日本に帰国中に移動時間を利用してあらかじめ予定していた本3冊を計12時間ほどで一気に読みました。
#1. 日本語が亡びるときー英語の世紀の中で-(水村 美苗)(6時間)
#2. ベネディクトアンダーソン グローバリゼーションを語る(梅森直之)(4時間)
#3. 朗読者(ベルンハルト シュリンク)(2時間半)
「日本語が亡びるとき」は梅田望夫氏の「
すべての日本人がいま読むべき本だと思う」に触発されて、「ベネディクトアンダーソン グローバリゼーションを語る」は文化系トークラジオライフのポドキャスとでの推薦で、「朗読者」はタイタニックの時から注目している女優
ケイト・ウィンスレットの新作映画「
The Reader」のトレーラーを見て原作が読みたくなったので....と、それぞれ独立した理由でたまたまこの3冊をつづけて読むことになったのですが、結果的に合わせて読むことにより、新しい意味を見いだすことができたように思います。
まず、「日本語が亡びるとき」は自分には教養がある、または教養をつけたいと思っているひとは”読むべき本だと思”います。学校で習う「国語」が、現在の"当用漢字仮名まじり、現代かなづかい"となった経緯についての記述は興味深く、是非知っておくべき歴史的経緯であると思います。
さて「日本語が亡びるとき」はその中で、ベネディクトアンダーソンの400ページ近い名著「想像の共同体」を、次のようにたった1文で要約しています。
国家は自然なものではない。
「想像の共同体」は「日本語が亡びるとき」のロジックを構成するための重要な下地になるため、このほかにも多くの解説/記述があり、これが、「ベネディクトアンダーソン グローバリゼーションを語る」を読む上で非常に役立ちます。「想像の共同体」をまだ読んでいない私のような読者には、「ベネディクトアンダーソン グローバリゼーションを語る」でのベネディクトアンダーソンの早稲田大での講演内容は非常にあまりにも難解です。後半の梅森の解説を読んでもまだ難しいと思います。しかし、事前に「日本語が亡びるとき」を読んでいたおかげで非常に理解を助けられました。
そして、最後の「朗読者」ですが、一般にそのテーマは「愛するひとの過去、”ナチス時代の犯罪をどうとらえるかという重い問題”」であると考えられているようですし、「日本語が亡びるとき」を事前に読まなければ私もそう感じていたでしょう。しかし、「日本語が亡びるとき」を読んだ後で「朗読者」を読んだ今、(「朗読者」のねたばれになるので詳しくプロットは言えないのですが)実は「叡智を伝えるべき<書き言葉>である<国語>が、戦争という喪失体験からの国民の自己再生に果たす需要な役割」こそが著者がこのプロットで言わんとする真のテーマではないかと強く感じています。
偶然とはいえ、全く別のきっかけでよんだ本の間に、このようなシナジーがあるのは非常に面白いと思います。


