2024-11-19(Tue)

兵庫県知事選挙は本当にネットの影響だけの結果なのか

兵庫県知事選挙で、自殺者まで出したパワハラやおねだり疑惑で失職した斎藤元彦が、あろうことか再選されたことで、政治の世界には衝撃が走っている。

反斎藤側の言い分は、そのほとんどが以下のような文脈になっている

普段マスコミが嘘ばかり報道するから信用が低下している
そこに立花孝志がネットを使って、自殺者の不倫疑惑や、斎藤は本当はいい人というデマを大量投入した
多くの県民がそのデマに乗せられてしまった

なるほど、これまでの常識では考えられない結果に、そのように見えるのは無理もない。
実際に、程度はともかく、こうした傾向はあったのだろうと思う。

NHKの出口調査でもこのような数字が出ている

いくつかの設問だけ転記する

【ふだんの支持政党は】
▼自民党が24%、▼立憲民主党が11%、▼日本維新の会が16%、▼公明党が4%、▼国民民主党が7%、▼共産党が3%、▼れいわ新選組が2%、▼無党派層は29%

【各党の支持層の投票先は】
(斎藤に投票したのは) ▼自民党の支持層の40%台半ば、▼日本維新の会の支持層の50%台半ば、▼国民民主党の支持層の60%余り、▼れいわ新選組の支持層の50%台半ば、▼無党派層は40%台後半

【斎藤県政の評価は】
▼「大いに」と「ある程度」を合わせた「評価する」が68%、▼「あまり」と「全く」を合わせた「評価しない」が32%でした。

【文書問題の対応を考慮したか】
告発文書問題をめぐる斎藤前知事の対応を考慮したかどうか
▼「考慮した」が77%、▼「考慮しなかった」が23%
「考慮した」と答えた人では、▼斎藤さんと▼稲村さんにそれぞれ40%余りが投票

【投票で参考にしたこと】
▼「SNSや動画サイト」が30%、▼「新聞」と「テレビ」がそれぞれ24%、▼「知人・家族のすすめ」が5%、▼「その他」が17%でした。
「SNSや動画サイト」と答えた人の70%台半ばが斎藤さんに投票

【年代別では】
▼「10代・20代」はおよそ60%、▼「30代」は50%台後半、▼「40代」は50%台半ば、▼「50代」は40%台半ばが斎藤さんに投票

(引用以上)

特筆すべきは 斎藤県政を評価するが7割もいることと、「新聞、テレビ」よりも「SNS,動画」のほうが参照されていることだろう。
そして、内部告発問題を考慮した人も半数近くが斎藤に投票している。

こうした結果を見るにつけ、また、立花孝志の異常な選挙戦や、斎藤街宣の異様なもりあがりなど、現場の様子を外側からみても、ネットのデマでだまされたというストーリーを信じたくなる。

ただこのストーリーには、2点ほど大事なポイントが抜けている。

■ まず一点目
これまでの斎藤県政が7割もの評価を得ているのは、本当にネットのデマだけの影響なのか。
斎藤の得票率は45%なので、選挙中のデマだけの結果としては68%は高すぎる。

ABCテレビの調査では、投票で一番重視したことは政策や公約が最も多い4割近くで、告発文書問題への対応は1割程度という数字も出ている。
実績が評価されていて、政策が最重要視されたのであれば、斎藤が勝ったのは当然という話になってしまう。
むしろ、いなむら候補が想定外に伸ばしたともいえる。

既存政治に期待できないあまり、「なにかやってる感」を評価して、不祥事なんて気にしない。
むしろ、少々ドギタナイほうが、親近感がある。
強引なやり方には、頼もしさを感じる。
この構図は、この十数年間、大阪でうんざりするほど直面してきた維新の評価と完全相似形である。

維新は、大阪だけで突出して支持率が高い。
これと同じような現象が、兵庫における斎藤の支持率でも起きていたということはないのか。
つまり、私たち県外からは「斎藤はとんでもないヤツ」と見えていたけれども、県内では「強引にカイカクをすすめてくれる頼もしい知事」とみている人が、かなりの数いたということはないのか。

大阪で維新の連勝を見続けてきただけに、その可能性は十分にあると思わざるを得ない。
いくら腹が立っても、信じたくなくても、現実は直視しなければ、変えることはできない。

そして、こうした「カイカク」への熱狂は、現状へのうんざりした絶望感と表裏一体だ。
現状に対する不満と、どう手をつけていいかわからないフラストレーションがマグマのようにたまっているからこそ、「変えられるかも」と感じた時には爆発的な熱狂になる。
2008年に橋下徹が知事選で圧勝するのと、2009年の政権交代は同じ地熱から生まれたといえる。
そして、その民主党政権が圧倒的に期待を裏切っていく中で、その熱をごっそり掬(すく)っていったのが、2011年の維新旋風である。
震災直後の2011年春の統一地方選と12月のダブル選挙で、地方議会と首長を掌握し、ゆるぎない維新帝国を築いてしまった。

大阪は、自民党と社会党の1.5党体制、いわゆる55年体制の時代から、公明党、民社党、共産党が強く、少数野党が分立し、自民党は比較多数のなかでヌクヌクと腐敗するという構図が長年続いていた。
手のつけようのない沼のようなところに、突然現れた橋下徹という不良っぽいスーパースター(もどき)に熱狂した大阪府民の心情はわからないでもない。
こうした大阪の歴史を見てきただけに、兵庫でも同じことが起きていたのではないか、と感じるのである。

■2点目
斎藤候補といなむら候補の得票率の差は約5.6%。
決して圧勝という訳ではなく、いなむら候補にも勝機はあった。というか、前半戦までの情勢調査ではいなむらリードだった。

私は今回の選挙にはまったくかかわっていないので、正確なことはわからないが、大きなイメージとして
「異常・変化・動」の斎藤 VS 「正常・安定・静」のいなむら という構図だったように見える。
これは、両陣営から、およそそのような打ちだしがされ、食い違いはなかったようだ。
そして、「異常・変化・動」が選択された という結果だ。

戦術としてのSNSや動画は、たしかに大きな影響をもったのは間違いないが、そこに効果のない情報を大量に流しても票にはつながらない。
その意味で、斎藤候補の最大の勝因も、いなむら候補の最大の敗因も、この構図を作り出した選対にあると私は考えている。

あの斎藤の異常さを見ていれば、正常さをアピールしたくなるいなむら陣営の心情は十分に理解できるけれども、それは県民のが求めているものや、県民の心をとらえていなかったといことだ。
そして、刮目すべきは「異常さ」を売りにすると判断した 斎藤陣営の選対の判断だ。
立花孝志の行動は、それ自体が票につながったかどうかはかなり怪しいが、斎藤のイメージ戦略に欠かせないものだった。

「現状維持など求めていない、なんとかしてくれ」 という声なき声を聞き取ったのは、いなむら陣営ではなく斎藤陣営だった。
この点を見ずして、いくら今回の知事選の分析をしても、ほとんど意味がない、と私は思う。


維新とか石丸とか斎藤などに吸い寄せられている「異常でもいいから変化を」という人民のフラストレーションを、異常な集団から奪い返せるのは、今の政治勢力の中では、れいわ新選組しか見当たらない。
今の社会の大問題は、左右ではなく上下の対立だということに、正面から向き合ってきた、唯一の政党だからだ。

(今回の衆議院選挙では国民民主の「手取りを増やす」に少し人気が集まったけれども、すでに腰砕けで人気は長くは続かない。じきに大企業の御用組合政党だという化けの皮がはがれるだろう。)

そんなれいわ新選組に対して、維新や斎藤と同列のポピュリズムだという批判がある。
甚だしきは、ナチスと同じだと罵倒する人々もいる。

ちょっと待ってほしい
ポピュリズム=大衆を騙して扇動する というものではない
例えばWikipediaにもこう書いてある
「ポピュリズムとは、政治変革を目指す勢力が、既成の権力構造やエリート層を批判し、人民に訴えてその主張の実現を目指す運動である」

これのどこがダメなの?
ポピュリズム というのは決してそれ自体は悪いものではない
と同時に、いいものでもない。
それ自体に価値基準があるのではなく、人民の力で既成の体制を変えようという、政治手法に過ぎない。
啓蒙主義やエリート主義の反対と言えるかもしれない。

人民の声と力で、社会をどのような方向に変化させるのか、は政治側の判断だ。
そこには価値判断が生じる。
「変化」を「差別と排外主義による特定集団の繁栄」と解釈すればファシズムになるし、「貧困層が富裕層から富を奪い取る」と解釈すれば革命になるかもしれない。
その中間に、さまざまな改良を志向する政治方針が存在する。大事なことは、その方針を考えること、評価することだ。

ところが、人民が置かれている現状と、そこで求めている声を聴くことを「ポピュリズム」と言ってバカにしたり、それ自体を危険視したりする潮流が、とくに立憲民主党などに顕著だ。
これは、野党第一党で平穏な生活を送りたい人たちが、変化を求める人民の力を恐れているということだ。
立憲民主党は、決して人民の期待に応えることはできないし、そんなつもりすらない。

大多数が安定して飯を食えて、老後をすごすことができた時代ならば、上から目線の「おまかせ定食」型の啓蒙主義も通用しただろうが、今はもはやそんな時代ではない。

とはいえ、ポピュリズムを手放しで称賛することもできない。
ポピュリズムがファシズムを生み出しやすいということは その通りだと思う。
だれでも切羽詰まれば、まず自分が助かりたいと思う。
そうなると、差別的な政策、排外主義的な政策に、ついつい乗ってしまいがちだ。
そういうリスクは常にあると、提案する政治の側は意識しておかなければならない。

だから、意図するとしないとにかかわらず、差別や排外主義につながりかねない要素については、敏感に自己点検が必要だ。
先に挙げたNHKの出口調査でも、れいわ支持層の半数以上が斎藤に投票している。
母数が小さいからあてにならないという人もいるが、単純計算で支持者68人に聞いて38人くらいが斎藤に投票したという話なので、ある程度傾向は判断できると思う。

これがれいわ新選組の責任だとは言わないけれども、自分たちの支持者が、そういう傾向をもっている、ということは認識すべきだ。
れいわの魅力である常識を打ち破っていく爽快感は多くの人を引き付けるが、同時に、そんなつもりはなくても、ちょっとしたことが犬笛になってしまう可能性がある。
厳しい自己点検が欠かせない。


最後に、ネット戦術

そのうえで、やはりネット戦術は、それとしてちゃんと研究すべきだ。
立花孝志はめちゃくちゃな人間だが、しかし、ネットを使いこなすことは相当研究している。
斎藤陣営の選対も、立花をふくめて、ネットを使いこなしていたからこそ、後半の逆転があったことは、大方の見立てのとおり。

れいわ新選組は、まだまだネット戦術については、素人が頑張ってるレベルのように見える。(私自身がぜんぜん詳しくないので、正確な評価すらできないが)
ボランティアがあつまって作っている党だというイメージにとらわれすぎて、職業的な技術的専門家を養成したリ招聘したりすることを怠ってはいけない。

選挙戦術のひとつに、選挙事務所から電話をかけるというものがあるが、あと数年でおそらく電話帳はなくなるかもしれない。
今でも、世帯数の1割くらいしか電話帳の数などないけれども、数年後に選挙ではたぶん電話かけという作業はほぼなくなっているだろう。
その意味でも、ネット、SNS、動画を使いこなす能力は必須であるといえる。


なんにしても、兵庫県の皆さんは、これから大変なことになるだろう。
生活に直結する県政が、当分は空転し、最後はサイトウと維新が牛耳っていくことになる。
自ら選んでしまった結果とはいえ、なんでもアリの代償は、県民が払わざるを得ない。

そのどん詰まりの絶望が、より暗い淵に落ち込んでいかないように願うばかりである。
そのためにも、れいわ新選組の健全な躍進がカギを握っている。

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れいわ新選組は「裏方」を真剣に養成せよ(2024.9.7)


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2024-09-07(Sat)

れいわ新選組は「裏方」を真剣に養成せよ

 前の記事でれいわ新選組をボロクソに書きながら、そこから約2ヶ月、なんのことなない、れいわ新選組の選挙に忙殺されてきた。あ~あ なんてこった。
 もちろんイヤイヤやっていたわけではない。立候補したのが、数年来ボランティア仲間として信頼できる人物だったし、ちょうど仕事が超忙しい状態ではなかったので、事務作業くらい手伝おうと思って私から声をかけた。しかし、足を踏み入れたが最後、事務作業だけ どころか あれやらこれやら押し寄せてきて、目を回しているうちに投開票日を迎えてしまった。幸いにしてギリギリで当選することができ、ホッとしていると同時に、れいわ新選組の課題が浮き彫りになったという感じがする。

 選挙のボランティアに参加したことがある人も、その裏方についてはあまり知らないのではないだろうか。れいわ新選組はボランティアで成り立っている、と言われるが、そのボランティア活動ができているのは、実はもう一枚裏側で、準備をしている人達がいるからだ。ボランティアの皆さんは気がついているだろうか。

■裏方の仕事

 れいわ新選組のボランティア活動といえば、通称ポス活。家々を訪問して「ポスター貼らせてください」とお願いして回る活動だ。なかなか精神的にも体力的にも楽ではないが、週末ごとにコツコツとボランティが回ってくれている。
 ただ、こうした活動でも、ポスターのデザイン、印刷、そのための資金集め、訪問エリアの地図の管理、結果の集約、ポスターをいれる大型のカバンや専用のテープ(ワッポン)の準備、ポスターの在庫管理、ポスターを保管するための大型の棚の準備、などなど、裏側の作業が山ほどある。

 街宣車のドライバーも重要なボランティアの仕事だ。これも、車両の確保、ラッピングや看板のデザインや手配、資金集め、音響機器の選択や搭載、ボランティアが使えるようなマニュアル作り、日常的な車両管理、運行計画、ドライバーの募集と養成、アナウンスの原稿、音源の録音、編集・・・・ などなど、数え切れないほどの裏方作業がある。

 国会議員の現職になれば、ある程度の財政力ができるので、もろもろ外注も使えないことはないが、それ以外は基本的に金はない。だから、通常の裏方以上に日曜大工やらなにやら、もうわけのわからない作業も湧いて出てくる。

 さらに、最近裏金事件で有名になった「政治資金収支報告書」 これも日常的な会計処理が必要になる。政治資金規正法というのは、基本的に「不正ができる」ようにできている。普通の会社や商店がやっている会計基準を適用すれば、簡単かつ不正を防ぎやすいのに、あえて複雑怪奇な手続きを要求される。要するに、意図的にザルになっていて、それを隠す目眩ましのために、手続きだけはやたらと複雑にしてあるのだ。こうした作業も、ボランティアの目に見えないところでコツコツと行われている。

 そして、いざ選挙になれば、立候補事務や公費請求事務という、必要不可欠の事務作業が発生する。よくよく確認すれば、そんなに難しいことではないのだけれども、告示の1ヶ月半くらい前におこなわれる立候補説明会に行くと、厚さ3センチ位の紙の束をドサッと渡されるので、なれない人は卒倒しそうになる。選挙運動の準備をしなければならない時期に、それ自体は1票にもならない事務作業を、候補者がやっているわけにいかないのだが、しかしこれをやらなければ、立候補することができない。

 この紙の束には、大きく3種類の手続きがあって、立候補するための書類、公費が出るものに関する手続き、選挙にかかった費用の収支報告 である。この中で、1番と3番はまだマシなのだが、2番目の公費の請求はかなり面倒。普通の会社なら、契約、納品、請求という一連の流れで済むものが、契約、契約届、使用証明、確認申請、確認、請求、というステップを踏まなくてはならず、その度ごとに選管やら事業者(ガソリンスタンドとかポスターのデザイナーとか)とのあいだで書類を行ったり来たりさせなくてはならない。
 実際は公費を出せる上限は決まっており、どの候補も上限で請求するから、金額は一律でハンコ一つ押せば済む話なのに、 これもまた、公費を出すということについて、役所が批判されないようにわざとわかりにく~~~くしているとしか思えない。

 ちなみに、市議選の場合、候補一人に出る公費はフルコースだと約70万円くらい。選挙カーのレンタル、ドライバーの人件費、ガソリン代、掲示板ポスター、ビラ4000枚 である。ポスター代が半分以上を占める。
 これ以外に、選挙ハガキというのが2000枚出せるので、郵送料126000円は公費負担だ。

 政治の機会均等のためには、4年に1回、この程度の公費支出は当然のことと私は思うけれど、「政治=汚い」と長年思わされてきた人々にとっては、無駄遣いだという声も多いだろう。そういう目に、役に立つ政治で応えるのではなく、強烈にわかりにくくして誤魔化そう、というのがこの選挙事務の実態だ。

■れいわ新選組は裏方を養成せよ

 ここまでは、本当の実務だけを書いてきたけれども、もっと大事なことは、ヒト・モノ・カネ・コト(情報)の管理と差配をすること。どんな政治をするのか、どんな選挙をやるのかは、政治家や候補者が自ら考えるべきことだが、それに沿って、必要な資源を準備し、差配することは、裏方の最重要の仕事だ。裏方のリーダーとも言える。
 簡単に言えば、計画の立案。ただ、妄想の計画ではなく、実現できる裏付けの準備も含む。

 これを読むと、よく聞く「選挙プランナー」を思い浮かべる人もいるかもしれない。私はマトモな選挙プランナーに会ったことがないので(マトモじゃないのならある)、選挙プランナーが該当するのかどうかはわからない。
 ただ、選挙プランナーはどんな政治家であれ、金で雇われて雇い主のために働く。その動機は、良い政治の実現ではなく、自分の実績を作って自分のレートを上げることだ。
 だから、そもそもマトモな選挙プランナーというものがこの世に存在する気がしないし、私が言う裏方とは、似て非なるものだと思う。 

 私が思う裏方は、その政治家や候補者の思いに共感し、政治家が表を走り、裏方が裏側を支えるという存在だ。選挙ならば選対本部長、政治家事務所なら事務局長ということになるだろう。
 そんな人はなかなかいないよ、と言うなかれ。れいわ新選組はボランティイアの政党じゃなかったのか。そのくらいの思いをみなぎらせているボランティアには事欠かないはずではないのか。実際に、非常に熱心なボランティアは、私の知っている範囲でもたくさんいる。本当に献身的に活動している。 

 しかし、実際には裏方は圧倒的に不足している。なぜなのか。
 それははっきりしていて、裏方を重要視していないからだ。あるいは、裏方を重要なポジションとして位置付けて、募集し、養成するということをしてこなかったからだ。れいわ新選組が組織化を嫌ってきたことの裏返しでもある。
 全国の膨大なボランティアと、本部を直結させるような組織(?)化を行ってきた結果、わずかな本部職員の業務はオーバーフローし、各地域での裏方の養成は進んでこなかった。

 私の感覚では、表で活動するボランティアの1/10くらいの裏方がいなければ、本気の戦いはできない。以前から私の持論なのだが、小選挙区で勝とうと思ったら、選挙区内で1000人がカンパをし、100人が活動し、10人のリーダーや裏方が必要だと思っている。今のれいわ新選組は、1000人や100人はやれば実現できそうな気もしなくはないが、そのためにも裏方の10人が必須であり、残念ながら、そこが決定的に不足している。

 5年間の遅れはどうしようもないが、せめて今からでも正面から裏方を募集し、養成していくことが、れいわ新選組がキャスティングボートを握る規模になるための絶対条件ではないか、と私は思う。

■裏方の資質

 裏方の仕事は、実はそんなに難しくはない。とはいえ、やはり人には適正ってものがあるので、だれでも大丈夫とも言えない。仕事の種類から考えると、会社勤めで総務とか経理とかで無難に仕事をこなしている人ならば、まず大丈夫だと思う。細かいこと言うと営業総務あたりが一番近いかも。会社勤めじゃなくても、家計簿をエクセルで作れたりできれば、十分すぎる。
 まあ、事務作業が苦手じゃなくて、そこそこエクセルが使えたり、覚える気があればまったく問題ない。

 ではそれでOKかというとそうはいかない。どうしても必要なことがある。それは 「責任感」だ。普通のボランティアならば、その日だけとか、疲れたらやめてもいいとか、自分が好きなだけガンバればいいが、裏方はそうはいかない。
 任された仕事は、どうにか時間を都合しながら、なんとかして終わらせなければならない。締め切り直前に、やっぱできませんでしたは、いくらボランティアでも許されない。期限までに終わらせないと、程度の問題ではなく致命的にヤバいことも多い。

 ポス活をさぼっても、1人分が減ってしまうだけだが、裏方が準備をさぼると、その日の活動が全部流れてしまう。まして、立候補事務を忘れてしまうと立候補ができなくなるし、公費請求を忘れると数十万の大赤字だ。
 任される仕事も、だいたいは1日で終わるようなものではない。今日は休みだけど明日からは時間取れないから無理、というわけにはいかない。自分の仕事が終わった後とか、寝る時間を削るとかして、なんとか時間を作らなくてはならない。

 ましてリーダーの場合は、準備が間に合わないとチーム全体が活動停止状態になってしまう。石にかじりついてもやり遂げる、という執念が必要だ。いくら優秀な人でも、その執念がないと途中でイヤになってしまう。
 しかも、自分と同じ程度の執念を共有できるのは候補者だけ。ほかのボランティアは、思いはあったとしても自分と同じ程度には動いてはくれない。しかも、なにせ裏方なので誰からも称賛されることはない。そんな孤独感に耐えながら歯を食いしばる心意気がいる。

 うわあ~ そりゃ大変だ~、などと、れいわ新選組ボランティアの皆さんは他人事のように言っていてはいけない。今こそれいわ新選組ボランティア魂を見せるときでしょ。
 私が思うに、「石にかじりついてでも」という執念を持っている人は、必ずいる。少なからずいる。その中に、事務作業けっこう得意ってひとだっているはずだ。
 問題は、孤独に耐えられるかだ。熱心な活動家ほど事故承認欲求が強く、権力欲に取りつかれやすいというのは人のサガであり、古今東西共通の話。でもそうなってしまうと、優秀であればあるほど強烈な困ったちゃんになってしまうし、一つの拠点を吹き飛ばしてしまうほどの自爆装置になりかねない。

 誰に称賛されなくても、裏方のプライドをもって任務を淡々とこなしていく、そんな人はきっといる。れいわ新選組は、裏方ヒーローを、今こそ大募集してもらいたい。

■ガザ虐殺をやめろ

「ガザの不条理から目を背けるな」 清田明宏UNRWA保健局長

おそらく人類の99%が非難しているイスラエルによるガザ虐殺を、アメリカとその子分たちが支えている。
1%を叩き潰さないと、99%が生きていけない。ガザは明日の私たちだ。

#FreePalestine
#StopGazaGenocide
#ガザ侵攻やめろ






 
 
2024-07-01(Mon)

都知事選 れいわ新選組の判断は正論だが愚策だ

「もう一人の自分が、泣いちゃいけないって。ここは笑った方がいいって。」

1983年、映画「Wの悲劇」のラストで薬師丸ひろ子演じる女優・三田静香が放つセリフである。
このように、もうひとりの自分が、現実の自分を客観的に観察してアドバイスする能力のことをメタ認知というそうだ。
そんな大層な名前をつけなくても、誰でも経験したことがあるだろう。

自分の言いたいことと、それを相手がどう捉えるかは食い違う。
今はこれがベストと思っても、少し引いて見ると中長期的には別の選択肢がある。
そう言ってしまえば普通のことなのだが、これが結構難しい。
とくに、真剣であればあるほど、眼の前に集中してしまって、もうひとりの自分の声に耳を傾けるのは難しくなる。

表題からお分かりの通り、今のれいわ新選組は、そんな状態になってしまっているのではないか、と私の目には見える。
とくに、東京都知事選挙については、どうしてこうなっちゃうの?と困惑している。


2010年頃からこのブログを読んていただいている方はよくご存知のことだが、私はそもそも「小沢一郎派」である。
菅直人、野田佳彦らによって、2009年の政権交代が裏切られ、消費税の増税、原発の再稼働という極悪民主党政権へと変質していく過程を、小沢派の立場で歯噛みをしながら経験し、2012年7月の小沢派の分離独立、同年12月の解散総選挙を、ボランティアながらもかなり密に観察し関わった。

だから、今の立憲の執行部連中が、どれほど卑劣でどうしようもない奴らかということは、骨身にしみて理解しているつもりだ。
年数だけで言うなら、山本太郎さんよりも枝野恨み歴は長い。
内容的にも、おそらくは太郎さんよりも、もっと枝野に対する評価は低いと思っている。

それを前提にしても、やはり、都知事選であえて「静観します」と表明するれいわ新選組の判断は理解できない。
フリージャーナリストの田中龍作さんが「蓮舫陣営にれいわ新選組から高性能スピーカーが届いた」と報じると、わざわざ「届けてない」と否定の公式見解まで出している。
「もう本当にどうしようもなく蓮舫が、立憲が嫌いなんだ」と、有権者に思い知らせることを狙っているとしか思えない反応だ。

たぶん、れいわ新選組執行部は「いや、単に事実じゃないから訂正しただけ」と言うだろうけれども、それがもうメタ認知が機能しなくなっている証拠だ。


私がれいわ新選組の都知事選を静観の方針を愚策だという理由は、3つある。

ひとつは、いくら立憲がどうしようもなくて、蓮舫がろくなことできないにしても、それでも、絶対に「小池よりはずっとマシ」だからだ。
太郎さんも「蓮舫さんは小池さんよりも人権意識はある。それくらいの違いしかない。」と言っていたけれども、人権意識があるかないかは、「それだけ」と言って済ませられない、大きな違いだ。
蓮舫が「2位じゃだめなんですか」のゴリゴリ緊縮派だったとしても、人権意識のかけらもなく、なんのためらいもなく平然と嘘をつき、大手開発企業とベッタリの利権関係を築き上げている小池百合子よりは、はるかにマシだ。

私の家族は今も東京に住んでいるので、それは結構切実に思う。
たしかに、れいわ新選組が主張するような政策を実行してくれる知事が生まれたらいいだろう。
しかし、それは実現しない以上、明日の東京で暮らしていく都民にとっては、食えない絵に描いた餅よりも、少しでも食える餅をついてくれる知事のほうが必要なのだ。さもないと、せっかく作った餅を、奪っていくような鬼が知事を続けることになってしまうからだ。

れいわ新選組は、そうした都民や、注目している国民の切実さに、まったく寄り添えていない。
そして、そのことに気がついていない。

たしかに、政治に絶望している人々の中には、現実的な選択よりも、正論を忖度せずに言い切るれいわ新選組にスカッとしている人もいる。それがれいわ新選組の熱狂的な支持につながっていることも事実だろう。
だが現実は、そうしたスッキリ感よりも、現実的な利便性や損得を考えている人が多い。それは何も悪いことではなく、生活者として当たり前のことだ。
そういう普通の人たちに、れいわ新選組は何かを訴えかけるつもりがあるのだろうか??

4年前の太郎さんの出馬も私は積極的に支持はしなかったけれども、愚策とまでは思わなかった。なぜなら小池の当選はほぼ確実だったからだ。
しかし今回は、蓮舫に十分に勝機がある。小池を落とせる可能性は十分にある。
それがわかっていながら 「静観」すなわち「絶対に蓮舫を支持はしない」と頑なに凝り固まっているから、申し訳ないが愚策と言わせてもらうのである。


れいわ新選組の「静観」が愚策だとうい理由のふたつめは、結果として石丸伸二の後押しをしてしまっているということだ。

実にれいわ支持の3割が石丸に流れてしまっている。

石丸がどんなにやばい人間か、下記のツイッターが念入りに追っているので参考にされるといい。


こんな人間に、れいわ新選組支持者の3割もの人が惹かれてしまっているという現実から目をそらすわけにいかない。
たしかに、石丸が当選する確率は極めて小さい。ほぼ無いと言っていいだろう。
しかし、石丸は何か次のステップのために都知事戦に出ているはずだ。そのステップを高く持ち上げる結果になってしまっているのだ。

もちろんれいわ新選組が石丸をちょっとでも推したわけではないから、責任はないとも言えるが、そうだろうか。
私も含めてれいわ新選組をずっと見ていた人間には、黙っていればかなりの割合の支持者が、石丸支持になってしまうということはわかっていたはずだ。
執行部ならなおさらだ。もしわかっていなかったとしたら、これもまたメタ認識不足なのではないか。


「都知事選静観」が愚策だというみっつめの理由は、この方針ではれいわ新選組の支持率は上がらないからだ。

ほんとにジワジワとしか上昇してこなかったれいわ新選組の支持率が、一瞬だけバク上がりした時期がある。
今年の2月半ばから3月半ばにかけてだ。


裏金問題が本格化する前、れいわのデモを全国で繰り広げ、比較的世情が静かだったゆえに、れいわの主張も耳に入りやすかった時期である。
ところが、裏金問題が大騒ぎになり、衆議院解散か、政権交代かという話題がにぎやかになるのに比例して、れいわ新選組は急降下し、反比例して立憲が上昇していった。
ここから読み取れるのは、野党支持者は政権交代を望んでいる、ということだ。
だから政局がらみになってくると、(本当は偽物だけど)野党第一党の立憲の支持が上がり、政権交代に消極的(に見える)れいわ新選組の支持が落ちる。

なぜ政権交代に消極的に見えるかと言うと、「共闘なんてしない」と簡単に言ってしまうからだ。
そこにどんな事情があろうと、正論であろうと、そんなことを簡単に口にしてしまったら、切実に政権交代を願う人たちの目には「ああ、れいわ新選組は政権交代する気ないんだ」としか映らない。

逆に、本当はやる気のない立憲は、その正体は国民には見えないので、少々頼りなくても「なんとか頑張ってくれ」と支持が集まってしまうのである。

これを、「ちゃんと見ていない国民が悪い」と言い出したら、それこそ石丸伸二と同じになってしまう。
責任は、日々に追われてニュースのヘッドラインくらいしか追えない国民にあるのではなく、ホントの姿をちゃんとプレゼンできていないれいわ新選組の側にある。
鉄板支持者の200万人以外の人たちに、切実に政権交代を願っている人たちに、とにかく明日をもうちょっとマシにしてほしいと熱望している人たちに、「どう見えるのか」を意識しなければならない。

今のれいわ新選組の姿勢から感じるのは 「フニャフニャの政権交代するくらいなら、みんな苦しいだろうけど、後5年ぐらいは自公政権で我慢してね」 だ。
これで支持率が上がるわけがない。

都知事戦での「静観」方針は、これにダメ押ししてしまっている。
私は地団駄を踏みっぱなしである。


以上、都知事選の「静観」が愚策だという理由を述べてきた。
この方針のままれいわ新選組が進んでいくと、どうなってしまうのか。
来し方、行く末を考えてみる。

2019年から5年間で、支持は1.5倍にはなっている。でもこれは、地方議員を増やしたことによる地上戦での成果だ。
地道な努力でここまで伸ばしてきたそれぞれの議員や活動家(あえてボランティアとは言わない)の努力には頭が下がる。
しかし、このペースでは、政権交代はいつの日になるのだろう。

山本太郎さんは、政権交代に向けた戦略として、まずはれいわ新選組が20人以上の国会議員を獲得し、野党内で無視されない勢力になる と言っている。
たしかに、今のままの立憲で政権交代しても、緊縮財政と軍拡という2大悪政は継続されてしまうだろう。
それでも 政権交代しないよりはしたほうがマシだと私は思うけれども、せっかく政権交代するならば、少しは積極財政を取り入れて、戦争の脅威にせめて一旦停止するくらいのことはしたい。
だから、太郎さんの戦略に、基本的には私も同意する。

しかし、それはうまくいかないとも思う。理由はこれまた3つ。

① 衆参あわせて20人程度の勢力は、立憲のやつらは平気で無視する。
2012年 小沢グループが公約破りの民主党から分離独立する前、小沢グループは50人の国会議員がいたが、彼らがどんなに言葉を尽くしても、枝野たち当時の民主党執行部は一顧だにしなかった。
まして、他党で20人ほどの勢力なら、いくら何を言っても「大きな音だね(※)」くらいにしか思わない。
 ※2012年 原発再稼働するなと国会前に集まった10万人の声を聞いて、野田佳彦が言い放ったことば

② 立憲は政権交代などしたくない。
20人の声を無視できなくなる、というのは、あくまで立憲が政権交代を目指している場合の話だ。
しかし、そもそも立憲が望んでいるのは安泰な万年野党暮らしであって、政権担当など二度としたくないと腹の中では思っている。
その点を、小沢さんも太郎さんも、立憲を過大評価して戦略を誤っている。

万年野党がいいのであれば、20人くらいは平気で無視する。
慌てるのは自分の議席が危うくなったときだけ。
だから組織票を持っている共産党には、選挙区を譲ってもらうためにある程度配慮するけれども、それだけの組織票を持っていない勢力には何の目配りもありえない。

③ れいわ新選組に共産党を超える戦略がない。
身も蓋もない言い方で恐縮だが、5年間で230万票が1.5倍にはなりそうな世論調査結果で、比例票では共産党に並ぶ可能性はなくはない。
だが見落としてはいけないのは、共産党には膨大な地方議員と地区委員会がある。比例票だけでは測れない実力があるからこそ、立憲も無視することができないのだ。
だかられいわ新選組が共産党を超えようと思ったら、地区委員会は一朝一夕では作れないので、比例票で少なくとも500万、できれば600万はほしい。2019年の2.5倍にはする必要がある。

これまでと同じ地上戦だけで支持を拡大していくのであれば、5年で1.5倍なので、さらに1.7倍にするためにはあと5~6年かかる計算だ。

以上、①~③より、今のれいわ新選組の方針では、野党内で発言力を持つまでに5年、そこから他の野党を動かして少しはまともな政権交代を実現するのに2~3年。
下手をすると10年計画だ。それでいいのか???
そんなにのんびりしてられない、と言って2019年に太郎さんはれいわ新選組を立ち上げたのではなかったのか?


ではどうするか。

れいわ新選組が政権交代を主導するしかない。
今の勢力でそんなことできるわけない、というなかれ。
「そのように国民の目に映る」ことが大事なのだ。

小説フランス革命を以前読んだとき、
学んだ教訓のうちの一つが、世の中を本気で動かすためには、やる気のない中間派をいかに取り込むかだ、ということ。
平原派とか沼沢派とか言われていた中間派めぐって、革命派と王党派がせめぎあい、ヌチャヌチャの沼を獲得した側が勝利し、革命が実現した。
言うことははっきり言うけれども、沼を獲得するための努力を惜しまなかった側が勝つのである。

※最後にはその努力をせずに、強権的に革命を進めるようになり、誰も彼もが、ついにはロベスピエールまでもがギロチンの露と消えて革命は国民の支持を失い、王党派の蜂起が起こり、ついにはナポレオンの独裁につながってしまった。

今のれいわ新選組に必要なことは、政権交代の先頭を走りながら、煮えきらない中間派を必死に説得する そういう姿を国民に見せることだ。
まず、正論を吐くだけではなく、「これこれの政策で政権交代しよう」と積極的に打ち出すことだ。
二言目にはこれを言う。
れいわといえば政権交代 と言われるほど、政権交代を繰り返す。

次に、立憲が聞かないから無駄だ、と言ってそっぽを向くのではなく、「これこれの政策で政権交代しよう」とあらゆる機会を使って立憲に働きかけ、その姿を国民に見せるのである。
もちろん、立憲の中にも結構まともな議員もいるので、そういう人を本気で説得することも大事だが、絶対に言うことなんて聞かない執行部に対しても、諦めたりスネたりするのではなく、国民向けのパフォーマンスとして「政権交代しよう」とれいわ新選組が呼びかけるのだ。


その意味で、都知事選は絶好の機会だ。
普段は報道されないれいわ新選組も、ギリギリになって態度表明するといえば、マスコミも注目せざるを得ない。
その記者会見で、蓮舫の若者支援などある程度積極財政側の政策を、絶対に実行することを条件に応援する。その代わり、かつての民主党のように公約を反故にしたら、もっとも激烈な敵として追求するから、覚悟して当選してほしい、とでもぶち上げれば、れいわ新選組の評判はバク上がり間違いなしだ。

何でそういう判断がとれないのだろうか。
国会の中で毎日毎日 立憲にいじめられ、あまりの酷さを目の当たりにしているからなのか。
その気持はわからなくはないが、そこは政治の判断基準ではないはずだ。
何が国民にとって、またれいわ新選組にとっていいことなのか。判断基準はそこしかない。

都知事選はあと1週間。
れいわ新選組、なかでも私がリスペクトする山本太郎さんと大石あきこさんには、後悔しないように行動してもらいたいと切に願うばかりだ。

ここまで書くべきか迷ったけれども、もう一人の自分が、黙ってちゃいけないって。ここは言った方がいいって。


■ガザ虐殺をやめろ

イスラエル軍 ガザ地区広範囲で攻撃継続 住民に多数の死傷者か
2024年6月30日NHK


我らの心はガザと共に 日本で声上げる若者たち
毎日新聞2024/6/29


#FreePalestine
#StopGazaGenocide
#ガザ侵攻やめろ









2024-05-21(Tue)

政権交代はおきるか? 立憲は れいわは どうなる

このところ政治を正視すると あまりにも苦しくて息が詰まりそうになる。

イスラエルは依然としてパレスチナで大虐殺をつづけ、アメリカのみならず日本をふくめた各国はそれを後押しし続けている。
裏金議員は、もう何もなかったかのような顔をして、政治倫理審査会にすら全員揃って出席拒否。
共同親権やなにやら、世紀の悪法が、野党まで賛成してじゃんじゃん通過してしまう。

これだけひどい現状に、政権交代を望む声は高まれど、肝心の野党第一党はやる気なし。
一筋の光とも思えるれいわ新選組の支持率も、3月にピークになってから ここ2ヶ月は下降傾向だ。

長年政治の世界を注視してきたけれども、最近は目をそむけて、韓ドラの世界に逃げ込んでしまうことが多くなりがちだ。
でも、韓ドラは結構世情を鋭く反映していて、そこから振り返って、またぞろ政治に目をやったりしている。

ちょうど1ヶ月ほど前にこんな記事を書いた。
政権交代の期待から逃げ回る立憲民主党。。。。 れいわ新選組はいかに(4.22)

その後の比例投票先調査の推移を、三春充希氏のデータで確認してみると、立憲とれいわは かなり明暗を分けている。
立憲は15%弱だったものが17.5%に上がり、れいわは3月末に6%ちかくあったものが4.7%くらいに下がってどうにか下げ止まった感じだ。

5月20日現在の比例投票先の平均
20240524-2.jpg
自民  24.2 %
未定  19.5 %
立憲  17.5 %
維新  11.8 %
共産  5.1 %
公明  5.1 %
れいわ 4.7 %
国民  3.2 %
参政  1.4 %
教育  0.9 %
社民  0.8 %
みんな 0.5 %

5月20日現在のリアルタイム得票数推定
20240524-4.jpg
自民 1526 万票
立憲 1015 万票
維新  610 万票
公明  597 万票
共産  425 万票
れいわ 299 万票
国民  266 万票
参政  144 万票
社民  98 万票
教育  60 万票
みんな 30 万票

■立憲とれいわ 何が違うの?

どっちかの支持者だと、冷静に見ることができなくなりがちなので、すこし客観的に両党を比較してみようと思う。
まず、ホームページのトップから

20240521-1.png

立憲のトップに出てくるのがこれ
「政治改革」
ふ~ん 漠然としてる
じゃあ これをクリックすれば具体案が出てくるのかな? ポチッ

20240521-5.png

悪いことは言ってないよ 確かに
でも、国民が切実に思ってるのは 裏金議員は逮捕しろ! 脱税すんな! じゃないの?
その決着をウヤムヤにして 制度だけあーしますこーします とか言われてもピンとこない。

それに、この書き方。
「こーします」ですらなくて、「考え方はこうです」と発表しているだけ
やる気が感じられない・・・・

では れいわのホームページのトップはどうだ?

20240521-3.png

「絶望してる? だったら変えよう」
絶望してる人に訴えてるのは明確だけど、具体的ではない。
良くも悪しくも感情に訴える作りだ

では、ここをポチッ

20240521-4.png

緊急政策が並んでいる。
デザイン凝ってる割に字が小さいし、色合いも読みにくいとか難はあるけど、内容は具体的でわかりやすい。
何より、「こう思います」という意見表明じゃなくて、「やる」という決意表明だ。

■意志と主体がない立憲

2009年から枝野幸男をずっと見てきて、一貫して感じるのは、「常に逃げ道を計算している」ということだ。
「おれが責任負ってやる」という決意がなく、どんなに頑張っているように見えても その言動には常に逃げ道が計算されている。

その象徴が例の原発爆発したときの「直ちに影響はない」だったわけだが、要するに、後で影響が出たときに「ちゃんと『直ちに』と言ったじゃないですか。後からも影響がないとは言っていません。」と逃げられるように計算しているのだ。

「まっとうな政治」という枝野の好きな言葉もそうだ。
何が「まっとう」なのかは明らかにせず、なんとなく「まっとう」と言っておけば、どんなに日和っても寝返っても言い訳できる。

ホームページで「考え方」と書いているの同じ。
たとえ自民党にすりよって、腑抜けな修正案に賛成しても、「実現するとは言っていない」と言い逃れできる。

政治とは、「自分たちが」「国家権力を握って」「これこれをやる」と宣言して、それを実現することだ。
立憲には、この3点が抜け落ちている。
「自分たちがやる」という主体と意志が表明されていない。
「政権交代して国が実現する」という決意がない。
「これをやる」という宣言がない。
私の目には政治家ではなく、政治評論家にしか見えない。

それが、立憲がかつての2009年の民主党のような支持率を得られない、最大の原因だと思う。

ではなぜ、ここ1ヶ月で急に支持を伸ばしているのか。
ひとえに、野党第一党だからである。
あまりの自民党の酷さに、立憲自身のやる気の無さを乗り越えて、「野党たのむよ」という国民の悲鳴なのだ。

■ 本気なのに本気に見えないれいわ

こんな悲痛な国民の声が、れいわ新選組の支持に直結していない。
たしかに、2019年の結党、2021年の衆院選、2022年の参院選のころから比較すると、平均的な支持は1.5倍から2倍程度に大きくなっている。
これは、山本太郎や大石あきこはじめ、国会や地方の議員や、その仲間たちが命を削ってでも活動してきたことが少しずつ認知されてきたということだ。
先月の記事でも書いたように、全国津津浦浦でのデモも効果絶大だったと思う。

20240524-3.jpg

とは言え、3月下旬のピーク時の比例投票先6%弱で、近畿ブロックがギリギリ2議席というのが前出の三春充希氏の分析だ。(比例代表の考察の現状と議席計算の結果3/29
現在の水位では2議席は難しい。

近くで見ていると、もっと支持が広がってもいいのでは、と思ってしまうけれども、そうならないからには何か理由があるはずだ。

一つには、これも前回記事で書いたように、「共闘に後ろ向き」というイメージを進んで振りまいてしまっていることがある。政権交代を切実に望んでいる人々には、これはマイナスイメージにしかならない。自らが本気の共闘を主導して見せることで「共闘を拒否しているのは立憲の方だ」というイメージ戦略をとらなくてはならない。

もう一点は、冷静にれいわ新選組のホームページを見返してみると、やはり「本気じゃない ふざけてる?」と思われるところが多分にあるのだと思う。
思い起こせば、最初に「れいわ新選組」という党名を聞いたときに、私も「そりゃないぜ!!!」と思ったし、実は今でも違和感はある。かなり。
既存の政治から徹底的に阻害され、何一つ期待してこなかった人々には強烈な印象をあたえ、小さくても熱く固い支持を得られたけれども、今直面しているのは、その先だ。
230万票の壁を突破して、500万票、得票率10%の壁に挑むための戦略が必要だ。

既存の政治にもそれなりに目を向け、2009年には民主党に投票したけれども、その後は投票に行っていない、2000万人の人達の、およそ20%を獲得する必要がある。
これだけの人数の大きさにアプローチするためには、これまでの「れいわ的」な感覚だけではダメなのではないか。

スーツを着ているから真面目で、ピンクのハッピだからふざけてる、なんて感覚は 「れいわ的」には「何いってんだ!スーツ着てる裏金ドロボウのほうがよほどふざけてるだろうが!」という話になる。たしかにそのとおりだ。
私自身、スーツなんて冠婚葬祭以外ではまず着ないし。

しかし、500万人という規模に向き合うためには、いくら無意味な「スーツ=真面目」のような既成概念であっても、そういう感覚を持っている人たちにも支持を広げるにはどうしたらいいか? という問題意識を持たなければならない。

国民は、結局のところ「ほんとに実現してくれそうだ」と思う政治家に託すのだ。
そう思われるには、政治家本人が「本気でやってる」だけでなく、「本気でやっているように見せる」ことが不可欠なのだ。
共闘についてのイメージもしかり、デザインの作り方もしかり。

れいわ新選組に不足しているのは、そこなのだと私は思う。
「本気でやっている」のは、痛いほどわかっているつもりだけれども、それを多数に伝えるには、そのための戦略が必要だ。
これまでの、固い支持層に好まれるイメージ作りから、より広い層に「本気が伝わる」イメージ戦略へ、フェーズアップすること。
案外、こんなベタなところが、れいわ新選組がジャンプアップするための鍵なのかもしれない。

■山本太郎頼みのれいわ新選組

もう一点、れいわ新選組の致命的な弱点は、圧倒的に山本太郎個人の人気に頼っているということだ。
減税デモも、太郎さんの時間と体力が活動量の限界になっている。

次の解散総選挙は、初めて山本太郎がどこでも立候補しない選挙だということもある。

これは、一朝一夕で改善できるものではないが、しかしこれが本質的な「れいわの限界」なのだということは、支持者こそがよくよく理解しておくべきだと思う。
本物の市民政党を名乗るのであれば、山本太郎や大石あきこが、仮にいなくても自分たちで活動する、というつもりで積み上げていく覚悟が必要だ。

それは実は大層なことではなくて、れいわ新選組が結成されるずっとずっと前から続けられてきた市民運動というのは、皆そうやって細々とでも闘ってきたのである。れいわ支持者は、そうした地味で息の長い運動を軽視しして、自分たちのノリノリの活動が全てだと思いがちだけれども、そのノリノリは「山本太郎頼み」と表裏一体だということを自覚しなくてはならない。
むしろ、スター選手が誰もいないところで、コツコツ自力で積み上げてきた市民運動に見習うところは大きい。

つまり、スターを中心にした同心円構造から、目的を同じくする戦隊のような布陣に、していくこと。
ファンクラブから、闘う組織への脱皮。
そうした変化が、支持者自身の自覚の中で目覚めていくことが、今必要なのだと思う。

■で、政権交代はおきるのか? 6月解散は?

残念ながら、野党第一党が今のような立憲で、第ニ党があろうことか維新であるこの国で、政権交代は一朝一夕には起こせない。
仮に自民・公明で過半数割れしたとしても、維新と国民民主が事実上の与党なのだから、絶対に政権交代は起きないし、そもそも今の立憲では過半数割れに追い込むこともできないだろう。
なにせそれだけの候補を立ててない。枝野は単独過半数をとか言ってるけど、実際は過半数233に対して、5/19現在で178人。目標が200というのだから、勝てるわけがない。

20240524-1.png

それが明確だからこそ、いくら自民党の支持率が低くても、6月解散の可能性はある。
岸田文雄という人間を舐めてはいけない。
彼は、とんでもなく、おそろしく、ある意味で安倍晋三以上に「自分が第一」なのだ。

自らの権力を維持するために、自らに楯突く安倍派の議員は、落選すれば良い くらいは十分に考えている。
安倍晋三の死後に、安倍神格化に動くかと思いきや、真逆で、反統一教会キャンペーンが広がったのはそのためだし、裏金を暴露したのも、肉を切らせて骨を断つ という岸田の安倍派潰しの戦略だ。
その結果、自民党が過半数割れしても、上記のように政権交代とはならない。
むしろそのほうが、9月の総裁選を勝ち抜けると計算している可能性はある。

上川は舌禍で叩き、河野はマイナ不祥事で抑え込み、石破は官房長官でもちらつかせれば尻尾をふるし、麻生は財務省だけ懇ろにしておけばおとなしくしている。
萩生田は、実質お咎めなしの厚遇で丸め込んだ。あとは、あくまで反抗する安倍派の一部の残党を落選させれば、自らの権力は安泰だ。

こんな岸田政権に、打撃をあたえるためには、単に自民党を減らすだけではダメだ。
まず、岸田が「保険」だと思って頼みにしている維新をも減らすこと。
万博会場でのガス爆発の影響は甚大だし、建築界のノーベル賞ともいわれるプリツカー賞をとった山本理顕氏が、その受賞後のインタビューという晴れの場で、ものすごい舌鋒で正論批判を繰り広げたりと、万博カジノに命運をかけていた維新の人気は激落ちしている。

「海外のカジノ業者の利益になるだけ」 世界的建築家・山本理顕が明かした「大阪万博批判発言」の真意 「安藤忠雄さんは逃げてはいけない」 2024.5.21 デイリー新潮

そして、岸田にとって、ほんとに「いや~な」勢力が増えることだ。
それがれいわ新選組だけだ、とは言わないが、れいわ新選組が得票にして倍増以上、議席にして15。国会議員合計で20を実現することが、政権交代にまでは至らずとも、次は「やばいな」と思わせることができる、ほぼ唯一の方法だろう。

もちろん、共産党もそれなりに伸びてほしいとは思う。
ただし、比例復活をあきらめて事実上の引退を決めた方が、地元事務所もないのに、わざわざれいわ新選組の現職のいる選挙区に出てくるのはやめてもらいたいが。

また、消滅の危機(※)にある社民党は、れいわと協力すればいいのに。
合流はどちらの側からも抵抗が大きすぎるだろうけれども、統一名簿やらなにやら、協力することで相乗効果はあるはずだ。
社民も立憲に首根っこを押さえつけられて、言いたいことも言えない状況では、何のために政治をやっているのか虚しくならないだろうか。。

ということで、みなさん 6月解散に備えて、体力を蓄えておきましょう。
夏の選挙は過酷ですから。

※政党要件は「前回の衆院選」か「前回または前々回の参院選」で得票率2%とればOKなので、福島瑞穂が1回おき(6年ごと)に参院選に出て2%とればずっと要件は満たせるが、それで安泰としていいのか?という問題提起として消滅の危機という表現をあえて使っている

■ガザ虐殺をやめろ

こんな発想をしてはいけないのだろうけど、イスラエルの首相官邸に隕石が落ちればいいのに と思ってしまう。
ジェノサイドを許してはいけない

#FreePalestine
#StopGazaGenocide
#ガザ侵攻やめろ



2024-04-22(Mon)

政権交代の期待から逃げ回る立憲民主党。。。。 れいわ新選組はいかに

こんな世論調査が出ている

次期衆院選で「政権交代してほしい」62% 毎日新聞世論調査
毎日新聞 2024/4/21


次の衆院選で政権交代してほしいか尋ねたところ、「政権交代してほしい」が62%で、「政権交代してほしくない」は24%にとどまった。(引用以上)

ところが・・・・

立民・泉氏 衆院選擁立6割どまり
日経新聞 2024年2月4日


この記事から2ヶ月半、永田町は6月解散かと浮足立ってきたのだから、さすがにもっと候補者を立てているのかと思い立憲のホムページを確認してみたが、衆議院は現職94、総支部長87 計181。小選挙区295に対して61%のままである。

支持率も、三春充希氏のデータによるとこんな感じ

20240422-1.png

裏金問題で1月半ばから3月半ばにかけて支持率が急上昇したけれども、そのご急落。とてもじゃないが直近の選挙で政権交代を云々できるような数字ではない。
まあ、このような数字だから候補者が集まらないとも言えるし、候補者を立てて本気で政権交代する迫力がないから支持率が上がらないとも言える。

何よりも、3月半ばから支持率が急落している点に注目したい。
この時期は、国会の裏金問題追及の正念場であり、もっとも注目された時期だ。
本当なら野党の支持率が上昇してもおかしくないのに、なぜ急落したのか。
それはおそらく、期待外れ だ。

野党が自民党に対して、来年度予算という最大にして唯一の人質をとっていた3月末に、まったくへなちょこの追及しかできず、証人喚問すら行うことなく、自民党の好きなようにされてしまったことへの、国民の失望感なのだ。
つまり、政権交代を6割以上の人が望んでいることと、それ故にへなちょこ立憲への失望感が広がったことは矛盾していない。コインの裏表なのだ。

■れいわ新選組は・・・

このように国民の期待を裏切り続ける立憲のダメっぷりを批判しつつ、自民党とその権力構造をラジカルに暴いてきたのが れいわ新選組であり山本太郎だ。下記の前代未聞の国会質問は、ぜひしっかりと見てほしい。傍聴した大石あきこ議員によると「室内の委員全員が質疑前から終わりまでシーンとした重く冷たい空気。そのど真ん中でSM女王様連呼からの、アメリカ隷従路線立ち止まれのちゃぶ台返し」だったと。



れいわ新選組がすごいのは、このような国会での活動だけではなく、ほぼ毎週金土日の週3でデモや街宣を全国で続けていることだ。
こうした活動が、まだ小なりと言えども着実な支持の拡大になり、共産や公明と同格の大きさになってきたと言える。
この趨勢がそのまま次の選挙に反映されれば、衆議院だけで二桁当選も十分に考えられる。

20240422-2.png
三春充希氏のデータ

ただし、一見してわかるとおり、3月半ばからの急落は、立憲と同じであることは、見ておかなければならない。
なんで最も先鋭的にたたかったれいわ新選組が、もっともダメっぷりを披露した立憲と同じ推移をたどるのか。
これはやはり、「政権交代への期待」に応えていない ということなのだと思う。

れいわ新選組の熱烈な支持者は、「政権交代できないのは立憲のせいだ!れいわ新選組には責任はない!」と言うだろう。
たしかにそのとおりだ。
立憲は政権交代に本気じゃないどころか、「二度と政権なんて取りたくない。万年野党で平和な議員生活を送りたい。」と思っているはずだ。
3.11に直面してしまったことを筆頭に、あまりにも苦しい政権担当の重圧に、一度経験したからこそ恐れおののいている。

こんな連中が野党第一党である限り、政権交代の期待に答えられるわけがない。
あの名将小沢一郎が立憲の中に埋もれてしまい完全に影響力を失ってしまったのは、立憲が少なくとも政権交代を望んでいると読み違えたからだ。
だから、「立憲では絶対に政権交代できない」というれいわ新選組と山本太郎の状況認識は正しい。

だが、毎日の生活に追われ、卑怯な裏金議員に腹を立てる多くの国民にとって、「誰の責任か」なんていうことは関係ない。
「期待に応えられるのか、られないのか」のどっちなのか だ。
その単純な天秤に載せられたとき、れいわ新選組もまた、「政権交代の期待に応えていない」と見られたのである。

これは私の目には、山本太郎の戦術ミスだと思う。
立憲を牽制しながら勢力を伸ばし、共産を凌ぐ規模になることによって、キャスティングボートを握る。
そうすれば、今のように一方的に立憲に足蹴にされることなく、少しはまともな野党共闘が実現でき、その時こそ政権交代が実現できる。
その戦略は正しいと思うし、どう考えてもそれしか道はない。

ただ、立憲を牽制するためには、こちらから「まっとうな」共闘を申し入れ、あちらがそれを断るという図を国民に見せなければならない。
共産党は2015年以降、まさにこのような戦略戦術をとっている。だから、連合の芳野や、立憲の枝野らの理不尽な共産党排除が国民の目にも際立っており、共産党は組織の高齢化にも関わらず支持率をキープしている。

しかし、れいわ新選組は「共闘」を頭ごなしに否定している。
ことさらに、それを強調している。
これでは、ちょっとニュースを見ている多くの国民には、「れいわ新選組は政権交代する気がないんだ」としか見えない。

れいわ新選組が、「どうせ立憲は〇〇するはずがない」と決めつけて、自ら共闘を拒否するのではなく、まともな政策で共闘を呼びかけ、もっと言うなら、呼びかけの大々的なパフォーマンスを行い、それを立憲が拒否する姿を徹底的に広めることに尽力すれば、れいわ新選組の支持率(比例投票先)は5%の手前でウロウロすることなく、伸びていくのではないか。
私はそう信じている。

立憲がれいわ新選組にたいして、国会の裏舞台でどんな仕打ちをしているかということは、私も少しは聞いていたので、「どうせ」と思ってしまう気持ちは十分に理解するけれども、これはあくまで国民に本当の姿を知ってもらうための戦術だ。
自分たちこそが主流なのだという気概をもって、支持を広げていってもらいたい。

■6月解散はあるか

岸田文雄という人間は、あなどれない。
自らの権力を維持するためならば、どんなことでもする。

安倍派と統一教会を潰しにかかったのもしかり。
自分に恭順の意を示したものには甘く、抵抗したものや役に立たないものは排除することにおいても、徹底している。

まず、岸田は万博を餌に、維新を政権に取り込もうとしていた形跡がある。
自公でも過半数を維持できない場合、自公維内閣とするところまで考えていたのではないか。
維新は万博続行のために岸田に頭を垂れた。
しかし、万博の状態があまりにひどいことと、自民党の支持率が意外と下がらない様子を見て、維新に対しては距離を置き始めている。
東京15区で勝てなければ、しょせん大阪政党だという扱いになるだろう。
岸田は実に冷酷だ。

次に、萩生田の超甘々処分。
役員でもない人間に役員停止処分、つまり実質お咎めなし。
安倍派を一度一掃したうえで、萩生田が一定の数を握って岸田にすり寄ったということに他ならない。

そして、石破茂の動向。
昨年までは「(岸田首相は)予算が通ったら辞めるというのはありだ」なんて言っていたのが、

「岸田降ろし」論にくぎ 石破氏、島根1区補選の結果注視
毎日新聞 2024/4/17


岸田は重職を餌に石破を釣ったのではないか。
恭順した安倍派残党を従え、長い無役でしびれを切らす石破を釣り上げ、岸田派の上川には「次は君だよ」とか言って手懐ける。
おそらく、これで岸田は総裁選の目処が立ったのではないか。

では、総裁を維持できると読んだ岸田は、6月解散はやらないのか。

仮に6月にやらない場合、次のタイミングは10月の臨時国会冒頭だが、その直後の11月5日にはアメリカ大統領選挙がある。
従属国日本において、親分の動向が決まらないなかでの解散総選挙はありえない。
少なくとも2025年2月までは無理だ。
次年度予算にかかかってしまうので、早くても解散は4月以降。
そうなると、2025年7月の衆参ダブル選挙ということになる。
この可能性もある。

ただ、冷徹な岸田のやり方を見ていると、まったく読めない来年よりも、確実に読める今を選ぶような気がしてならない。
つまり、来年7月に政治状況がどうなっているかなんてまったく読めない。
少なくとも、衆院の任期間近だから、野党の体制は今よりはずっと整っている。

万博も(どんなにしょぼくても)4月から開催されており、もはや維新に対する釣り餌にならない。
もし、それなりの形になっていたら、維新の支持率は上がっているかもしれない。
(もちろん 真逆もありうるが)

今は抑え込んだ萩生田や石破や上川も、そのころまで大人しくしているかどうかはわからない。

だったら、勝てないまでも負けないと読める今やったほうがいいのではないか。
今の立憲ならば、過半数を奪われることはない。
過半数を割らなければ、少々負けても総裁選は勝てる読みがある。
だったら、いまでしょ。

と、考えを進めてみると、どうも私は6月解散はあり という気がする。
れいわ新選組が議席倍増を狙うのであれば、早急に戦術の見直しをおすすめしたい。

■ガザ虐殺をやめろ

虐殺者イスラエルを、万博にも、こともあろうに広島平和式典にも招待するという腐った日本。
この腐った国を生き返らせるために、次の選挙がその一歩になることを願う。

#FreePalestine
#StopGazaGenocide
#ガザ侵攻やめろ



2023-06-07(Wed)

政党は急成長できるのか 大阪5区のことなど

今国会での衆議院解散はたぶんない、と前の記事で書いた

自民党内でも慎重論が強いようだし、あの山口3区戦争が決着つかないと、解散はできないだろう。

首相「非常に難しい判断」 山口新3区の候補者調整
2023年6月7日 産経新聞

山口県は選挙区がひとつ減るため、4区の安倍晋三の後継と、3区の岸田派の林芳正外相が公認争いをしている。
岸田は何が何でも林を推して安倍派を屈服させるだろうが、そう簡単ではない。時間がかかる。

とは言え、当分選挙はないよと高をくくっているわけにもいかず、少し足下の分析をしてみようと思う。
足下というのは、いまこの文章を書いている大阪市東淀川区を含む、大阪5区(東淀川、淀川、西淀川、此花)である。

自分の設計事務所があるという意味でも足下だし、前回の衆院選ではかなりがんばって活動したと言う意味でも、しばらく議員事務所で仕事をしたという意味でも、私にとっては足下と感じている。

前回、2021年10月の衆議院選挙では、以下のような結果だった。

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朝日新聞より引用)

見ての通り、現職が3人もいる。普通に考えると、現職がどっか行くことはないので、次回も3人は立候補すると考えられる。

さらに、大阪ではこんな事情が生じている。

維新、公明の「金城湯池」で主戦論 衆院関西6選挙区、関係に揺らぎ
2023年5月14日 毎日新聞

これまで大阪で4つ、兵庫で2つの選挙区は、自民も維新も候補者を出さずに公明候補が議席を得てきた。
公明は、自民とは国政で、維新とは大阪で協力関係をとってきたからだ。
しかし、4月の地方選で大勝ちした維新は、もう公明とは組まない、と宣言したのである。
地方選での維新の票数を見ると、6選挙区すべてで公明は議席を失う可能性がある。

大阪5区もその一つであり、現職3人と維新候補の四つ巴になる可能性が高い。
そうなった場合、どのようなことが想定されるのか。

昨年7月の参院選の比例では、維新81332票、公明31853票で、約10:4の比率だったが、これには自民票が入っていない。(自民は自民に投票しているから)

今年4月の府議選では、東淀川と淀川は、維新、公明、その他の3候補だった。そのなかで維新は75000票、公明は31000票である。自民がでない場合でも、だいたい10:4程度になっている。自民票は連立を組む公明よりも維新に多く流れていることがわかる。(もちろん地方選だからという要素は強い)

次に共産だが、宮本の48000票は、比例票の投票先でいうと共産21000、社民2000、民主系の約半分で12000、それに維新から13000票程度が流れていると、私は推測している。

問題はれいわだ。大石の34000票は、比例でれいわに投票した1万の3.4倍もある。つまり、他党が候補を立てると、非常に苦しくなるということだ。
これも私の見立てだが、比例では民主系に入れた人が1万、維新が14000、程度が選挙区では大石に入れているのではないか。よって維新が候補を立てると、単純計算では 大石はかなり苦しくなる。

それに加えて、参政党が候補を出してくることが考えられる。参政党はれいわを狙い撃ちにしているようなところがあるうえに、大阪5区は参政党の本拠地である吹田の隣でもあり、おそらく出してくるのではないか。

詳細は明かせないが、これまでの数年間の分析から、各陣営の努力を考慮せずに、単純な票の流れを考えたときの私の見立ては以下の通り。

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(クリックで拡大)

このままでは、れいわは議席を失う可能性がある。

では、どう努力するべきなのか。
次に挙げるのは、2019年からのれいわ票の動きだ。

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(クリックで拡大)

こちらは右から左に時系列となっている。れいわの比例票の得票率は、2019年から見れば微増しているとは言え、全国平均とほぼ変わらない。(大阪の中では明らかに高い方だが)
現職議員の地元で、なぜ支持が広がっていないのか。私自身の反省も踏まえて、検証してみよう。

地元活動をしてこなかったかというと、必ずしもそうではない。
昨年の3月から5月は、怒濤のような「カジノ住民投票署名」で、れいわはよく奮闘した。事務所スタッフもボランティアも、本当によくがんばったと思う。署名運動の主体となった住民活動家のなかでも、れいわの評価はずいぶん上がったのは間違いない。
ただ、署名運動が終わるやいなや7月の参議院選に向けて走りだすことを余儀なくされ、運動を成果として集約することが十分にできなかった憾みはある。

参院選挙は、残念な結果ではあったが、れいわの知名度を上げるためには役に立ったはずだ。
だが、数字を見ると愕然とする。
2019年参院選の時と比べて、大阪府内の比例票の得票率は全く同じ、数にしてもわずか8%しか増えていない。
参政党に奪われた分を、新たに獲得したとも言えるが、大局的な党の支持というのは、そう簡単に激変するものではないのである。

下記のグラフは、自民党と社会党ができた55年体制以降の、衆議院の議員数の推移だ。ウィキペディアの表をすこし分かりやすく再構成した。

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これを見てわかるのは、各党の議員数が大きく変わるのは、合併や分裂のときだけで、それ以外にはおよそ20%以内の変動に収まっているということだ。
唯一の例外は2009年の政権交代と、それが崩壊した2012年のときだけである。

つまり、有権者は「ちゃんと見て選んでいる」ということだ。
党、Party というのは読んで字のごとく、あるPart(部分)の代表ということ。得票≒議員数その党が言っていることに共感し期待してくれる人の数にほぼ比例している。
社会情勢や党の努力によってもちろん変動するけれども、その幅はほぼ20%以内。一気に何倍にもなるということはない。

唯一例外の2009年はリーマンショックを背景に、民主党が約3倍に、自民党が約1/3になったけれども、その過剰な期待を裏切った民主党は、3年後にわずか1/5以下に激減する。
そして、約2000万人の有権者が、政治に絶望し、選挙に行かなくなってしまった。無関心なのではなく、棄権しているのであり、良い悪いは別にして、これもまた選択なのだ。

特定の政党を大好きな人は、得票が伸びないのは「まだ知られていないからだ」と考えがちだが、実際は必ずしもそうではない。今訴えている内容を支持してくれる人は、これくらいしかいないのである。支持を広げるためには、何を訴えるのか、を考え直さなくてはならない。

こうして見てみると、2022年の参院選で、得票数を8%伸ばしたというのは、結構すごいことだったということがわかる。

問題は、参院選後である。
署名運動と参院選の成果を、組織化という果実に実らせる段階を、どう闘ったか。

れいわは、地方選で組織作りをする、という方針を立てた。
これ自体は、間違いでは無かったと思う。しかし、なかなか思うようには進まなかった。

とくに大阪5区においては、れいわが大阪市議選に公認した予定候補が二人そろって反旗を翻すという事態になった。
詳細は省くが、公認時点であきらかだったことを蒸し返して、恨みつらみをぶちまけて「反れいわ」の尖兵となってしまった。ただ単に、個人的な事情を優先するために責任をれいわに押しつけたのか、もともと候補を引き受けておいて、やり直しがきかない時点で卓袱台返しを狙っていたのか。。。。

とにかく、この事態のおかげで、れいわは最重点区である淀川区と東淀川区で地方選の候補を立てることができなかった。地方選を唯一の方針としていた中では、ほとんど流血の損失といえる。
(あの2人たちは、その流血を見てほくそ笑んでいるのだろうが)

いずれにしても、今言えることは以下のことだ。
まず、一つの政党が独自で伸ばせるのはせいぜい20%程度である。
そして、大阪5区においては独自勢力をつくるための大きな機会損失があった。

ここから導かれるのは、野党共闘しかないだろう、ということだ。

れいわは極端に野党共闘を嫌う。独自性を失って、自死に等しいと思っているのだろう。
しかし、共闘というのは、同じ組織になることでも、ずっと一緒になることでもない。
特定の目的のために、一時的に手を結ぶ契約にすぎない。

それに、れいわはもっと自信を持っていい。
自分たちこそが主流派なんだと胸をはって、共闘の軸になればいいのだ。
共闘したら自分たちが霞むなどと、情けないことは言わないでほしい。

共産党は比例順位をつけるので、惜敗率にかかわらずその順位通りに比例復活する。
つまり、宮本は選挙区に出る必要もなければ、どんな数字でも上がれるときは上がれるのである。

それでもなぜ選挙区に出るかというと、地方選のためだ。
組織の活性化を図って、地方選の票を固めるために、国政に候補者を立てるのである。
2015年までは、そのために全選挙区に候補を立ててきた。

先方の要望が分かれば、交渉の余地はある。
今やるべきは、れいわ大石を大阪5区の野党統一候補にすることだ。

と、私は思うのだけれども、賛同は少なそうだなあ・・・

2023-05-30(Tue)

6月解散、7月総選挙はあるか

■ 岸田文雄の行動原理

岸田文雄という人を観察していると、アホなふりをしてかなりデキルヤツだという気がする。
デキルというのは、もちろん良い意味ではなく、手強いということ。

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かつて、安倍晋三の「禅譲」を信じて服従したあげくに裏切られたことへの、恨みと反省が彼の行動の原動力になっている、と私は見ている。
国民の生活とか安全は度外視で、とにかく安倍派を抑えて権力基盤を固めることしか頭にない。
そのためなら、ハト派とかタカ派とかどうでもよくて、武器になる物はなんでも手にしようとしている。

何か一つの方向に一辺倒になることはなく、交渉のエサを手にしたら、どっちにでも転べるように周到に準備している。
安倍派は外務省や財務省を蔑ろにして、経産省や警察庁を頼りにした。自民党の旧来の支持基盤も大事にせず、統一教会、日本会議、創価学会などの宗教票に寄りかかった。

ところが、岸田は八方美人だ。
原発使い放題で経産省にすり寄り、防衛費倍増で防衛省にすり寄り、増税で財務省にすり寄り、権力機構にはあまねくエサをまいて飼い慣らそうとしている。
ちなみに警察庁は安倍と岸田の襲撃事件で、エサを与えずとも官邸にはまったく頭が上がらないはずだ。
(私は安倍暗殺の黒幕は岸田ではないかと、ニュースを聞いた瞬間に思ったが、今でも疑っている)

対外政策でもそうだ。
明確な対米従属にみえながら、この間お土産はまだ画餅の段階の防衛費倍増くらいのもので、保有している米国債も岸田政権になってからジリジリと減らしている。
直接の原因は円安対策だろうけど、中国がどんどん米国債の保有を減らして言っている近年、日本が買い支えないとドルは本当に崩壊してしまう。

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対ロシアも、岸田は完全に二枚舌である。
表向きはゼレンスキーをG7に招待して、NATOの東京事務所など作らせ、ロシアと対決しているかに見せつつ、実際はロシア経済分野協力担当大臣は頑として廃止せず、サハリン2などの投資も続けている。


直近ではこんなニュースも


こうしてみてくると、ある人物に似ているなあ、と感じる。
ドナルド・トランプである。

イデオロギーではなく、ディールで動く。
すべてはそのために準備される。
ただ、トランプの場合は「アメリカファースト」のためのディールだったが、岸田の場合はもっと小さくて、「自分の権力基盤」のためというのが、あまりにも情けない。

岸田文雄の行動原理をこのように見てみると、今起きていることがだいたい腑に落ちるのである。

■ 解散はあるか

では、そんな岸田は解散総選挙で、一気に権力基盤を固めようとしているのだろうか。
私の見立てでは、まだやらない、と思う。

<理由1>
これだけ準備した武器を、使う前に勝負に出るわけがない。
対外的には目立つ成果を上げ、対内的には安倍派の首根っこを確実に押さえる。
この二つをやりきる前に、解散総選挙という水物の勝負に出たのでは、何のためにこれまで準備したのか分からない

<理由2>
東京での公明党との角逐である。
報道では「大阪で維新に議席を奪われる公明が、東京28区での擁立をゴリ押しした」ことがことの発端とか言われているが、実際は萩生田のゴリ押しが原因のようだ。


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官邸が本気で調整する気ならば、できないことはなかっただろう。なにせ、学会票を失うかどうかの瀬戸際なのだから。
しかし、あえて萩生田の暴走を放置し、責任を全部押しつけて大騒ぎにしてしまったのは、(宏池会の)茂木幹事長である。
当然、岸田の意を受けてのことだろう。

これで東京で自公が分裂すると、東京だけでも自民の現職が7人ほど落選するかもと言われている。


岸田はこうやって安倍派のリーダー候補である萩生田の権力を削り取っている。
ただし、本当に学会票無しで、大負けしては自分自身の責任も問われるので、こんな状態で解散総選挙することはまずない。
党内で萩生田への批判が行き渡ってから、公明とは何らかの落とし所を見付けるだろう。

公明も、実は本気で自民とは喧嘩できない事情がある。


後藤組は、本山の墓石、墓苑の土地問題におけるいざこざを収めるボディーガードの役割を果たしていたのです。しかし、後藤組と本山、そして創価学会の間が近すぎたために問題が起こります。それを収めるために、公明党の都議会議員を異例に長く務めた藤井富雄と、後藤組組長の後藤忠政が密会した現場を映したビデオテープがあるというのです。これを嗅ぎつけたのは、自民党の亀井静香だといわれています。そして、亀井、野中の間で密会ビデオの存在が明らかになってから、公明党は一も二もなく自民党の軍門に下ったというわけです。
(引用以上)

いくら30年前のことでも、武闘派後藤組との密会映像は、ただでさえ退潮傾向の公明党・創価学会には大打撃となる。
持ちつ持たれつとは言いながら、根っこの部分は公明党が屈服しているのだ。
である以上、こんな便利な道具を、ディーラー岸田が手放すことはないだろう。

解散はないと考える<理由3>
息子をしばらく更迭しなかった。
安倍派との闘いにおいて、岸田の味方は限られているはずだ。官邸の中にも、安倍派の耳目は密に埋め込まれている。
その中で、身内の存在は貴重だったからこそ、少々アホでも側に置いていたのだろうが、もし、直近に解散を考えているのであれば、あのようなマイナス要素は速攻でぶった切ったはずだ。

時間的に余裕があるから、しばらく待てば沈静化すると高をくくっていたのだろう。
(まあ、他のことに比べたら、たしかに大した話ではないし)
土日を挟んで、急に更迭となったのは、たぶん翔太郎のほうが耐えられなくなって「パパ辞めさせて」と泣きついたのではないだろうか。

と思っていたら、やっぱりそうみたいだ。

「公邸で忘年会」の岸田翔太郎秘書官、心が折れて自ら「もう辞める!」母も“悪ノリ撮影”かばい切れず
2023年5月29日 FLASH

そんなわけで、私は6月会期末解散→7月総選挙は、たぶんない と見ている。
(外れたらゴメン)

とは言え、ここ大阪では維新が公明を切って、これまで自民も公明も候補を出さずに公明だけが立候補し当選してきた4つの選挙区にも、候補者を立てると言っている。
どこまで本気なのかまだ分からないが、私が今これを書いている東淀川区(大阪5区)もその一つであり、関心を持たないわけに行かないので、次回は大阪の状況を観察してみたい。


2023-04-28(Fri)

「権力」 この悩ましきもの

一昨日のながーい記事で、私はこのように書いた。(http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-1886.html

政治理念は理想を掲げながらも、実際の政策は絵に描いた餅を眺めるのではなく、現実的に確実によくしていくことを考えるべきだ。だから、どんぐりの背比べで良いから、政権交代が必要だ。

要するに、権力をとって政策を実現しないと、絵に描いた餅は食えないよ、ということだ。
権力を取れ。Power to the people! である

これはあまりにも自明なことなので、決して間違っているとは思わない。
しかし、同時に、権力の魔力とでも言うべきものにも目を向けなければならないとは思う。
今日は、ちょっとそのへんをメモしておきたい。

■秦の始皇帝と趙高

ウィキペディアによれば、趙高は始皇帝の寵臣。勤勉で始皇帝にその才能を寵愛され、始皇帝の身辺の雑務を全てこなしたそうだ。
始皇帝から見ればなくてはならない部下だったけれども、下々から見れば権力を一手に握って恐怖政治をおこなった悪者でしかない。始皇帝の没後は、遺書を偽造して自分が面倒を見ていた三男の胡亥を皇帝に据え、宰相を暗殺していよいよ独裁を強めていく。

馬鹿という言葉の語源は、趙高のこんなエピソードだという説がある。
跡継ぎに据えた胡亥を殺して自分が皇帝になろうと考えた趙高は、胡亥皇帝の前に「すばらしい馬を献上します」といって鹿を献上した。胡亥は「これは鹿だろう」と回りの臣下に言ったところ、臣下は「黙るもの」「馬です」「鹿です」と答える3つのグループに分かれた。趙高は、「鹿です」と答えた臣下は、自分のクーデターに従わないだろうと考え、えん罪をきせて殺害してしまった。
という話。

鹿を馬と言い張る趙高がバカなのか、馬ですと趙高にへつらう佞臣がバカなのか、意地をはって鹿だと言って命をおとした臣下がバカなのか、なかなか難しいけれども、権力には大なり小なり、そういう怖さがある。

つまり、権力を握ってしまうと、本人の望むと望まざるとに関わらず、密に群がるアリのようにいろいろ寄ってくるのである。それは仕えることで支配しようとする趙高型のアリもいれば、馬ですとへつらうアリもいる。
そして、上空から見ているだけではその実像は見えないのである。

■小説フランス革命

佐藤賢一氏の「小説フランス革命」を読んだのは、もう数年前になる。文庫だと全18巻の大部であるが、面白すぎて一気に読んだ記憶がある。
小説なのでもちろん脚色があるけれども、全巻を通して際立つのは、ロベスピエールの繊細さと真面目さだ。

ミラボーやダントンなど、豪快な同志と成しとげる革命の活劇は、まさに血湧き肉躍るドラマである。いや、史実であるだけに、ドラマよりも面白い。
しかし、1つの革命が成ると,その後には対立と粛正が待っている。主役が脇役に押しやられ、反革命の烙印を押され、粛正されていく。

それは、決して個人的な残虐さや趙高的な権力欲ではなく、革命に対する非妥協の真面目さが、かつての同志を次々と粛正する悲劇へとロベスピエールたちを押しやっていく。
私がこの小説で一番感じたのは 「真面目は怖い」ということだ。

真面目と権力が結合すると、思いもよらない悲劇が起きる。かもしれない。

■れいわ新選組

れいわ新選組のような、権力としてはまだあまりにも微小な存在に、あれこれ心配する必要はないのかもしれない。
しかしそれでも、国会議員というものは、確実に権力ではある。

その重責を真面目に背負うからこそ、気をつけなければならないこともあるはずだ。
一刻も早くこの世の地獄をなんとかしたい、そう真面目に焦るからこそ、見えなくなるものもあるのではないか。
寄ってくるアリさんたちの実像まで、目が届かないこともあるだろう。
それはたしかに、権力を背負っている当人達の責任ではないかもしれない。

それでもなお、私は「もっとエエ加減にやってほしい」と願ってしまう。
そして、周囲のアリさんのもっと先にいる人々に、しっかりと目を配ってほしい。
いつのまにか特権意識に馴らされていないか、何かがあるたびに振り返ってもらいたい。
国会が忙しすぎてそれができないのなら、国会など少々サボってもいいんちゃう とさえ思う。

これから、本気で政権交代を狙いに行けば、もっともっと大きな権力をになっていかなくてはならなくなる。
政権奪取のアカツキには、国家権力をまるごと操らなくてはならない。
今から限界ギリギリでは、本番でどうなってしまうだろう。

「山本太郎を疑え」と、かつて太郎さんは街宣のたびによく言っていた。最近はあまり聞かなくなってしまったけれども、その姿勢を忘れずにいてほしい。

「権力」
どうしてもほしいけれども、できれば触りたくない、けど触らなければならない、この悩ましきもの。

2023-04-26(Wed)

議員事務所スタッフを退職するので、ちょっと一息ついて振り返ってみる

久々のブログ記事になる。
昨年の1月から7月までの短期間ではあったけれども、れいわ新選組の議員秘書を務めることになり、退任後も非常勤スタッフとして一定の責任を負ってきたが、それも今月まで。
 
一区切りついたところで、少し大風呂敷を広げ、これまでの来し方を眺め、これからの行く末を考えてみたい。
 
■どうせ振り返るなら戦後史から

55年体制という言葉がある。1と1/2党体制とも言う。GHQが日本を直接占領していた時代が終わった3年後、1955年に左右に分裂していた社会党が統一され、保守政党である日本民主党と自由党も合同し、社会党が1/3、自民党が2/3の国会の議席をとっていた時代のことである。

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もろもろ変遷はあれど、1955年から1993年まで実に38年間も続いた。
この時代、一貫して自民党が政権をとり、そのかわり社会党が1/3を維持することで改憲を阻止し、一定の労働者の権利を確保していた。
よく言えば、安定した時代。悪く言えば、民主主義不在の時代だった。
 
自民党には大きな利権、社会党には小さな利権。不平等はあれど、それなりに国民に利益が循環していたと言う意味では、たしかに安定した時代だった。労働運動も活発に存在していたし、2度の安保闘争はじめ、国民的な運動もあった。日本人も、今では想像もできないくらい「もの言う民」だった。
 
その一方で、CIAの巨額資金で育成された自民党が独裁的に政権を握り、共産党がレッドパージで弾圧される中でGHQに後押しされた社会党が決して政権交代しない万年野党を務める、そんな「出来レース」の体制でもあった。
(CIA資金は陰謀論ではなく米国公文書で証明されている。参考→ https://www.fsight.jp/articles/-/46389
 
1950~60年代は、中国革命からわずか10年前後であり、共産主義革命というものが、左右を問わずあらゆる層にとってリアリティのあるものだった。日本の直接統治を終わらせた米国は、その後もアジアにおける反共の防波堤として日本を属国として支配下におき続けた。
55年体制は、まさにその支配体制そのものだったのである。
 
そんな政治=出来レースの腐臭を嗅ぎ取った国民は、世界でも類例のないほど政治に無関心になっていく。
それこそが、支配者の狙いであることに気付かずに。
 
国民がいかに政治に失望していたか、という象徴が、あの70年安保闘争の渦中で行われた1969年の総選挙において、社会党が歴史的な大敗をを喫したという事実だ。 
もはや政治に希望を持てない。何も期待できない。現在に続くその空気は、55年体制において意図的に醸成されたものだったのである。
 
■小沢一郎の登場
 
そのような時代に、政界に現れたのが小沢一郎だ。
まさに1969年の総選挙において27歳で初当選。20年後の1989年には47歳にして自民党幹事長に就任。55年体制の後半の自民党におけるエリートである。 
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自民党の裏も表も知り尽くした小沢だったが、ここからが普通の政治家と違っていた。普通の政治家は「いかにして自民党の利権を拡大し守っていくか」に腐心するのだが、小沢は「55年体制では日本に民主主義は生まれない」と喝破し、55年体制という安定的利権体制を壊しはじめる。
小沢一郎は1993年に新生党を作って自民党を分裂させ、非自民の細川連立政権を誕生させた。これが55年体制の終わりと言われているが、むしろ終わりの始まりと言うべきかもしれない。
 
小沢一郎の政治信条は、2大政党制であり、それを通じて日本に民主主義を根付かせるということだ。
ザックリ言うと、政治に理想を求めるのではなく、どんぐりの背比べでいいから2大政党が政権交代を競い合えば、少しはマシになるし、メチャクチャ酷いことはできない。そして、そういう政権選択ができれば、国民も政治に関心をもって、民主主義が根付く。という考え、だと私は理解している。
 
わたしも、ほぼ小沢流の考えに同意する。政治理念は理想を掲げながらも、実際の政策は絵に描いた餅を眺めるのではなく、現実的に確実によくしていくことを考えるべきだと思っている。
 
■非自民政権をつぶした社会党

しかし、事態は小沢の思うとおりには進まなかった。 ここからの非自民勢力の離合集散は、やたらとゴチャゴチャしていて、いちいち追いかける気がしない。
ただひとつ、はっきりしていることは、非自民政権から自民党が政権奪還する執念に協力したのが、なんと長年の55年体制のパートナーであった社会党だったということだ。
 
1994年、自民党に担がれた社会党の村山富市が首相になり、自社さ(自民党・社会党・さきがけ)連立政権が発足。 かつては非武装中立を唱えた社会党が、自衛隊合憲・日米安保堅持におおきく転向する。これが、社会党の事実上の終焉だった。 
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この後、共産党以外の非自民は大きく3つの勢力になっていく。

大量の離党者をだして、小政党になった社会党、あらため社民党。
社会党離党者を含めてもろもろの非自民勢力を集めた民主党。
小沢一郎を中心とした自由党。

小泉純一郎による旋風が吹き荒れていた2003年には、民主党と自由党が民由合併し、小沢一郎の指揮の下、2007年の参院選で大勝し、2009年の総選挙において、ついに政権交代を成し遂げた。

■民主党政権の崩壊と政治不信

これでいよいよ2大政党時代が始まるのか と思いきや、またしても小沢の思うようには事態は進まなかった。
政権選択を目前にして突如勃発した「西松事件」と「陸山会事件」で、小沢は集中砲火を浴び、同志であるはずの民主党幹部は後ろから石を投げつけた。

西松事件は完全なでっち上げであり、陸山会事件も不動産取引の日付がずれていただけの問題だったにもかかわらず、検察による弾圧、「極悪人小沢」の報道、さらには民主党幹部により政権運営から外されてしまう。(名ばかり幹事長で、政権にはタッチさせなかった)

小沢をはずした民主党政権は、辺野古基地建設、消費税増税、原発事故への無責任な対応や原発再稼働など、次々と公約を破り、国民の期待と信頼を踏みにじっていく。
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2大政党体制で民主主義を根付かせるどころか、期待を裏切る民主党の姿に、政治不信は極限まで深く大きくなってしまった。
国政選挙の投票率がわずか50%になってしまうのは、ここからである。
この当時の民主党幹部の大罪は許しがたい。
2012年にはついに野田佳彦が自民党と握って政権を放り出し、安倍長期政権が始まってしまう。

その推移は、皆さんの記憶にも新しいことと思う。

■小泉・竹中の新自由主義

55年体制を終わらせようとしたのは、実は小沢一郎だけではない。
動機はぜんぜん違うけれども、あと2つの流れがあった。
ひとつは、2001年に「自民党をぶっ壊す」と言って現れた小泉純一郎である。

90年代の政権交代劇が、元の木阿弥に戻ってしまったかに見えたところで、喜劇的に登場した小泉は、一見すると改革者の様に見え、大人気を博した。
しかし、その実体は、日本国内の利権を海外資本に格安で売り渡す新自由主義の手先だった。

普通の資本主義は、資本を投資して生産活動を行い、その過程で利益を吸い上げていく。いくら悪どい資本家でも、いくらかは地元に雇用や富を生み出す。
ところが、国内にある富を一方的に外資に売り渡す新自由主義は、ほとんどドロボウと同じで、ただただ貧困を生み出すだけだ。小泉政権下で、失業率は5%を超え、実質賃金は下降の一途をたどった。

その一方で、りそな銀行の実質国有化疑惑のような官製インサイダー取引などで、海外の金融資本は濡れ手に泡の莫大な利益を吸い上げていった。
大騒ぎした郵政民営化も、郵貯とかんぽの350兆円の資金を米国に献上するためのものだったことは、今や誰もが知るところとなっている。

小泉純一郎と竹中平蔵がやろうとしたことは、自民党が握っていた国内の利権を解体すると言う意味で55年体制の破壊ではあったが、その利権を国民に分配・環流させるのではなく、海外資本にひたすら献上したのである。
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あまりの悪政の収拾がつかず、小泉以降の自民党政権は安倍、福田、麻生と1年しか持たず、そこにリーマンショック(貪欲に食い過ぎた新自由主義が胃けいれんを起こして世界中に自分のゲロをまき散らしたあげく、自分たちだけ公金で治療を受けた)が直撃し、ついには政権交代へつながっていった。

■大阪維新という悪のトリックスター

55年体制を壊そうとしたもう一つの流れは、2010年に大阪に現れた維新である。橋下徹という派手なキャラクターを前面に出しながら、その実体は闇に包まれてきた。
大阪維新は資金の大半を政治資金パーティーで賄っている。(参考→ https://www.jcp-osaka.jp/osaka_now/9579
寄付と違ってパー券は誰が買ったかほぼ公表されないため、資金源がよく分からないのである。

維新の政治信条をひと言で表すなら 「俺たちにも利権をよこせ」である。
自民党の大きな利権と民主党の小さな利権に、大々的に手を突っ込んで、自分たちの利権を手に入れる。これに尽きる。
政策やスローガンは、そのために都合のいいものを選択しているにすぎない。

手始めが公務員イジメや労組の解体だった。そして、仕上がカジノである。彼らの狙っている利権は夢洲のIRカジノだけではない。シンボルとしての「合法」カジノをつくることで、大阪を裏カジノシティにすることが目的なのではないか。

カジノは賭け事をすることが本当の目的ではない。巨額のアンダーグランドマネーの出入り口なのである。日本だけでも20数兆円といわれるアングラマネー。そうした非合法資金を自由に「貯金」したり「引き出し」たりできる場所。
大阪を世界的な裏金融センターにする。それが維新の本当の狙いなのではないか。私はそう考えている。
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大阪においては、民主党は維新の最初の一撃で壊滅し、自民党もこの12年間で弱体化を余儀なくされてきた。維新による利権奪取の企みは着々と進行している。
もちろん、言うまでもなく、よりあくどく別の一部が横取りするのみならず、カジノのように新たにダーティーな利権を開発して独占するということをしているのであって、国民、府民の利益には全くなっていない。

大阪の成長を止めるなと叫びながら、何も生み出さずに利権だけを吸い取って、大阪の成長を止めているが大阪維新なのである。

■安倍と維新の悪魔合体

維新の実体は、このような利権よこせ運動なのだが、これに目をつけたのが安倍晋三と菅義偉だった。
2012年に政権奪還した安倍自民党は、民主党を壊滅させた維新に注目した。二度と政権を奪われないために、維新と連係することを模索した。
小うるさい自民党内の宏池会(いわゆる鳩派)よりも、明確に利権で動く維新のほうが操りやすいと考えた面もあるだろう。
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安倍派に厚遇された維新は、日本維新の会として国会議員を増やし、その政党助成金を大阪に還元することで、さらに大阪の利権構造を強固にしていく、という「好」循環を確立していく。

安倍政治は意外と複雑な要素があり、ひと言で言い表せないが、資本家の大きな利権=自民党のカウンターパートを、労働者の小さな利権=社会党・民主党から、ダーティーな利権開発=維新に置き換えようとした点で、安倍と維新が最終的に55年体制を葬ったと言える。
もちろん、改憲から独自核武装を念願としていたという点でも55年体制のような妥協の政治ではなかったとは言えるのだが。

■安倍晋三暗殺と岸田の野望

安倍晋三は退任後も院政を敷いて、菅、岸田をコントロールしてきたのだが、突如として安倍暗殺という大事件が起こった。
ニュースが流れたとき、私は応援演説にまわっていた議員に同行して、れいわ新選組の街宣車に乗っていた。たしかに暗殺には驚いたけれども、本当に驚いたのは、暗殺よりもその後の「反統一教会キャンペーン」だった。明らかに「安倍派排除」の意図が働いていたからだ。
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その後の、推移を見ても、萩生田や高市などの安倍派後継と見られる大物議員がやり玉に挙げられ、生き残りはしたものの、派手な動きは封じられている。
ここでは詳細は省くけれども、その他諸々の状況証拠から見て、岸田文雄は、「安倍派排除」を狙っている。というか、ほとんどそれしか頭にないのではないか。
安倍派を排除するために統一教会も攻撃し、安倍派を排除するために立憲を取り込もうとしてきた。

これに焦ったのが維新だ。
万が一岸田派と立憲が組んで、安倍派と維新が排除されると、カジノの認可が下りないかもしれない。それは維新にとっては死刑宣告に等しい。
だから今回の地方選に、維新は決死の覚悟で取り組んだ。候補者を倍増させ、共倒れの危険を顧みずに競い合わせた。そうやって実力を見せつけ、岸田に売り込んだ。

終わってみれば維新は大勝。なかでも、高市の奈良県と世耕の和歌山県で維新は自民に勝ち、安倍派の顔に泥を塗った。結果を見た岸田は、地方選前半戦の直後、速攻でカジノを認可した。
維新は安倍派から岸田に乗り換え、岸田は維新を使った安倍派を牽制しながら徐々に追い詰めていく。

■希望なきポスト55年体制

これが、現在の日本のおおまかな状況だと私は考えている。
55年体制は、1993年から30年かけて跡形もなく崩壊した。
万年野党でもいちおう労働者の党があり、不平等ながらも安定してそれなりに暮らせるという、55年体制の良い面は完全に雲散霧消した。
なのに、政権選択をできるようには、まったくなっていない。何のために55年体制を失ったのかわからない。

立憲があまりに情けないからだ、という批判はその通りだろう。かつて、政権を奪取した故に、えん罪で大弾圧された小沢一郎を、庇うどころか座敷牢に入れるがごとき扱いをした民主党幹部が、いまだに大幹部に座っているような立憲民主党に、なにごとかができるわけがない。私は1ミリも期待していない。
せめて、「国民のみなさま、公約を破って申し訳ありませんでした。消費税は5%に戻します」とでも頭を下げるのならばともかく、枝野に至っては「消費税減税なんて二度と言わない」とふんぞり返っている。

このどうにもならない状況を打開し、どうしようもない立憲民主党を後ろからケツを蹴飛ばすために生まれたのが「れいわ新選組」である。私は2019年の初めごろ、当時まだ自由党の共同代表だった山本太郎氏から、そのような主旨で党を作るという話を聞いた。
正直言って、「無謀だ」と思った。
小沢一郎と山本太郎のダブルネームでも、全国で100万票なのに、1人では議席を失うのではと心配した。

しかし、蓋を開けてみればあの「れいわフィーバー」で、228万超(4.55%)の得票となった。それでも太郎さんの読みには届かず、本人は落選となってしまった。
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■れいわ新選組

あれから4年。2021年総選挙にて約225万(3.86%)、2022年参議院選挙にて約232万(4.37%)。
2021年の衆院選は山本太郎と書けるのは東京都民だけだったので、やや得票率が下がっているのは仕方ないとしても、2019年よりも2022年の方が得票率が下がっているのは、なぜなのか。
党名もそれなりに浸透し、日曜討論やら国会中継でも目立つ発言をしてきたのに、なぜ得票率が伸びるどころか下がってしまったのか。

2019年のフィーバーでは、数値的には限定的でも、明らかに新しい層、これまで政治に期待していなかった層にれいわ新選組の言葉が届いた。私は自由党かられいわ新選組の変化を当事者として目の当たりにしたので、それは皮膚感覚でも分かる。
(こちらの記事では、詳細に分析されている → https://note.com/miraisyakai/n/n63072e1a61e8

しかしその後、知名度に比例して期待度は上がっていかなかった。
強烈な喪失感、虚無感を抱く人々に希望を感じさせた一方で、現実の政治過程で力になるほどの支持は集まってこない。
その点を、れいわ新選組は真剣に総括するべきではないか。

私は、その最大のキーワードは「政権交代」だと思っている。
かつて、山本太郎は「政権交代」という言葉を連発していた。後援会(太郎Sネットワーク)の会員への手紙でも「政権交代しようぜ」みたいなことが書かれていた。

しかし、今れいわ新選組のHPを見ても、政権交代の文字はない。めったに耳にすることもない。
いくら崇高に理想を掲げても、政権をとらなければ実現できない。その自明のことを、有権者は骨身に染みて分かっているのに。
政権交代の戦略とリアリティがない。それが、れいわ新選組に決定的に欠けているものだ、と私は感じている。

■政権交代!

今のれいわ新選組を見ていると、単独で政権とる気なのか??と思える時がある。あまりにも、他党との連携などに無関心なことが多いからだ。れいわだけで固まってしまう傾向が強いように見える。
それならそれで、その戦略を示し、なんだかできそうだ、と思わせてくれればいいのだが、それもない。

小沢一郎は、2003年の民由合併から2007年の参議院選で政権交代のリアリティを見せることで党代表になり、ついに本当に政権交代を成し遂げた。
民由合併前の自由党は、500万超の小沢支持票でもっていた個人商店であり、今のれいわ新選組とそれほど変わらない。小沢一郎にできたことが、山本太郎にできないということはない。というか、その戦略のリアリティの演出をこそ、小沢氏に教えを請うてもらいたいと切に願う。
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(太郎さんが勝手に作って小沢さんがおおウケしたポスター)

「あれ、ほんとにできそうだぞ」と思わせられるかどうか、そこにれいわ新選組の行く末がかかっていると思う。

■困難でも取り組まなければならないこと

もうひとつ、れいわ新選組に欠けているのが「組織作り」だ。
オーナーとかなんとかいう制度をつくってようだが、すべて党本部 というか山本太郎と会員の1対多の関係になっているだけで、辛口で言わせてもらえばファンクラブの域を脱していない。
今回の地方選が組織作りの始まりだ、という話もあったけれども、選挙ボランティアと、支部や市区委員会的な組織作りは別物だ。きっかけにはなるけれども、ここを始まりとして、党が一定の責任と支援をしながら地方組織を意識的に作っていかなければ、結局ファンクラブに戻ってしまうだろう。

今回当選したところでは、議員を中心に何かしらの継続的なものはできるだろうけれども、関西のように2人しか当選できなかったエリアでは、落選したところでも組織作りを始めなければ、今回の挑戦がゼロに帰してしまう。

サポーター組織と支部組織は違う。サポーターは議員や候補者を中心にしてお手伝いする人の集まりだが、支部組織は、ひとり一人が活動主体だ。
オカシオ=コルテスだって、1人のスターとサポーターという関係ではなく、ジャスティス・デモクラッツやブランニュー・コングレスという市民団体組織が主体的に活動して生み出したのだ。(参考→ https://www.netflix.com/jp/title/81080637
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私が勤めていた議員事務所でも、カジノ署名運動などで主体的な動きの萌芽はあり、それが参議院選、地方選につながっていったけれども、そういう事例かなり限定的だった。大きくは、まだまだ国会議員の活動を支援する集まりにとどまっているように思う。



いやはや、久しぶりに書いたので、ほんとに長くなってしまった。
もはやここまで読み進めてくれている人がいるのか、わからないので、そろそろ終わりにしよう。
5月からは、一歩引いたところから、それでもしつこく諦めずに、見て、聞いて、書いて、行動していこうと思う。
 

2021-11-15(Mon)

国会議員が「身を切る」アホさ 身を切らずに身を粉にして働け!

維新の吉村がおのれのことを棚に上げて「10月31日のたった1日で文書交通費100万はけしからん」とかほざいて、橋下徹も乗っかったせいで、一気に「国会議員は金をもらいすぎだ」という空気が蔓延しています。

われらが大石あきこの反撃で、吉村はフガフガになりました。

しかし、マスコミは維新の尻馬に乗って「国会議員叩き」に走り始めました。

国会議員は、歳費と文書交通滞在費やらと公設秘書給与でおよそ年間5000万円くらい受け取ります。
さらに、約4000万円X議員数くらいの政党助成金を、これは党が受け取ります。
つまり、国会議員は党の活動も含めて、1人年間9000万円が税金から支払われるのです。

当然ならが、一般の給与生活者とは桁の違う金額です。
「もらいすぎだ~」と言われると、その気になってしまうのも分からなくはないです。
しかし、国会議員とは何なのか、一度落ち着いて考えてみなくてはなりません。

国会議員に金払わなくていい、という話を突き詰めると、国会議員なんて無くていい、ということになります。
おそらく、軽い気持ちでワーワー言っている人たちは、ホントにそう思っているかも知れません。
また、確信犯の維新は、ファシストとして、独裁を指向するものとして、本気で国会を停止させたいと思っていることでしょう。ナチスのように。

いくら今目の前にいる国会議員が情けなくて頼りなくて不甲斐ない連中ばかりだとしても、それでもなお、国会議員を無くしてしまえば、それは独裁国家です。
無くならないまでも、国会議員が働かない度合いに応じて、日本と言う国は独裁的な、生活者の声が届かない国になっていくのです。
そのために、維新が音頭を取って、「国会議員は金をもらいすぎだ」の大合唱をしているのです。

ですから、国民、有権者が上げるべき声は「金をもらいすぎだ」ではなく、「もらった分だけ働け!」です。
たしかに、ろくに働かずに支給された金を、ガッポガッポと懐に貯め込んでいる議員もいるわけで、そういう輩には懲罰を加えるべきでしょう。
そのためには、歳費(給与)は半額にした上で、非課税の活動経費をしっかりと付ければいいのです。

「補佐官」という韓ドラを見ると、韓国の国会議員事務所はすごく充実しています。
ちょっと調べてみたところ、国会議員は補佐官4人、秘書3人、有給インターン2人を採用でき、補佐官と秘書は特別公務員で、給料も大手企業の管理職並みだそうです。
日本は公設秘書がたった3人だけで、いつ失職するか分からない不安定さなのに、給料あまり魅力的じゃないのと比べると、ずいぶん違います。議員の給料は日本よりもかなり低いけれども、活動するために使う金はずっと多そうです。

日本もこんな感じにすればいいのです。
文書と通信と滞在以外に使えないとか変な紐付きにした挙げ句に、領収書なしでOKの金ではなく、活動費ならなんでも使える金をしっかり出して、その代わり収支報告に入れるようにすれば良いだけの話です。

要するに、国会議員が「身を切る」など、とんでもないアホだということです。
国民の負託を受けて、働いて働いて働きまくらなくてはならないのが国会議員の「身」です。
その身を切ってどうするのですか。
維新大嫌いの人でも、変な正義感から「議員は金使うな」的なことを言う人が多いのでびっくりします。

身を切るのではなく、身を粉にして働くのです。
年間予算9000万円の組織として、国民のために働かすのです。

ファシスト維新に騙されちゃいけません。

■■■■

話変わって 家づくりです。

ぱっと見はいいけど、中身はどないしょうもない という政治の世界の維新みたいな住宅は、けっこうあります。

一昔前は、建売住宅のかなりの割合が欠陥住宅だった時代もありますが、最近はかなりマシにはなってきました。
むしろ、見た目がカッコイイもののほうが要注意です。

中でも気をつけたほうがいいのが、大きな吹抜です。
吹抜とはすなわち床がないわけですが、床って実は大事な耐震構造なのです。

少し詳しい方は、筋交いとか耐震壁など、壁が大事ということはご存じでしょう。
でも、それに劣らず、2階や3階の床は大事なのです。

ですから、こんな感じの大きな吹抜を見かけたら、注意して下さい

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あ、この家は大丈夫ですよ。
ちゃんと吹抜があっても家が崩れないように、私自身が構造計算をしています。

でも、多くの2階建ては構造計算をせずに、無造作に吹抜を作っている場合が多いのです。
ぱっと見だけで、中身の怪しい維新風住宅にはくれぐれもお気をつけを。

写真の家の完成見学会を 12月11日(土)と12日(日)に行います
時間は①11時 ②13時半 ③15時  
場所は豊中市 阪急宝塚線の岡町駅近く

ご希望の方はメール([email protected])か、右サイドの「明月社へのご連絡」でお知らせ下さい




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なんとしても政権交代を!
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