2012-07-19

末期癌、その本当の終末

今まで、何人の友人、知人の早生を見送っただろうか。ふと気づくと、いつも死に怯え、病気にならないよう健康に配慮していろいろな制約を自分に設け、なんとなく、それで健康なんだと思い込んでいるだけじゃないのか。どれほど健康に配慮して生活を摂生して年に一度のドック検診を受けていたって、死を予告するような疾病に苦しむ時は来る。と言いつつも、どこかでそれは自分にではなく、他人ごとにしているような、または、自分のこととして思わないようにしているのかもしれない。

先月の中頃、私は所用で東京の郊外に6日ほど滞在することがあった。その時、血縁ではないが、自分に近しい関係のある人物が突然入院したことを知らされた。

入院する少し前に彼は、職場で倒れ、担ぎ込まれた病院で検査した結果、胃に腫瘍があると告げられたが、組織検査で悪性か否か、はっきりするまで自宅で療養していたらしい。本来ならそのまま検査入院だったのだろうが、何かの経緯で、彼は一時的に退院していた。微熱が続く中、調子の良い日を一日だけ費やして彼の初孫の誕生を祝うのが楽しみだったようだった。そして、初孫の顔を見て早々に入院したと聞いた。おそらく彼の中で、この入院の意味が既に分かっていたのではないだろうか。病気が治癒して退院できるような病気ではないと、そう周囲にも漏らしていたそうだ。

組織検査に出していた彼の胃の腫瘍について医者から話があるというので、まずは奥さんが呼ばれた。胃癌で、余命三ヶ月という宣告を受けたのは、この日が最初であった。この時の説明では、もしも、癌が胃だけであれば、手術すれば二年半の延命は保証できるという話だった。手術すれば「余命二年半」、という言葉だけが頭に強くインプットされたことが後のちょっとした誤解につながり、手術自体が良かったのかどうだったのかを疑問に思わせる原因となったのも確かだった。

「癌」と聞いて気が動転して話半分だったのか、医者から、翌日にでも家族と一緒に話を聞きに来るように促され、翌日、二人の息子と一緒に医者の話を聞き直したそうだ。だが、この時、既に医者は癌の転移を疑って多臓器の検査に取り掛かっていた。その結果いかんでは治療方針も変わるという意味のことを告げられ、家族はさらに不安で気が重くなった。また、本人への告知もためらわず、その日に明かしたということだった。

数日後、癌は、膵臓、脾臓にも転移が認められたと医者から聞いた家族は、今後の治療について早々に決断しなくてはならない状況となった。本人は最初に癌を告げられた日に、癌の家系でもあるし、いろいろ今まで見てきて癌治療の凄まじさに遭遇してきたことから、「あの苦しい思いはしたくない。家に帰ってゆっくりしていたい。」そう話していたそうだ。が、ここで、胃癌の告知を受けた当初のインパクトがそのままあったため、手術すれば2年半の延命は保証してくれるという医者の言葉を思った家族は、皆、当然手術すするものとばかり思っていたそうだ。そして、改めて、手術をするというのは、胃から、ともすると大腸に至るまでのほとんどの臓器を切除するという意味ともなりうると知ったそうだ。直ぐに判断できないのは、人の冷静さを欠いている時というのか、その時点で家族は、彼の病状がそこまで進んでいたとは疑いもしなかったからか、決断を遅らせることにもなったようだ。そして、ここで今後の治療方針が定まらず、何をどうしたら良いのか、皆目検討がつかない状態に陥っていると、傍で見ている私には伝わってきた。

全くの他人事でもないが、私が彼の癌治療に関して口を挟むほどの関係もない。が、現状を聞いて自分なりにどうするのが良いか、考え始めたのはこの時だった。つい、先週のことだ。

従兄弟に医者が二人いることを思い出し、直ぐに相談してみた。この相談というのもおかしなもので、何を相談するというのか、自分でもあまりはっきりしていないこと気づいた。私の持っている情報は、末期癌で多臓器に転移し、手術によって癌細胞を切除しても三ヶ月の延命。その手術自体が無事に終わるかどうかも定かではないこと。その理由に、極度の貧血で健康者の血液量の半分しかない状態であること。これを元に何をどう相談するというのか?延命を図るのであれば手術後の生活はどうなるのか?どのような状態で療養するのか?それを本人が望んだとしたら、家族はどのような生活となるのか?また、当初、本人が望んだように、痛々しい闘病生活は送らずに出来るだけ安らかに死ぬには、どういう療養方法があるのか?

ここまで考えてきてはっとした。末期癌は、治療はできないということがごっそり抜けていた。これは、自分が死ぬことを疑いもしない日常の「当たり前」の感覚からくるものだと思う。「治療」は、末期癌患者にとってはあり得ないことであった。もう治す事はできない。つまり、療養の目標は、どのように幕引きしたいかである。その死という到達点を一番熟した「早生」として結実させ、どのようにその「早生」を迎えるのか、それを一緒に考えることが今を生きることなだとやっとはっきりした。

泌尿器科の医者で、入院患者も受け入れられる規模の開業医である友人にこのことを相談した。流石に察しが早かった。彼から最初に出た言葉は、「僕は、そういう患者さんに最初は家に帰って療養することを勧める。」だった。次に、ホスピスで過ごすことだった。長い経験から裏付けされた言葉として伝えられたその声は、優しかった。体に管を通して栄養補給していても、輸血や輸液を24時間離せない患者でも、在宅看護という方法を希望すれば医者が手配してくれる事や、24時間体制で家族が看病できない部分について、介護士のお世話になることができるなど、いろいろな情報を頂いた。

私が知りたかったことはこういう情報だった。担当医がこれらすべての可能性を提供してくれるものではないこともここで知った。つまり、自分の病気が何という病気でどういう治療ができるのかできないのか、また、できるとしたらどんな方法があるか。できないとしたら、どのように幕引きを迎えるのか。それらを選択するための全ての情報はどこで手に入れられるのか、全て、自分で探さなくてはならないということが分かったのだ。Twitterのやり取りで知ったことだが、一番早い情報網は、患者同士ということだった。なるほど、自分の病気を必死に治すためにありとあらゆる可能性を探し求めるのは、当事者であることは間違いないと思った。

やっと彼にとっていい方法が見つかったと思い、一昨日、連絡してみると、急に手術を承諾したのだと聞いた。彼が当初から拒んでいた方法なのになぜ?どうして?という思いが錯綜したが、そういう疑問を持つだけでも彼を否定することにもなる。落ち着いて、次の話を聞くと、それが今日だと言うのだ。つまり、昨日手術は行われたようだ。手術が無ければ、様態が落ち着いてからお見舞いに行くことを了解してくれてもいたのに。昨日は、もしかしたら長時間の手術に耐えられず、そのまま幕を閉じてしまうのかもしれないという不吉な思いがあった。

今朝方起きてメールが届いていた。昨夜、無事手術室から戻って麻酔も切れ、少し話もできたそうだ。よかった。今後のケアーについても書いてあった。放射線治療にとりかかるそうだ。彼が苦しみたくないと言っていたその治療が始まるそうだ。何と言ったらいいのか、先の言葉が見つからない。

彼は、癌が発覚してからそれを悔やむように「調子が悪いと感じた時に直ぐに病院に行ってればよかった。」と、話したそうだ。頗る健康で、それまで医者にかかったことがない事を自慢げにしていたが、かえってそういうことが仇となったのだろうか。ステージ4の末期癌で治療はできないと知った時の後悔があったせいか、それで今回の手術に踏み切る勇気を得たのだろうか。そうとしか思えない。

胃が全部なくなると知った彼が言い残した言葉は「プリンが食べられなくなる。」だったそうだが、命が残ってさえいたら、病院のベッドで寝たまま、沢山の管につながれて機械に管理されて生きる方がいいとでも思ったのだろうか。いや、私にそんなことを言う権利も資格もない。これは彼の人生であり、彼が選択した唯一の結実であった。

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ついでになるが、以前、「極東ブログ「神様は、いじわる [文春新書](さかもと未明)」の書評について」(参照)で紹介した仙台の医者に診てもらいたいという方からメールをもらった。病名もはっきりしない病で、幾つか病院を渡り歩き、このブログ記事に遭遇したと聞いた。早速仙台の医者に診てもらった結果、病名もはっきりし、治療が始まったそうだ。

Photo_4

また、「大往生したけりゃ医療とかかわるな(中村仁一)」(参照)も、一つの生き方として選択肢の一つに加えてもいいんじゃないかと思う。

著者は、自らも喉の近くに腫瘍を住まわせているが、それが悪性か良性かも調べもせずといのがまず意表をつく。医者として末期癌患者と日々向き合っているその姿勢から、いろいろな生き方を知ることができる著書だと思う。

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コメント

早死にした叔父から「次世代への捨石になれ」との言葉を受けてましたが、それは無理としてもせめて無駄な延命だけは避けたいです。数年前から会社の癌検診から逃げてましたが、「大往生したけりゃ・・・」は心強い味方です、人に勧めるつもりはないですが。「平均寿命が下がれば、年金・医療問題が解決」は自分に向ってだけ言っておきます。

投稿: tekukami | 2012-07-20 06:25

tekukamiさん、末期癌で余命三ヶ月の患者に手術を勧める意味もそれなりにあるとは思っています。医者を育てる意味でと、本人が思えなくても結果的には。 tekukamiさんが癌検診を受けたくない理由は何でしょうか?

投稿: | 2012-07-20 06:31

検診受けなくなったのは、親のいろんな病気を受け継いできて、致命的な病気は戦うより受け入れようと思い始めたことが多分一番の理由かと。関係あるかどうかわからないけど、「命を守ることが一番大切」という教育に対する反発もあるし。

投稿: tekukami | 2012-07-21 07:28

tekukamiさん、何かに反発するのもひとつのきっかけとなると思います。そういう事って解決されずにしつこく気持ちのどこかに残っているもので、何時かきっと、その引き出しから引っ張りだしてきて自分自身の考えを確立させてゆくのでしょうね。この年こいて、未解決のもことばかりです。私。

投稿: godmother | 2012-07-21 09:38

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