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日本が日本であるために

 

  

私の街のスターバックス 


 くだらない話で恐縮ですが、私が住む街にスターバックスができました。

 何やら、地元企業の社長の婦人が

「この街にはスターバックスがひとつもない!」

 とて、スターバックスを誘致する活動を行ったそうです。

 それで首尾良くできあがると、もうみんなで有り難がっちゃって大変な繁盛らしいですよ。



 まさに田舎の滑稽さを絵に描いたような話でしょ。

 そういえば私が高校生くらいの時、『木更津キャッツアイ』ってドラマがあって、頭の弱い女が木更津にスターバックスのないことへ不平を言い続ける……みたいな描写があったけど、あれはドラマだから冗談でやられているのに対して、私の街ではそれがマジなのですからね。


 まったく、田舎の人間ほど、東京を有り難がり、グローバルを有り難がるんです。


 でも一方で、普段の生活を見ていると、祭社会に根差していたりして、地元に埋め込まれ、多くの信仰と恩恵に浴している。

 そして、田舎の人のそういう姿は美しいのです。

 でも、そっちはおおむね無自覚で、故に文化的防衛力はない……というところが滑稽であり、儚くもあるところなんです。

 そんなんじゃ百年後には溶けて、流れちゃいますからね。


(了)

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選挙後、2017年衆議院選挙について 


 今回の選挙。

 よかったのは、「希望の党」のおふざけが急速に失速したことです。

 あの風が順風に進み、非自民政権ができあがった可能性は充分にあったのであり、そうなれば本当にメチャメチャになっていたでしょう。

 また、これで

「風」

 という直接民主主義が多少なりとも軽蔑されればいいなと思いました。



 その一方、
「立憲民主党」がよく頑張って議席を伸ばしました。

 今回の立憲民主党は、
 一方では「リベラルの受け皿」という言われ方もして、もう一方では「リベラルの壊滅」という言われ方もしましたね。

 が、私の印象としては、

「リベラルというリベラル……みたいな性質を持った人はいつも社会の一定割合いて、まあ、これくらいは占めるのだろう」

 というくらいに思って、特に文句もなければ、感慨もないです。



 でも、希望の党が立憲民主を下回ったのはスカッとしましたね。



 最後に、自民党について。

 そもそも、政権担当能力という意味で、政権与党は自民党以外にありえません。

 自民党が過半数を得なければ、それだけで政府の機能は半減するのです。

 でも、公示前と同様に自民党単独で絶対安定多数まで達し、与党3分の2まで与えられてしまったのは良くないと思います。

 首相に権限が集中する中で、与党に3分の2の議席があるとなると、政治や改革が早く進み、世論の流行に流される力学が強くなるからです。

 また、北朝鮮有事がありますから、アメリカの要求に対する防護のためにも、議会での与党の勢力は小さくてよかったんです。


 つまり本当は、

「自民党で過半数とちょいくらい」

 がちょうどよかった。


 けれど、これは現在の小選挙区の選挙制度上、どうしても大勝か大負けになってしまうのだから、やむをえないのです。

 平成の初めに選挙制度改革を喝采していた日本国民による、負の遺産だと言う他ないでしょう。


(了)


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Category: 政治:政治制度改革批判

Thread: 政治・経済・社会問題なんでも

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選挙後、北朝鮮有事という肌感覚 



 選挙が終わったばかりですが、選挙前から

「選挙後に、アメリカの北朝鮮に対する行動があるのではないか」

 というふうに言われてきました。

 というか逆で、

「アメリカの北朝鮮に対する行動が決定しているから、先に解散して選挙を済ませておいたのではないか」

 と言うことでしょうか。



 もちろん、そもそも北朝鮮のミサイルの射程の問題を考えれば、トランプがもう行動を起こす時も遠くない可能性が高い……くらいは理屈でわかるのですが、そんな理屈以上に、現在、世の中の空気に触れる肌で「いよいよか」という察知をするのです。

 それはちょうど、台風の来る前の自然の空気感のように、人間社会の空気感がそうなのです。



 そういえば私は、今回の選挙にはほとんどなんの感想もないのですが、あのフザケタ小池新党が失速し、大敗北を喫したことだけは胸がスカッとしました。

 私が一番嫌いなのはあーいうのだからです。

 でも、こうして選挙が終わって、北朝鮮有事が肌感覚で予見されてくると、

「小池百合子が出馬せずに逃げたのも、首相として北朝鮮有事に応対しなければならないことから逃げたのかもしれない」

 というふうにも思えてくる。

 つまり、良い、悪いを置いて、力のある人にはすでに「何らかの決定された事項」が知られているのではないか……ということです。


 ◆


 さて、こうした中、まず正直な気持ちを吐露しておきますと、

 私は、「アメリカと北朝鮮」ならば、(どちらも敵だけど、)心情的に言えば北朝鮮を応援してやりたい気持ちがすごくあるのです。

 怒られるかもしれませんが、

「頑張れ北朝鮮!最後までアメリカに逆らい抜け!」

 と、応援してやりたい気持ちがすごくあるのです!

 拉致被害者の方々には大変申し訳ないけれど!

 この心情は、まず無視できない点です。



 でも、その心情的なところと、

1「アメリカが北を叩く」

2「北が報復に、(アメリカ本土へはまだ届かないから)日本の国土へミサイルを打つ」

 という可能性がすごく現実的だという点も無視できません。



 そして悲しいことに、安倍首相を先頭に日本政府と日本国民は、イラク戦争のごとく「アメリカの召し使い」を演じるであろう……という100%に近い予測がある。



 これらをどう総合して考えるか、今のところ考えがまとまりません。

 しばらくは、これらの点から、朝鮮半島で起こるであろう戦争について考察していこうと思います。


(了)

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Category: 時事:北朝鮮ミサイル問題

Thread: 政治・経済・社会問題なんでも

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台風とナショナリズム 



 超大型の台風19号が日本列島を襲っています。


 今回の台風は超巨大と言われ、軌道が伊勢湾台風に酷似しているという話も聞かれて、大変すさまじい心持ちがしました。

 と言うのも、私の住む愛知県尾張地域はかつて伊勢湾台風で甚大な被害を受けた所なのです。

 もっとも、私は伊勢湾台風の時代に生まれておりませんし、我が親戚筋も関東におりましたので、(残念ながら)土地への埋め込まれ性は弱くはあります。

 それでも子供の頃から、街中には「伊勢湾台風の時ここまで水が来ましたライン」 が引かれていたりして、それが私の身長をゆうに超えているのにゾッとしたものです。

 あるいは、古い家屋があると、「この家は伊勢湾台風に耐えた家なのだ」というふうな自慢が未だに通じたりする。



 それにしても、これは誰しも記憶にあると思うのですが、少年時代、「台風」というのはどこか興奮させるものがあったように思われませんか?

 そう言えば、私の小学生の頃にも、伊勢湾台風ほどではなかったにせよ、大きな台風があって、それは奇しくもその年の台風19号だった。

 その時の、

「この嵐に立ち向かわなければならない」

 ような英雄的感覚は子供の頃には鮮明な事だった。



 もちろん、台風は多くの被害をもたらしうるおそろしいものではあります。

 しかし、一方でどこか我々の心の何かを呼び覚ますものがあるとは思いませんか?

 と言うのは、台風に対しては、我々は、「我々」という意識で「これに立ち向かっている感」がいやおうもなく意識の奥から露出されるからです。

 街や国家を一個の生命主体として、その全体的生命主体の視点から、「台風」に対する……から興奮するのです。

 また、客体としての台風は、一種の人格性を帯びて臨まれますから。



 この台風に対する我々の感覚、興奮の正体は、「ナショナリズム」なのです。

 逆に言うと、「人間が、空白の個人として自己実現を謳歌してさえいればよい」のであれば、この興奮はありませんね。

「この土地(運命)にこだわる」

 という、最も人間的な精神がナショナリズムであり、それがなければ台風はおそろしくもなければ興奮もしないはずでしょう。



 で、このナショナリズムを集約して、具体的に立ち向かう人間組織が、「政府を中心にした社会」です。

 だから、我々は、「ナショナリズム(国民的団結精神)」を活かすために「ステイツ(政府機能)」を重視すべきなのです。



 例えば、台風や地震、戦争などへ立ち向かう社会力学として「市場原理主義」が役に立たないことくらいは明白でしょう。

 逆に言えば、ナショナリストは、むしろ「市場の土台となる公の領域」の方に関心があるはずなのです。

 その証拠にいざ台風に立ち向かっている社会力学は、行政官や政府の機能、公共事業、半官半民の既得権益……といった、権威、権力を帯びた統治共同体であり、非営利、非市場的なものでしょう。




 幸い、今回の台風では、私の住む街はそこまで壊滅的な被害を受けることはありませんでした。
 が、土砂流入など起こり公共交通機関が止まったりなど、影響は被っているようです。

 また、他の地域で被害の大きいところがあれば、国民の団結精神として「これを救済したい」と思うのは当然のナショナリズムでしょう。
 ここまでは日本国民の9割方が頷いてくれるかもしれない。

 が、これを実際に救済する機能は「政府機能を中心とした公の領域がどれほど大きく強いか」によるのですが、この点は都合よく無視されてしまうのは本当にムカつかれることです。

 みんなもう「国家に縛られるのが嫌」という精神の方が先に立つから、東日本大震災の時も「絆」などとセンチメンタルになるだけで、その後に政府機能や公共事業が重んじられたという気配もなく今日に至ったわけですしね!


(了)
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Category: 経済:思想、政府の役割

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2017年衆議院選挙を前にして(3) 

 
 
 もっとも、今回の選挙には、「小泉郵政選挙」や「民主党政権交代選挙」のような風は吹かないでしょう。
 何故なら、『選択感』が薄いからです。
 希望の党は政権を取るには候補者不足だし、小池百合子は不出馬とのことですから、市民的大衆人たちの多くは家で寝ているのではないでしょうか?
 でも、すべての市民的大衆人たちが家で寝ているというふうにもいかないでしょう。
 で、そういう連中の多くは、目新しさで、おふざけで、退屈しのぎで、この急ごしらえの新党へ投票することでしょう。直近では、都議会議員選挙の例もありましたしね!
 だから、希望の党はそれなりの議席数は確保するんじゃないですか。
 でも、この議会で勢力を持った新党は、選挙後に与党側につこうと、野党側につこうと、大衆を背景とした災い以外の何ものをももたらさないに決まっているのです。
 まあ、それはそうとて、影響力は小さいでしょうから放っておけばよいのかもしれないですけれど、私が気に食わないのは「希望の党そのもの」というよりは、このフザケタ騒ぎの「フザケタ感そのもの」なのです。
 で、そのフザケタ感が許されたのは「民主主義の礼賛」が世論の通底にあるから、というのが透けて見えるからです。
 こんなにフザケているのに
「一人一人が政治選択できる可能性があがることによって、時の政権を制限できる」
 という一事があったので、小池劇場という「現象」として(一瞬ではあったものの)閃光を放ちえたのでしょう!
 私はこういうフザケタのが嫌いであり、我慢がならないのです。
 
 そう言えば少し前に「立憲主義とは政府を制限すること」というような話がまことしやかに囁かれましたけれど、それは間違っています。
 だって、政府、権力を制限していさえすればよいというものではないに決まっているのだし、その制限のケンリが我々一人一人に振り分けられていると考える仕方は市民革命以降のリベラル的法パラダイムにすぎません。
 
 
 ◆
 
 
 我々は庶民として、かすかなシガラミを発見して、シガラミによる投票で、「シガラミの政治」の復活を目指すべきなのです。
 
 確かに、我々はすでに21世紀を生きていて、ほとんどシガラミの希薄なバラバラな市民的大衆人として、無価値な市民的生活を送っているわけですが、それでもまだ我々が日本人である可能性があるのは、シガラミが霧散し切ったわけではないからだと私は信じます。
 
 それでも、「投票する根拠となるようなシガラミがない」というのであれば、あなたのお住まいの選挙区の中で「候補者の人柄」を見て判断するとか、それくらいのケンリならば我々にも付与されているのかもしれません。
 
 でも、「シガラミもないし、よくわからないけれど無理矢理誰かに投票しなければならない」ということはないのであるから、そうした場合は遠慮なく家で寝ていていただければと存じます。
 
 
(了)
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Category: 政治

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