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萩原 幹生氏|帰ってきた宇高連絡船

 海上が華やかだった時代を今一度思い出したい。

萩原 幹生氏“宇高連絡船”:雨の県桟橋

 14:29 2020/11/02
 高松市在住の切り絵作家、萩原 幹生さんによる作品展が開催されます。
 萩原先生は国鉄(現在のJR四国)OB。切り絵は宇高連絡船土佐丸船長時代の1984(昭和59)年より独学で始められ、草創期の青函連絡船・宇高連絡船をシリーズ化した作品は各地の展示で好評を博して以来、“切り絵船長”としてもおなじみとなりました。創作活動の傍ら、高松市内のコミュニティセンターで同好会の講師を務めている他、作品展も開催していらっしゃいます。
 今回は一番に手掛けた宇高連絡船のさまざまなシーンを展示いいたします。

萩原 幹生氏“宇高連絡船”:陸橋より高松駅ヤードと連絡船

 二代前、昭和の時代を生きた方々にとって本州を渡るといえば、連絡船は欠かせない存在でした。瀬戸大橋にバトンタッチ、役目を終えてから30年余り、そして宇高航路が休止してまもなく1年を迎えようとしています。
 このトップランナーだったのは国鉄(JR四国)の宇高連絡船でした。高松桟橋から離れていくにつれて多くなる見送りの人たち、宇野桟橋に着船、扉が開くやいなや席を取るべく、岡山への電車が待つホームへの“階段リレー”、そして高松桟橋に着船したら、逆に「ふるさとへ戻った」という安堵感を漂わせてのウォーキングは懐かしい話となりました。
 若い頃から絵が好きで余暇としてスケッチブックを常に手放さない性格だそう。連絡船の見える場所でのスケッチから数え切れないほどのシーンを切り絵に仕上げられました。作品群からは叙情あふれるシーンの中にも、海の男らしいロマンチックさを感じることができそうです。
 どうか多くの方々のご高覧を賜りますよう。

 萩原先生は岡山県備前市出身。神戸商船大学(現在の神戸大学海事科学部)航海学科卒業後に日本国有鉄道入社。
 船舶部門を歩まれ、青函、宇高両連絡船の他、国鉄本社船舶局、広島鉄道管理局にも勤務。宇高連絡船廃止後はJR四国本社勤務を経て観光船讃岐丸船長を歴任し、1998年に退職。
 退職後は日本船舶職員養成協会と海技大学校の各教官を経て、現在は海事補佐人、放送大学香川学習センター客員講師、古高松南コミュニティセンター切り絵教室講師。
(T.Kasai)

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 令和2年11月3日()~11月29日() 9:00~15:00
 オーダーストップは14:30です。
 定休日|月曜日
 連絡先|cafeタイム 岡崎さん ℡(080)3169‐9388
 会場と位置は地図の通りです。
 連絡先及びオフィシャルサイト、道程は“拡大地図を表示”をクリックして下さい。


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宇高連絡船愛好會

Author:宇高連絡船愛好會
宇高連絡船愛好會について
 本會は現在メンバー20名平均40歳代から成り立っており、岡山県玉野市を拠点に活動しています。私達は「鉄道連絡船」を「時代の流れ」として片付けるのではなく、連絡船の果たした役割を後生に残して行くという目的から様々な活動をしています。

活動内容:資料収集・研究・展示・連絡船発着岸壁(バース)の保存・模型の制作・ホームページの作成

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