クローズアップ現代「にっぽんの“頭脳”はいかせるか・苦悩する博士たち」に関する
5号館のつぶやきのstochinaiさんのエントリーを読んで、あらためて日本のポスドク問題の深刻さを痛感した。
もちろん「ポスドク問題」は雇用の問題であるが、エントリー「
いかにメッセージを伝えるか」で書いたように
「今私たちは困っているから助けてくれ」というメッセージ以外にも「私たちは社会に価値あるものを創るので投資してくれ」というメッセージを発信する戦略的二枚舌を理系研究者は学ばなければならない。
有利な世論を形成するためには、戦略的コミュニケーションが必要だ。したがって、私は「雇用的側面」ではなく「日本のポスドク」が科学&技術に効率的に貢献できるシステムかどうかという観点で、この問題をattackしてみたい。
米国でもポスドクの雇用の不安定性の問題は日本同様にあるが、ポスドクが米国の科学&技術の発展に対する貢献は非常に大きく、少なくともバイオメデカルの分野においては
ポスドクは最大で最強のプロフェッショナル研究者集団である。そして、その強みはポスドクという名前からは想像出来ない。
米国でのポスドクというメカニズムの強みは「Post-doc:博士のあと」にあるのではなく「Just one step to PI (principal investigator)」にある。
たとえば、先月までポスドクであった彼/彼女が、来月からはAssistant Professorとして年間数千万円のスタートアップ、1000万円近い年収をもらい、数人の学生/ポスドクを雇いPIとしてラボを経営する。
米国ではポスドクは「Just one step to PI」であり、ハイリスク(雇用が不安定で給料も安い)が、ハイリターン(=Just one step to PI)である。日本のポスドクのように「one step to another to another ...to PI」ではない。
この構造の差は研究者のproductivityとOriginality(そして、その総和としての国家の競争力)に重大な影響を与える。研究のOriginalityのクレジット(コレスポンディング)は通常PIにある。ポスドクが実際に実験をしても仕事の知的所有権の大部分は通常PIにある。したがって、ポスドクが独立するときには独自の新しいテーマを追求しなければならない。そうしないと自分のOriginalityは認められない。戦略的に(強制的に)研究テーマを変更しなくてはならないのだ(通常はポスドクの仕事をもとにして、関連した新しいテーマを追求することが多い。)その後はひたすら自分のOriginalityを追求し、それが長期的にはその国の科学&技術の国際競争力増強につながるというキャリア・モデルである。
戦略的・強制的な研究テーマ変更はOriginalityの創出には欠かせないが、バイオメデカルの分野においては
国家に必要とされるレベルのエキスパートになるには、その専門分野で最低10年は集中して研究している必要があるのではないか。したがって
頻回の戦略的・強制的な研究テーマ変更は「知の創出」を阻害する。
日本のようにポスドクの後もPIまでさらにいくつものステップがある場合には、そのたびに、戦略的and/or強制的な研究テーマ変更が必要であり、国家に必要とされるレベルのエキスパートが育成できないし、新たな知を創出する環境も整備されない。(「雇用問題」とあわせて「ポスドク問題」をattackするときに「相乗効果」創出を期待する。)
ポスドクは「博士のひとつ後」かつ「PIのひとつ前」でなければ米国のようには機能しない。
「戦略的・強制的な研究テーマ変更」に関連したエントリー:
どのようにして新しい研究プロジェクトを始めるか:[Zoom Plus]
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