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TOP > 法制:規制緩和批判 > title - ベーシックインカムは世代間格差を縮めない      
  

ベーシックインカムは世代間格差を縮めない 

 


 昨今、ベーシックインカムの議論が盛んにされているようなので、このことについて。


 まず私は、

ベーシックインカム=最低所得保証

 という考えに大反対です。


 どうして反対かという全体はいずれ論を積み重ねて整理しようと思いますが、まずここでは特に「世代間格差」という角度から見ていきたいと思います。

 というのも、世の中でベーシックインカムと関連付けられるのは

1 人口減少と世代間格差

2 AI(人工知能)にデスクワークの職が奪われる

 という文脈に接合されるケースが多いからです。


 こうした流行りの文脈で前提されているのは、

X「世代間格差が、人口減少によって起こっている」

 という誤った認識と、

Y「デスクワークの職が減っても肉体労働は残るが、それは発展途上国の外人にやらせればいい」

 という売国的で、肉体労働をバカにした、差別的な職業観です。


 私がムカつくのは、その「世代間格差についての誤った認識」と「肉体労働に対する差別的な職業観」と、さらに背後にある「国家全体の強さにこだわらない感」なのです。

 しかも、ベーシックインカムの議論がこうした邪悪に下支えされているにもかかわらず、さも

「弱い人にも優しい福祉」
「将来を担う若者に優しい制度」
「働かなくても生きていけるので、働き方を自由に選べる社会」

 というような仮面をかぶっていることです。

 そして、こうした仮面をかぶってさえいれば、少しほじくらなければわからない「認識の誤り」や「差別的な職業観」や「国家全体の強さにこだわらない感」が奥の前提にあっても、それはそれほど目立ちはしないので、世の中での通りは良いはずだ……という計算が一人一人のインテリに潜在しているのが透けて見えるのが、ムカつくのです。

 たとえば、少し前に流行った経済産業省の若手官僚たちが書いて120万ダウンロードされたという「昭和すごろくはもう成り立たない」という安っぽいレポートはまさにそれでした。

(※これは経済産業省がどうというよりは、あのようなチープなレポートが120万もダウンロードされる日本国家全体のレベル低下の方がムカつきポイントなのですが)


 ◆


 世代間格差が何故ベーシックインカムに接続されるのか。

 それは、今の若者世代の苦しみが

1 「人口減少」

 によって、

2 「高齢者福祉」

 の負担が増大しているから……という2000年代以降の社会解釈の潮流を基礎にしているからです。

 この解釈自体は十年前、二十年前から

「現役世代~人で…人の引退世代を養わなければならない時代」

 というような表現で言われてきたことでした。

 つまり、少子高齢化だから、少ない若者で、多くの老人の福祉をまかなわなければならないのがとっても負担だ……と、こういう理屈なわけです。

 これが世代間格差だと言われていたのは、

1 例えば団塊の世代の若い頃は、若者が多く老人が少なかったから、高齢者福祉はあまり負担ではなかったし、年金などの高齢者福祉はその前提の下でしつらえられたものである。

2 しかし、現在は少子高齢社会だから、逆に若者が少なく、高齢者が多い。

3 団塊の世代は、自分は楽な負担で高齢者福祉を賄えた。でも、現在の少ない若者が同じように老人への福祉を実現しようとすると、世代比較的により多くの負担が課せられていることとなる。

4 だから、現在の若者と団塊の世代では世代間格差がある。

 ……と、こういう誤った見立てがあるからです。

 そして、こうした誤った認識の下、ベーシックインカムはすべての国民へ均質に所得を給付するものであるから、老人にも若者にも平等に給付が行ってよろしい……という話が沸いてしまったワケ。

(※さらに、そこには「社会保険庁が自分の仕事を確保したいがために既存の福祉制度しがみついているのだっ」というようなチープな官僚叩き、既得権益叩きが含まれていることも見逃してはなりません!)


 ◆


 でも、この「少子高齢化」→「世代間格差」→「ベーシックインカム」の文脈は致命的に間違っているのです。

 それは、

「現在の若者における世代間格差」

 についての認識そのものからして致命的に違う。

 21世紀の若者の苦しみは、別に少子高齢化から来ているのではありません。

 世代間格差というなら、

「デフレや産業共同体構造の崩壊」

 の方であり、むしろ少子高齢化はその中では若者にとってプラスの領域だとさえ言えるのです。

 だって、もしデフレが若者に対して最も牙を剥くのであれば、「少子高齢化と高齢者への福祉制度」は「需要を増やし供給を減らす」要因として、若者からすれば歓迎されるべきものかもしれないでしょう。



 まあ、そもそも私は「世代間格差」なんていつの時代にもあると思っています。

 例えば、徳川時代と明治大正期、戦争中と戦後、昭和期と平成期、平成期と21世紀の若者で、環境や条件が違うのは当たり前でしょう。

 あらゆる時代の若者がその時代特有の「苦しみ」と「アドバンテージ」を持っているのです。

 私は、どの時代が羨ましいなどとは思わないし、どの時代に生まれたかったなどとも思わなければ、そんなことを思う必要もケンリもありませんでしょう。

 でも、「ある時代の若者特有の苦しみとアドバンテージ」の「性質」を見極めることはとても重要です。

 政治的にも、個人的にも……ですよ。

 そして、

「少子高齢化社会による世代間格差」

 の文脈がムカつくのは、その性質を捉え違えていることそのものなのです。

 そう言えば、私はもう32ですから今は「若者」とは言えないかもしれませんが、少なくとも先の十年間くらいは貧乏な若者でした。

 このクソッタレな21世紀の社会で、10年も若者をやってきたのですよ。

 そういう私からすると、私(や友人たち)の「この時代特有の苦しみ」を、全然あさっての方向で別の性質のものとして解釈されるのは、たまらないのです。

 はらわたが煮えくりかえるのです。

(※もっとも、若者自身も多くは自分の苦しみを全然あさっての方向で解釈してきたのですが)


 そうじゃない。

 老人への福祉が負担で苦しいのではないのです。

 我々世代の苦しみの根幹で、この閉塞感の性質だったものは、

 国家、社会、共同体の中で、自分が帰着しうる「席」が減っている感

 だったのです。

 それは、仮に「席」へ着けようが着けまいが同じことでしょう。

 どちらにせよ席を奪いあっているんですからね。

 奪い合った席で口に糊をしても、国家全体が強くなるわけはないから、なんのために働いているかワケわからんことになるでしょ。

 だから、精神を保つために人類主義(グローバリズム)へ逃れたり、核家族主義へ逃れたりする社会的な速度は、日に日に増していったというワケです。


(了)

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