厚労相の厚顔で、民は白骨になる
http://www.youtube.com/watch?v=0bJMvLKDmI0
今日もアニメの動画です。『【HQ】超魔神英雄伝ワタル -ひとつのハートで-』
自民党のネオコン・ネオリベ連合政権に嫌気がさしたからこそ政権交代したはずなのに、民主党政権になってからも同じような政治が続くってどういうこと?(?_?)
「生活保護」というのは国民の生存権を直接的に下支えする重要な制度です。ここを破られると貧困に歯止めがかかりません。
それなのに民主党政権はいとも簡単に制度の見直しを口にします。壊れた制度を修復することはなかなかできません。厚労相、それを分かってて発言しているの???(-_-メ)
(引用はじめ)
生活保護、職業訓練受けない人は停止 厚労省検討(日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819481E3E0E2E0E18DE3E0E3E0E0E2E3E39797E3E2E2E2?n_cid=DSGGL001
厚生労働省は12日開いた国と地方の協議で、生活保護制度の改善策をまとめた。働く能力があるのに職業訓練を受けない人は、生活保護の停止を検討する。同時に就労支援を集中的に実施し、生活保護受給者の自立を促す。政府が政策仕分けで提言した医療費の一部を自己負担する案については改善策に反映するのを見送った。
小宮山洋子厚労相ら政務三役と、知事や市町村長が改善策を協議した。就労支援ではハローワークの職員が生活保護の受給者に対する就職相談などを実施する。そのうえで合理的な理由がないのに、職業訓練を受けない人は生活保護を打ち切ることも検討する。
生活保護受給者は8月末時点で約206万人と過去最多を更新し、国と地方の財政負担が膨らんでいる。生活保護費は2011年度予算で3.4兆円で、そのうち半分を医療扶助が占める。
政策仕分けでは医療費の自己負担や安価な後発薬の使用義務付けによって医療扶助を抑える案が示されたが、今回の改善策では盛り込まれなかった。
(引用ここまで)
へ~…。言ってることだけ見ればどこがオカシイかはなかなか分かりません。しかし、これだとハローワークの職員が事実上生活保護の受給資格を決めることになりかねない。
「合理的な理由」なんて言いますが、シロートがどうやってそれを見極めるの?医者にかかっていれば「うつ」かどうかは分かるでしょうが、医療費も切り下げです(-_-メ)
そもそもアタマから不正受給を疑っているかのような制度設計がオカシイ。
生活保護の受給件数が増えたのは不正受給が増えたから…ではなく政府の経済政策の失敗でしょう(-_-メ)
よしや「訓練」が上手くいったとして、国民はブラック企業でも働かなくてはならないのでしょうか。
当然、貧困問題に関わってきた人からは怒りの声が上がりました。マスコミ人からも声を上げた人がいます。
↓↓↓
稲葉剛(@inabatsuyoshi)on Twitter
http://twitter.com/#!/inabatsuyoshi
http://twitter.com/#!/inabatsuyoshi/status/146101010916585472
生活保護制度に関する国と地方の協議「中間とりまとめ」。医療費自己負担導入は見送られたものの、求職者支援制度利用の義務づけ、「期間を区切った集中的な就労支援」等、かなり問題のある内容になっています。(続)
12月12日
↓↓
http://twitter.com/#!/inabatsuyoshi/status/146102134209912833
期間内に仕事が決まらなかった場合の記載は無し。各自治体の首長からは「若い受給者でスマホ持ってるのはおかしい」等、生活保護利用者への差別発言が相次ぎました。会議終了と同時に傍聴していた数人で抗議の声をあげました。(続)
12月12日
↓↓
http://twitter.com/#!/inabatsuyoshi/status/146103473300193280
その場でメディアに緊急抗議声明を配り、囲み取材。厚労省の担当者とも話をして、改めて申し入れをすることにしました。まだ最終とりまとめまで時間があるので、生存権の危機に声をあげ続けていきたいと思います。(了)
12月12日
↓↓
http://twitter.com/#!/inabatsuyoshi/status/146222344292139008
働ける生保利用者に求職者支援訓練を義務づけるというが、実際に訓練を請け負う事業者からはそんな多数を受け入れるキャパはないという声が出ている。東京23区での実施枠は月3300人。メニューも介護・医療事務などに限定されており、万人向けとは言えない。そこに丸投げするのは何より非現実的。
雨宮処凛(@karin_amamiya)on Twitter
http://twitter.com/#!/karin_amamiya/status/146550671049633792
「国と地方の協議」について、私もひき続き声を上げていきたいと思ってます!
中日 くん太(中日新聞生活部) (@chunichi_kunta)on Twitter
http://twitter.com/#!/chunichi_kunta/status/146435994839822336
小宮山大臣の挨拶で会議が終わった、そのときに「当事者の声を聞かないのですか! 大臣! 小宮山さん!」とちょっと大きな声を上げたのが、稲葉さん。超かっこよかったです。内に秘めた熱い思いが伝わってきました! 厚労省の官僚が、狼狽して詰め寄ってきました(笑)。
中日新聞て、東京新聞の系列ですな。ほとんど絶望的なまでに鈍感なこの国のマスコミで、東京新聞は比較的健闘している印象があります(^^♪
なお、ここで上がっている生存権とはこういう物。日本国憲法25条に定められているものです。
↓↓↓
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
憲法25条は解釈の難しい条文なのですが、生活保護の受給が権利づけられていることだけは学者でも意見が一致しています。
それだから、生活保護の受給範囲を安易に狭めようとするのは憲法違反なのです。どうしてそんな悪政を平気で続けようとするのでしょうか…(-_-メ)
しかも消費税は増税って、何かのジョークか???
ん?建造、生存権(ンケンゾーセーゾンケン)
明日は我が身。
お粗末さまでした(^o^)
アジア・太平洋戦争 伝えられない戦争
http://www.youtube.com/watch?v=oUzamWN8z2c
動画です。今日はアニメじゃないですよ。『Don't believe the Hype ! by DELI』
承知の通り12月8日は太平洋戦争開戦の日です。この日に真珠湾攻撃が行われたのですね…と思っていたら、そうは簡単な話ではないのでした。
ふ~ん。世の中にはいろんな知らない出来事があるのですなぁ(*_*)
(引用はじめ)
コタ・バルから始まった。(プレカリアート的日常)
http://ameblo.jp/fengben/entry-11105028215.html
次に昨夜録画した「報道の魂:コタ・バル-伝えられなかった戦争」を見た。佐賀県に住む武田義雄さんは戦争が始まった当時久留米市の歩兵部隊、通称「菊兵団」と言われる(国にとって)優秀な部隊に所属していた。そして初めて戦争を体験したのが1941年12月8日午前2時15分マレー半島コタ・バル、パク・アマット海岸への敵前上陸だった。これがアジア太平洋戦争開戦となる。その1時間後真珠湾に奇襲攻撃を敢行した。
パク・アマット海岸には三列の鉄条網があり地雷が埋められていた。そこへ5300人の日本兵が上陸し、320人が死亡した。コタ・バルにはイギリス軍の飛行場があった。日本の戦略を読んでいたのだ。そこで日本は上陸に成功してしまう。
それから、マレーシア人には危害を加えない代わりに強制労働を強いた。また中国系住民が多く住んでいたため数万人を虐殺した。
当時コタ・バルでの戦いは、日本の国民学校の教科書に書かれていた。しかし、戦後コタ・バルの戦いは墨で塗り潰されてしまう。GHQにアジア侵略を思わせる「大東亜戦争」という言葉の使用を禁止され、アメリカを攻撃した象徴として「(真珠湾攻撃から始まった)太平洋戦争」という言葉に書き換えられてしまう。コタ・バルの敵前上陸は教科書から、また歴史から消されてしまった。
武田さんはコタ・バルで右腕を失った。まだ右腕の先がビリビリ痛むそうだ。
私は「コタ・バル」を今日まで知らなかった。本当に真珠湾から始まったと思っていた。何故教科書に載せないのだろう。教科書に載せていなくても何故教員が真実を調べて教えてくれないのだろうか。
(引用ここまで)
「報道の魂」というテレビ番組は見ていませんが、内容は伝わりました。真珠湾攻撃以前に、日本軍による攻撃が存在していたなんて知らなかったなぁ。
コタ・バル…。そこでイギリス軍との戦闘があり、その過程で中国系住民への虐殺が行われていたとは(@_@;)
戦後このエピソードは、いわば「黒歴史」となって記憶の底に封印されたのでした。
「アジア・太平洋戦争」が「太平洋戦争」になっていく過程には後ろ暗い過去を消したい日本人と、冷戦期アメリカの世界戦略とが複雑に絡み合ってきたのでしょう(_ _)
少し詳しく調べてみたら、ああ、あった。これですね(^^♪
(引用はじめ)
マレー作戦(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E4%BD%9C%E6%88%A6
マレー作戦(マレーさくせん, 馬来作戦, 日本側作戦名「E作戦」)は、太平洋戦争(大東亜戦争)序盤における日本軍のイギリス領マレーおよびシンガポールへの進攻作戦である。日本の対英米開戦後の最初の作戦である。
1941年12月8日にマレー半島北端に奇襲上陸した日本軍は、イギリス軍と戦闘を交えながら55日間で1,100キロを進撃し、1942年1月31日に半島南端のジョホール・バル市に突入した。これは世界の戦史上まれに見る快進撃であった。作戦は大本営の期待を上回る成功を収め、日本軍の南方作戦は順調なスタートを切った。
作戦開始時刻
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E4%BD%9C%E6%88%A6#.E4.BD.9C.E6.88.A6.E9.96.8B.E5.A7.8B.E6.99.82.E5.88.BB
1941年12月8日午前1時30分(日本時間)、佗美浩少将率いる第18師団佗美支隊がマレー半島北端のコタバルへ上陸作戦を開始した。アメリカの真珠湾攻撃に先立つこと1時間20分、太平洋戦争はこの時間に開始された。この上陸作戦自体は、駐米日本大使館の失態による遅延により結果的に開戦後の宣戦布告となってしまった対米宣戦布告予定時間より前に開始されており、開戦前に宣戦布告を行う予定であった対米開戦とは異なり、日本軍が宣戦布告無しで対英開戦することは予定通りであった。この時の日本軍の開戦日の暗号は「ヒノデハヤマガタ」である。
なお開戦直前の12月7日午後には、マレー作戦に参加する上陸部隊を乗せた輸送船団の上空護衛を行っていた日本軍の97式戦闘機が、哨戒中のイギリス海軍のPBYカタリナを撃墜した。この撃墜により日本海軍艦艇の来襲の報告がなされなかったことから、その後の上陸作戦を容易にした。なおこれは同戦争における最初の連合国軍の損失であった。
(引用ここまで)
マレー作戦ですか。それなら聞いたことがある。有名な「イエスかノーか」の逸話、司令官・山下奉文が敵将を恫喝したとされる戦場です。(ただし伝説で史実ではない)
(引用はじめ)
シンガポール華僑虐殺事件(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E8%8F%AF%E5%83%91%E8%99%90%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
シンガポール華僑虐殺事件は、太平洋戦争(大東亜戦争)中の1942年(昭和17年)2月に日本軍がシンガポールの戦いの際、約1ヶ月にわたって「親連合国」と目された一部の中国系住民(華人、華僑)を殺害したとされる事件。中国語では粛清 (sook ching) と呼ぶ。日本でも「華僑粛清」ということがある。またシンガポール大検証などともいう。
概要
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E8%8F%AF%E5%83%91%E8%99%90%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E6.A6.82.E8.A6.81
具体的には、日本軍は各所に検問所を設け、18歳~50歳の成年男子を漏れなく取り締まり、以下に挙げられる者を好ましからざる分子として重点的に検証をおこなったうえ抗日分子を処刑したとされる。
・日本軍及び日系住民に対しゲリラ活動をおこなった者
・国民政府への財政援助に関わったないし実際に援助した者
・東南アジアを拠点に抗日活動を続けていた陳嘉庚の支持者ないし関係者
・レジスタンス関係者・支持者
・イギリス植民地時代の公務員・法曹・立法会議員
・黒社会など秘密組織や反社会的組織に関わっていた者
・日中戦争以後に移民してきた者
・海南省出身者(日本軍は多くの共産主義活動家が紛れ込んでいると見ていた)
・取り締まりに抵抗した者や逃亡しようとした者
東京裁判においては「6000人の華僑が殺害された」とされたが、辻政信の起案にかかる作戦計画も含め、全体像など不明瞭な点が多い。日本の国会では何度もシンガポール華僑虐殺事件について論議されているが、これらの論議はすべて、辻が失踪し国会からいなくなってからの論議になっている。実際に虐殺を目撃した堀昌雄の証言などがあるが、堀の政治的立場に鑑みて偽証であるとする意見もある。
(引用ここまで)
何でもありですな。こんなゆるゆるな基準で「虐殺」したら、たしかに6000人くらいは殺しそうだ(@_@;)
断片的な知識はあったけど、まとまった形では知りませんでした。村山富市元首相が日本の首相としては初めて献花しました。そんな報道を見た記憶はあります。
宣戦布告なしの奇襲は国際法違反で、その時点で誉めた物ではありませんが、緒戦で虐殺事件を起こしたことは旧軍の体質を示す格好の事例と言ってよいでしょう。
日本はアジアに対して加害者であるという記憶が風化されそうなこの御時世に、改めて知っておきたい情報でした(_ _)
日の出は派手の日(ヒノデハハデノヒ)
拍手かノーか(最近少なめなので)
お粗末さまでした(^o^)
「原発」バッシングなのか「障害者」バッシングなのか
http://www.youtube.com/watch?v=Uem252duPaU&feature=related
今日も動画だ。アニメがおもろい。『【HD】魔神英雄伝ワタル2~超激闘編~ -Fight!-』
原発について考えだすと、どうしても難しい問題に突き当たってしまうのが放射能汚染による「風評被害」の問題。
風評被害は根本原因を作った東京電力が全面補償すればいいというのは制度論としては正論ですが、人道問題としてそれで良いのかどうか(^_^;)
と、いうわけで、宗教学者の島薗進先生のTweetを御紹介。
↓↓↓
島薗進(@Shimazono )on Twitter
http://twitter.com/#!/Shimazono
http://twitter.com/#!/Shimazono/status/145677895229120515
1『中外日報』12/6は1面で全日本仏教会の宣言文「原子力発電によらない生き方」http://www.jbf.ne.jp/2011/12/post_214.html につき報道。「104加盟団体の総意」として採択と。3面では曹洞宗有道会大会につき「福島の阿部氏 原発の風評被害で訴え」「ケガレ観の究明を」と題して伝えている。
↓↓
http://twitter.com/#!/Shimazono/status/145678484407193601
2『中外日報』12/6曹洞宗は差別問題で長期間、困難な取り組みを続けてきた歴史がある。なお有道会は曹洞宗僧侶の2つある有力な団体の一つ。「福島県有道会副幹事長の阿部光裕・常円寺(福島市)住職は原発事故の理不尽さに怒りで声を震わせ、風評被害の背景にある日本人の「ケガレ観」を究明」
↓↓
http://twitter.com/#!/Shimazono/status/145678680553824257
3『中外日報』12/6「しなければならないと強調した」「阿部氏は「原発をは福島にとって生きるか死ぬかの問題だ」と涙ながらに訴え、農作物の安全性をめぐって「福島では『大丈夫だ』という人と『危険だ』という人が毎日けんかしている。子どもたちは戸外で『やばい、被ばくした』、高校生の」
↓↓
http://twitter.com/#!/Shimazono/status/145679374056824832
4『中外日報』12/6「女子は『もう結婚できない』と言う。常に対立軸の中に生き、見えないものと闘っている」と吐露した」「深刻な風評被害を「日本古来のケガレ観がいっぺんに噴き出した」ものと捉え…「ケガレ」を宗派主催の人権学習などのテーマにすることを提言した」。ケガレの理解は難しい
文中の「阿部光裕・常円寺(福島市)住職」というのは以前紹介したこの人のことだと思います。福島市内で除染の支援をしている僧侶です。
↓↓↓
身を捨てるは僧侶の務め、恥を捨てるは政治家の…(雪裏の梅花)
http://seturibaika.blog72.fc2.com/blog-entry-588.html
ここで指摘されていることは原発がアブナイという時、その言い方がともすると現地に残らざるを得ない人々への圧力となってしまうこと。
放射能の危険性を訴えれば訴えるほど、やむを得ず現地に残っている人たちに対する偏見を助長してしまうのではないかという問題です(+_+)
いちおう言っておきますが、程度の差はあれ明らかに実害があるだろう放射能と、明らかに過去の迷信の名残である「ケガレ」概念を同列に論じるのは抵抗があります。
その意味で、ここで紹介されている阿部氏の(?)見解には賛同できない。そこはハッキリしておきます(-_-メ)
ですが福島県内にあえて残っている人や、生活している人への支援はしなくて良いのか。特別な支援はなくていいという人もいますが、なるほど確かに人権問題です。
そこで島薗先生は続けて、有る提言を紹介しています。これも微妙っていえば微妙な見解ですが、まず一つ。
↓↓↓
http://twitter.com/#!/Shimazono/status/145687398783791104
原発放射能汚染と差別の問題は重要。差別批判が放射能被害過小評価と連動しないように。差別も放射能被害過小評価も弱い立場の人を苦しめる。これについては差別と取り組んできた米津知子氏のすぐれた発言がある。http://www.soshiren.org/oshirase/data/yonezu.pdf 汚染被害と差別克服は二者択一でない。
ここで紹介されている発言とは下記のこれですが、結論から言えば内容はいささか稚拙。リンクするだけにとどめておきます。興味ある方は内容を確認下さい。
↓↓↓
「脱原発と、障害の『恐怖の象徴』からの解放――これは、同時にできるはず」(2011 年8 月10 日に会場で配った発言要旨を、少し手直ししたものです。 米津知子)
http://www.soshiren.org/oshirase/data/yonezu.pdf
「できるはず」とは言っていますが、「できた」とも「できる」とも言ってません。具体的な方法論は特に提示されていません。
分からないのでしょう。もっともそれはそうです。分かっていたらとっくに誰かが実践しています。雪どけ水がこんな記事を書くまでもない…!?
ようするにいま虐げられている「障害者」と、これから虐げられるのかもしれない「福島原発被曝者」が手を結んで、有るべき制度を提唱していく…そういう考えなのでしょう。
いわゆる「弱者同盟」という考え方ですな。確かに優れた理想論ではありますが、現実社会でそれが安易に可能とは考えない方がいい(+_+)
承知の通り「原発放射能汚染」と「差別」の問題が急にクローズアップされたのは群馬大学教授・早川由紀夫氏への「訓告」問題が契機です。
放射能汚染された農産物を(やむを得ず)生産する福島県の農業従事者を「オウム真理教」信者と同じだと形容し、その発言を群馬大学が訓告の対象としたのが、その経緯。
真面目な農家の方々をオウムと例えるなんてひどい…という感想は確かに多かった。ですがそんな単純な問題ではない。
オウムは確かに無差別テロを起こし、多くの人々を殺傷した恐るべき抑圧者ですが、それだけでは問題を理解できません。
オウムは現在「団体規制法」という非常に厳しい法律で監視対象となっています。
これは非常に厳しい法律で、憲法上許された国家の権限を越えた法律ではないかという指摘がなされています。
その場合、オウムは不当な弾圧を国家から受けている被抑圧者となります(@_@;)
また、死刑は残虐な刑罰だと思いますが、オウムの幹部信者には死刑判決が確定した人がたくさんいます。この場合も死刑判決を受けたオウム信者は「弱者」ということになるでしょう。
と、すれば福島原発被曝者は、被抑圧者として、あるいは弱者として、オウム真理教と手を結ばねばならないのでしょうか。
それはそうです。もしそうなればスッキリとします。ですが、それは無理な相談です。そんなことは要求する方が無茶というものです。
もし仮に「福島原発被曝者」と「障害者」が手を結んで、両者に住みよい社会を作って大多数の人が幸福に暮したとしましょう。
ですが、その世界はオウム信者が絶対的マイノリティとして辛酸をなめ続ける社会です。それって人権という観点からはオカシクない??(@_@;)
「汚染被害と差別克服は二者択一でない」というのは正論ですが、簡単ではないことも分かるでしょう。
むろん長期的な方向として、いま虐げられている人たちが協同していくことは大事です。ですがそれは長い年月を必要とするものです。出来るかどうかもハッキリしない。
にもかかわらず放射能汚染は、まさに時を味方として、しかも確実に人類に襲いかかってきます。これは二律背反的な問題と言えます。
協同して事に当たればいい…それは分かっているのです。しかし分かっていてもなかなか出来ないのも人間なのです。
分かっていても出来ないのはどうしてか…あるいは出来ないなら出来ないなりにどうにかしなければならないのです。仏教はこういうとき、どうしろと教えるのでしょうか…。
(おまけ)こういうTweetを見つけました(^_^;)
↓↓↓
☆sitidanka (@kekopyoko)on Twitter
http://twitter.com/#!/kekopyoko/status/145790352916348928
病気で中3二回目したときの思い出が青春してたので思い出すと止まらない~。「龍神丸!」て叫ぶと友達が「武装・烈火!」で「双炎斬ー!」「登龍剣ー!」とかしたなあ(笑)そう言えば図工で絵本作る課題でワタル本作ったりw先生に怒られなかったなあwみんなシティーハンターとかアキラとか話てた♪
結論はありませんが考えておくべき問題です。
差別断つベさ(サベツタツベサ)
双炎斬ってサムライトルーパーだったっけ(?_?)
お粗末さまでした(^o^)
イタコの恐山からも脱原発(お告げ?)
http://www.youtube.com/watch?v=ouu3qTAJn2w
今日も動画で癒されませう。『初音ミク「積乱雲グラフィティ」【PV FULL】』です。こういうのってどうやって作るのかなぁ(^^♪
さて仏教界でもまたまた脱原発に向けての動きがあったようです。だんだん脱原発が普通のことになってきたのでしょう。政治家の皆さん、脱原発を舐めないで置いてね。
今回の動きは恐山院代の南直哉氏です。「なおや」じゃなくて「じきさい」と読むらしいです。
お坊さんは音読みするんですね。東京電力元取締役の南直哉氏(こちらは「なおや」)とお間違えないように(^_^;)
(引用はじめ)
南直哉(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E7%9B%B4%E5%93%89_(%E7%A6%85%E5%83%A7)
南 直哉(みなみ じきさい、1958年- )は、長野県出身の曹洞宗の禅僧。早稲田大学第一文学部卒業後に大手百貨店で勤務するも、1984年曹洞宗大本山永平寺において出家得度。19年間の修行生活を送り、福井県霊泉寺住職、青森県恐山菩提寺院代に就く。
(引用ここまで)
イタコで有名な恐山が、本当の名前を円通寺という曹洞宗の寺院だということは知識として知っていました。
南直哉氏は著書も多くある有名な僧侶です。雪どけ水も何冊か持っています。一般に禅僧は本を書くことは珍しいのですが、そういう意味では異端の禅僧です。
著書に『語る禅僧』というのがあるくらいです。異端は自分でも承知の上。良かれ悪しかれ近代的なセンスの持ち主。思想的にはむしろネオリベに近い印象すらあります。
恐山(円通寺)の住職と血縁のようですが、院代という地位がどういう意味なのかは不明。住職に次いで事実上のNo.2ですが、公的な地位ではないのかも…(^_^;)
ま、人物評はともかく、その原発観はなかなか注目に値するものです。
(引用はじめ)
師走の「偏見」(恐山あれこれ日記)
http://indai.blog.ocn.ne.jp/osorezan/2011/12/post_ac73.html
この種のことは、あまり当ブログに書きたくないのですが、あえてひと言。
福島の原発事故が収束もせず、きちんと原因の検証もされないうちから、原発輸出や再稼動が話題に出ていますが、私はやめた方がよいと思います。
その最大の理由は、原発の安全担保は不可能だと思うからです。
いくら安全装置やシステムを「テスト」しようと、そのテスト項目や方法は人間が決めます。しかも、その「テスト」は「客観的」である必要上、数値化できるものに限られるでしょう。ということは、「テスト」を実施する当の人間の「質」は勘定に入らないわけです。
ところが、とんでもなく危険で、恐ろしく複雑な原発プラントの、安全維持を含む管理・運営をする組織は、人間の集団です。
この集団が十分に機能するには、安全装置やシステム自体もさることながら、不可欠の前提として、それを運用する組織内において、トップから現場までの意思疎通に障害がなく、さらに組織の内外に対して「正直」でなければならないでしょう。
このことは、どのような組織にも必要なことでしょうが(オリンパスや大王製紙の例)、原発ほど事故が重大な事態を惹起するものの場合は、最高度に必要な条件だと思います。
今回、原発に関わる政・官・財・学、さらにはメディアの各組織は、この条件を満たしていないことが明らかになりました。そして、将来も決して満たすことはありません。なぜなら、人間は「正直」のような倫理を持ち得ますが、組織自体が倫理を持つことはないからです。
だとすれば、個人の役割が相対的に大きい小規模集団であれば、個人の倫理意識が比較的強く反映して、結果的にその組織が倫理的に振舞うこともありえるでしょうが、組織が大きくなれば、それに比例して、倫理的に振舞うことは著しく困難になります。原発ほどの規模になれば、もうそれは不可能でしょう。
したがって、個々の人物はともかく、およそ組織に関しては、我々は原則「性悪説」をとるべきです。どれほど「厳しいテスト」をしても、何重の安全装置を施しても、原発の安全はけっして担保できません。
ならば、人の口から出る「安全」など当てにせず、けっしてゼロにならない事故のリスクを評価した上で、誰に対するどの程度の被害なら許容するのかを明確にして、今後のことを進めるべきです。けだし、原発の事故は、もはやその許容限度をこえる厄災です。
さらにまた、たとえば「事故は1000年に1回です」というような確率論的もの言いも、私に言わせれば、ただの詭弁に過ぎません。事故の実際の確率は、50パーセントです。起きるか、起きないか、それだけです。今日か、明日には起きるかもしれない。それが毎日続くのです。起きれば災難は甚大です。
それは合理的な考えではない、という人がいるかもしれません。が、合理的な考えが正しいという保証は、まったくありません。「合理性」を保証する条件そのものが、無条件に正しいことはあり得ないからです。
原発が増えれば、桁外れの大災害の危険は大きくなり、減れば小さくなる。そう考える方が、私はよいと思います。
電力が足りないと脅迫されるなら(その根拠は曖昧です)、総使用量を国内の合意をはかって制度的に低減し、足りるようにしたらよいのです(個人の心がけに期待すべきではありません)。そうしてさらに、原発につぎ込んできた税金を、一度、代替エネルギー開発と電力供給体制の再編成に集中的に注ぎ込んでみるべきでしょう。
以上、「偏見」です。
(引用ここまで)
いささか首をかしげるのは「事故の実際の確率は、50パーセントです。起きるか、起きないか、それだけです」の部分です。幾ら禅僧でもこれは言い過ぎ。
この理屈が正しければ、車に乗るのはもちろん、自転車だってはばかられることになってしまいます。それは正しい認識とは言えません(-_-メ)
興味深いのは、当ブログで以前に紹介した永平寺や全日本仏教会が言及した「核廃棄物(使用済み核燃料)」の問題に全く触れていないこと。
恐山は六ヶ所村に近いはずなのにどうしたことか。意図を疑えば疑えます。まあ、ここではあまり深入りしないようにしましょう(-_-メ)
評価すべき注目点は、電力不足の解決策を「節電」に求めることは永平寺や全日本仏教会と同じでも、「個人の心がけに期待すべきではありません」としていること。
ここは南氏の指摘が正しいと思います。この点については永平寺・仏教会は南氏にならって欲しい(^^♪
「人間は『正直』のような倫理を持ち得ますが、組織自体が倫理を持つことはない」というのは深い人間洞察です。
マスで倫理感を発揮させることは難しいという意味でしょう。こういうところが禅僧らしいですね。
多様な意見が仏教界内部から出されるのは、仏教界にとって「脱原発」が当然の概念として共有されつつあるのだと思います。
実は雪どけ水の手元にも福島県の僧侶が発行した脱原発を訴える機関誌みたいなものが届きました。仏教界の危機感は外部で見るよりかなり強い様子です。
仏教って共同体(サンガ)の宗教ですからね。共同体を壊されることへの恐怖・抵抗感は自己の存在意義のかかった問題だと見なされているのではないでしょうか。
この問題については今後もっと掘り下げて行こうかと思います(^^♪
師走、ワシ(シワスワシ)
ちなみにイタコって寺院に無断らしい。(事実上の黙認)
お粗末さまでした(^o^)
テーマ : 「原発」は本当に必要なのか - ジャンル : 政治・経済
23年ぶりで『魔神英雄伝ワタル』再訪
http://www.youtube.com/watch?v=oHWfXhreaOE
動画です『【HQ】魔神英雄伝ワタル MTV -STEP-』 ♪こんなはずじゃなかったプロローグ♪ 揺れてるLonly heart~(^^♪
懐かしいアニメを見てしまった。いや、本当に懐かしくて、しかも感動してしまった。たまには趣味でそんな話をします(^^ゞ
感動したアニメというのは先に動画を掲載した「魔神英雄伝ワタル」のこと。
1988年の作品ですから雪どけ水は中学3年生かな?子供向けアニメをリアルタイムで見るギリギリの年齢かも。つい最近のような気もしますが23年前なんですね(^_^;)
根強いファンがいて2次創作もまだまだ盛んです。Twitterでもコアなファンがいてコアな話をしています。雪どけ水はそこまで詳しくはないです。基本的に記憶頼り。
たまたま昨日は別件で動画を探していたら、本業をそっちのけにしてコチラに夢中になってしまいました。知らない人のために内容の概要を御紹介(^^♪
(引用はじめ)
魔神英雄伝ワタル(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E7%A5%9E%E8%8B%B1%E9%9B%84%E4%BC%9D%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%83%AB
『魔神英雄伝ワタル』(マシンえいゆうでんワタル)は、1988年4月15日から1989年3月31日まで日本テレビ系の毎週金曜日17時00分から17時30分の時間帯で放送。サンライズ制作による日本のテレビアニメ。全45話。
ストーリー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E7%A5%9E%E8%8B%B1%E9%9B%84%E4%BC%9D%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%83%AB#.E3.82.B9.E3.83.88.E3.83.BC.E3.83.AA.E3.83.BC
小学4年生の戦部ワタルは、龍神池と呼ばれる池から現れた守護龍に「神部界」という神々の世界へと連れて行かれる。その中心に存在する神々の山「創界山」に突如現れた隠れもなき支配者、悪の帝王「ドアクダー」が神々と創界山を支配していた。本物の「魔神」となった龍神丸と共に、創界山の象徴である七つの虹を取り戻すため、ドアクダー退治へと旅立つ。
(引用ここまで)
説明が簡単過ぎ。(笑)
でもアニメというのはそんなものですよね。詳しく知りたかったら作品を見れば良いわけですから。でも、もう少し詳しく御紹介します。こういう作品。
(引用はじめ)
魔神英雄伝ワタル(バンダイチャンネル)
http://www.b-ch.com/ttl/index.php?ttl_c=149
原作に広井王子とレッドカンパニーが参加した冒険ファンタジー。各キャラクターにパラメーターを設定、舞台が階層式になっているなどRPG的な要素が盛り込まれた世界観が魅力。コミカルなキャラクターが繰り広げるギャグの数々は、絵を眺めているだけでも楽しい気分にさせてくれ、アニメーションの持つ表現力の奥深さを実感できる。また主人公のライバルとして登場する少年のエピソードも感動必至で、各話に散りばめられた伏線を見逃すことができない。放映時に熱中していた人は、あの熱く胸に込みあげる気持ちが蘇るはず。そうでない人はコレを機に80年代のジュブナイルアニメを代表する本作の鑑賞をオススメしたい。(アニメライター:川田鉄男)
(引用ここまで)
広井王子氏の代表的作品です。シャレじゃなくて文字通りにヒロイックな作風が特徴的なクリエーター(^^♪
で、大事な指摘「80年代のジュブナイルアニメを代表する本作」ジュブナイルです。ジュブナイル。
今はライトノベルという言い方に置き換わってしまった感がありますが、当時はあくまでジュブナイル。
書き手本人が自分と同等の人たちに向けて書いているライトノベルに対して、大人が子供向けに書くのがジュブナイル。いや定義があるわけじゃないです、ニュアンスの話(^^♪
ジュブナイルと特に言った場合、子供向けの「教養小説」という意味合いが付きます。ただジュブナイルは凡庸な書き手だと、単に説教臭いだけの作品になってしまいがち。
商売を考えればライトノベルへの移行は当然ですが、じゃあジュブナイルが無くなるのは良いことか。
雪どけ水も親の目線からアニメを見るようになったということですなぁ…。それをオヤジ臭くなったとも言います(^_^;)
多分、中学生の頃は洗練されたメカデザインや、作り込まれた戦闘シーンとかに熱中していていたのだろう作品です。さっきも言いましたがヒロイックな作風に定評のある原作者ですから。
だけど今見ると目は別なところに向かいます。主人公や周囲の登場人物たちの何気ない交感。なんとまあ濃やかな人間感情が描写されていたのだろうか、と。
作品の通奏低音として流れるのは、お互いを掛け替えのない存在だと思うこと。
少年マンガの王道である「友情」や「愛情」とはちょっと違っている感情です。
物語の舞台になっている「創界山」は不安定な世界で、今日は確かと思えたものも、人の想いや僅かな自然のバランスであっという間に崩れてしまう…。
目の前にいる人も、自分を温かく包み込む社会も、明日にはどうなってしまうか分からない。そんな中で人々は、いま目の前にいる人を、次には会えない命かもしれないと思い定めて精一杯の心を尽くす。そんな感情。
味方ばかりにそうなのではなくて、不幸にして剣を交えることになった相手に対しても、お互いに掛け替えのない存在として敬意と慈しみを以って対峙します(^_^)
これはおそらく総監督の井内秀治氏の世界観でしょう。『ママは小学4年生』という、これまた良質なジュブナイルアニメを作った監督さんです(^_^)
でも、逆に言えば、敬意と慈しみをもって接すべき「掛け替えのない存在」を、敵として打ち倒すとはこれいかに???(?_?)
凡庸な表現者がこれをやると、たちまちのうちに暗くって重苦しい作品を創り出すものなのですが、本作品はマンネリ芸とコメディの枠を破らずに毎回一話完結ものとして提供したのですからエンターテインメントとしても「ネ申レベル」です。
野暮を承知で(注:当方、政治ブログでございます)答えを書けば「忘れない」ということになるんでしょうね。「今の気持ちを忘れないでね、ヒミコ」というヤツですな。号泣必至の名シーン…(T_T)
何で子どもの頃にこれを見て、価値観を共有しなかったのかと中学時代のバカさを叱りたいくらいの気持ちですが、まあ心の片隅かどこかにでも引っかかっていたからこそ、こうやって見られたわけだと思います。
第一作からほぼ四半世紀。辰年も記念して新作公開を希望致しますm(_ _)m
ふと思い付いてブログ検索をかけたら、ほんの小ネタですがブログで活用していました。心のどこかでやっぱり気になっていたんだなぁ…。
↓↓↓
大魔神さま!お怒りは鎮めにならなくて結構です
http://seturibaika.blog72.fc2.com/blog-entry-363
それにしても、これほど良質なアニメを製作したASATSU(日本テレビ・サンライズと共同)が今やTwitterの監視要員となっているのだから世の中は分からない。
彼らはいったい何処で何を忘れてしまったのでしょうか…(_ _)
ASATSU憂鬱さあ(アサツウユウツサア)
虎王・ヒミコって、スゴイ悲恋物語になっちゃったんだね。
お粗末さまでした(^o^)