八ッ場ダムが大問題になってしまった。組閣前から (9/13, 9/21) ブログに書いてきたが、どうして今のような状態になったか。ほとんど誰も書かないので、まず、そこから探ってみたい。
1952年(昭27) 建設省より長野原町長にダム調査の通知が届く。建設
省、現地で調査を開始。
1953年(昭28) ダム建設反対の住民大会が開かれる。
住民ら上京し、
地元の中曾根康弘議員、建設省に決議
文を手渡し
反対陳情。
吾妻川が強酸性の河川であることから、ダム計画、表面的には一時中断。 1957年(昭32) 群馬県、吾妻川の水質改善を目的とする「吾妻川総合開
発事業」を計画。
1963年(昭38) 草津町に中和工場完成。翌年1月より運転開始。
1965年(昭40) 群馬県、住民にダム建設を発表。 八ッ場ダム連合対策委員会発足(萩原好夫委員長)。
福田赳夫氏、蔵相就任の挨拶のため現地入り。
「ダムは42年度ごろには着工し、44年ごろには完成させた
い」と建設推進を表明。 条件つき賛成派の委員長に反発した住民多数派675名、
反対期成同盟を結成。連合対策委員会は解散。
品木ダム完成。 1966年(昭41) 選挙区の
中曾根康弘代議士、「ダムというものは軽々しく
造るものではない」と発言し、
反対派の期待を集める。 八ッ場ダム、「
福-中対立」の構図に。
1976年(昭51) 八ッ場ダム計画を組み込んだ水資源開発基本計画を
閣議決定。
神田知事、福田派より「ダム建設に消極的」と批判を受け
退陣。
清水一郎知事が誕生し、ダム推進を表明。 国、県により反対派の切り崩しが進められていく。
1985年(昭60) 町長と知事は生活再建案についての覚書を締結。
反対運動が転機を迎える。 1986年(昭61) 八ッ場ダムが水源地域対策特別措置法に基づくダムに
指定される。
2001年(平13) 「利根川水系八ッ場ダム建設事業の施行に伴う補償基準」
に水没五地区連合補償交渉委員会が調印。
これより
個別補償交渉が開始される。
八ッ場ダムの完成を2010年度に延長する基本計画変更
2003年(平15) 国土交通省、八ッ場ダム事業費変更案
2004年(平16) 八ッ場ダムに関する基本計画の二度目の変更の告示
事業費が4600億円に増額される。 以上が八ッ場ダムの大まかな歴史である。この地区は
群馬5区で中選挙区時代「中曽根」「福田」の両氏が激しくトップ争いをしていたところである。さらに、小渕総理もこの選挙区。
もし、彼らがやろうとしていたなら、この程度の公共事業は「あっという間」に出来たはずだ。現に当時の福田氏は工期を2年としているくらいだ。
なぜそれが出来なかったのか。この疑問を解くことによって真実が見えてくる。
年表を見てお分かりと思うが、福田氏が「賛成」中曽根氏が「反対」と別れ、政争の具にされてしまった、
このダムは「福田ダム」と呼ばれていたのである。福ー中の対立、互いが意地の張り合いをし宙ぶらりんの状態に八ッ場ダムを置いた。住民も、である。
しかし、それだけでも無い気がする。中和工場、品木ダムなどが、この年表になぜ入るのか。
この吾妻川は、その支流に「強酸性」水源があり、pH(ペーハー)1の酸性度といわれている。
普通の釘なら1週間で溶けてしまう、「硫酸、塩酸」なみの水で、元々魚の居ない「死の川」だった。
マスコミによる「自然と渓流の八ッ場ダム」ではない
本当の姿がある。
従って、その水は飲み水に適さないからと、一時計画が中止となったのである。
それが、石灰を川の水に混ぜ、中和することによって、ペーハーをあげて、利用しようとする人たちが出てきたのが、「
中和工場の完成」である。
石灰を水に混ぜるのだから、乳白色の水になり汚い。
品木ダムを作り、そこで石灰を沈殿させ上澄みのみを八ッ場ダムに送ろうというのが、「
品木ダムの完成」である。
ここにも問題があって、現在は品木ダムを石灰沈殿用の湖として使用できるから何とかなるが、いずれは一杯になる。--
現在でも90%近く堆積し、「草津丸」という浚渫(しゅんせつ)船を使って石灰を湖底からくみ上げているが、その捨て場はそろそろ一杯になる--その時どうするのか。新たなゴミ捨て場の確保か、そのまま八ッ場ダムに流すか。
まだある。それは地盤の関係で何度か計画が中止になりそうになったことである。
八ッ場ダム建設の場所は、1970年(昭和45年)の第63回国会、衆議院地方行政委員会で「ダムの基礎地盤としてきわめて不安定」と指摘された場所である。また、周辺の地盤は雨に弱く、上空からの写真で「舌のような形に写っている場所」が過去に地すべりを起こした場所で、ダム湖が出来ると水分を吸って不安定化すると言われている。--写真は後日掲載--探し中です。
この
「福田ダム」こと「八ッ場ダム」事業は2度目の計画変更を行い事業費が2100億円から4600億円に上昇。事業反対派は建設事業費に基金事業費、起債の利息も含めると総額8800億円になるという試算を示し文字通り
日本のダムの歴史上最も高額なダム計画となったとしている。
さらに、本体工事の大幅な減額が行われている。付帯工事が遅れ、予算オーバーとなっているので、全く進んでいない「
本体価格を値引き」して、帳簿ズラを合わせた。といわれても仕方がない。
「国の政策に逆らうことは不可能。ダム事業を少しでも速く進めることでなるべく早い生活再建を図るしかない」と考えた
八ッ場ダムの「住人」をどうするか、--いわゆるお涙頂戴的な--だけに焦点が当たっている(
当てなくてはならないにしても)報道関係者の姿勢に疑問を感じる。
八ッ場ダムの「住人」の生活をどうするのか。と 八ッ場ダムの建設をどうするのか。は違う。どちらを先に解決するのか、は別にして、これを一緒にして
「すべてお涙頂戴的な」構図での解決は決して正しい解決とはいえない。
ましてや、最近、
突然出てきた「鳩山主犯説、前原共犯説」のような、どこかの知事の話を延々と流す事は、さらに事を複雑にする--相手の手法に踊らされる--。
私のような素人ですら、この程度は調べられる。そして説明できる。
「マスコミ」にたずさわる解説者、コメンテーターなる人々の「不勉強さ」には、いささか怒りを感じる。
----シーズン1終了----
続きは明日のブログへなお、データーなど「過去記事」にてご覧いただければと思います。
ダム補償関連に対しては「ご意見」もいただいており、私も
八ツ場ダム 今までの公共事業への反省で私見を述べています。
Tag:八ツ場ダム福田中曽根の争い品木ダム中和事業