ショルメスの復讐(その3)
※以下の文章は「奇岩城(4)」「戯曲アルセーヌ・ルパン(3)」の内容に触れています。※
「奇岩城」については、どうしても翻訳の問題に触れざるをえない。先に引用したハヤカワ文庫版のP281ー282は、ヴァルメラと言う名の説明が省略されていないのはいいのだけど、一目惚れだったとするのは、好きだから助けた(そうでなければ助けなかった)と受け取られかねないのが…。ルパンがすべてを擲ってもいいと思うほどの女性なのだから利己的な印象を避けているはず。
冒頭で引用したシーンも、翻訳によりずれがある。
ここでホームズは、うかつなことをしてしまった。復讐の状態に酔っていたので、ルパンの悪事をあばきたててから、レーモンドのおどろき悲しむようすを、意地わるく見やったのである。この一瞬のすきに乗じたルパンは、すかさず発砲した。(偕成社アルセーヌ=ルパン全集「奇岩城」P340)
ホームズはそこでミスを犯した。復讐心にかられるあまり、レイモンドのほうにちらりと目をやってしまったのだ。自分が暴きたてた話に、彼女がさぞかしショッックを受けただろうと思って。ルパンはその隙を見逃さず、すばやく銃を撃った。(ハヤカワ文庫「奇岩城」P316)
Sholmes eut un tort. Emporte par son desir de vengeance, il regarda Raymonde, que ces revelations frappaient d'horreur. Lupin profita de l'imprudence. D'un mouvement rapide, il fit feu.
原文には「意地わるく」に相当する副詞句は見当たらないし、ショルメスが何を思ったかは書かれていない。復讐ということと、レイモンドを見る行為がつながらないと感覚的に思ってしまったのじゃないかと思う。
偕成社版では、ショルメスの行為を「意地わるく」と受け取ったとしたら、それはボートルレが受け取ったことになけれど、ボートルレはどちらの味方でもない。ハヤカワ文庫版では、ほかのシーンではボートルレが見たショルメスや、報道などで伝え聞いたショルメスしか出ていないのに、ここでショルメスの内面が分かるのはおかしい。夫婦である以上どちらかがダメージを負うともう片方も負ってしまうことは避けられないが、復讐はあくまで(レイモンドが聞いている事を前提として)ルパンに向けられた物と考えるべきだと思う。
しかしそういう御託は抜きにしても、ショルメスが底意地悪そうに思えてしまうのが嫌だ。ハヤカワ文庫版も偕成社版も大いに参考にさせてもらっているけれど、人に薦めたくないと思うのにはこれで十分。他に薦められる翻訳があればよいのだけれど、現状ではないと言わざるを得ない(このシーンを一旦脇においてもやはり不満がある)。「奇岩城」は一部省略された短縮版のテキストを元に翻訳されているものが多く、本来のテキストから翻訳されていると思われるのは岩波少年文庫版、ハヤカワ文庫版、偕成社版の3つしかない為だ。私自身は岩波少年文庫版と集英社文庫版(底本は短縮版)が好きだけれど、でもやはり足し引きのない翻訳が読みたい。
「奇岩城」は一人称小説ではないが、ボートルレが視点人物となっていて、ボートルレが知らないこと、興味がないことの情報がきわめて少ない(例外は冒頭と会見の場面で、冒頭シーンは捜査資料を元に再現できる。「奇岩城」は関連資料やボートルレの証言を元に「わたし」が書いたと仮定すると分かり易いと思う)。ボートルレを視点にすえたのは、ルパンの心情を最後まで隠しておきたかったからだ。ボートルレからは、ルパン、ヒロイン、ショルメスの3人の心情は見えない。ルパンもヒロインの気持ちは分からない。しかも永久に分からなくなってしまう。結局冒険を棄てきれなかったルパンへの戒めであったはずなのに、「813(5)」でも同じ轍を踏んでいるところがルパンらしい。
※以上の文章は「奇岩城(4)」「戯曲アルセーヌ・ルパン(3)」の内容に触れています。※
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