コー地方とセーヌ川(その3)
※以下の文章は「奇岩城(4)」の内容に触れています。※
セーヌ川の川船こそルパン一味の主要な輸送手段だった。
デュクレールまでまっすぐいって、そこで昼食をとった。この村から出たあとは、セーヌ川にそっていき、それからはずっとセーヌ川からはなれなかった。それに、いろいろな推測によって強化された彼の本能が、やはりこの美しい川のまがりくねる岸辺にみちびいていくのだった。カオルンの城館が強盗におそわれたとき、数々の収集品はセーヌ川から船で運びさられたのだ。アンブリュメジーの礼拝堂がそっくりぬすまれようとしたとき、あの古い石彫りがいくつも送り出されたのも、セーヌ川方面だった。あの川船の一隊が、ルーアンとル・アーヴルのあいだを定期的に往復し、ひとつの地方の美術品や財宝をすっかり持ち出しては、億万長者の国へ向けて送り出しているところを、ボートルレは想像してみた。(P285)
数々の美術品がセーヌ川を運ばれ、億万長者の住まう国々へ。その筆頭はアメリカだろう。「奇岩城」でアメリカ人ハーリントンが登場するように、アメリカは“主要取引国”だった。出航地はセーヌ川河口の港ル・アーヴル。第一話「アルセーヌ・ルパンの逮捕(1-1)」で、ルパンが乗っていた大西洋航路の船もル・アーヴルを出航している。また、カオルン城館事件では、盗品はセーヌ川沿いにある城館の窓から船に下ろして積み替える必要なく運ばれたのだ(「獄中のアルセーヌ・ルパン(1-2)」)。
そして、ボートルレは旅だった。
彼は感動でいっぱいになりながら出発した。というのも、ルパンもこのような旅をしたのだと思い、また、あのように強い力で身を守っている、あのとほうもない秘密を見つけにいったとき、ルパンもやはり今のじぶんと同じような希望に胸おどらせていたはずだと思うからだった。しかし、彼、ボートルレの数々の努力は、やはりルパンと同じ勝利となって実をむすぶだろうか?(P285)
ボートルレの旅はエギーユ・クルーズを探す旅から、アルセーヌ・ルパンの思い出の土地を巡る旅へと変化していく。ボートルレはルパンの追体験をしているのである。旅をする中で、だんだんとルパンを身近に感じるようになる。、
ルパンはすぐそばにいた。彼にはルパンの姿が見えていた。ルパンの考えていることも見ぬくことができた。彼はあの街角のまがり角で、あの森のはずれで、あの村の出口で、ルパンに出くわすような気がした。(P293)
さらにルパンのことすら忘れるほど、コー地方の風景に心奪われたとき、エギーユ・クルーズを発見するのである。
ボートルレがルパンの追体験をしていることは、次のルートで象徴的に表されている。ボートルレが、リューベンスの絵を求めて自転車で走ったルートは次のものだ。
アンブリュメジー→リュヌレー→イェルヴィル→イヴトー→コードベック=アン=コー→ラ・メユレー
そして、「カリオストロ伯爵夫人(13)」で、ルパンがジョゼフィーヌの馬車で通ったルートが次のものだ。
グール→リュヌレー→ドゥードヴィル→イヴトー→コードベック=アン=コー→ラ・メユレー
アンブリュメジーのモデルと思われるアンブリュメニルとグールは互いに近く、アンブリュメジー最寄りのウーヴィル=ラ=リヴィエールとグールはサーヌ川が流れる同じ谷に沿った場所にある。「奇岩城(4)」と「カリオストロ伯爵夫人(13)」とは一対になる作品なのである。
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次→コー地方とセーヌ川(その4)
※以上の文章は「奇岩城(4)」の内容に触れています。※
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