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国鉄型錨成立までの背景

宇高連絡船愛好會で配布している宇高航路の廃線印スタンプのメインデザインとなっている国鉄型錨。その錨が作成されるまでの背景を紹介します。

もともと国鉄では、JIS型といわれるタイプの錨を使用していました。JIS型は昭和26年(1951年)にその当時に広く使用されていた海軍型を元に規格化されました。もともとはイギリスで19世紀末に開発されたホールスルーアンカーをベースとしています。このホールスルーアンカーは、錨の全長の3から5倍程度引かれると、シャンクを軸に反転し、把駐力を失い走錨状態に陥ります。

そもそもJIS型は「規格化されているので安全」というイメージが先行しがちでしたが、規格化された経緯が「広く使用されていた」「長い間使用されていた」という部分からで、錨として重要などのくらいの把駐性が発揮できるのかという部分は評価されていなかったという側面があります。

この弱点が顕在化したのが昭和29年(1954年)に発生した洞爺丸事故です。台風15号(後に洞爺丸台風と命名)の強風と波浪により、走錨が発生。最終的には客貨車搬入口からの浸水を引き金として、排水不能に至り漂流し、浅瀬への座礁、最終的には転覆から沈没に至った事故です。

この事故を受けて国鉄は、JIS型の改良を実施。これをJIS改良型といいます。
JIS改良型は[十和田丸(1)→]石狩丸(2)(ショルダーを拡大したもの)と檜山丸(1)(フリュークを拡大したもの)に採用されました。
また、国鉄は把駐力についての実証実験も実施しました。昭和33年(1958年)、34年(1959年)、36年(1961年)に函館港内外(七重浜沖・有川沖も一部あり)で計3次、昭和34年(1959年)には高松港外でも行われ、昭和36年(1961年)の日本航海学会第26回講演会にて結果の報告が行われました。

第1次実験では従来の投錨方法では「いずれも錨爪が上向きであって、我々の常識的予測を完全に裏切っていた」(原文まま)となり、下向きに投錨するために各種テストを実施。第2次実験では石狩丸(2)と檜山丸(1)のJIS改良錨の性能評価を実施しました。
この第2次試験の結果を踏まえて国鉄が試作していた5種類の錨の性能評価・結果解析を神戸商船大学に依頼し、そのうちの1種類の改4型の把駐性が良いことが確認されました。これを踏まえて第3次実験では、檜山丸(1)に改4型を取り付けてテストを実施しています。

この実験では
・JIS型は函館港のような底質(~100cmまでは軟泥、それ以降は硬泥)では正常な把駐状態とならない
・改4型は有効であるが、バルドー型の特徴を考慮してさらなる改良が必要
・把駐力は当初想定の半分程度
・砂より泥の方が把駐状態が良好
・投錨の際は海底近くまで静かに錨を降ろす方が良い
とまとめられています。

国鉄はこの実験の結果を受け、昭和37年(1962年)ごろまで錨の改良を続け、そうして誕生したのが国鉄型となります。青函連絡船では津軽丸型、宇高連絡船では伊予丸型で採用されました。(補助汽船などは従来のJIS型を継続採用)

国鉄型はバルドー型のアンカーとJIS改良型のスタビライザーの良いところを合わせた構造ではあるが、本来希望していた性能を満たすことはできなかったため、その後の採用例は少なく、現在ではほぼ使われることのない錨となっています。

函館港における青函連絡船の錨及び錨鎖の把駐力に関する実験について
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jina/26/0/26_KJ00004749164/_pdf

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宇高連絡船愛好會

Author:宇高連絡船愛好會
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 本會は現在メンバー20名平均40歳代から成り立っており、岡山県玉野市を拠点に活動しています。私達は「鉄道連絡船」を「時代の流れ」として片付けるのではなく、連絡船の果たした役割を後生に残して行くという目的から様々な活動をしています。

活動内容:資料収集・研究・展示・連絡船発着岸壁(バース)の保存・模型の制作・ホームページの作成

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