BP社、ジョン・ブラウン卿の前科
2002年10月、BP社の技術者、ドン・シュガックは、修理中の油井の生産再開ためにバルブを開けた。彼は、油井にはまだ問題があり、今、生産を再開したら異常な高圧がかかることを知っていた。
その2週間後、シュガックは、シアトルの病院のベッドで意識を回復した。
油井に充満したガスが爆発し、全身の15%をやけどし、片足を骨折し、両膝と背骨はひどく損傷していた。
この事故の前、現場の技術者はジョン・ブラウンCEOに手紙を書き、、「安全関連の法律や規制の遵守違反」を訴えていた。
州の検査では、ある掘削プラットフォームのパッドの3分の1が欠陥品である、と指摘されていた。
「BP社の法令違反は無数にある」と現場のオペレーターは訴え続けていたのである。
原因は、1992年から始まったダウンサイジング・プログラム、つまりはリストラ計画である。
予算削減、従業員削減、賃金削減、スペアパーツ削減、メンテナンス削減、監督削減……むちゃなリストラの嵐の中でも、ジョン・ブラウン卿は産出量を維持しようとしたのである。
油の出が悪くなると、すぐ隣に穴を掘る。それでも以前の産出量を下回ると、一度止めた古い油井の操業を再開する。
事故が起こらないはずがない!
三井物産は、それを知っていて、10%の資金を投じたのか!?
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