経済・政治・国際

半夏生と解釈改憲

半夏生、という言葉を見かけて思い出したのだが、この日までに農家は田植えを終え、この日を休みとすることが多い。特に四国地方では「さのぼり」という田の神を送るという行事を行い、香川県では地区にもよると思うが打ち込みうどんを食べたりする。これがどじょううどんのところもある。

自分は直接その運営に関わっていないので詳しくわからない部分もあるが、その昔は農業関係の公的機関でもさのぼりの日はその行事が終わったあとは仕事をしなくて良かったらしい。お昼になると早朝から女性の臨時職員に出てきてもらい、大量のおはぎとうどんのだしを作ってもらっていた。

もちろん、早朝から働いていてくれた女性臨時職員の方たちには行事が終わり次第帰宅してもらっていたという。それらが正規の手続きを経て早朝出勤及びその振替休としていたのかは自分にはわからない。とにかく、現実にはそういう手順で行事が行なわれていた。

もちろん、現在の基準からすれば「良くないこと」なのだろう。いや、当時としてもやるべきではなかったのかもしれない。そこは自分にはなんともいえない。しかし、そういうものなのだ、と思っていたという事は反省も込めて正直に告白しておきたい。

ともあれ、そのように一定の人が懐かしがる「昭和の時代」は「情」によって都合よくルールが解釈され、運用されていたと思う。それはもちろん良い面もあった。「さのぼり」の例ではそれには該当しないと思うが、そういった「温情」によって救われた人もたくさんいただろうと思う。

しかし、人間というのは縛りがなければゆるいほうに流れていくことが多い。もちろんそうでない人も多いが、そういう情によってルールを緩く運用することを許すという事はそれを悪用する人物も必ず出てくる。さらに、明確なルールがなく、慣習だけしか存在しないならなおさらだ。

そういう場で人間関係を構築していく場合、特に立場が上の人間はしっかりと自分を律することが出来る人物でなければ、セクハラやパワハラを生んでいくのだろう。それが社会では「必要悪」と思われていたのが昭和という時代だったのではないだろうか(あえて昭和で区切っています)。

だから、「情」で救われていた、そのおかげで生きやすかった人達が自分にとっての「古き良き」時代を懐かしむのはよく理解できる。大きな逸脱がなく、全体としてその方が効率よく仕事などが回っていくならそういう緩い社会のほうが生き易くていいのだろう。

自分などは勤勉には程遠い人間なので、そういう緩いルールをうまく回していく社会のほうがうれしいが、しかしそれだと現代においてはデメリットのほうがはるかに大きいのだろう。自分の周りでも、そういう慣習的な部分を自分に都合よく解釈して周りに迷惑を掛けている例がある。

社会的な例で言うと、わかりやすいのはセクハラ、パワハラだろう。また、食品関係では豚のレバ刺しを店で出す、などだ。これらは明文化されたルールがないのをいいことに、自分に都合の良い解釈をした結果、より厳しい社会を生み出し、自分で自分の首を絞めているわけだ。

色々ルールは細かくなって、一見厳しいようだけどそれはみんなが安心して平等に暮らすために少しずつ改良されてきたものだ。もちろん完全ではないけど、そのおかげで救われている人は昔より増えているはずだと思いたい。間違っているなら、きちんと手続きを経てルールを変えるべきだ。

だから、今回の内閣が推し進めている解釈改憲はその内容の是非はおいておくとしても賛成できない。こんなことをしていると現行政権は必ず痛いしっぺ返しを食らう。そうでなければこの国の行く先は真っ暗じゃないか。

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知的障害者による農作業支援が始まっている!

2年ほど前から、私の勤務する地域では知的障害者の方々による農作業補助を斡旋する事業が始まっている。


これは、県が事業として推進しているもので、JAと協力して知的障害者の福祉施設(小規模作業所など)に農家の希望を調整して農作業補助を斡旋するものだ。


従来、ごく短期の臨時労働力についてはシルバー人材センターがよく利用されてきた。もちろんシルバー人材センターの皆さんもほとんどの人はまじめによく働くし、短期に安く使える人材として農家には非常にありがたいものだ。


しかし、シルバー人材センターは当然のことではあるが、時給制である。農家が負担する費用は時間×人数×時給単価となる。これだと、同じ量の仕事をしてもらうにもそのときやってきた人の適性によって効率が変わり、例えば野菜類の収穫作業を頼んだ場合、同じ品目で同じ1aで同じ人数でも1時間ですむこともあれば3時間かかることもある。農家としての売り上げは同じなのに支払う人件費は3倍も違ってきてしまうのである。熟練した同じ人を毎回頼めるのなら良いが、そうもいかない場合のほうが多いだろう。なので、そのときそのときの運不運が結構出易い。


これに対して、障害福祉施設を活用した作業支援では作業単価が面積あたりで設定されている。もちろん、作業内容によって単価は変わってくると思うし、現時点では内容がまだ流動的であるのではっきりとここには書けないが人件費としては格安になる。というのも、絶対的単価も安めに設定されているのもあるが、面積単価であるため作業を請け負った施設が人員を何人連れてきても支払額は同じになるのである。1aの作業を5人でやってきて2時間かかっても、20人でやってきて30分で終わっても同じである。つまり作業が速く終わるか終わらないかという違いはあるものの、農家の経済的負担は変わらないわけである。


また、知的障害者に農作業は可能なのかという心配をされる向きもあるかもしれないが、一口に知的障害といっても様々なレベルの人がいる。私の長女(プロフィール参照)のようにまったく言葉を解さず、せいぜい物を運ぶ、右のものを左へ動かすくらいしか出来ない人から、ちゃんと説明すれば条件によって内容が変化する作業をしっかり理解してできる人まで様々である。このため、依頼を受けた施設のほうでは作業内容によってそれに適応した人材を連れてくるのである(ここで難しいのは知的レベルが高いからといってより複雑な作業に適応しているとは限らないことだ。ほとんどの施設ではそこをきちんと見極めてきてくれるのであるが)。


また同時に、施設の職員など作業者の性質を理解した指導者が必ず監督者としてついてくるので、監督者さえ作業内容を理解してくれれば、農家がずっとその場を離れずにいなければならないということはない。


労働単価は安いが、福祉施設側としては仕事があるということ自体がすごく助かっているようである。当然農家側としても、例えばニンニクのようにその他の栽培期間中はそれほど仕事がないが、植付と収穫作業に大きな負担がかかるためにそれが栽培面積を拡大できないボトルネックとなっているような場合、このような作業支援を利用することでそれが解消され、栽培面積を拡大することが可能になる。もちろん、そのような実例もあり、農家の収益増につながり非常に喜ばれた。


ニンニクの収穫は、葉の部分を適当な長さで切り、引き抜いて畝の上に並べ、ある程度乾かしてからコンテナ等に入れ、ほ場外へ持ち出す。この作業のうち、抜いてコンテナに入れ、ほ場の外へ持ち出すところまで福祉施設の人員にやってもらうわけである。葉を切る作業は刃物を使う上、長さにもある程度気を使うためこれは農家が行なうのであるが、結構な重量野菜であるニンニクをほ場外までだけとはいえ運搬してもらえるのは非常に作業軽減につながるのである。また、ニンニクでは植え付け作業も結構重労働なので、これも作業支援を活用すると好都合である。最大のニンニク産地である青森県のように機械化できれば良いが、土壌性質の違いや品種の違い(規模も違うが)などから瀬戸内や西南暖地では機械化がそれほど効率的ではないのである。


このように、農地利用の集積化にも役立つ新しい流れが始まっている。この知的障害者福祉施設などによる農作業の支援が拡大し、双方の利益になるよううまく活用していただければ農業の構造改革へ向けて、(全体から見れば非常に小さいけれども)一つの光明になるかもしれない、というかなって欲しいと願っている。

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新規就農相談

新規就農に関する相談の資料が回覧されてきた。うちの職場では技術指導や農業経営に関する指導(簿記や経営分析など)のほか、新規就農促進なども行っている。当然、農業をはじめたいと言う人の相談も受け付けている。新規就農担当がいて、そのあたりの窓口をやっているのだが、希望内容によって私のような技術指導担当も相談に加わる。今回は新規就農担当が農協に出向いてその農協にやってきた希望者と面談した結果の復命であった。

回ってきたカードを見ると、名前が今風である。若いのかなと思って年齢を見ると本当に若い。しかも非農家であった。つまり農地もなく、農作業の経験と言えば農業関係の学校の授業のみという若者が「食料自給率の向上に貢献したい」と相談に飛び込んできたわけである。

そのカードに一通り目を通してまず思ったことは、「無謀だな、やめた方がいいのにな」だった。これは心底正直な感想だったのだが、しかし同時にあまりにリスクを先に考えすぎ、そういう自分の態度や考え方が農業の将来を育てる芽を摘んでいるのではないかとも思えた。

とはいえ、そういった何のバックボーンもない人がいきなり就農するのにはあまりに高いハードルが多すぎるのである。

たとえば普通の会社に就職する場合、それが初めての就労経験であれば初めはまず使い物になるまい。それでも賃金をくれるのは仕事を覚え、将来役に立ってくれるという見通しがあるからである。まったくの新規就農の場合はそれがない。いきなりお金を稼がなければならないのである。土地がないのなら土地を借りるところからスタートしなければならない。農家の子弟であれば親のネットワークで地元の農業委員会からも承認が得やすく、土地も借りやすい。それはコネがどうこう言うのではなく、農業者として信頼できるかどうかの問題である。もちろん地元の人間であれば無条件で信頼できるというわけでもなかろうが、見ず知らずの人間になかなか土地を貸せるものでもないだろう。
また、農業機械を揃えるのにも相当な金額が必要である。いきなり相当額の借金からスタートせねばならないのである。

現実的には、行政(県など)の新規就農支援制度を活用するために一年間篤農家や農業法人などで研修し(支援のための有利な貸付などを受けるために条件として設定されている場合が多い)、無利子あるいは低金利の制度資金を利用して機械類を揃え、研修先で信用を得て土地を借りられる状態にするといったところだろう。
一旦就職するなどして資金を稼ぎ(農業法人等であれば理想的だが)、自己資金などもある程度蓄えてからなお支援制度も利用するとなおいいと思う。

こうやって見ていくと、非農家出身でいきなり就農するのは本当にハンデが大きい。家が農家であれば、農業のいいところも悪いところも見てきており、やるならやるで覚悟を決めることができる。農地もあるし、トラクターなど基本的な農業機械やその他の道具も揃っているだろう。スタート地点からしてまったく違うのである。とはいえ、農家の子弟でも農業に対する考えが甘く、就農はしてみたもののすぐ放り出す人もいるにはいる。逆に追い詰められているものの強みで、やる気は非農家出身のほうが強い場合もある。

それにしても、こうして考えてみると非農家の人が普通に職業として農業を選びづらい状況というのがどうなのか、とも思える。高校や大学を卒業して就活を始めるとき、農業をやりたいという希望を持った若者を素直に応援し、気持ちよく農業の世界に送り出す。後は本人の努力と運である、というようにできないものだろうか。
とは言っても、農業は基本的に自営業であり、新規に農業を始めるということは起業するということなので、リスクがあって当たり前ではある。ではあるが、リターンも少ないように思えてならないのは農業関係者の僻みだろうか?

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小麦戦略と米消費量について

どらねこ(@doramao)さんがのエントリー「小麦戦略でお米が衰退したのか【前編】」を読ませていただいて、思うことがいろいろあり、長くなりそうなのでこちらもエントリーを起こしてお応えする事にした。

まず、どらねこさんのエントリーは「荻原由紀著、パンとアメリカ小麦戦略「べき論」に惑わされないために【前編・後編】」という「技術と普及」に掲載された記事を元に、アメリカの小麦戦略が日本の米消費量を減らしたと言う説は誤りであると言う荻原さんの説を検証している。自分はこの「技術と普及」は立場上毎号購読しており、この記事も読んでいるはずだが記憶にはない。また、毎号おいておくと膨大な量になるため手元にも残していない。なので、職場の書庫のからあるかどうかわからないバックナンバーを探してくる事になるのだが、勝手ながら今回それは勘弁してもらいたい。

荻原さんは非常に丁寧にデータを積み重ねて検証するタイプの人で、その人柄が良く現れている記事のようである。過去に、荻原さんが講師を務める研修を受けたこともあるが、そのときも盲目的な地産地消運動や食の欧米化説に対して、データや事実関係の調査から疑義を唱えるような内容であったが、そういう事実関係から読み取れる以上のことは言わない、誠実な感じのする説得力のある講義であった。

そんな事からも、荻原さんのこの記事はどらねこさんから少しだけ突込みが入っているものの十分信頼に値するものになっていると思う。

ただ、自分としても気になった点はある。荻原さんは私が聞いた講義で農村等における伝統食の話でご自身がおっしゃっていたのだが、昭和初期以前の農村等肉体労働を行っている人たちの食事はカロリー重視のため塩辛い少量のおかず(漬物など)に大量の雑穀飯であったということにも今回の記事で言及されているのだろうか。どらねこさんの指摘に対する補足でしかないが、とにかく農村部等では肉体労働に耐えるカロリーを確保するため、米が量的な割合で大半を占めていたようである。

さて、うどんが減ってパンが増えたという説についても否定されているが、荻原さんも指摘されているように香川県ですらうどん用の小麦粉はそのほとんどをオーストラリア産のASWが占めているのは事実である。香川県ではうどん用小麦「さぬきの夢2000」を開発し、栽培面積を増加させ、その使用を売りにしているうどん店も増えてきたほか、「さぬきの夢2009」も新たに開発するなどがんばっているが、香川県内の小麦栽培可能耕地ですべて小麦栽培を行っても香川県内の需要すらまったく満たすことはできないのである。ちなみに、香川県で使用されているうどん用小麦の量は平成21年で約6万tであり、平成23年(年度がずれていて申し訳ないが)における小麦の作付面積は1750haなので10aあたり300kgの収穫があるとして1750×(1haあたり)3t=5,250tとなるので10%に満たない。つまり、小麦の消費がパンからうどんに変わったとしてもほとんど影響はなく、またアメリカの陰謀であるならオーストラリア産がこれだけのシェアを誇っている現実の説明がつかない。
ちなみに、ASWとは特定の品種名ではなく、複数の品種群を指す。単一の品種であれば、気候などによる年次変動で品質が変わる恐れがあるが、ASWは年次変動をなくすために複数品種を年によってブレンドを変えながら供給しているため品質が安定している。実儒者の要求に応えるための合理的な考え方が伺える。
ちなみに、自分がうどん関係者から聞いたASW及びさぬきの夢2000評はASWは製麺適性に優れ、色も白く、腰のある麺が誰でも作れる。その一方で特徴に乏しく味が薄っぺらい。対してさぬきの夢2000はASWより圧延強度等で劣り、製麺適性もASWに比べれば低いが、従来の国内品種よりは優れており、白すぎないうどんらしい適度な色で香りなどにも特徴がある。腰のある麺に仕上げるためには塩分など気温にあわせた調節が必要であるが、技術のある職人が打てばASWに劣らない麺ができると言う。さぬきの夢2009は製麺適性がさらに優れていると聞いている。

話が随分それてしまった。

とにかく、食料自給率を上げて稲作及び水田を守るためには米の消費を増やすことは有効ではあるが、小麦を攻撃対象とすると水田裏作としての国産小麦にも悪影響がでるし、そういった意味からもあまり筋の良い話ではないだろう。
といったことから、荻原さんの主張にも、それに対するどらねこさんの見解にもおおむね同意である。目的が正しければ手段が間違っていてもいいということにはならないはずだから。

関係ないが、数年前に受けた荻原さんプロデュースの研修では、大阪大学サイバーメディアセンターの菊池誠教授も講師であった。その研修を希望した理由はまず第一に菊池さんの話を聞きたかったから、と言うのもある。しかし、荻原さん自身も他の講師の方々の講義も面白かったし、勉強になり、事前に思っていたより充実した研修だった。荻原さんはいろいろな意味で優秀な人材なのだろう。

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やっぱり反対しておく、TPP

今までTPPに関してははっきりした態度を表明していなかった。それは、自分の中でTPPに対しての考えがしっかりとまとまっていなかったからだ。では今回、エントリを挙げるに当たって考えはまとまったのかというとまだである。しかし、そんなことを言いながらもにょもにょしているうちにどんどん先を越されてしまった。特に、最近twitterでフォローさせていただいたこうめさんはしっかり自分の考えを持ち、TPPに対する考えを表明されている。そこで、自分も途中経過ではあっても自分の考えを披瀝しておく必要があるだろうと考えた次第である。

さて、私は現時点でTPPに対してどう考えているか。少し前までは参加やむなし、それで向上した分の景気を農業政策に使う、あるいは国として国民として国産農作物を買い支え、日本の農業と農地を守るしかないと思っていた。いや、今でもそう思っている。ただ、やむなしの内容が少々変わった。以前はやや積極的にやむなしと思っていたのだが、今では流れ的に止めようがないのではないか、と言うスタンスだ。それならばTPPに参加するまでに農業政策についてどこまで踏み込むのかをしっかり決めておくべきだし、国民全体がきちんと判断できるように情報提供も徹底しておくべきだろう。そのためには自分も微力ながらできることはやっておきたいと思っている。

さて、その上で自分としてはどう思っているのか。表題の通り反対である。まず、農業の面だけを見れば、稲作では持続可能な価格が維持できないのは火を見るよりも明らかであろう。日本の土地の利用効率を考えれば、アメリカやオーストラリアに適うはずもないのは今更私が言うまでも無く、多くの人が指摘していることだ。それらの国にどれだけ日本向けの短粒種(ジャポニカ米)栽培の適地があるかわからないが、少なくとも日本よりは一筆の面積が大きなほ場は多数確保できるだろうし、日本への輸出が効率の良い商売になると言うことになれば、ジャポニカ米に転換する産地が出てくることは想像に難くない。それで、日本の水稲作が壊滅状態になったとしたらどうなるか。これも多くの方が指摘しているようにその周辺産業への影響がどこまで波及するのか想像もつかない。また、野菜などはまだ勝負できるとは思っているものの、露地野菜は水稲作なくしては成り立たない場合が多い。結局品質や収量も今のままとは行かなくなる公算が大きいのである。
つまり、何の対策も打たなかった場合、少なくとも今より農業の状況は確実に悪くなる。現在の農業が他の産業に類を見ないくらい好調であるのならまだしも、現時点ですら滅多なことでは新規就農を薦められないような現状で、なお悪くなることがわかっていてその方向へ進む政策を支持できるか。少なくとも自分にはできない。

それと、自分として心配なのは輸出産業が好調になったとしてそれで本当に好景気がやってくるのか、と言うことだ。たとえ一部企業(どのくらいの規模かは想像もつかないが)が儲かっても、国内に目を向ければ農作物以外にも関税のかからない物品が大量に入ってくることも考えられる。TPPに参加しない中国からの現時点の輸入ですら、これだけ国内の様々なものの価格を下げている。つまり、今以上にデフレが進行することが懸念されるのだ。
私は経済学にはずぶの素人なので、間違ったことを言っていたら指摘していただきたいのだが、デフレになれば確実に経済は停滞するのではないか?ものが安くなると言うことは買う方からすればありがたい面もあるが、投入されたエネルギーに対して動くお金の量が少なくなるため働いても働いても売っても売ってもお金が世の中を回らなくなる。好景気の時というのはアイディアやサービスに対して大きなお金が動くものである。今は良いものでもより安くが正義である。TPPが発動することによってそのデフレがさらに加速しないだろうか。どう考えてもデフレ傾向が強まるとしか思えない。そうなれば、景気浮揚による農業への投資という自分の考え(希望)も困難だと言うことになろう。不景気に喘ぎ、明日への希望も見えない中で高い国産農作物を買い支えてくれと誰が言えようか。そんな事態に陥る事が目に見えていて、TPP参加すべし、と軽々しくは私には言えない。

おそらく、TPP参加によって経済がどのように動くのか正確に予測できる人はいまい。しかし、最悪の事態を想定することは様々な知恵を集めればできるはずだ。そして、それを避ける知恵も、不幸にして最悪の事態に陥った場合にもそのダメージを最小にする知恵も出てくると思う。少しでも幸せな明日を夢見るためにも多くの人に考えてもらいたい。どのような結論を出すにせよ、声の大きな人に引きずられて失敗した過去の政治の愚を繰り返すことないようしっかり考えていくべきだろう。

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民主党・・・そんなに期待していたワケじゃないけど

最近の民主党のドタバタぶりは目に余るものがある、とほとんどの人が思っているに違いない。鳩山さんはあまりに決断力に欠けているように見えるし、そのほかの大臣連中も野党時代に比べて勢いを感じられない。

現在、民主党が政権政党にあるのは、自民党の自滅もあるが、野党感覚を保ったまま政権運営をすることである程度現実路線もふまえながら野党なりの理想を上手く絡み合わせて今までにない「国民目線の政治」を実現してくれるのではないかという期待感からだったのではないかと思う。みんながみんなそうだとは言わないが、少なくとも自分はそうだった。
いや、もちろんそこまで理想的なことができるとは思っていなかったが、少なくとも「自民党と結局は同じ」と見られることだけは避けるだろうと思っていたのだ。

もちろん、政策的には違うことをやっているし、変わった部分もあるが、かなりの割合の国民には根幹に流れる本質は変わらないのではないかという印象を与えていると思う。もちろん、未だに何もなしていない政権政党を政権を取ったと言うだけであれだけ叩きまくるマスコミもどうかと思うがちょっと叩いただけでほこりが出まくる民主党も民主党である。

民主党が政権を取って、「事業仕分け」をオープンにしたことなどその内容は別にしてそれ自体は評価できると思う。とにかく、自民党に比べれば「国民目線」を取り入れようと努力していることは伺える。

しかし、そういう努力を無にしているとまでは言わないが、足を引っ張っているのはやはりなんと言ってもそのトップは小沢一郎だろう。かつて小沢が自民党を割って出た時、理想論だけを唱えてほえ続ける既存野党と違って、現実を知る自民党の中枢にいた人物として現実的な政権運営感覚を持ちながら、野党目線での政策による政権運営ができるのではないかと期待していた。私個人的には少々汚い金を手にしようが、そのマイナス点を差し引いてでもなお国全体の利益を上げることができれば政治家はそれで良いと思っている(これには異論もあろうが、その点での議論はとりあえず今回は避けて頂ければありがたい)。
だから、小沢が自民党時代と変わらない金集めをしていたとしても、国益にかなう政治をしてくれれば一貫して民主党を支持するつもりだった。その点においては、マスコミが小沢を極悪人であるかのごとく(そのとおりかもしれないが)主観的報道をするのには少々辟易している。週刊誌はおいておくとしても、少なくとも「報道機関」を自認するところについては、事実を淡々と報道し、冷静に解説を加えるだけとするべきだろう。

しかし、小沢一郎がそういう国益にかなうことができているのかというと今のところとてもそうだとは思えない。民主党では、岡田外相や前原国土交通相がまだ好感の持てるところを見せているが、小沢がそれらの重しになっているように見える。中国にすり寄って見えるところもあまり気持ちの良いものではない。いたずらに中国を敵視するつもりもないが、天皇陛下すらないがしろにして中国に気を遣う様子を見ていると気持ち悪くて仕方がない。
新進党を作ってぶっ壊し、自由党を経て民主党に合流とこの男がいったいどこを目指しているのかさっぱりわからない。新しい政治の流れを作るのかと思いきや、政策が少々違うだけで結局体質が自民党と同じなのではなんのために政界再編を仕掛けたのか、いったい何をしたいのか私などではその本音について想像も付かない。どこを目指して行こうとしているのかわからない人間など怖くて支持できない。もちろん民主党=小沢一郎ではないから、個別の人間(議員)を見て考えればいいのだが、やはりそのためには自分自身の社会人としてのスキルを上げていくしかあるまい。自分がわかっていなければ、また他人の善し悪しも判断はできないのである。

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任せて良いのか?民主党!

民主党をはじめとする野党が参議院で食品安全委員会の委員に東大の吉川教授が就任するとした案に不同意した、という話は以前のエントリーで取り上げた。

これに関し、時々当ブログにコメントを寄せてくれるtahata氏のブログでこういう記事を見つけた。当ブログでは完全に後追い記事になるので、詳細はtahata氏のブログをご覧頂きたいが、簡単に経緯を説明すると次のようになる。

吉川教授の食品安全委員会委員就任を否決した事に関し、当ブログでも取り上げたように各方面で批判が相次いでいるが、これに対して民主党のウェブサイトで中西準子氏の「雑感」というサイトの記事を参考にして吉川教授の科学的姿勢に疑問を持ったので不同意とした、と書いてある。そして、その日付が6月2日となっている。参議院の議員運営委員会および本会議で取り上げられたのが6月5日であるから、その前にこういう意見を表明していたことになる。それなら、民主党の姿勢には問題がないということになるが、実はこの記事、6月2日の日付でありながら、7月に入ってから掲載されたものであるようだ。

これが間違いないとすると、いや、状況からして間違いなさそうであるが、だとしたら民主党は信用に足る政党であるとはとうてい言えないと思うがどうだろうか。

※当エントリーはtahata氏のブログを参照していますが、文責はブログ主の「がん」にあります。これをご覧になった方はくれぐれも当ブログの内容のみを持ってtahata氏を批判することがないようにお願いします。当ブログの記事に対する批判は、「がん」にお願いします。

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