時事

2014-05-25

遠隔操作事件が教えてくれたことについて

 遠隔操作事件は、威力業務妨害の公判で仮釈放中の片山祐輔被告が偽装して送った「真犯人」を名乗るメールで足がつき、再逮捕となって中途半端な解決に持ち込まれた。この事件に対する世間の関心は、メディアが視点をおいてきた通り、検察の誤認逮捕による冤罪か、または、ITを巧みに使いこなす犯人片山被告の無罪勝ち取りかなどではなかったと思う。だが、私の関心は、彼が犯したとしたら、検察は彼の罪をどうやって立証するのかだった。彼が無罪とも犯人だとも、判定は、最後までできなかった。これを私が決められるほど確証できる情報もなかったし、仮に彼の犯罪とすると、人格的に彼は、「普通じゃない」と、何か病的なものさえ感じていた。再逮捕された今でもそれを疑ってはいるが、今後の裁判で解明されるべきは、彼のような人格が育った生育の過程や親の関わりじゃないだろうかと思う。そこが解明されないと一人の親として、私自身がこれから先どうやって生きて行けばよいのか、その方向を見失ったままになるからだ。
 事件の経過の詳細を書くべきとは思うが、今ここで書き記しておきたい視点だけに絞って触れてみたいと思う。
 ベテラン弁護士までが彼の嘘を見抜けず、彼の無罪を信じきってのこれまでの弁護が全て崩壊した事を涙しながら語っていた。「悪魔の仮面」を脱いだ片山被告は、本件で反省しているわけではなく、嘘をつかなくても良くなった事に安堵しているだけだとも話している(参照)。長くなるが、弁護士が片山被告の人格について触れている会見内容を引用しておきたい。

そんな片山被告人は、反省の言葉も口しているという。しかし、佐藤弁護士は、「そんなに簡単に反省できるくらいだったらこんな事件をおこさない。反省していないとは言わないが、心からではない。(嘘をつかなくていいという)重石がとれたという理解だ」と述べ、厳しく突き放した。

●犯行は「ゲーム感覚」だった?

また、佐藤弁護士は「自分の理解では」と断ったうえで、片山被告人の内面についての見解を示した。

「ゲームの感覚でできるところが怖い。人間的にそういう人がどんどん生まれているのが、今の時代じゃないかと思う。(片山被告人の)母親に聞いたところ、ゲームにハマって、勉強をまったくしなくなったという。どこかで非情な部分が芽生えて、前の事件まで起こしたわけだ。

(今回は)母親を心配させたくなくて、無実を主張し続けた。しかし、保釈されても、ずっと仮面を被ったままで家の中にいなくちゃいけないという生活空間だった。母親も完全に信じていないので、『大丈夫だよ』と念を押すような言葉を繰り返していたが、耐えられなくなった。一日も早く、母親をラクにさせてやろうと、(真犯人メールの送信を)やったわけだ」

●「悪魔が仮面をかぶっていた」

「私の理解では、悪魔が仮面をかぶっていたわけだが、善なる部分が悪魔のほうをずっと見続けていたことも事実だし、(彼は)自分の悪魔性を説明できる、と。

片山祐輔予備軍という人がいるかもしれないが、そういう人たちの中で半ばヒーローになりかけた。間違ったヒーローが仮面を脱いで、自分自身を見つめなおす。今までは、嘘をつき続ける日々だったが、もう嘘をつく必要はない状況をむかえた。

実刑を科して、刑務所に置けば済むという問題ではない。また、罪を軽くするという問題でもなくて、社会が抱えている悪魔を白日の下にさらしていく。それが私たちの仕事だと、裁判所や検察にも、わかっていただきたい」

(弁護士ドットコム トピックス)

 長い拘束期間を経て保釈金の一千万円を母親が支払い、しばらく保釈の身であった片山祐輔被告は裁判で、無罪を勝ち取る寸前で再逮捕となった。このまま裁判は、彼が有罪判決となるように進むと見られている。これまで起訴されていたことの全てを認める供述をしているため、もはや、無罪を主張することもその可能性もあるとは思えない事態まで解決へと進んでいる。
 この事件への私の関心は当初は、検察が持っている状況証拠からどうやって犯罪を立証するかにあったが、そのことは思ったほど簡単ではなかった。長く勾留された後、保釈になった彼があろうことか、自分の無罪を早急に決着するため、念押しの架空メールにて、「真犯人」の存在を偽装した。検察がこの工作の一部始終を目撃し、ビデオ撮りして新証拠としたため、当初の遠隔操作犯の隠蔽事実として結びつけた。よって、片山被告の有罪は確定的になった。この一連の動きで検察の周到な調査などに完敗はするものの、それにも悪質さを感じた。片山被告の仕掛けたゲーム(「片山被告が記者に“動機”初告白「最初は腕試しのつもり」」(参照)の勝利者となるためには、裏の裏を書き、手段はもはや選ばないという残酷さをも感じた。
 検察はとうとう片山被告の遠隔操作と犯行を結びつけて立証できなかった。情況証拠だけで逮捕しても、結果が良ければいいんだということで済まされてしまうのもなんだか後味の悪さが残る。加えて、片山被告の無罪を信じた弁護人以下、世間の善人は自暴自棄に陥っても良さそうなくらいのショックを受けたのではないかとさえ思う。どうだろうか?私はというと、逮捕後母親の短いコメントが気になっていた。彼を犯人だと確証していたという発言だった。また、逮捕後に片山被告は、母親が事件の早期の収拾を願っていた事に触れた。
 再逮捕の決め手となったメールの意図は、真犯人の存在をより明確に浮き彫りにし、自分自身が犯人の疑いを払拭して保釈されるためのものだった。片山被告は、これで無罪放免になるはずだった。この時、咄嗟に私は、この親子には問題がありそうだと直感した。
 当時、これをメモ程度にこんな風にTweetしていた。

5月21日

会見で「とにかく、早くこの事件が終わることを願っている」と片山被告が眼を上げて語っていたのが印象に残っている。母親が我が子をかばうことなく、犯罪を見抜いていたのが救い。ただ、年齢的に親離れが気になる / “【遠隔操作ウイルス事件…” http://htn.to/Rp2ApFx
posted at 08:59:15

5月23日

片山被告、親離れができていないことが伺える。母の存在そのものの圧力から逃れられないことを観念したからか、犯罪を認めてからはすべての力が抜けてしまった。反抗期を経て脱皮する時期を彼は、逸したんじゃないだろうか。30歳を過ぎてそれに目覚め、何かを達成することが必要だったのかも。
posted at 03:53:22

親の言うことに忠実で、いい子で育ってきたかとも思う。その殻を破らない限り、人は独り立ちできないし、その不満と現実の自分の置かれた環境とのギャップを切り離すためには、何かを達成することが必要だったとしたら、現代の日本が抱える問題とも言える。片山被告にだけ特別に起きた事件でもない。
posted at 03:56:28

片山被告がなぜこのような事件を引き起こしたか、その解明の正確さが今の日本を知るためにも必要と考えた弁護士は精神鑑定を申請したけど、とても筋の通った対処だと思うし、多くの人が彼の嘘に疑いもせず引っかかった点で、日本社会を見直すチャンスとしたい。親としても考え直したい。
posted at 08:01:46

5月24日

社会への不適合が何に由来するのか、M・スコット・ペックは自署の「平気でうそをつく人たち」で反社会性パーソナリティ障害(ソシオパス)とサイコパスの違いを書いている。この線引は難しい。「虚偽の人々」として、嘘の定常性の例が上がっている。この話をわかりやすく解こうとすると上から目線か?
posted at 03:25:08

「被害者意識」を正当化するような意識が強いからと言えるのか、その程度出終わるのはもったいない。企業なら縦社会でその責任が分散され、家族なら、子の責任は父と母にというように。責任が希釈されると傍観者に成り得るか?その目線になろうとするところに嘘も隠蔽も発生しやすい。
posted at 03:43:30

家族を組織と見たことはなかったけど、「平気でうそをつく人たち」に書かれている「組織」は紛れも無く、身近なその辺に転がる日常のこと。大きくは、日本社会そのものである。片山被告の異常性を当てはめるとしたら、ソシオパスとサイコパスの線引が難しいし、それを書いたらどうなるか?疑問は湧く。
posted at 03:49:24

母親のことはよくわからないけど、家族という組織で、親が子どもの責任を薄める役割がある点、正に片山被告がその結果であるけど、縛り付けられている家族の絆がこの嘘をつくる原因なら、そこから自由の身になれば解決しそうなもの。問題は、30歳を過ぎるまでその環境で育った点。これが日本社会の病
posted at 03:58:40

 私の考えも日を追って少しずつ煮詰まって来ていた。「親が子どもの責任を薄める役割がある」は、変な言い回しに聞こえるかもしれないが、率直に言うと、甘やかすということだ。
 「親として」をかなり意識できるようになってみて、30歳を過ぎて、親と同居することに異論があるわけでもないが、この件では、弊害は生み出したと感じた。
 この弊害が社会にとってどのように弊害か、それは、最近数年の凶悪犯罪が物語っていると思う。ここに興味深い記事がある(参照

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 何が「凶悪」かというと、多くの人が犯罪の意外性に驚く点で、意図なき犯罪や、意図として力試しのつもりだったとか。つまり、果たして罪悪感があったのかなかったのか、そのへんから手繰る必要性を感じるほどあっけらかんとした事件があまりに多いわりに、被害者や巻き込まれる人が多い点などは反省にも出てこないなどだ。残虐性というよりも、人の不意を狙った犯罪が多い。疑いもしなかったところに「悪」という位置づけを、何をもって立証したらいいのか、それすら見いだせないような「罪」の存在を「悪」として認めるのは難しいことだとつくづく感じる。
 私の結論はこうだ。
 これらの全ての責任と言っても過言ではないと思うのが、親の責任である。30を過ぎた息子がやらかした犯罪ゆえ、社会的責任を取るのは本人であるし、親の責任などは問われもしない。が、密着型の親子に起きた本件のようなケースでは、これを特有として、その意識は問われるべきことだと思う。少なくとも、親が子の犯した罪の責任は自分にあると、そう自覚できる親ならそう問うべきだと思う。
 親はある日、子どもが大人になってからそろそろ家を出て独り立ちしないさいよと、蹴飛ばして家を追い出すのも必要かもしれないが、子どもがいい年になるまでぬくぬくと家で同居させた挙句、そこまでハードルを高くしてからなにも試すことではない。では、いつそれをどうやったらいいのかが問題になる。
 昨日、ぼんやりとこの命題に向き合って考えていたところ、ふっと思い出した孫の光景にヒントがあると思った。ちょっと見て欲しい。


 どうだろう?
 辿々しい手つきで長い時間をかけて同じことを同じように繰り返しながらボタを穴にかけている。
 ただそれだけのことだが、子どもが幼い時、一事が万事この単調を繰り返すだけなのである。朝起きて夜寝るまでの一日がまず単調で、大人のような複雑な時間帯も何もない。スケジュールは大人が作ればその通りになる。が、子ども自身は、こういった作業から根気、集中力、達成感、喜びなど、多くを学び、これによって成長する。それらが大人になるということだし、親離れするように、するようにと育てているという実態ではないだろうか。
 本人にそれをどこまで任せられるのか、それが親の課題だと、どの親も自覚できているだろうか?その自覚がないがゆえ、30歳を過ぎた片山被告のように、親離れできていない子どもを大人として育ててしまうのではないだろうか。
 この事件は、それを教えてくれた。

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2014-04-29

保育所が完備されれば少子化は改善するのか?

 タイトルのこの問題、子どもの預け先が充実していれば少子化問題は徐々に解消していくものだと、これまでものすごく当たり前に思ってきた。それでも本当はどうなのか、一度じっくり考えて見たくなったのは、先日のエントリー「私が魔女だった件」(参照)でも少しふれた、離婚率や結婚率にも少なからず関係があるのではないかと思えるからだ。
 補足的な意味でも、少し掘り下げてみたい。
 いきなりだが、厚生労働省から、平成25年4月1日年時点での保育所の定員や待機児童の状況が公表されたので(参照)、現状把握のために数字をみてみた。

 

○保育所定員は 229 万人
増加数:平成 24 年4月→平成 25 年4月:4万9千人
(平成6年の保育所入所待機児童数調査以降、過去最高の増加数)
【参考】平成20年4月→平成21年4月→平成22年4月→平成23年4月→平成24年4月→平成25年4月
    (1.1万人増) (2.6万人増) (4.6万人増) (3.6万人増) (4.9万人増)

○保育所を利用する児童の数は42,779 人増加
・保育所利用児童数は2,219,581人で、 前年から42,779人の増
【参考】平成20年4月→平成21年4月→平成22年4月→平成23年4月→平成24年4月→平成25年4月
    (1.9万人増) (3.9万人増) (4.3万人増) (5.4万人増) (4.3万人増)

・年齢区分別では、3歳未満が29,148人の増、3歳以上は13,631人の増となっている。

 リンク先にグラフが分かりやすいかもしれない。

Photo

 見た通り、保育所は確実に増えている。5年間で約17万人も増えている。そして、待機児童数は22471人で前年度比では2千人減少している。しかも、3年連続減少となっている。不思議なことに、入所者数が定員数を下回って余裕があるというのに、待機状態が発生するのはなぜだろう?娘の住む副都心の様子を見て気づく点がいくつかあった。
 まず、高層マンションや高層の都営住宅が駅付近に密集している割に、駅から2kmも離れると先住民の暮らす庭付きの大きなお屋敷が建ち並び、畑や果樹園が広がる地域になる。その落差から思うに、公営の保育園の立地条件と、人口あたりの保育園数の定数から、需要が偏在しているのではないだろうか。因みに私の住む長野県の諏訪の状況だと、保育園は定員を割っているため、統合したり閉鎖されている。その割に保育士不足などと聞く。
 首都圏に人口が集中しているのは言うまでもなく、地方では働き先が年々減ってきているため、若い世代がかなり減少傾向にある。
 首都圏の大規模な住宅群に子育て層が増えると、所定保育所では間に合わなくなり、その設置が急がれるが、実際の増設までにはにはタイムラグも生じる。しかも、出生数が単純に保育希望者に移行するかどうかも不確実で、保育希望者数の読みも難しい。
 また、娘の話から、待機児童問題解消への市の取り組みも顕著で、普通の会話で子どもを保育園に預けてみようかなどの話がポンと飛び出してくるほど、いざとなればいつでも預けられるという安心感はありそうだ。私の子育て時代は、保育園に預けるためにいろいろと算段をしたものだったが。
 要は保育所を増設すると需要も増えてしまうというか、これが、少子化解消の数字に現れてくるのかもしれない。また、保育所増設で問題となるのは、利用者が増えれば自治体の財政負担が重くなる点だ。
 保育料は保護者の所得で振り分けられていて、自己負担分は年間で30~50万円の中でランク付けされている。夫が働き、妻が子どもを保育園に預けて働きに出たとすると、仮に時給1000円で日に6時間、月20日間とすると年間で150万円を切る。税引き後の手取りから保育料を支払ったとしても家計にプラスにはなる。働いて保育園に子どもを預けるメリットの方が大きいので、私の子育て時代はパートが多く、それなりに楽に子育てが両立出来た。夫婦正社員の共働きが限定の保育所入所の規制が緩和されれば、30年ほど前のように、希望者が続出するのは当然とも言える。
 これを流通市場に置き換えてみると、需要やサービスの増大に比べて供給量が少ない時、価格は高騰する。これが保育園だと、需要に比べて供給が少ない場合でも、保育料は「公定価格」であるがために変動せず、延々と単一であり続ける。そのため、物不足が延々と続くことになる。これが常態化した理由はよくわからない。誰も疑問視しないのはどうしてだろうか?民主主義の国で社会主義国のような政策が国民に浸透しているのは確かだと思う。なんか不思議な国、日本。
 仮に保育料の価格統制を市民に委ねて自己負担にするとしたらいくら位になるだろうか。利用者が実際に支払っている保育料は平均で30~50万円としでも、公営保育所では、一人当たり年間150万円程度のコストと言われている。これが自己負担の全額とすると、保育料は月額8~10万円となる。さっきのパート計算にもどると、子どもを預けて働きに出ようというメリットはなくなるため、需要が減る。つまり、預ける希望者が減るので待機児童も減ることになる。やったー、これだ!と思いきや、考えてみると親の心理としては、だったら子どもは多くは育てられないや、ということになりそう。少子化にかなり貢献してしまいそうな危険な思考だったな。
 しかしながら、このまま「公定価格」を維持すれば、経常赤字は増える。その穴埋めの補助金がいつまで持ちこたえられるのか?結局、国と地方自治体の財政再建の話になってしまう。
 大都市の半数が単身世帯で、高齢者の単身世帯も増えている。それどころか、高齢者の比率は、日本人の4人に一人の割合になっている。子育て世帯を支援するにも、例えば、有権者の圧倒多数が高齢者のため、少子化問題や保育の公費支援にどれほどの理解が得られるかは疑問だ。医療費や介護費が圧倒的に多くかかり、そのために自民党を選んでいると、そういう支持者に応えるというのもわからなくはない。
 民主的に物事を進めようとしたり、進めてきた結果で問題を発見し、それを民主的にどう解決していくか、解決法はあるのか?
 とても難しい問題なのだと心した。

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2013-06-13

米検閲システム「プリズム」の暴露問題-落とし所が見つからない問題

 「アメリカ政府が米情報機関の国家安全保障局(NSA)を使ってネット上の個人情報にアクセスしている」ー先週、このような趣旨で、英ガーディアン紙と米ワシントン・ポスト紙が報じた時は、同社らのスクープかと思った。その時点で、米政府はとんでもない事をやっているものだと呆れた。その後、これは一人の青年の暴露情報だと知り、別の意味で驚いた。ここですでに私の思考には矛盾した二つの事柄が舞い込み、どのようにこの事態を受け止めたらいいのやら、考えこんでしまった。だが、すぐに結論めいたことが見いだせることではないし、事態を追って、米政府や暴露した本人のコメントなどから、少しずつ整理したいと思っていた。その矢先にタイミングよく、「落とし所がない」という現時点での結論(参照)に遭遇し、整理するのも無駄だなと、あっさり自分が観念してしまうのがわかった。ただ、心には引っ掛かりが残ってしまい、結局この件で私の居場所はどこなのか、それが見つからない事が不安につながった気もしている。少し、このことを整理しておきたい。
 Newsweekが「米検閲システム「プリズム」を暴露した男」(参照)というタイトルを付けて報じた中で、この人物像と暴露の目的などが書かれている。私自身の問題として引きつけて考えたい部分だけ引用しておきたい。

 両紙に情報をリークした人物が、自ら名乗り出たのだ。その人物とはエドワード・スノーデン(29)。コンサルティング会社の契約社員としてNSAのハワイ支部に4年間勤務したセキュリティー担当者で、CIA(米中央情報局)で働いていたこともある。

 スノーデンはガーディアン紙の取材に対し、情報をリークしたのはNSAによる個人情報の極秘調査が「民主主義への脅威」だと確信しているからだと発言。リークする前にNSA内部で「職権乱用」に異議を唱えたが、無視されたという。

 スノーデンによれば、NSAは「あらゆる人々の通信をターゲットにして」おり、彼自身にもすべてのアメリカ人の通信を盗み見るけ権利があったという。「私は席に座っているだけで、あらゆる人の情報を盗み見ることができた。あなたでも、あなたの会計士でも、連邦判事でも。そして、大統領であっても」

 太線部分が彼が暴露した理由に当たる部分で、米政府機関が間違いを犯していると彼が主張する部分だ。これらを隠蔽するのは彼の「良心がとがめた」から暴露したと話している。
 では彼は正しいことをしたのか?
 いや、していないよ。間違いだよそれは。と私は思っている。理由は、国家の機密事項を暴露するというのは、反逆行為で、国家を陥れる犯罪だと思うからだ。ところが、他紙を見ると、彼はヒーロー扱いにもなっている。
 では、米政府が市民を監視下に置いているという点はどうだろうか。スノーデン氏が良心が咎めると感じているような悪戯な行為はしていないだろうか?正しいことをしているだろうか?ふと、フィナンシャル・タイムズ紙でこの件について、Gideon Rachman氏のコラムを目にした(参照)。彼のスタンスは、国家が国民一人一人の個人情報を監視した所で、それを悪意の道具にするはずはないので、気にならないらしい。

個人情報をのぞき見した政府が無辜の市民を罠にかけたり恐喝したりしたという重大なニュースが報じられたという記憶もない。

 もちろん、そうした事件は起こり得る。そして、もし起こり始めたら、その時は筆者もほかの多数の人たちと同様に、すぐに警戒態勢を取るだろう。今でも時折警告されているように、そのころには「もう手遅れだ」(何がどう「手遅れ」なのかは別として)。しかしそれに先んじて大慌てするにしても限度がある。

 こういうことは誰もが普通に思っていることではないかと思う。現にアメリカ市民へのアンケートでは、NSAのしていることは米政府のテロ対策のためであり、それで身が守られるのであれば賛成という人が過半数以上を占めているようだ。が、これは少し問題をすり替えてしまっている気がする。
 個人が気になるかならないかの問題ではなく、民主主義の破綻という観点では、国民の基本的な人権は守られなければならない。つまり、スノーデンの主張している通り、民主主義崩壊の危機感を私は思っていた。政府自らこれを、テロ防止という理由を盾に破綻させてしまっても良いとは思えない。
 これと少し関連して、安倍晋三さんがひところ口舌していた改憲案にも「個人の権利」という表現部分が「国家」に置き換わっていた点で、ひどく落胆した私だった。昭和憲法が明治に逆戻りかよ!と、世の中にどんどん付いて行かれなくなるのを自覚した。これも、今は「まさか、ひとっ飛びに改憲などしない」と、高を括っている。が、この先どうなるか不安になった理由は、オバマ氏が日本よりも先に、この暴露問題で、「議会の承認も得ているし、違法ではない」と、演説してしまったからだ。もうだから国家主義に変わっていくのを覚悟しろと言われた気もした。そうなると、個人の権利(基本的人権)は認められず、国家権力に従って生きていくしかないのだ。つまり、スノーデンの暴露は、反逆行為として死刑に値することになる。
 民主主義を表看板に掛け、内情は国家主義で、国民を国家が所有している。こんな馬鹿な事があってはたまらない。これは間違いだ。と何度も思った。
 さて、その落とし所はどこだろう?国家主義では国家が最高権力者として居座る以上、これThe endじゃないか?では、私の個人の感情として、米政府や安倍政府への反感はどこで吸収され、落ち着くのだろうか。俗にいう国家の抑圧には市民は負けるということだ。ドイツナチスの権力に抑圧され、民族浄化を受けたというあの歴史に、人は学んだのではいなかった?などなど。色々な思いが出てきて、流石にいたたまれなくなった。
 気安めでも言い訳でもないところに落ち着ける場所はないものか?昨日はその自分探しとでも言うか、自分の心は一体どこに収めたらいいのかacimからも探した。
 そして、こんな言葉を拾った。

Acimを通して決定的に学んだことの一つは、罰することは間違いだということだ。裁くことは間違いだと言ってもよいかもしれない。
 罰することに潜む間違いということもうっすらと気がついた。人は「罪」を誇ることができてしまう。それこそが間違いなのだ。神をもって罰する、裁くことが間違いなのだと。
 Acimのイエスはヘレンとの対応のなかで、ヘレンが間違っていくとき、それを罰せず、根気強く、訂正するとした。あなたが間違うなら、私は訂正しよう、と。

 訂正するという言葉しか見つからないのだが、これが言い訳でもなく、自分にもすっと落ちてくる言葉かもしれないと感じている。

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2013-04-03

フィナンシャルタイムズによる日本経済の道標を市民感覚で咀嚼してみた

 昨日、極東ブログ「フィナンシャルタイムズによる黒田日銀総裁評価とアベノミクスの道標」(参照)で引用されていた3月29日付けファイナンシャル・タイムズ社説の本文が気になり、該当記事を読んでみた。経済動向を掴んでいると訳なく読み取れる内容で、難しいことや目新しいことを言っているでもないという印象を受けた。が、よくよく読んでみて、文章が整理されているからか、違和感なく理解できたと思ったその内容が語りかけていることは、何かの覚悟を持てと言っているように感じた。また、第二次安倍政権が誕生した際、「この政権が麻生クーデターだったこと」と、「この政権の最大の敵は自民党内部」だと見破られていた事も思い出された(参照)。いずれにせよ、安倍政権ができること全てをやり尽くして努力した結果、「果報は寝て待て」ならいいのだが、その安倍政権をどこまで信じるか?政府と国民の信頼関係を問うという記事を再読して、くらくら目眩を覚えるようだった。
 私なりにこの記事を実生活に照らして、少し咀嚼してみたことを備忘的に書いておこうと思った次第だ。
 まず、アベノミクス三本の矢を思い出して見る。1)、大胆な金融政策。2)、機動的な財政政策。3)、民間投資を喚起する成長戦略である。
 1)は、安倍政権が立ち上がった途端にその効果が出て円安・株高になった。このままを維持し続ければ、二年でインフレ目標率の2%は達成できると、新日銀総裁と副総裁は断言している。
 2)は、国の借金をどうするかが課題だ。国債を増やしてこれまで何とかしのいできたが、今後はこの借金を増やさないで返済をしないとならない。1)で景気がよくなれば消費が増える。そこで消費税増税となれば、国の財源が増える。これを国債の返済に当て、復興や年金、健康保険などの財源となっていく。
 3)は、言葉の通りで、長引くデフレで緊縮財政の民間企業や個人の投資が期待されている。これも、1)で景気が上向けば自ずと上昇するというのが基本的な認識だと思う。
 さて、アベノミクスがこの通りに進めば問題はない。今のところは順調だとも言えるが、先のFT紙では「困難を伴う」と評価している。
 どんな困難だろうか?
 アベノミクスの三点について、概ね国民が支持し、現在のところ安倍政権の支持率は60%を上回っている通り、少しずつ経済政策への信頼度も期待も膨らんできたのではないかと思う。このまま行けば、本当に日本はデフレから脱却し、少しずつ経済成長しながら皆が働いて健やかに暮らせるのではないかという将来への希望も出てくると思う。これらの国民の気持ちを裏切らないために安倍政権はどうやったら乗り越えられるかをFT紙は次のように4点上げている。

  1. これから物価が少しずつ上がるんだという気風の醸成のために、財政赤字の解消と外国為替の購入。同時進行で、2%インフレ率を超過してインフレを押し上げた場合、日銀はその対応を国民に明示する。

    First, the BoJ must act credibly, to shift inflation expectations. Its most potent weapons will be monetisation of fiscal deficits and purchases of foreign exchange. At the same time, the central bank must indicate how it will respond if inflation shows signs of overshooting its 2 per cent target.
  2. 国債の償還期間の延長。長期的な債務によってインフレーションを助長する。

    Second, the maturity of debt has to be extended. The longer-term the debt, the easier it will be for mild inflation to erode it.
  3. デフレ終了後、政府の財政再建と民間企業の構造的な財政黒字の解消。

    Third, the government needs a credible plan for fiscal consolidation, once deflation ends. This plan must not only focus on government revenue and spending. It must also eliminate the counterpart structural financial surpluses in the private sector.
  4. 成長戦略のための構造改革。

    Finally, the government must embark on structural reforms aimed at raising the trend rate of growth. That the present path is unsustainable justifies taking such risks. But the new policies might bring earlier disaster. Only close co-operation between the central bank and the government can deliver a good chance of success.

 一見して、これら4点は政府の課題だが、1と2は正に今私達市民感覚と政府の一体感あっての政策である。ここに国民が一抹の不安を持つようなら、極論、アベノミクスは失敗に終わるという意味を持つ。ここは正直に向き合いたい部分である。
 まず、1について日銀は、外貨を購入するために金融緩和を行うことで円安が進む条件を整え、政府は、財政赤字の健全化に向けて法整備や規制緩和を行なって個人や企業の生産性を高める。また、増税をして税収を上げる。
 では、私たちの実生活上の気風はどうだろうか?個人の偏った見方で国民生活全般を言えるわけでもないので、個人的な印象では、インフレ政策によって生活の必需品が値上がりすると聞いても、家計が細り続けてきた結果、早々には買いに走らない。むしろ、財布の紐が緩まないように緊張している状態。この状態がいつ緩和されて消費がいつ活発になるかは未定。また、株価は多少上がっても、これまで損した分の一部を取り返したくらいの感覚かもしれない。現在の株価上昇は、外国人の投資家による売買が殆どで、日本人投資家が動いているようでもない。こういった気風の中での増税(見極めはこの夏、実施は来春から)はがっかり感だけを漂わすのではないだろうか。
 では、この政府は、増税を見合わせることができるだろうか?
 民主党政権時、三党合意で採択した消費増税である。しかも、民主党野田元首相が突然言い出した背景に、官僚の言いなり、操り人形などと揶揄されていた通りだとし、自民党はかつての右派政権である。官僚とともに国を支えてきたかつての自民党が野田増税案に反対するわけがない。
 以上の背景と理由によって、インフレに向かう準備の整わない市民の心情とは裏腹に増税にひた走る自公政権であれば、国民のための政治をやっているというのは嘘で、官僚と閣僚がお互いの都合の良いようにしか政治は存在しないのだという証明となる。ここで国民との信頼関係は破綻することになる。
 日銀の外国為替購入に関しては、逆風が海外からも吹き荒れている通り、中央銀行が外国債に直接介入するのを禁じているため、日本円が多く海外に流出することで関係国の為替相場が激変するというのである。
 少し散漫になったが、以上は、1について政府が国民との信頼関係を保とうとすると、多方面から反対的な風が吹いてくるという実例である。
 2について、十分な情報はないので少し触れておくと、国債と言っても色々ある。ここで国民との信頼関係で問題となりそうな点は、償還期間について政府内で意見統一されていない点ではないだろうか。一つには、長期償還となれば長きに渡って借金返済を国民負担させることになり、後の世代へのツケを残さないという主張がある。これをまともに国民が受ければ、国民信頼を裏切る結果ともなる。かと言って、増税によって債務を短期に償還できるとも思えないため、FT紙の指摘の通り、長期償還しか方法は無さそうだ。
 3と4について、これはもうデフレ脱却後の話。なので、その時が来ることを待ちたい。

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2013-01-31

マリへの軍事介入が隣国ニジェールへ拡大される背景

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 アルジェリアの惨劇が終わって、日本では犠牲となって亡くなった日揮の関係者全員が帰国され、区切りがついたかに思う。本当に痛ましい嫌な事件だったが、その主因とも言える背景について触れておきたい。
 結論から言うと、アフガニスタンにアメリカが介入したのと同じような背景と言える。アルジェリアのガスプラント人質事件は、イスラム過激派のチンピラのような数名が主謀したと言われているが、彼らがリビアのカダフィーが所蔵していた武器や弾薬を奪ってマリ北部に潜んでいた背景は前回、ここでも触れた(参照)。当時からマリのこの地域が不安定化していたため、フランスはマリの旧宗主国でもあることからいち早く軍事介入を申し出た。国連もこれに賛成し、マリ政府もこれを歓迎した。フランス軍の介入によって治安が維持されるとあれば願ったり適ったりだったと思う。そして、アルジェリア惨劇の終結によってマリへの軍事介入も一段落し、いずれ撤収すると思っていた。が、現実にはその守備範囲を隣国のニジェールに拡大するような動きになってきている。その第一報は、ニューヨーク・タイムズ紙を引用したアルジャジーラ紙が短く配信していた(参照)。

The US military plans to set up a base for drones in northwest Africa to bolster surveillance of al-Qaeda's affiliate in the region as well as allied Islamist extremists, a US official told AFP news agency on Monday.

The base for the robotic, unmanned aircraft would likely be located in Niger, on the eastern border of Mali, where French forces are currently waging a campaign against al-Qaeda in the Islamic Maghreb (AQIM), said the official, who spoke on condition of anonymity.

The base was first reported by the New York Times newspaper earlier Monday.

The airfield would allow for better intelligence gathering by unarmed drones on the movement of AQIM and other militants, which Washington considers a growing threat, the official said.

 アメリカのドローン(=無人探索機またの名を無人殺人機)のベース基地(飛行場)の設置は、アフリカ地域を脅威に晒しているアルカイダや他の武装勢力の動きについて情報収集するためだという名目である。「名目」とあえてここで表現するのは、アフガニスタンの治安を目的にアメリカが駐留している頃、パキスタン国境付近で無差別に住民たちがこのドローンによって殺害された経緯からだ。もちろん、パキスタンを通り道に使わせてもらっているアメリカが故意にパキスタン人を狙ったわけではないだろう。が、何度となくドローンの犠牲になった。
 ここでアメリカのこの計画を奇異に感じた。マリのフランス軍事介入に支援すると表明しながら実際には関わらなかったアメリカが、何故のこの件で今頃?しかもなぜ、隣国のニジェールなのか?それが透けて見えてきたのは、フランス軍がニジェールに守備を拡大するという情報と結びついた時だった。

France has every reason to fear that its intervention in Mali, which has already seen the bombing of civilian populations and the torture and execution of civilians by the French-backed Malian army in predominantly Tuareg areas, could cause armed conflict to spill over the border into Niger.

 フランスに支援されているマリ軍は、一般市民への爆撃や主にトゥアレグ族の居住地域で起こっている市民に対する拷問や殺戮という事態を惹き起こしている。フランスのマリでの軍事介入によって武装闘争がニジェールへ飛び火するのではないかとフランスが恐れる理由である。

However, in addition to securing its profitable facilities from “terrorism” or popular revolt, France has other reasons to flex its military muscle in Niger. In an attempt to increase its share of the uranium profits, the Nigerien government has recently issued exploration permits to Chinese and Indian firms. By dispatching armed commandos, Paris is asserting its domination of the former colony as part of its African sphere of influence.

 しかしながら、利益をもたらす施設を「テロリズム」や反乱から守る目的に加えて、フランスは軍事力をニジェールに拡大する別の理由がある。ニジェール政府はウランからの利益を増大させるために最近、中国とインドの企業に調査を許可した。フランスはニジェールに武装した特別攻撃隊を送ることによって、アフリカを勢力範囲の一部として旧植民地としての支配を主張している。

As France stepped up its African intervention, Secretary of State Hillary Clinton used testimony before a Senate committee Wednesday to affirm Washington’s determination to escalate its own intervention in the region.

フランスがアフリカ介入を強化させたため、アメリカのヒラリー・クリントン国務長官はワシントンの上院委員会の公聴会で水曜日、この地域に対するアメリカの介入を拡大させる決定を示した。

“We are in a struggle, but it is a necessary struggle,” said Clinton. “We cannot permit northern Mali to become a safe haven.”

 クリントンは、「我々は紛争の中にいる。これは必要な紛争である。」「我々はマリ北部を安全な避難所にするわけにはいかない」と語った。

Clinton acknowledged that the rebellion in Mali as well as the hostage siege at the gas plant in Algeria had been fueled in large measure by the US-NATO toppling of the Gaddafi regime in Libya, where Washington and its allies armed and supported Islamist militias as a proxy ground force in the war for regime change.

 クリントンは、マリでの反逆やアルジェリアのガス・プラントでの人質事件は、米国・NATOによるリビヤのカダフィ政権の転覆で煽られた結果だと認めている。リビヤでは、米国とその同盟国はイスラム主義者を武装させ、彼らを代理者としてカダフィ政権転覆の軍事力にして支援した。

“There is no doubt that the Algerian terrorists had weapons from Libya,” she said. “There is no doubt that the Malian remnants of AQIM [Al Qaeda of the Islamic Maghreb] have weapons from Libya.”

 「アルジェリアのテロリストがリビヤから武器を持ち出したことに何の疑いも無い」「マリのAQIMの分派がリビヤから武器を入手したことに何の疑いも無い」と語った。

She argued that, while there was no evidence that any of these forces in North Africa posed a direct threat to the US, Washington should launch a preemptive campaign against them anyway. “You can’t say because they haven’t done something they’re not going to do it,” she said.

彼女は、北アフリカのイスラム武装勢力がアメリカへの直接的な脅威になるという証拠は無いが、アメリカは彼らに対する先制的に作戦を開始すべきであると主張した。「彼らが脅威にならないと示してはいないのだから、その補償はない」と話した。

 ヒラリー・クリントン氏はたてまえでは「リビアからの武器」と言うが、結局、マリ北部の反抗勢力を育てた張本人であるし、アルカイダを増強して育成したことになる。この背景はこちらが詳しく考察している。参考までに(参照)。
 文脈を戻すと、「備えあれば憂いなし」ではあるし、ウランをイスラム過激派の手には渡さいという決死の構えを見せる必要はあるとしても、ニジェールにドローン基地計画を進める目的は、中国とインドへの牽制も働いていると見るほうが正常な気がする。
 中国とインドは核を盾に、常にお互いを牽制し合っている危ない関係で、北アフリカに両社が入り込むのはかなり厄介であるし、事前に抑止を働かしておくのも一つの備えであると思う。
 そして、この関係で昨日情報を見聞していたところ、日本の関わりも出てきた。これが正にアフガニスタンに協力した小泉政権当時の対応と同じである(参照)。

外務省は29日、アルジェリア人質事件を受けて隣国のマリや周辺国の治安維持と人道支援を強化するため1.2億ドル(約110億円)を拠出すると発表した。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)など国際機関を通じて関係国に提供する。マリから避難した難民支援やガーナにある国連平和維持活動(PKO)訓練センターでの人材育成に役立てる。

 松山政司外務副大臣が同日にエチオピアで開いたマリ支援会合に出席し、日本政府の方針を説明した。マリではイスラム武装勢力と政府軍の対立が激化。フランスが軍事介入に踏み切り、治安が悪化している。

 ここまで書いて新情報はないかと検索してみると、ファイナンシャル・タイムズも今回の介入について記事を書いている。訳文が日経に出ているではないか!(参照
 日経は記事がすぐに削除されてしまうので、全文を引用させてもらうことにした。参考として記録までに。

[FT]仏軍のマリ介入に強力な国際支援を(社説)
(2013年1月30日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

 西アフリカのマリで起きている出来事は、気がめいるほど見慣れた光景だ。危機に陥った国に最新装備を誇る欧米軍がすばやく介入し、イスラム過激派の掃討作戦を助ける。いくつかの都市を制圧し、武装勢力が退散したところで、政治家が勝利後の話し合いを始める。ところが戦いがいつまでも終わらないリスクに直面する。

■アフガニスタンの二の舞いにしないために

トンブクトゥの空港を警備するフランス軍の兵士(1月28日)=ロイター
 フランスのオランド大統領は「この戦いに勝利しつつある」と力を込めた。仏軍とマリ政府軍が今週、イスラム武装勢力の支配下にあった北部の主要3都市のうち、トンブクトゥとガオを奪回したからだ。しかし、反政府勢力を封じ込める戦いは始まったばかりだ。

 武装勢力は敗北を喫する前に、山中に撤退したにすぎない。都市奪回という比較的明快な作戦に比べ、イスラム兵士を探し出すのははるかに困難な任務だ。加えて、かねてこの地域ではジハード(聖戦)の拠点が着々と築かれており、周辺国に戦火が広がるリスクもある。一方、マリ政府軍はほとんど軍事訓練を受けておらず、奪回した都市を守り、平和を維持することすら容易ではなかろう。

 アフガニスタンの二の舞いにもなりかねない。だからこそ国際社会が迅速に行動し、仏軍の介入をしっかり支えることが非常に重要だ。勇気づけられる兆候も見られる。米国は過激派の拠点を探索する目的でニジェールに無人偵察機を派遣。英国は29日、マリや他のアフリカ諸国の軍事訓練を行う部隊を派遣すると表明した。目の前の戦闘とは無関係だが、地域連合軍のマリ派兵を実現させるために役立つだろう。

 さらなる資金援助も必要だ。国際社会は経済・軍事支援として4億5000万ドルの拠出を約束している。しかし軍事作戦のコストは10億ドルに達する見通しだ。マリ政府は資金をまかなえず、フランス単独で西アフリカ全体を脅かす紛争の負担は引き受けられない。

■アフリカ諸国も責任を負うべき

 アフリカ諸国もより大きな責任を負うべきだ。周辺各国軍の派遣は遅れていたが、チャド、ナイジェリア、ニジェール各軍がようやく現地入りした。他の諸国も即座に参加できるような体制が必要だ。またマリ軍事政権も、自治権問題で対立している遊牧民のトゥアレグ人との話し合いに応じ、協力を求めることが必要だ。彼らはイスラム過激派を拠点から追い出す方法にたけているだろう。

 フランスはマリ政府の支援要請に応え、勇気ある一歩を踏み出した。この介入は、サハラ砂漠のイスラム過激派がもたらす脅威を食い止める有効な手段となり得るが、実現のためには喫緊の国際社会からの支援が必要とされる。

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2013-01-26

NATO軍によるカダフィ殺害と駐リビア大使館員殺害からアルジェリアの惨劇について雑感

 帝国主義が横行した19世紀、アジアやアラブ諸国に対して権力行使による従属化、当時を言い当てる言葉としては「奴隷化」できると今でもそれが言えるのかもしれないと危惧を抱いたのは、米英仏政府が支持している中東での民主化の動きであった。
 2010年から2011年にかけてチェ二ジアから始まった生活苦の市民の不満の爆発は、エジプトやイエメンにも影響し、親米保守政権が崩壊の道を辿った。また、保守的なバーレーンなど湾岸諸国にも飛び火し、市民が民主化を求めるるデモを繰り広げたが、サウジアラビア軍の導入によって鎮圧された。ざっと見渡すと、中東に残ったのは、親欧米(親イスラエル)路線の政権が後退したことによる色々な変化だ。
 この動きは、反欧米反イスラエル色が濃かったリビアのカダフィ政権にとっては追い風となった。親米のエジプトのムバラク元大統領が追放され、カダフィにとってのそれまでの重石が外れたため、世界に口出しする可能性が高くなったのは確かだった。という点から連想されるのは、欧米諸国がカダフィが邪魔だった理由だ。彼が「アラブの春」を主導すれば中東世界は左派に傾き、反米反イスラエルに傾倒する。この動きに敏感に反応したフランス、サルコジ元大統領であった。彼は、NATOの空爆だけでは屈服しないカダフィを、アルカイダ系のイスラム過激派武装勢力(テロリスト)の協力で倒すことが出来た。国際社会で報じられたカダフィ殺害経緯はテロリストによるもので捏造ではなかったが、自分の手を汚さなかったというだけだった。サルコジは、NATO軍や王政の湾岸諸国を上手に使い、また、リビア東部ベンガジの反政府暴動を口実にカダフィを卑怯なやり口で殺害してしまった。カダフィ氏の殺害は、国際社会自体が無法そのものであることを物語った(参照)。こうして地獄の扉は開けられた。

 2011年10月20日のカダフィ殺害
 2012年 9月11日のリビア東部のベンガジでのアメリカ大使らアメリカ人4人殺害
 2013年 1月11日マリ北部のアルカイダ系武装勢力の制圧のためフランス軍介入
 2013年 1月15日アルジェリアのガス田プラントで人質事件発覚

 改めて、国際社会が言う「民主化」とは何なのか?美しく平和なイメージとは違った世界が中東に見えるのは、これは社会が改革するための歴史の一部と言えるだろうか?帝国主義の日本がアメリカの民主化を受けれてここまでの日本になったのと同じように、なぜ、アラブ諸国はそうならないのか?フセイン崩壊後のイラクのように、民主化を受け入れられる器が違えばとんでもない大混乱を巻き起こすというあの大きな勘違いを再び犯したのではないだろうか。
 民主的な国家から見れば非民主的な国家は独裁政権であるが、その重石によっておおよそ解決不能な民族や宗教対立を上手く防いできたのではないだろうか。
 リビアについて言えば、国内に潜むイスラム原理主義勢力をカダフィの世俗主義による独裁で抑圧することで、欧米社会は安全を保証されていたようなものではなかったのか?にも関わらず、都合が悪くなると独裁は悪だというキレイ事を吹き込み、邪魔なカダフィを殺害する路線を敷いたのだと思う。
 1990年代の犠牲者150万人とも言われるイスラムテロが多発した際、日本人被害者は出ていない。ましてや、イスラムと欧米キリスト教との争いというならば、日本は部外者である。ところが、今回のアルジェリアガスプラントの人質事件では、日本人は例外扱いされなかった。欧米諸国と比べても、死亡総数では最多であった。私は、これが腑に落ちていない。一部の報道によると、日本人がまっさきにテロリストの標的にされた可能性すらあったというのだ。
 これは小泉純政権時のイラク戦争への事実上の参戦が理由だろうか?間接的には、湾岸戦争への冥加金や自衛隊の給油活動を通して、米国への追随外交はあった。
 これからという時に、フランスとアメリカの雲行きがおかしくなってきているのを昨日知った。WSJが伝えている(参照)。

 世界の大国は数カ月もの間、アフリカからもたらされるテロの脅威に対抗する手段を苦心して考え出してきた。この脅威に対する懸念はアルジェリアで最近、37人の外国人人質が犠牲になった事件でさらに強まった。しかし、西側諸国の安全保障を担う組織には緊張が生まれている。戦争疲れを起こしている米国は介入に二の足を踏んでいるほか、その他の国、とりわけ重い債務に苦しむ欧州各国はそうすることができない。

 米国とフランスの間の緊張は、大西洋をはさんだ両サイドのつながりがますます失われていく劇的な一例だ。かたや米国は、欧州同盟国が防衛費の負担を望まない姿勢に不満を感じており、弾薬の補給や無人偵察機、給油機の手当てが適切でなかったため、欧州により支援を求められた2011年のリビアを例に挙げた。かたや欧州の同盟国の一部は、アフガニスタンやパキスタンなどでの米国の政策は、自国の利益と優先事項が幅を利かせていると不満を表している。

 かつての戦友は、利害が一致しなくなったのか、醜い仲違いを始めている。
私は色々な点で失望してしまった。この年になって欧米諸国のやり方が透けて見えてきても力及ばずである。

追記:アメリカの関わりについて
 

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 昨日ピックアップしたHuffingtonpostのニュースメールの記事はどうやら、アメリカについても書くようにという啓示であったのか、オバマ大統領の額に大きなハエがたかっている画像がそれだ。何やら香りを放っているからだろうか?
 今回のアルジェリア襲撃事件の背景の一つである、在リビア・ベンガジ米領事館襲撃は、イスラムの怒りがアメリカに対して顕著であったことを物語っている。オバマ氏の額のハエは、その使者かもしれない。
 この事件は、正にオバマ氏の失政によるものだった。だが、当初は、イスラム教の預言者ムハンマドを冒とくしたとされる映画がインターネットに配信されたことがきっかけで、各地で抗議行動が起こった。この流れであると当初は報じられていたが、二転三転するうちに、この事件は「テロ」だったと断定された(参照)。

 オバマ政権は当初、事件をイスラム教を侮辱したビデオに対する抗議デモの延長線上にあったと説明し、攻撃をテロ組織アルカイダと関連がある「テロ」と断定したのは、発生から2週間以上が過ぎてからだった。公館前のデモがなかったことも最近判明した。

 だったら最初から真実を言っていればよかった。何故ごまかすような言動に至ったか?他所で真相を知った時は驚いた(参照)。

 2009年にオバマが第一期の大統領となったとき、ブッシュ前大統領による国外テロリスト収容所をさんざん批判し、CIAが国外でテロリストを拘束しないよう署名をしていた。つまり、本来ならオバマ政権下で、CIAの下にテロリスト収容所はないはずである。でも、ベンガジ米国領事館襲撃には、あった。

 つまり、テロリスト達は、この領事館に収容されている仲間を助け出すために襲撃したと推測できる。そして、カダフィ亡き後、リビア情勢がさらに不安定になることは目に見えていた。カダフィが隠し持っていた武器はイスラム過激派の手に渡り、彼らの移動先であるマリ北部では既にマリ政府との衝突が始まっていた。ここでいち早くフランスが名乗りを上げて軍事介入が始まった。これがアルジェリアガスプラント襲撃事件へとつながった(参照)。
 オバマ氏は、過激派メンバーをリビアに収容し、この警備体制が甘かったため狙い撃ちにあった領事館員4名の命を救えず、その失態を隠そうとした。それが、アメリカ合衆国の大統領の顔である。

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2013-01-19

第3次産業なら成長できるのではないか?

 ここ数日頭を悩ましている問題がある。それは、日本全体の頭痛のもとでもあるんじゃないかと思い、この頭で必死こいて解決策を考えていた。そのきっかけとなったことと、そこからどういう展開で表記の「第3次産業なら成長できる」という結論に至ったのか、備忘録的に書いておくことにした。

 まず、きっかけとなったのは、水野和夫・埼玉大学大学院客員教授のインタビュー記事「デフレからの脱却は無理なのです」(参照)だった。この記事を読み進める中で、お説がごもっともと思えてきて、今自分が置かれている状況に照らすと正にお先真っ暗になってしまった。以下がその部分。

日米欧ともに成長ができなくなったからバブルに依存し、いずれも崩壊したのです。バブル崩壊の過程でデフレも起きました。私には成長戦略でバブルの後遺症から脱却しようというのは堂々巡りのように思えます。

国内を見ても、身の回りにはモノがあふれています。乗用車の普及率は80%を超え、カラーテレビはほぼ100%です。財よりもサービスが伸びると言われますが、サービスは在庫を持てないし、消費量は時間に比例します。1日が24時間と決まっている以上、サービスを受け入れる能力には限りがあります。先進国は財もサービスも基本的には十分満たされているのです。

個人だけでなく、国全体の資本ストックも過剰です。既に過剰なのに、まだ新幹線や第2東名高速を作ると言っている。資本ストックの減価償却にどんどんお金を使うというのが今起きていることです。

 物が溢れて生活は豊かである。豊か過ぎるくらいなので、もうモノ造り日本の時代じゃないというわけ。これは実感からも理解できることで、だから思考がおかしなスパイラルにハマったのかもしれない。

 諏訪に住んでいる私の目に日頃映っているのは、大会社のリストラやその下請けや孫請け会社の倒産。こういった製造に携わる会社に材料となる部品や原料を売っていた商社の倒産。そして、失業した人々だ。この状態がもう何年も続いている。街に活気が無くなり、駅前商店街はシャッターを閉めている店も多く、何よりも、戦後から創業していた唯一の百貨店が姿を消したてから何年か経つ。この街が息づいているのは、東京や関西のちょうど真ん中に当たる地理的な有利性に、温泉町であることや、信州の景観を求める観光客がいるからではないだろうか。

 以上のような主観から、水野氏の話に納得できた。が、これで終わるのでは困る。何とか打開策ないものか?日本が生き延びる道はないものかと頭を悩ました。そして、水野氏のインタビュー記事の後半部分で、物があふれる日本で成長しないと豊かになれないとはどういうことか?という問いかけへの答えが二つあると。これも前段のダメ押しのようだ。

2つ考えられます。もし日本が今でも貧しいとするならば、1つの解は近代システムが間違っているということです。ありとあらゆるものを増やしても皆が豊かになれないというのはおかしいですから。

 2つ目の答えは、成長の次の概念をどう提示するかです。日本は明治維新で近代システムを取り入れて、わずか140年たらずで欧米が400年くらいかけて到達した水準に既に達してしまったということです。これまで「近代システム=成長」ということでやってきましたが、必ずしも近代システムは普遍的なものではありません。変えていかないといけないのです。

 氏の考えでは、「ゼロ成長」が望ましいと結んでいる。人が必要としないのだから成長はしなくていいという考え方。そういうことなんだと一度は飲み込めた。確かに、必要以上に物を作れば余るし、目先を変えても飽きられる。画期的な発明でもない限り、製造業はもう限界なのだと納得すべきなのかもしれない。

 では、どんなことをして日本人は生きていくのだろうか?本当に仕事はなくなってしまうのだろうか?失業者は本当に溢れかえっているのだろうか?  この疑問を払しょくするために色々探した結果、次のようなグラフを見てみた。出典は、社会実情データ図鑑(参照) <

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 2011年に更新されているが、データ内容はやや古いかもしれない。産業別に見ると第3次産業では就業者数は増えている。日本全体での相対数はどうかと見るとIMF - World Economic Outlook Databases (2012年10月版)就業数はあまり減っていない事がわかる。

 

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 個人的な実感から失業者は多いとみなしていたが、そうではなく、第3次産業に雇用を増やすことがこれからの日本のスタイルではないかという点が浮上してきた。これまでは、第2次産業の生産性が低いから儲けが出ないと考えられてきたため、ここで質の向上をめざして合理化を計ってきたが、その結果、所得はある程度確保できても新たな雇用を生み出すことはできなかった。むしろ、リストラの必要性が出てきて失業者を生み出してしまった。

 ここで次の問題。第3次産業を増やせばいいという暫定的な結論ではあるが、この結論を元に、どうしたら雇用を増やせるだろうか?第3次産業とは、小売業や運送業や飲食・宿泊や教育・介護・医療など、形に残らないもので、主に人が中心になる仕事のことだ。つまり、消費を拡大することだ。結局は、経済成長のネックとなっているのは、消費の拡大ではないかな。

 日本の産業構造が変化していることにも気が付かなかったのは遺憾だが、それにともなって雇用はシフトしながら失業者は吸収されていくという現象につながるのではないだろうか。日本のGDP(国民総生産)にもそれが少し現れてきているようにも思える世界銀行の最新データがある。

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 さて、ここで次の問題。消費の拡大をすればいいことがわかった所で、購買意欲が沸かない。だって、給料(時給も含めて)は上がらないし先き行きの不安もあって食費も削っている状態だもん!

 これは個人の努力でどうこうできる問題とは違う。これはもう、減税しかないだろう。違う?

 水野先生がいう「豊かさ」かどうかは分からないが、少なくとも国民は働いて富を得る。働いたら働いた分を消費に向けるではないか。日本経済の停滞は、低所得が物の流動性を詰まらせ、ボトルネックになっていると思う。だが、企業としては業績が上がらなければ昇給できない。ここに動きが出て来るとしたら、「デフレ脱却する」「景気回復する」と、政府・日銀の言葉の信憑性だが、イマイチどうなるかわからないとても微妙なところ。ついては、「大型減税」が実行されたら?少なくとも私は将来に希望が持てるようになるが、どうだろうか。

追記: 書き終わってからちょっと気になった事

 産業構造にメスを入れるというのでもないが、第3次産業を成長させる実効性について、減税は一つの手段であって、構造がこれによって変わるということでもない。では、働く人口はどこで増えるのだろうか?この点が抜けていたように思う。

 少子化と高齢化による退職が重なって労働可能な人口は減る一方だというのに、上のグラフでは労働者総数は増えている。それは、どう考えても女性労働者としか思えない。しかもそれは、非正規雇用によるのが大半だと思う。女性の非正規雇用体系をぜひとも正規雇用に格上げしないと現在の日本社会では、安定雇用につながらないのではないか?と、ここまで考えて以前読んだ「ようやく来るか、不機嫌な時代(参照)」のこの部分を思い出した。

 どうにもこうにも「家計を維持するには妻が働かないといけない」という状況があれば、変化するだろう。そうなれば、つまり、日本の最終兵器、女性がまた出てくるわけである。「また」というのは、日本の戦時下で実は女性の労働力がマックスになっていた。それが戦争を長引かせてしまったと言えないでもないようだが。

 ここだけ引用するのはもったいないと思いつつ始め、この部分に笑ってしまったのだ。戦後の日本は総じて女性が強くなったというフレーズが重なってしまい、それが妙に印象に残っていたのだが、これは事実で実効性もある話だ。

 雇用形態の質を改善すれば女性が働くことでかなりGDPを押し上げるのではないだろうか。

 そして、もうひとつ気になるのは、正規労働者を増やした企業に補助金を出すという話があること。これは愚策だと思う。理由は、若者を新規雇用してもその分高齢者を解雇するのが企業が普通に行うことだからだ。

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2012-12-28

第二次安倍内閣が向かうのは日本の欧米化?

昨日、第二次安倍内閣が誕生した。早速、その支持率が62%に達していると報じているのを知り(参照)、デフレ脱却・景気回復を目玉に衆院選を闘い抜いた以上、それに期待を寄せる民意の表れでしょ、とは思う。景気回復にはもちろん私も期待もするが、なにせ、自民党には何かと不安がつきまとう。第一次安倍内閣が悲惨な終わりを遂げたという理由もあるが、自民党の脆さに対する不安が何よりも大きい。民主党政権当時、野党としての体をなしていなかった姿は記憶にも新しい。また、メディアの煽りもあり、日本は「右傾化」して、中国や韓国に対して強行にタカ派的な姿勢を打ち出すと懸念されている。これに期待する向きの人もいれば、そうでない向きの人も混在するネット上では議論が飛び交っているようだ。私はそのどちらでもなく、極論を言うと、日本は、欧米化するのではないかと思っている。同盟国である以上、アメリカの意に反して韓国や中国を日本の独断で敵に回すようなこともないだろうと思う。そうは言っても、この政権の行方は気になる。少し順を追って整理してみることにした。

第一次安倍政権が「お友達内閣」と揶揄されたからか、第二次安倍内閣は、なんとなくお友達じゃない人も混ざっているのが歴然としている。これが昨日、「この内閣の最大の敵は、自民党内部」(参照)と考察された部分だろうか?と自分なりの見方はさておき、気にはなっていた。

誰がお友達かは言うまでもないことだと思うが、挙げておくと、まず副総理兼財務・金融担当大臣に任命した麻生さん。お友達と言うよりは、安倍さんの依存度の一番高い人物と言っていいかもしれない。「麻生クーデター」といった方がわかりやすいだろうか。麻生政権の復活だー!

次のお友達は、第一次安倍内閣の時の仲間割れしなかったメンバーと、安倍さんが会長を務める「創生日本」という保守派の議員連盟から9名。合計12名が親しいお友達である。さて、爆弾ともなり兼ねない残りの7名だが、上手くやったなと思わせる配置になっている。

総裁選を戦った石原氏と林氏や谷垣前総裁は、党の中枢にはいない。が、原発やTPPという難問中の難問となりうるポジションで、他人のことなどかまってはいられないほど忙しく骨身を削って働かなければならなくなるだろう。仕事力で切磋琢磨しておくれ的で良い配置ではないだろうか。

お友達じゃないけど多彩な顔ぶれと感じたのは、小泉さんの秘書官を務めた飯島氏や丹呉氏だ。ある意味、何を考えてこの人材をと不思議になった。小泉さんとともに改革路線を突っ走った二人と、麻生さんがこれから率いる経済改革路線との整合性は皆無に等しいと見える。もっと言うと、安倍さんは麻生さんの支えで、小泉路線から「美しい日本」へ舵を切るために生まれたようなもの。この時、組閣でまずガタついた。原因は、森元総理の老害といえばそうだが、森元総理の反対にあって麻生さんを幹事長にできず、小泉派の中川秀直さんを抜擢することになった。同時に、小泉内閣から追い出された議員の復党を試みた結果、小泉さんの逆鱗に触れ、中川幹事長と安倍さんの関係が冷え込んだ。

ついでに言っちゃうと、野田聖子氏が今回三役に抜擢されて、小池百合子氏が外れた理由は、当時の関係のまま引き継がれている。野田さんは小泉さんから追放された人物で安倍さんが復党を試みた人物である。小池百合子氏は、安倍さんの下支えに回っていた麻生さんの後の総裁選の対抗馬だったからだ。ね。

不明な点は、小泉政権を支えた飯島氏と丹呉氏の二氏が安倍政権でなんのために復活したかだ。それも不明のままだが、新顔が小泉政権当時のゴタゴタに関わっている点は、ちょっとした不和によってがちょんと逝ってしまう原因になり兼ねないところだろうか。

もう一点気になるのは、外交問題。アメリカに従属的にしかならない日本だと思ったのは、選挙前の安倍さんは、野党として与党の外交批判をする中で、対中韓では強硬姿勢を訴えていた。ところが、いざ政権を奪還してみると柔軟姿勢に変わった。この時、「嗚呼、自民党も民主党と同じか」と、ポピュリズム的な政治姿勢にもがっかりした。サヨクさんもきっとがっかりなさったことでしょうとも思った。が、12月19日、選挙結果が出てからわずか三日後にアメリカのF35 が2017年に岩国基地に配備されることが決定された。なんという手回しの速さだろうか。自民党ならウンもスンもなく配備できるのである。良かったか悪かったかどちらとも言えないが、民主党ではそうは問屋が卸さなかった。自民党復活はアメリカとの同盟関係を強化するのではなく、従属的になるのではないだろうかと、ここで強く感じた。

となると、経済政策もアメリカ並みになる。原発問題は調査の上で三年後に結論を出すと選挙前に聞いたが、昨夜のニュースでは、新規に安全が認められた原発は稼働する方針だと伝えていた。また、シェールガスによる発電の計画もパイプラインのインフラ整備を前提に拡大する見通しのようだ。つまり、日本はアメリカのお得意さんにもなる。この調子で行くと、ついでにTPPの交渉を日本に有利に進めると言うよりは、アメリカの納得する条件で交渉が成立するのかもしれない。持ちつ持たれつの関係が密接になるのがこの政権の特徴とも言えるのではないだろうか。それでも、日本の独自性を自民党が見せてくれるとしたら、それは何だろうか。

私は、日本は早く欧米化したらいいのではないかと思っている。このままでは少子化が進むと懸念されているにも関わらず、移民を受け入れようという向きもない。外国の若い人達は、日本人と付き合ってみたいと考えている人が圧倒多数いるというのに、日本人は自らチャンスを逸している(参照)。こんなことを書くと、アメリカの奴隷でいいのかと疑問を持つ人もいるかもしれないが、奴隷ではなく、グローバル化するということを重点に置きたい。自民党がすっきりそう言ってくれたら理解されやすいと思うが、そうは思っていないかもしれない。世界標準で経済を立て直すということに全く異議はないのだし。

安倍官邸人事について、東京新聞・中日新聞論説副主幹の長谷川幸洋氏の記事で詳細が書かれていたので、参考のため、リンクと記事の引用を追記します。

首相の側近に経産省出身者が3人

 まず、政務秘書官には第1次安倍内閣で首相秘書官を務めた今井尚哉・元資源エネルギー庁次長(82年経済産業省)を据えた。事務秘書官は財務省から中江元哉・前主税局審議官(84年)、経産省から柳瀬唯夫・前経済産業政策局審議官(同)、外務省から鈴木浩・前駐英公使(85年)、警察庁から大石吉彦・前警備局警備課長(86年)、防衛省から島田和久・前地方協力局次長(85年)という顔ぶれだ。

 首相補佐官には木村太郎衆院議員、磯崎陽輔、衛藤晟一両参院議員のバッジ組に混じって、経産省出身の長谷川栄一・元内閣広報官(76年)を政策企画担当の補佐官に入れた。長谷川を加えて経産省出身者が3人、首相の側近に入った形である。

 通常は議員の秘書が収まる政務秘書官に今井が入ったのは異例だ。そこに安倍と個人的にも近いベテランOBの長谷川が加わったので、経産省としてはさぞ心強いだろう。

 財務省はどうするのかと思っていたら、丹呉泰建・元財務事務次官(74年)が内閣官房参与に入った。それに小泉純一郎政権で政務秘書官を務めた飯島勲氏、外務省から谷内正太郎・元外務事務次官(69年)、米イェール大の浜田宏一名誉教授の3人も内閣官房参与に起用した。

 つまり経産省が官邸で突出しそうなところを、財務省から大物の丹呉を起用してバランスをとった形である。小泉政権で机を並べた飯島も丹呉と近いので、人数は少なくてもパワーは十分だろう。外務省は谷内が入ったので文句はない。さらに警察庁からは杉田和博・元内閣危機管理監(66年)が官房副長官に抜擢された。

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2012-12-18

2013年参議院選挙に向けて

16日、増税の是非を問うと私自身が位置づけた総選挙は、自公の圧勝に終わった。獲得議席数は、自民294、公明31。合わせると、衆議院の三分の二を超える。とは言え、国民は自民党を選んだのではなく、民主党に「No」を突きつけたらこの結果になったというだけのことだ。日本の選挙制度の問題点でもあるが、詳細に関しては「2012年末衆議院選挙雑感」が分かりやすい。内容がどうであれ、選挙は結果で決まる。つまり私は、自民党に消費税増税、原発再稼働、憲法改正を容認したことになる。議席数で言えば、7年前の小泉郵政選挙に匹敵していて、日本の選挙の異常性とも思える結果だ。これによって与党は、衆議院の全ての常任委員会で過半数を占め、全ての法案を可決できる勢力となった。しかも、今回の選挙が合法であったわけではないので、憲法違反の総選挙で選出した政党に政権を担わせたという事実が重くのしかかってきた。

これを承知で解散した野田さんの責任は重い。また、解散は、政策遂行の行き詰まりを打開する手段ではあるが、議員全員の首を切り、国民に政策の是非を問うたのである。因みに、ねじれ国会で政策の遂行が困難な時、通常なら、総理は自らの首を差し出して決議に持ち込み、内閣総辞職を避けるのが普通ではないか、と私は思う。ところが、自民党に丸投げしてしまうような解散をやらかした背景に、実は岡田氏の筋書きがあったのではないかという考察があり(参照)、結果的に、意図して解散したとも言える。前者を選択した結果、見事に四分の一に民主党員を減らしてしまった。大勢の仲間を犠牲にすることは目に見えていたはずで、第二極としての座も危ぶまれていた通りの結果となった。そして昨日、その責任をとると、辞任を表明した。これについて言わせてもらうと、全員の首を切って、なおかつ残った精鋭達は、(表向きにしろ)野田さんについて行くと表明しているといえなくもない。ところが、辞任表明を待っていましたとばかりに次は俺だと、もう次期総裁の名前が上がっている。野田さんを止めさせない、と結集するチャンスなのになぁ。民主党は、常に誰かがトップの座を狙っている業突く張り集団に始まり、最後は一人になって終わる運命なのかもしれない。こんな民主党に嫌気が差して解散のシナリオを岡田氏が書いたとしたら、日本の国益にかなった政治をやってくれたのだと賞賛すべきかもしれない。ただ、ここで民主党総裁が変わったことによって、三党合意した法案を約束の通り通していくだけの結束はあるのだろうかという懸念が残る。

選挙前に、何がこの選挙の争点か自分の確認のために書いたことだが(参照)、争点は消費税増税だった。民主党マニフェストに消費税増税を行う前に民意を問うとあるため、野党はこれをネタに解散・総選挙を求めのだったが、民自公はこの法案に既に合意していたため、三党間では選挙の争点にはならなかった。そこで自民党は、デフレ脱却と外交・安全保障を前面に出して民主党との争点とし、公明党は、政権担当に相応しくない政党だと民主党を批判した。私は迂闊にもこの攻略にすっかりはまって、一時、選挙の争点を見失うところだった。

自民党はデフレからの脱却と外交・安全保障問題を前面に打ち出して民主党との対立点を作り、公明党は民主党の政権運営の拙さを攻撃した。そのため3党間の選挙争点は消費増税より民主党政権のこれまでの実績を問うものになった。そこにTPPや原発問題が加わり、本来の争点である消費税増税が見えにくくなった。この時、三党合意に不満な国民は、第三極に期待を持った。

この第三極は曲者で、民自の2大政党に対抗しうる力を持つ第三極であれば、政治を大きく動かすことになるのではないかとすら思ったが、残念ながらならなかった。つまり、今後は、民自公三党が社会保障と消費税問題で一体とならざるを得ない。この第三極と呼ばれる小政党らが政治の軸になるためには、民自公に匹敵するか、それ以上の一つの勢力として対峙しなければ実現は不可能だ。せめて第三極が総結集を図って第二極になれば政治がより民主的になると、密かに思っていたのだった。

第三極をどう動かすかと騒がれたのが、選挙直前に結成された「日本未来の党」だった。公示前には62議席あり、蓋を開けたら9議席であった。三年前の政権交代を成し遂げた、あの小沢氏の存在感も片鱗も感じさせなかった。こんな選挙は本当に珍しい。小沢さんが先頭に立った自由党時代では、比例代表で毎回10%で、調べてみると、2000年の総選挙では660万票を獲得していたのである。「日本未来の党」と、名前は変わったが、今回の選挙の比例で得た得票率は5.7%で、314万票に終わった。争点も見込み違いだったように思う。国民の関心は景気や経済対策に寄り、反原発ではなかった。選挙前にドイツまで行って研修してきたのに。かくして「小沢王国」の落日となった。

選挙戦略に強いはずの小沢さんの今回のような選挙を見たのは私は初めてで、くたくたになって政治生命もお終いになるかとちらっと思ったが、とんでもなかった。「小沢一郎政治塾」が来年2月開講の13期生(30人)募集の締切について、「衆議院総選挙の関係上、新たな募集日程を、12月下旬を目途にご案内致します」と掲示している。なんともたくましい。今回は準備不足も相まって大敗したが、小沢さんは既に夏の参院選に軸足をかけていた。やっと総選挙が終わったばかりでなんとなく空虚で、次の選挙のことなど正直考えたくもない。と言いながら、こういう時は何かまた見失っている気がする。

安倍氏の経済政策が公言したとおりに進めば、間違いなく日本は円安、株高になるが、国民生活は物価高の直撃を受けるということだ。順調に物価高になったと来年8月の時点で判断されれば、2014年から消費税増税が加わることになる。実体験として分かりやすい例で言うと、小泉政権時よりも悲痛な悲鳴を上げる事になると思う。その消費税増税がとても耐え切れないというのであれば、これをリコールできるのが夏の選挙と。おお、そういうことか!これが最後のチャンスである。

個人的には、インフレ傾向になると物価高は嫌だな感はある。昭和の高度成長期の経験をしている人であれば、どんな感じか想像がつくだろうと思う。でも、景気を戻さなくては日本がこのまま衰退していくのをじっと見ているだけになる。ここはもうひと踏ん張りして貧しさに耐えよう、と腹は決まっているが、それに耐えながら、増税が一気に来るのはキツイのではなかろうか。できることなら、もう少し増税を先延ばしにしてはもらえないだろうか。

ハッキリ言って今回の選挙では、政治家に煙幕を張られて不意にしてしまった人も多いと思うが、来年の参議院選挙では、インフレという現象を体感した上で見極められるんじゃないだろうか。

なんか、やっと今回の選挙の意義がつかめてきた感じがする。

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2012-11-22

次期総選挙について雑感

自分が安倍選びに走ってしまうのではないかと、どこかでブレーキが働くのはなぜだろうかと考えている。民主党の「マニフェスト選挙」に裏切られた感への反発かな。鳩山、菅、野田の嘘つきな政治家にうんざり感があり、今度は信用できる人を選ぼうと、それで安倍測りのような心理状態になっているのかもしれない。これは、本来のマニフェスト選挙ではなく、「安倍という政治家を信じてみるか?」という、選択になる。それが間違えとも思わない理由に、もう嘘つき政治家、中身の無い口パクにはうんざりだからである。が、それで選択するなら、みんなの党の渡辺さんだって悪くはないじゃないかと心のどこかで囁く声も聞こえる。そうなると誰を何の観点で選んだらいいかわからなくなるし、第一、人で選んでも所属政党の党員が一致していないとその主張は通らないものとなる。この疑問が浮上したきっかけになったのは「石破氏「緩和は成長戦略と一体」 安倍氏発言火消し」(参照)というタイトルの日経記事だった。

マニフェスト選挙とは、政党がどのような社会を目指し、現状の問題点をどう捉え、そのために何を政治に転化させるのか、それを有権者に明確に提示して宣言するのがマニフェストであり、その選択を有権者の自由意志で投票することだと思う。前出の疑問の、個人への信頼度ではないと思う。つい先日行われたアメリカの大統領選挙は、個人能力をどんどん表に出して、相手も批判しながら如何に自分が大統領に相応しいかを競う選挙方式で、その余韻が残っているせいか、日本の総選挙と混同してしまう。安倍総裁選びをやってんじゃねぇよ!と、ガツンと頭を叩かれ、はっと正気に戻った。先の日経記事を読んだ後、そんな衝撃がきた。じゃー、どうすりゃいいんだ。

これだけは肝に銘じておくことと自分なりに思っているのは、今回の選挙は違憲選挙である点だ。一票の格差が解消されていないにもかかわらず、国会は解散してしまったのだから、選挙は、強硬手段である。なぜそうなったかは以前にも書いたことだが、国民の了解なしに「三党合意」を自公民が勝手にやらかし、その見返りに、民主党に早期解散の約束を取り付けたからだ。その約束を果たしただけのことである。この時点で、こんな解散など馬鹿馬鹿しいも通り越し、怒り心頭も超えてしまったではなかったか?この時の解散の様子は、きっと歴史に残ると思うし、そのやり方が異様とも写った(参照)。だからこんな選挙なんかどうでもいい位に思っていた。その自分が、あの自民党の安倍総裁の政策ににどれほど傾倒しようとしているのか、考えただけでも分かるじゃないかと自分を戒めたい。が、それで選挙権を放棄することが得策でもない。やることは、これらの前提をしっかり頭において投票するということだと思う。

では、私たちは何を選ぶのか?争点は何だ?

国会で勝手に三党が決めた時、自公は、民主党に、「増税はマニフェスト違反だから選挙で信を問え」と迫り、三党合意の見返り選挙になったのだから、「増税」するときには「国民に信を問う」と言ったそのものである。が、どうだろう?

自公民は「増税」を争点にしているだろうか?していない

民主党はTPP路線であり、自民党は金融政策である。そして近頃は、両者が激しく相手を批判し合い、それに乗っかって私までもが、安倍側がいいかな?などと揺らいでいる。が、この三党の運命は、対局であると同時に、いずれは手を組まなくてはならない運命でもある。選挙にどの政党が勝っても、国会でねじれていれば数の勝負でしかない。その場合、政策などはすっ飛んでしまうじゃないか。それは何度も経験したじゃないかと、またもや思い出した。

安倍総裁が誕生しても、参院では、民主党の協力なしには何も決められないことになる。そのくせ、この対立合戦は何?パフォーマンス?と、ふと不思議になった。

これが、三党合意のもとに「第三極」への牽制でもやっているんじゃないか?これは、とんだ茶番劇だったりするんだろうか。自公民は官僚とべったりな「第一極」と言えないこともない。いや、三党合意した時はハッキリそう思ったのだった。だから、国民は、維新の会に目を奪われた。であれば、この三党に対抗するのが「第二極」ではないのか?それが、みんなの党や維新の会でもなんでもいいということになる。というか、この人達、お互いに政策の競争しているから有権者にわかりにくいんだよ。石原さんとは言わないまでも、だれか、俺達は「第二極」だと、まとめられないのか?

今回の選挙争点といい、とんでもない自分のズレを発見した。が、自公民をまとめて「第一極」としても、「第三極」がこのまま足踏みをしていると、そのまま終わる。それとも、「第三極」が、本当に「第二極」として現れるだろうか。それが日本にとって、なによりも健全かもしれない。

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