人口が減少しても国家は強くできる(前編)
日本は少子高齢社会で、2XXX年までに人口はこれだけ減少しているだろう……
といういうようなことは、私の子供の頃から言われておりました。
で、
A 日本はどーせ人口が減ってうだつが上がらないようになるんだから、国家や結婚にこだわるのはやめて、自分の好きなように生きたらいいじゃないか……
とか、
B いやいや、国家のために人口を増やすべきだし、第一、家族には個人的欲望以上の価値があるのだ……
などという下品な二言論が前提されてきた。
Aはリベラルに、Bは保守派によく見られる態度です。
これに対して本論は、上のAもBも家族観や個人観からして間違っているし、第一「人口が減少しても国家を強くすることはできる」ので「まず、国家を強くしようと思えよ!」と結論付ける筋で展開します。
ただ、まず私がより感情的にも「嫌悪」を覚えるのは、 やはり
A「個人を結婚に縛り付けるな」
というリベラルッチクな発想の方です。
この場合「結婚」が忌避されるのは、単に「結婚によるさまざまな困難や制約」が「個人のあーしたい、こーしたい」という欲望を実現させる障壁になるから嫌だ……というツマんねえ動機からでしょう。
例えば、(フェミニズムのすべてが間違っているとは言わないが)フェミニストの、
「女に『女らしさ』や『結婚しなければならない』を押し付けるな」
というのは、「そいつ個人が結婚しない道を選ぶ」という以上の話になってくるのです。
だって、そいつ個人が結婚しない道を選ぶのであれば、別に黙ってそうすりゃあいいでしょ。
でも、そのような「形式への敵意」を表現、発言として表明するということは、
「結婚という形式から個人が縛られない社会」
すなわち、
「個人を制限する社会形式を取り払うこと」
が、格率的な価値基準として社会で流通してしかるべきであると、勝手に前提していることになる。
これは安っぽいヒューマニズム、人間性礼賛であるのみならず、
「なんでお前が勝手にそんな前提敷いて良いことになってんだよ」
というところに最も反感を覚えます。
(※それでもフェミニズムにも一理あると思われるのは、女が文化的な意味で女であるための社会的前提が崩れているので、「じゃあ女はどうすりゃいいんだよ!」という不満がその根幹にあるとすれば仕方ないように思われるからです)
あるいは、昨今、「LGBTの擁護」が流行っているようですね。
私は別にLGBTそのものを差別する気はないですけど、
「LGBTを擁護してた方がなんか進歩的で、偏見に縛られていない感がする」
みたいな処世でLGBTを擁護する雰囲気には吐き気がします。
で、そういうLGBT擁護の雰囲気は、
「文化的な男らしさ、女らしさの偏見(ジェンダー)」
を敵視し、
「自分がやりたいようにやれば良いんだ」
という価値基準を、これまた勝手に前提し始める。
でも、「自分がやりたいようにやれば良い」では、本当の意味で個人の心は救われないのです。
個人の心は、無自覚に前提している無数の慣習的偏見を基礎に成り立っているのであって、
「何に従い、何に刃向かうか」
という判断の中に個人というものはある。
そうでなければ個人は融解し、ニヒリズムへ漂着するのみでしょう。
だから、慣習的偏見や社会構造から個人を自由するリベラルな発想は、その「個人」をすら救いはしないのです。
でも、それはよくよく考えてみれば当たり前のことですね。
何故なら論理上、自由は「手段」としては有効な場合もあるが、「価値目的」として格率的に昇華できるものではないからです。
まあ、ミュージシャンで27歳で死ぬとか、サイコパスであったりすればまた話は別なんでしょうけれど。
あるいは、ドラクロワの『サルダナバロスの死』という恐ろしい絵があるのですが、これは、敵に火のかけられた宮殿で裸の女たちが阿鼻叫喚している最中、暴君は悠然とベッドへ腰掛け、死を待っている……という絵なのですけれど、このように
「自分の生存範囲で快楽を最大にし、不快を最小にする」
ことを生の最大目的と腹を括れれば、自由主義は整合するでしょう。
私にはおそろしくって無理ですけれど。
(※ちなみに、この家族形式に対するリベラルの問題構造は「構造改革」の構造とだいたい同じなのです)
(つづく)
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コメント
フェミニズムに理なんかありませんよ。あんなもんは甘やかされたがりの女の我儘です。
女が文化的な意味で女であるための社会的前提が崩れているとのことですが、それは男も同じことですから。
N #eqP7eH0Y | URL | 2017/06/06 01:56 [edit]
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