私はいま、板橋区ホタル生態環境館の元飼育担当職員から「名誉棄損」で訴えられ、裁判中です。
このブログ連載「ホタルの闇」やツイッタ―、フェイスブックなどで、私が「ナノ銀で放射能除染できるというのはインチキ」と指摘したことを、「ナノ銀除染」の〝発明者〟である元職員は、名誉棄損にあたると主張しているのです。
◆除菌できるなら放射能も…?
そもそもナノ銀除染とは何でしょうか?
ナノ銀とは銀(Ag)の粒子をナノスケールまで細かくしたもの。ホタル館では、ナノ銀が含まれる薬品を除菌剤として使用していました。訴状では次のように説明しています。
◆「ナノ銀とは、10ナノメートル程度からそれ以下の粒子径の銀のことである。ナノ銀に抗菌作用があるものと認識されていたことから、原告は、ナノ銀を石及び土等に担持することによって水をろ過し、カビの発生のない環境を確立させ、ホタルの累代飼育に活用していた」(原告側訴状15ページ)。
フェイスブックなどでは、元職員は「エボラ出血熱にも効く」などと言っています。
2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原発の事故が発生すると、
◆「そんな中で、ナノ銀担持物質(例えば御影石)をとおして菌が除去できるのであれば、放射性物質にも効力があるのではないかという助言があり、ホタル館周辺の高濃度の汚染度や汚染水を使った除染実験に着手してみた。
そうしたところ、放射性物質のレベルが下がることが確認されたため、原告はこの結果が本当ならば、進行する放射性物質による汚染とその被害を少しでも回避することができるのではないかと考えて真剣にこの効能について検討を重ねていった」(訴状8ページ)
訴状によると、福島県や千葉県などでナノ銀除染の「実証実験」や研究発表を繰り返しました。そして次のような結果を得たといいます。
◆ 「ほぼ“半減期”が約1~2カ月程度の減弱効果が存在するとの結論を得つつある。途上だが現状報告する」(2013年2月5日 研究会「放射線検出器とその応用」(第27回)での発表 訴状11ページ)
◆ 「本未知現象のメカニズムについてはγ線計測実験だけからは不明であるが、現在の所、他分野の情報も加味すると、近年多くの実験データを示しつつある“低エネルギー核反応”LENRが有力と捉えている」(2014年1月30日、上記研究会28回での発表 訴状11ページ)
化学反応は原子核に影響しないこと、放射性物質の半減期はそれぞれの核種に固有のものであることを根拠に、私はこうした「ナノ銀の放射性物質低減効果」なるものはインチキだと批判し、「ナノ銀除染」を信じないように警告を発してきました。
訴状に対して私はつぎのような意見を裁判所に提出しています。
●「放射性同位体の放射性崩壊は自然に発生するもので,半減期の長短は,放射性同位体ごとに定まる確率(崩壊定数)のみによって定まるものである。すなわち,崩壊までの期間はその物質の置かれている古典物理学的・化学的環境(熱・電磁場・化学反応など)には一切依存せず,半減期は放射性同位体ごとの固有の期間となるものである。これらは,自然科学における人類の実証的探求の結果,科学的事実が立証されている放射線物理学の学問的知見である」(被告準備書面(2)平成27年6月5日)
◆科学的に実証せよ!
ところが原告の元職員はこれに再反論してきました。
◆「原告はナノ銀による放射線低減効果について科学的検証を行い、研究発表会で発表までしている。被告は単に『放射能同位体の半減期は放射性同位体ごとに定まる確率のみによって定まり、その期間は科学的環境には一切依存せず、半減期は放射性同位体ごとの固有の期間となるものである』と主張するだけでなく、実際に自身が主張する上記理論について、科学的に実証されたい。」(原告準備書面(1)平成27年8月10日 )
まず指摘しなければならないのは、被告側主張の引用に誤字があることです。「放射能同位体の」は誤りで、正しくは「放射性同位体の」です。また、「科学的環境には」は誤りで、正しくは「化学的環境には」と記述すべきです。
たしかにささないなことかもしれません。でも、このさい正確な用語の定義を確認しておきましょう。
放射能とは、かんたんにいえば「放射線を出す性質あるいは能力」のことをいいます。「不安定な原子核が自発的に別のより安定な原子核に壊変する性質」といいかえることもできす。原子核が壊変するときにアルファ線、ベータ線、ガンマ線という放射線を出すのです。
ですから、放射性物質とは放射能をもった物質のことで、放射性同位体ともいいます。
なぜ放射性同位体というのかといえば、同じ化学的性質をもった物質でも放射能を持っているものと、持っていないものがあるからです。
たとえばセシウムは、セシウム133、セシウム134、セシウム137の3つの同位体があり、そのうち放射能を持つ放射性同位体は134と137の2つの核種です。
「化学」と「科学」を混同していては議論になりません。問題は、ナノ銀という物質をふりかけたり、混ぜたりすることで、どんな反応や効果があらわれるか?ということですから、化学としてとらえなければなりません。
では化学とは何か?
「物質の性質・構造、物質相互間の化学反応を研究する自然科学の一部門」であり、そして化学反応とは、物質のもとである原子を構成する素粒子のひとつである電子のやりとりにかかわる現象のことです。原子は中心に陽子・中性子からなる原子核があり、そのまわりの軌道を電子がまわっていることで構成されています。
その電子にかかわる変化が化学反応であり、原子核にかかわる変化が核反応です。
化学反応では、原子核に影響を及ぼしません。だから私は、ナノ銀を加えるというような化学反応では、原子核の壊変=放射線には影響しないと言ったのだけにすぎません。これは自説の主張などではなく、事実そのものです。
ですから、原告の元職員から「主張するだけでなく、実際に自身が主張する上記理論について、科学的に実証されたい」と求められても、正直困ってしまいます。
「これらは,自然科学における人類の実証的探求の結果,科学的事実が立証されている放射線物理学の学問的知見」なのですから、それ以上説明しようがないのです。
たとえば、ニュートンは万有引力の法則を発見し、「2物体間には常に,それらの質量の積に比例し,距離の2乗に反比例する引力がはたらく」という重力の性質を明らかにしましたが、なぜ重力が生じるのか? という疑問にニュートンは答えませんでした。アインシュタインが現れて、「重力とは空間の歪みである」と説明できるようになりました。ですが、空間はどうやって生まれたのでしょうか? とけない謎はまだまだ多いのです。だからといって、ニュートンやアインシュタインは間違っていたということにはなりません。
◆ニセ科学と立証責任
もともと「ナノ銀で放射能を低減させる」「半減期を減弱させる」などと、これまでの化学的知見に反する主張をしているのは原告の元職員なのですから、立証責任は原告側にあります。
宇宙物理学者の池内了さんは疑似科学(ニセ科学)の特徴の一つに「立証責任を批判者に負わせる」ことをあげています。
●「(疑似科学の)第二の特徴は、それを主張する人が立証責任を負わず、むしろ批判する人が反証しなければならないと言い募ることにある。『それがウソだというなら、ウソであることを証明してみろ』というわけだ。しかし、第一の特徴にあるように反証する手だてがない。そこで『ウソであると証明できないではないか』として、自らの主張が正しいかのうように言い立てるのだ。立証責任を脇において、反証責任を批判者に押し付けるのである。」
(「疑似科学入門」 池内了 岩波新書 2008年)
アメリカの科学史家マイクル・シャーマーは「なぜ人はニセ科学を信じるのか」(岡田靖史・訳 早川書房 1999年)のなかで
「突飛な仮説を打ち出す者は、専門家に対して…立証責任を負うことになる」と述べています。そして「念のために言っておくと、証拠を提出するだけでは充分ではない。その証拠の正当性を人々に納得させなければならない」
と指摘しています。
同じくアメリカのロバート・パークはでつぎのように言います。
「『物理学の最先端』を自称するインチキ科学もある。自分たちの発見は科学に大革命をもたらし、科学理論を根本からくつがえすと吹聴する連中だ。こうした『新しい科学』のふりをするインチキ科学にたいして、科学界は、説得力のある証拠を提示するよう強く求めなければならない。カール・セーガン博士は『突拍子もない主張は、突拍子もない証拠によって裏打ちされている』と述べた。だが、突拍子もない主張というものは、まちがっていたことがあとでかならず判明する」(「わたしたちはなぜ科学にだまされるか」(栗木さつき訳 主婦の友社 2001年)
「ナノ銀の放射能低減効果」なるものが、「突飛な仮説」「突拍子もない主張」であることは、ネット上の書き込みはみればあきらかでしょう。
しかも発見者の元職員も、その支援者たちも、それらが間違いであることに気づいています。
元職員は著書「ホタルよ 福島にふたたび」で「もっとも、学者はそんな単純な話ではない、と言うんですけれどね。でも、彼らの言い分は昔々に発表された理論に基づいたものでしかない。」と科学者たちから批判されていることを認めています。
また「放射能浄化Abe-Effect協議会 」という団体までつくり、元職員と「ナノ銀」除染活動を支援している元参院議員の平野貞夫氏は「LENRという技術は、四半世紀前に『常温核融合』として話題になったが、再現性が悪く、主流学界から似非科学と烙印を押されていた」(「戦後政治の叡智」平野貞夫 イースト新書 2014年)と述べています。
さらに元職員とともに「ナノ銀の放射能低減効果」を主張する元東北大学大学院教授・工学博士の岩崎信氏は平野氏らが主催した勉強会で、つぎのように講演し、「ナノ銀」が常識に反していると語っています。
「化学というのは、全部(周りの軌道)電子(の話)なのです。その(原子核と電子)間に、殆どやり取りが無い事が常識なのです。ですから、何で包(くる)もうが、ナノ銀で包もうと、そんなものに係らない。実はそんな事は(物理学の)教科書に書いてありませんが、いろいろ(その分野で)仕事していると、その様な『常識』が生まれて参ります」(平成24年8月9日 放射能浄化勉強会での講演)
岩崎氏は「物理学の教科書に書いてありません」といいますが、それは基礎中の基礎であるからに他なりません。しかも、実際には高校物理の教科書や参考書にも書かれています。
私の書棚にある本からいくつかを紹介しましょう。
◆夢にすぎない
「誤解1 科学が進歩すれば、いずれ放射能を無害化する『夢の薬品』ができる?ーー
ある原子が『放射能をもつかどうか』は、原子の中心にある原子核が『何個の陽子と何個の中性子で構成されているか』という『核内事情』で決まります。薬品が起こす化学反応は、原子核の外の結びつきに影響を及ぼすだけで、『核内事情』にはまったく影響を与えることができません。だから、これは夢に過ぎません」
(「原発事故の理科・社会」安斉育郎 新日本出版社2012年)
◆人工的に変換できない
「普通の化学的な反応をいくら繰り返しても、元素を人工的に変換することなどできるはずがありません。元素を変えるためには、原子核の核子構成、特に陽子数を変えなければなりませんが、化学反応というのは、原子核にまで作用を及ぼすものではなく、核外の軌道電子、しかもかなり外側の軌道に近いやりとりにかかわるものだからです。」
「放射性核種の放射能が減衰していくスピードは、温度や圧力などの条件にまったく支配されずに、核種に特有なものです。」
(絵とき 放射線のやさしい知識」飯田博美・安斉育郎 オーム社1984年)
◆叩いてもこわしてもだめ
「放射性物質(放射性元素)からは、放射線が絶えず出ています。これを叩いて壊したり、あるいは加熱や冷却をしても、放射線の放出は止みません」
(「Q&A 放射性物理 改訂新版」大塚徳勝・西谷源展 共立出版 2007年 )
◆化学反応の100万倍のエネルギー
「ここで強調したいことは化学反応というものはすべて核の周りを覆っている電子の働きによるもので、化学反応が起きている最中も化学反応が終わった後でも、それぞれの核は元の状態を保ち、核自体には何の変化も起きないということである」
「核エネルギーは電気エネルギーの100万倍も大きいのである。したがって電気力によって核を壊すなどとは、できる相談ではない。すべての化学反応は核の周りを回る電子たちの作用によって起こるのであり、したがってすべての化学反応がもたらすエネルギーは電気エネルギーである。つまり核分裂に代表される核反応がもたらすエネルギーは化学反応がもたらすエネルギーの100万倍となる」
(「放射性物質の正体」 山田克哉 PHP新書 2012年)
◆野球ボールと電車くらい違う
「化学反応は原子核の中には影響しないんだよ。原子核の中で何かを起こすためには化学反応の100万倍のエネルギーが必要になる」「たとえば、野球のボールが飛んでくるのと、それと同じ速さで電車が飛んでくるのの違いくらい」
(「いちから聞きたい放射線のほんとう」 菊池誠・小峰公子 筑摩書房 2014年)
◆化学反応では原子核はびくともしない
「化学反応でも原子は壊れるだろうか。実はその心配は無用である。化学反応は原子核の周りの電子が他の原子と相互作用をした結果起こる。これに対し、原子核の崩壊現象は不安定な原子核から原子核の構成要素の一部が解放されるような現象である。原子核内の結合力は化学的な結合力の100万倍も強いので、原子核の変換に伴って出入りするエネルギーは、化学反応のエネルギーの100万倍も大きい。だから化学反応では原子核はびくともしない」
(「新しい高校物理の教科書」 山本明利・左巻健男 講談社ブルーバックス 2006年)
元職員は、ナノ銀からどうやって100万倍のエネルギーを取り出したというのでしょうか? 次回は彼の「実験結果」を具体的に見ていきたいと思います。
つづく