[東京から]ボアソナードタワーと中核派/キム・ドヒョン
校門の周辺では、大学側に雇われた警備員が険しい目つきで出入りする学生たちの顔を一人一人チェックしている。大学から退学・無期停学など重懲戒された、「ブラックリスト」に載った学生の校内への出入りを阻止するためだ。校内に入ると、建物のあちこちに監視カメラがあるのが目につく。校内にこのような監視カメラが150個も設置されているそうだ。掲示板のあちこちには懲戒者と懲戒理由などを記載した学校側の警告告知事項が数十枚貼られている。先月24日に立ち寄った、名門私立大の法政大学市ヶ谷キャンパスの殺伐とした風景だ。
この大学のキャンパスの象徴的な建物である超現代式27階建ての「ボアソナードタワー」の華やかな外観に隠された抑圧と排除の空気が濃く漂いはじめたのは、3年前にさかのぼる。2006年3月4日、大学当局が学内に政治的内容を載せた立て看板を撤去する過程で、これに抵抗する学生運動家など29人が警察に逮捕された。このうち、法政大学の学生5人が退学または無期停学など重懲戒された。その後、学生たちの抵抗と反発が発生するごとに警察力の投入、首謀者の逮捕、学校当局による重懲戒が繰り返された。
6月8日現在、110人が警察に逮捕され、30人が起訴された。そして数十人の学生が重懲戒された。大学から無期停学処分を受け、学校への出入りが禁止されたクロキ・カズヤ(23)もそのうちの一人だ。彼は「学校側は2000年以降、より多くの学生を誘致するために警察と手を握り、学生運動家を排除しようとしている」と主張した。学校当局と警察側の強硬対応は、当初法政大で勢力が強かった「中核派」(正式名称は革命的共産主義者同盟全国委員会)を狙ったものだ。しかし、一般学生の反発を呼ぶなど、逆効果をもたらしているとクロキは語った。4月24日の抗議集会の場合、1500人以上の学生と労働者が参加した。大阪・広島などの学生も参加した。抗議声明に署名した弁護士は、1週間もたたないうちに170人に達した。中核派は1984年に東京の自民党本部に火炎瓶を投げるなど、「暴力革命路線」を主唱しつづけてきたが、1990年代以降は非暴力労働運動に重点を置いている。
学校側の立場を聞くために、広報課に電話をしてインタビューを要請した。しかし、「インターネットのホームページに掲示された内容を参照するように」との返事しかなかった。学校側は「
一連の事件の経緯について」という案内文で「信条の表現行為についても無制限に認められるものではなく、他者に迷惑をかけないために守るべき社会一般のルールがあります」と度を過ぎた行為には毅然として対処すると表明した。実際に2006年4月以降、立て看板の設置や政治的宣伝物の配布など、政治的表現行為が学内では事実上禁止されているというのが学生たちの主張だ。日本の主要メディアがどういう訳か法政大の事態についてほとんど報道しないことも、学校当局の強硬対応を煽っているように見える。
私も今年、法政大学生の保護者になるかもしれなかった。息子が入学試験を受けたこの学校の合格通知書を1月末に受け取ったのだ。一応、安堵はしたものの、他の私立大に比べ10~20%ほど高い登録金・授業料のため、内心では心配していた。その後、幸いなことに学費が安い地方の国立大学にも合格し、その大学に通っている。
もし息子があのまま法政大学に入っていたら、どんな反応を見せていただろうか。「ボアソナードタワー」の威容を誇っていただろうか、それとも集会と表現の自由が制限された大学の雰囲気に息を詰まらせていただろうか?
キム・ドヒョン特派員
『ハンギョレ』2009年07月06日