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本当の意味での「自然農法」は存在しない('11.11.18追記)

以前にもこのテーマでは何度か書いているが、エントリーにまとめたのは2年も前になるので、改めて問題点を洗い出してみたい。

まずはごくごく普通に考えて「自然」と「農法」という言葉同士が矛盾している。人工というものが「人の手によって改変されたものあるいは作り出されたもの」と解釈するなら「農法」あるいは「農業」はどう考えても自然ではない。たとえば、「自然工業」などというとほとんどの人が「んなもんあり得ん」と言うと思うが、言葉の意味としては「自然農法」とあまり変わらないのである。

野菜類の原種には人間にとっての有害物質を含んでいるため、食用にできないものも多い。現在食用とされている野菜でもジャガイモなどはその芽の部分(まれに表皮にも)にアルカロイド※を含んでおり、食中毒を起こすことがあるし、ホウレンソウの多くはシュウ酸を含んでおり、あく抜きをしないと食べられない(最近はサラダ用ホウレンソウとしてあく抜きしないで食べられるものもある)。そんな中から、毒性の低いものを選び出し、品種改良と言う人為的改変をしたり、可食部分のみを工夫して取り出したり、前述のようにあく抜きと言う人為的行為を通じて食べられるようにしているのである。
つまり、現在流通している野菜類はすべて「とりあえず表面上は問題なく」食べられるように、また効率よく収奪できるように人為的に改変されているものばかりである。毒もなく、可食部も大きく、栄養価も高い。また病気や虫にも弱いものが多い。いかに人工的に合成された農薬や化学肥料を使わない農業を実践していても、こんな不自然な植物で単一の植物相を形成している状態のどこが自然なのだろうか。

本来、自然状態であればその場所ごとの環境に適応した植物や動物などが複雑な生態系を形成している。本当の意味での自然状態ですごしたいならそこにある可食の動植物をそれらの生物たちとシェアするべきなのではないか?それこそ人間の意志で動けるはずのない植物を都合の良い場所に動かしたり、自由に動けるはずの動物たちをひとつの場所に集めたりしてはいけない。人間が利用できない(食べられない)動物が自分の食べたい植物を先に食べてしまわれてもそれは正当な生存競争なので仕方ないのである。人間が食べられない植物が土壌中の栄養分を吸収してしまったがために、食べたい植物がうまく育たなくてもそれが自然と言うものである。突き詰めれば、そこに「意志」や「知恵」が介在すれば狩猟、採集すら不自然であると言える。自然とは本能に任せて捕らえ、食うのみであろう。

また、「農地」もきわめて不自然で人工的なものである。畔を作り、水をため、稲作を行う。人間に都合の良い水稲を育てるため、代掻きを行い、水稲が育ちやすい水深を保ち、時期が来れば水を抜いて中干を行う。こういう作業に都合がいいように水路を作る。こういう行為を通じて土壌に適度な還元層と酸化層を作り、農作物に都合の良い土壌を形成していく。また、たい肥などに代表される有機質資材での土づくりも人為的行為である。耕運することとあわせ、作物の根に空気がいきわたりやすい物理的条件を作り出す。「自然農法」を標榜する方々の中には「不耕起栽培」をされている方もいらっしゃるが、それもより自然に近いというだけで自然であるとは言い切れない。
このように見ていくと、放っておいてこういう環境が作れるだろうかという疑問が湧くだろう。特に稲作は工業生産的であると思うがどうだろうか。

自然な農業であるといったところで「業」である以上ある程度の品質や収量が確保できなければ成り立たない。となればそこには効率的生育と収奪が必ず存在する。「植える」と「収穫する」は別枠にして考えたとしても、生産者は何もしないわけではあるまい。他の生物に分け前が行かないように草を抜いたり、虫を取ったりするだろう。足りない栄養分を補うため、たい肥や有機質肥料を施用するだろう。「近代農業」はその作業を農薬や化学肥料に代替させているだけだ。基本的にやることは何も変わらない。ただ、その線引きが個人ごとに違うだけなのだ。

もちろん、化学合成農薬や化学肥料を使わずに高品質な農作物を作っていらっしゃる生産者の方もたくさんおり、その努力はすばらしいものである(中には線引きがあいまいでいい加減な人もいるが)。戦略的にそういうことをしている人たちはそれに応じた収入を得る資格があるとは思う。しかし、自然とは何かを勘違いし、無条件にいいものとする考え方でやっている方もおられるが、そういう方ははいろいろな意味で損をしている。日本の農業の行く末が不透明な現在、自然に対する考えをもう一度見つめなおし、生き残る戦略を考え直す必要があるのではないだろうか。

(追記)
※先日、どらねこさん(@doramao)からツイッターでアルカロイドだからすなわち危険と言うようにとられる書き方はどうかとご指摘を頂いた。調べてみると、どらねこさんが例としてあげてくれたテオブロミンはココアの苦み成分として重要であったりするようだ。
以上のようなわけで、ジャガイモの場合はアルカロイドではなくソラニンというジャガイモ特有の物質名で書くべきでした。

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