しない。 恩着せがましい。 せこい。
こんな主人公です。 しかも教師と来たもんだ。

この監督さんの映画はいつも長いのですが、今回は198分のお付き合い。
笑えるほどケツの穴が小さい男の低劣な振る舞いのオンパレードを3時間超も観させられるという、まことにステキな映画体験。
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辺鄙な村の学校の美術教師として赴任してきて4年になるサメット。
彼はこの村が嫌いである。 だって、な~んも無いんだもん。 マクドナルドもセブンイレブンもない。 もちろん映画館もない(そりゃ地獄)。
こんな村、いつか出てったるわいとサメットは思っている。
内心で田舎と田舎に住んでる人間をバカにしている男だが、村人からは教師というだけでまあまあ慕われてる。

学校ではセヴィムという女子生徒をえこひいきするサメット。
セヴィムだけ相手にしてるかの授業をするし、こっそりプレゼントを渡しちゃったりする。

現在彼は社会科教師のケナンと部屋をシェアして暮らしているが、あるとき知人の紹介で片足が義足の英語教師ヌライと出会う。
おっ、ええ女やんけと思ったサメットだが、どうせ村を近々出ていくつもりの彼は「俺は大都会イスタンブールでビッグになる男」とええカッコをし、ケナンに「おまえ、あの彼女と付き合っちゃえよ、ヒューヒュー」とけしかける。

やがて思いもよらぬ事態がサメットに降りかかる。
学校での持ち物検査がきっかけで、セヴィムの持ってたラブレターらしい手紙を手に入れたサメットはセヴィムから「返してほしい」と言われても拒否する。
子供の気持ちさえ、なんとも思っちゃいない。 子供相手にマウントを取り、しかも「手紙を返して」と反抗的な口を効かれたのも彼には気に食わないのだ。
すると間もなくして彼はセヴィムから“不適切な接触”かあったことを告発されて学校側から問い詰められるる。
あのガキゃあ、あんなに目をかけてやったのにとサメットの態度は一変。
俺がやったプレゼントを返せ。(おまえこそ手紙を返せ)
バカ生徒ども、おまえらなんか芸術家になれるわけねぇだろがボケー!(おまえもただの美術教師)

一方、ケナンが例のべっぴん教師ヌライとどうやらヨロシクやってるような感じに見えたサメットは、メラメラと妬み嫉みの黒い感情を露わにする。
おめえらだけハッピーになろうたってそうはいかねえぞ。

ヌライに「今度3人で食事でも」と声をかけ、ケナンには一言も言わず、当日一人でヌライの家に突撃する。
ケナンは都合が悪くなっちゃってね。(こいつサブっ)

しかしヌライは賢い女である。
サメットとという男の卑小さなどお見通しだ。
彼女ははどうやら反体制運動などにも積極的な活動家の一面を持っている。
片足を失ったのも爆弾テロに巻き込まれたからだ。

ここから2人はワイン酌み交わしながら激論のバトルを展開する。

文句ばかり言って何の行動も起こさないサメットをヌライが責めれば、運動に傾倒するヌライに対して、何も変わらないのにみんなで同じ考えを持つことを強要される筋合いはないと反論するサメット。
やがて。
「なぜケナンに黙って来たの?」 「なぜだと思う?」

ここから「ハァ?」みたいな展開になり、ケナンのメンタルは振り廻され、サメットもヌライもどうしたいんじゃ?みたいな三角関係がモヤモヤしたムードで描かれる。

オトナなのはセヴィムちゃんだけ。
「何か言うことは?」と何様なことを言うサメットに「何を話せば?」

冬は雪雪雪ぃ~の雪しかない村。
冬が終われば急に夏が来て、緑のはずの地は黄色く枯れてゆく。
そんな村をようやくあとにするサメットの心に去来するものは・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一見、何が言いたいねんみたいな映画ですが、気づけばあっという間に3時間18分が終了してるから不思議。偏屈男の一挙手一投足を追い続けるだけのドラマのなんとおもろいことか。
雪に覆われるだけの何もない村は、屁理屈武装して他人を嘲りながら自身も何もないサメットを表し、雪が溶けて乾いた村もまたサメットの一皮剥いたあとの空疎さを映し出したものです。
彼はそんな自分を分かっていながら変にカッコをつける自分を演じていた面もあります。

ヌライとの長尺の激論シーンでは、一旦サメットが席を外して部屋を出るところをカメラが追うのですが、なんとドアを開けたその向こうはスタジオのセットの裏側という奇妙なギミックが炸裂します。
何人かのスタッフが行き交う中を歩いていくサメットはトイレの洗面所で顔を洗うなどして一旦頭を冷やすような行動を取ります。
もう一つの“季節”の一面を持った自分を演じてるサメットの抽象描写でしょうか。
人物同士の距離感や空気の作り方が絶妙で、色んなシーンでお互いこんなことを思ってるんだろうかという「場が変な空気になってるぅー!」のムードの演出もまた素晴らしい。
        

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「悪魔と夜ふかし」

1977年のTVショーの生放送で起きた奇怪な惨劇の一部始終を記録したマスターテープが発見されました!というテイで描かれるファウンド・フッテージ・ホラー。

深夜のトーク・バラエティ番組「ナイト・オウルズ」は、一時は一世を風靡したものの、ここんとこ視聴率が低迷しており、打ち切りも時間の問題。
ホストを務めるジャック・デルロイにとって、今晩の放送は正念場だった。

さあ今夜も始まりました「ナイト・オウルズ」。 
スタジオには今日もたくさんのお客さんが来てくれてます。 みんな、夜ふかしっちゃおうぜイエーイ!
この番組にチャンネルを合わせてくれた視聴者の皆さんありがとう。
今夜はすごいよ。 みんな大好き、オカルト特集さ。
幽霊とか悪魔とかって本当にいるのかな?
それを検証しようってのが今夜の目玉。
きっと何かが起きるはずだよ。 信じる人も信じない人も、ぜひ今夜の出来事をその目で確かめてくれ。
まずはゲストだ。 元マジシャンで現在は超常現象科学的調査国際連盟の一員であるカーマイケル・ヘイグだ。 よろしくカーマイケル。


「幽霊なんかいるかアンポンタン。 科学的裏付けもなく目に見えないものを信じるようなバカがいるから、しょうもない詐欺が横行するんだ。 頭を冷やしたまえ」

ハッハッハ。 いきなりキツいね。 彼にはこれから起きる現象のことを否定的な立場から解説してもらうよ。(シラけさせて番組をぶち壊されても困るんだがな)
最初は霊の声が聴ける青年クリストゥだ。 さっそく始めてちょ。
おおっ! 観客の女性の自殺したお兄さんの霊と話してるぞ! どうよどうよ、カーマイケル。


「古典的なコールドリーディングだよ。 っていうか、そこのお嬢さん、始まる前にスタッフと話してたな。 身の上話でもしたか?」

ええ? インチキなの? おいおい、出だしからそりゃないぞ。
どうなってんだクリストゥくん・・・と思ったら彼はマジな目つきでまだ霊がいるみたいなことを言い出し、「ミニー」とつぶやいた。
ミニー・・・それは。 ガンで亡くなった私の妻マデリンの、二人っきりの時にしか使わないニックネームだった。
どういうことだと戸惑ってるとクリストゥは黒いゲロを吐いて救急車に乗せられていった。

まあいい。 お次は悪魔に憑依されてるという13歳の少女リリーと、その悪魔と会話できる超心理学者ジューン・ロスミッチェル博士だ。
ではどうぞ。 悪魔とやらを呼び出してちょ。
博士がリリーに向かってムニャムニャと何やら語りかける。
おおっ! リリーの顔つきが変わった! 声も変わった! リンダ・ブレアも真っ青だ!

『やあジャック。 高い木がある場所で会って以来、長い付き合いだな』
は? なんて言った?


「ふん! バカバカしい。 博士が催眠術を使って少女を操ってるだけだろ。 茶番もいいとこだ」

黙れオッサン。 これは私にとって・・・・
ともかく皆さん。 これぞテレビ史上初の「悪魔の生出演」。
何が起きるのか、私にも分りません。 この後を見届けるか否かは視聴者の皆様の自己責任でどうぞ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この時代は日本でもオカルトブームで、心霊現象や超能力やUFOなどが2時間のスペシャル番組でよく放送されてたもんです。
この映画はオーストラリア映画ですが、アメリカの深夜番組の再現の世界の中に、さらに日本で放送されたユリ・ゲラーの番組を思い出させるテイストが漂っています。
ユリ・ゲラーがテレビから視聴者に呼びかけ、家にある壊れた古い時計を用意してもらい、彼がテレビ画面から念を送って時計の針を動かしてみせるという超能力を生放送した番組。 これをなんとなく思い出しました。

生演奏バンドとかは出てきませんが、監督さんは日本で放送されたユリ・ゲラーの番組を知ってたのかと思うほどに、スタジオの雰囲気やテンションがよく似ています。
驚きといかがわしさが同居していて、ある種の放送事故を期待しながら観ていた番組を丸々ホラー映画として置換するアイデアが面白いですね。
何が起きるかは想定内であり、さして怖くはないのですが、ある秘密が暴露されるところがミソ。
なぜジャックはテレビの人気者になれたのか?
ジャックの妻の死に隠されたある理由とは?
その真相はCMのあとで!
        

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「徒花 - ADABANA -」

近未来を舞台に、クローンを題材として命の価値を見つめ直す物語。

ウイルスの蔓延で人口が減少したことから、人を生き長らえさせる措置として特権階級の人間だけに「それ」の所有が許される。
「それ」とは延命治療用として造られたクローンのこと。
劇中ではハッキリとした説明はないが、病気などで死期が迫った人間は自身のクローンから臓器などを提供してもらうということなのだろう。
もちろんクローンの方は死ぬことになる。
自分のためにもう一人の自分を造ってそれを殺して自分が長生きするという不条理な世界である。

死が間近に迫る新次(井浦新)はクローンによる延命治療を決意するものの、「それ」を殺してまで自分が生き長らえるべきなのかと葛藤していた。
心のケアをする臨床心理士のまほろ(水原希子)に頼み、本来は禁じられている「それ」と対面した新次は、同じ姿ながら全く違う内面を持っ「それ」との出会いに心をかき乱されてゆく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
うーん・・・ 設定は面白いのですがね。 なんか話に入り込みにくいなあ。

まず、倫理的にというかそれ以前の問題として実現性がほぼ無いと言える世界が舞台ですからね。
人工的に命を造る。 それもゆくゆくは殺すために。 人工的な命だから割り切れるもんなんですかね?
いやあ、違うでしょう。 ナシでしょう、こんな世界は。
だからピンと来ないのかなあ。
主人公が悩むことも「それ」が持てる身分になって実際に持ってみたら感情移入が可能と言えるのではないかと。
人口問題解決なら、クローンに生存権与えて生活させてみますぅ? 無理があるかな。
どんな命でも無駄な命ではない。 無駄に咲いた徒花ではないという、そのテーマも大人になってから言うことでしょうかな?
        

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「ボルテスV レガシー」

1977年に日本で放送されていたロボットアニメ「超電磁マシーン ボルテスV」。
これの前番組である「超電磁ロボ コン・バトラーV」は観てたんですがねえ。
ボルテスVはあまり印象にないですねえ。
コン・バトラーVの「V」は「ぶい」だったので「ボルテスV(ファイブ)」をついつい「ボルテスぶい」と読んでしまうのはアルアル?

「ボルテスV」はフィリピンでも78年から放送され日本を凌ぐほどの凄まじい人気ぶりだったらしいのですが、内容が乱暴的だという大人の声や、軍国時代の日本を賛美するかのような表現にも猛抗議が上がりました。
フィリピンは元々反日感情を持つ人が多いのですね。
そんな反応に対してフィリピン政府が「ボルテスV」を最終話まで残り4話のところで放送を禁止するという事態に発展。
8年後に政権交代してから放送は再開されましたが、政治判断でアニメ番組が放送禁止になるとは当時のフィリピンの子供たちに同情します。

その子供たちの一人であったマーク・A・レイエスは当時9歳か10歳あたり。
「ボルテスV」に熱狂して育ったレイエスは映画監督となり、2023年に「ボルテスV」を実写化したTVシリーズ「ボルテスV:レガシー」を制作。 全90話が放送され、映画にもなりました。

この映画版を追加シーンも含めて再編集した「超電磁編集版」として満を持して日本で公開された本作。
時間の都合がつけば字幕版を観ていたでしょうが、時間が合わずに吹き替え版をチョイス。
これが良かったのか悪かったのか。

声優さんは一生懸命与えられた仕事をちゃんとやられてますので、やはり脚本も含めたストーリーや演出の古っぽさが問題なんでしょうね。
オリジナルの世界観を保持するという作り手の姿勢もあるんでしょうか、フィリピン製であってもオリジナルの昭和風暑苦しさが全面に出ており、台詞や感情を出した行動がクサいしクドくて気恥ずかしくなります。
まあ、子供向けですからね。 そこは差し引かないとダメなんでしょうね。

アニメでは感じないのに実写になると、こっちが冷静になってしまうのか、途端に変な違和感が目につくのもアニメの実写化の難しいところ。
リトル・ジョンという小さな子供(設定は8歳)が兄ちゃんたちと一緒になって闘いの場へ赴く設定は、「親は何を考えとんねん」という違和感がどっと増します。

ボルテスVを開発した科学者であり、子供たちの母親でもあるマリアンヌ博士(声は堀江美都子だ!)が「さあ子供たち、ボルテスVに乗るのよ!」と言う。
「ゲームみたいなもんだね」と余裕で操縦するリトル・ジョンが交信で「お母さん心配いらないよ」と言うと「心配するに決まってるでしょ!」と怒る母親。
おまえが乗れって言うたんちゃうんかい!とツッコんだお客さんは多いはず。

そのお母さんは内臓を損傷してても歩き回るド根性を見せて、特攻死。

子供が「おかあさ~ん!!!!!」とピーピー泣くシーンもまたクドい。

悪役たちもなんか微笑ましいビジュアル。
ベイ・シティ・ローラーズの誰かを思い出させるイケメンのハイネル殿下。
垂れ目の優しそうな顔でニヤニヤしながら「地球人が苦しむ姿を見ようじゃないか~」とのたまうところが笑えてくる。
側近の女幹部のハミ乳もやたらに気になって仕方がありませんでしたな。

対して、メカニック表現は素晴らしいものがありましたね。
合体のシーンや天空剣のシーンもワクワクしました。

確かになんだかんだとツッコまれるのは必至のデキですが監督さんの作品愛や熱は存分に伝わってきます。
それだけで嬉しいもんです。
反日感情の強い国とは言え、こうして日本の文化を愛してくれて敬意を込めた表現物を作ってくれるだけで何も言うことはありません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて。
まだ数本ほど書きたいのですが、ちょっと一本一本長々と書きすぎましたね。

そんなわけで次回に持ち越し。
次はもうちょっと簡潔にまとめねば。
できればね。

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