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このまま死にますよ。  医者は静かに言った。シーズン2

シーズン1からお読みください。

 さて、絶食の生活が始まりました。食べ物を食べると「消化」しなくてはならないので、すい臓が働き、また発作を起こすと、大量の消化液が出るそうです。

 1日目はもちろん気力でなんとか「クリア」。
2日目、食べたいですね。この時は。それでも我慢。
3日目、だんだん食事をすることを忘れてくるから不思議です。
飲んでいるのはお茶だけ。少し濃い目の、イヤとても濃い目のお茶を飲んでいました。
これしか栄養源がないのです。

 病院にいくと、次第に「正常値」に近づいているそうです。あと一息です。
絶食2週間。ついにお医者様が「正常値になりました。普通の生活に戻るよう少しずつ食べてください。」と言われたのです。

 ヤッタ!食べられる。
それでも、「突然食べるのは無理ですから、始めは二分ガユ(お湯の中にわずかな米粒)位から徐々に慣らすように、」とのお言葉。
 何でも良い。食べられれば。
 わが息子などは「日ごろのシツケ」が良いものですから、絶食中の私の前にわざわざ来て、「おいしいよ」などと、見せつけに来るのです。
あれからだけでも逃れられるのですから!
 十分慎重に、食事を増やしていき、今までどおりの食生活(晩酌つきの)に戻しました。

 話がここまでなら、「めでたし、めでたし」の昔話と同じなのですが、

 忘れもしません。30日後、夜中の11時ごろ、突然おなかの痛みで眼が覚めました。
(酔ってウトウトしていたのですね。)
 「ウッ。ヤバイ。この痛み、尋常ではないぞ。」
(胆石などもとても痛いようですが、すい臓の痛みも負けていません。他の患者さんが本に書いていらっしゃったのですが、ガソリンを飲んで火をつけたような痛みと表現されていました。)
 「ウァー、お母さん、救急車を頼んで」 
あの時先生が「今度は救急車で来い」といわれたのを思い出しました。

 初めて「救急車」なるものに乗りました。乗り心地はそんなに良くなかったですね。
もちろん、おなかが痛くてベットの上にうずくまっていたからもありますが。
それより何より、あの「パオパオ」で隣近所は出てくるし、困ったものです。

 信号なしで、この前の病院へ。
もちろん、救急隊員の方が、病院に連絡してくれていますし、前の「カルテ」もあるわけですから、今度はすぐに治療してもらえます。
 「6時間待ち」はないわけです。

 病院到着。お医者様が看護士の方になりやら言っています。が、聞き取れません。
処置室に着きました。
 「服を脱いでください。」
「あっ、これですか。」下着姿になりました。

 すると、突然「看護婦さん」がパンツを脱がそうとするのです。
 「アッ、ダメ、、ダメ」声にはなりません。
痛みで縮み上がっている「ナニ」が丸見えになるではありませんか。

 さらに、サラにですよ。
突然、ムンズと私の大切なモノを許可もなく「つかむ」のです。
 「アレェ、ダメ、ダメ、許しテェ」声にはなりません。これは「レイプ」です。う?「逆レイプ」です。

 さらに、サラにですよ。
なにやら細い管をムリヤリ「あの中」に差し込もうとするではありませんか。
 「痛、イタ、いたい、ヤメテェ」恐怖で声になりません。

 ガラ、ガラ、ガラとベットはエレベーターの前に運ばれ、そのまま3階へ。
 「ピーピーピー」と心電図が動く「集中治療室」へ運ばれました。
テレビのサスペンスでしか見たことのないあの部屋です。
 「ここって、死ぬ間際だよなア」 一瞬そんな考えが頭をよぎりました。

 でも、少しも死ぬ気がしません。「三途の川の渡し賃」も必要に思いません。
ただ、管からスタスタと容器の中にたまる尿が不思議でした。
点滴のポタポタも気になります。
確か、痛み止めはいただいたと思いますが、頭の中が真っ白で、よく記憶していません。

 翌日、集中治療室から出て、一般の病室に移されました。
治療は分かっています。薬も注射もない、そう「絶食」です。1ヶ月前していますから、絶食自体は何と言うことはないのですが、病院での絶食は家でするより大変でした。

 自宅ならご飯の時間にチョッとどこかへ行っておけばすみます。
 しかし、病院はそうはいきません。何もすることがないので、皆さん「食事」を楽しみにしています。
「○○さん、お食事です。」などと、持ってこられるのです。

 間違っても、私の名前は出てきません。逃げ出そうにも、下も上も管でつながっています。
とても大変でした。

 先生の診察の時間が来ました。「もう少しで、国の難病指定をうけられる数値でした。3ヶ月の入院です。」
 「とても無理です。3ヶ月も入院できません。」
 「少し様子を見ましょう。肺の半分に水がたまっています。すい臓もはれています。」
 「・・・・・」唖然である。肺って水がたまるのですねぇ。
 「尿中に赤血球が出ています。これが収まらないと。」
この日の交渉はそこまででした。

 3日目、看護婦さんに言って、「シタ」の管だけははずしてもらいました。
ようやく、一人でトイレにいけるようになりました。

 しかし、仕事が気になります。何としても帰らねばなりません。
先生に交渉しますが、まったくダメ。
 とうとう1週間を過ぎました。どうしても帰らなくてはなりません。
(実を言うと学習塾をやっていました。名人?が居なくては受験前は困るのです。)
 「どうしても帰る」と言い張ると、
先生も困って「授業の時間だけ外出してください」ということになりました。
 点滴のチューブはつけたまま、途中ではずして、上からワイシャツを着ました。
 タクシーで教室まで帰ります。
そして、授業!!まだ、体力が回復していないうちの、また絶食です。
黒板を消すのに「息」があがってしまうのです。
「黒板けし」があんなに重労働だったとは!!!

 こんな生活を1週間、続けました。タクシー代もバカにならないし、準備もなく授業もそんなに出来ません。もちろん、教えることは出来ますが、生徒個人の分析や弱点補強など、サボればサボれる分野ですが、来年の生活がかかっていますから、手抜きは出来ません。

 とうとう、14日目に「医者がどう言おうと、退院する。」と宣言しました。
 まあ、治療といっても「安静と絶食」だけなのですから。
「点滴チューブを早くはずせ。」と看護婦さんに言っていると、とうとう主治医の先生が来られました。

 1週間に1回の外来、ということで退院できました。出来たというより、「シタ」のですが。
そのときの退院時の費用が「約19万円」、1ヶ月7万円も健康保険料を払っていてですよ。

 なかなか「ハイ、そうですか。」と財布から出せる金額ではない。

 ここまで長く、私の「病気の話」にお付き合いいただいたのは、この「健康保険」の自営業者での使い勝手の悪さである。
 まず゛、料金が高い。サラリーマン時代は会社と折半であるからそこまで感じないが、一般のサラリーマン程度の所得をあげると、1回分約7万円(年10回)になる。年70万である。
 それ以外の税金もかかってくるので、正直にやれば、ほとんど残らない。
バカみたいに正直にやってしまったのだが。
 入院すれば、したでこんなにかかってはとてもではない。それに、前年の収入にかかるのであるから、今年急に業績不振になったりしたら、それこそ、税金関係で経営は火の車になってしまう。

 バカな話に長々とお付き合いいただいたが、この「健康保険」の仕組みもどうかならないものか、と常々思っている。

 と、まじめな結論を導く予定であったが、読まれた方は笑い転げて「賛否」どころではないでしょうね。

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