書籍・雑誌

「醤油本」

というタイトルのムックが発売されているということをTwitterで相互フォローの方から教えていただいた。それに、直接の知り合いではないが結構身近な人が著者に名を連ねているということもあり、仕事にも関わることなので購入してみることにした。

まずは醤油の歴史や地域性について解説がなされており、一般的に知られている淡口、濃口醤油の違いについて、製法から解説してある。一般に関西では淡口、関東では濃口が主流と簡単に思われいている、というか自分はそんな程度の認識だったが、関西でも多いのは濃口で、淡口の比率が関東よりかなり高いというだけだったのは意外だった。

そのほかにも九州で主流の甘口醤油は香川でも結構流通しているらしく、我が家では甘口醤油はあまり使うことがないのでそういうことも知らなかった。

刺身には刺身用の醤油を使っているが、単純に「溜」を使っているものと思っていたし、溜というものは単に濃口をさらに濃くしたものかと思っていたが、それも違った。製法だけでなく、原材料にもいろいろあり、それらがあの豊かな風味の違いを生み出していたというのは非常に興味深いものであった。というか、自分の無知が恥ずかしくなる思いだった。刺身醤油も単に溜醤油というわけでなく、食材によってはその他の醤油が合う場合も多いようだ。

アミノ酸を添加する混合醸造やその他の添加物についても丁寧に科学的に解説してあり、必ずしも本醸造や昔ながらの長期間の熟成が良いばかりではないときちんと述べている点にも好感が持てた。この辺は100巻以上続いている某グルメ漫画とは違うところだ。

それから、醸造用の木桶復活にも触れられているが、これがまた結構身近で行われていることに驚いた。小豆島のヤマロク醤油というところの社長が取り組んでいるようだが、これはもしかして前回の瀬戸内国際芸術祭の折に小豆島の醤の里で見たものがそうだろうか。また、醤の里に行く機会があったらぜひ訪れてみたいものだ。そのときはツーリングもかねて、私がもう一つ運営しているバイクブログの方で紹介できればと思っている。

蔵元紹介のページでは各地の味わい深い蔵元が紹介されていた。それによると、自宅から結構近いところにおもしろそうな蔵元があるようだ。また是非立ち寄ってみよう。そのほかにもこの本には紹介されていない蔵元が近くにあるはずなので、そこも覗いてみよう。スーパーなどで売っているのを見かけたことはないので、直売してもらえるのなら買ってみたいところだが。

ただ一点だけ気になったのは、遺伝子組み換え大豆に関する記述で、決して否定的に書いているわけではないが、気になる人向けに表示で見分けるための知識が紹介されており、少々もやもやする気分にされてしまった。ほんのわずかではあるが、マイナスイメージにつながりそうな書き方をされていたからである。

ともあれ、全体としては非常に読みやすく、内容も好感の持てるものだった。こうした調味料に興味のある方、大メーカーの大量生産品や添加物が気になる方、地域ごとの、地元の醤油事情が知りたい方は是非手にとって読んでみることをおすすめしたい。
ソースでもこういう本が出ることを期待している(某氏に向けて)。

本の出版情報を記載していなかったので、追記しておきます。

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締めて760円也。このくらいのリソースは払おうよ「もうダマされないための「科学」講義」

さて、当ブログ始まって以来の書評である。ニセ科学関連の問題にはずっと注意を払ってきたし、それが農業に関することならこのブログでも取り上げた来た。しかし、根性なしなので専門外のことにはあまり深入りしなかった。しかし、震災以降とくに放射能問題においては科学者でなくてもある程度のリソースを割いてでも対応すべき事柄が増えてきている現在、そうも言っていられない。そこでまず、ホンマ手始めにであるが「もうダマされないための「科学」講義」を読んでみることにした。などと言いながら、自分は著者謹呈で入手したことはあえて先にお断りしておく。謹呈いただいた片瀬久美子氏には多大な感謝の念を表しつつ、誠心誠意「正直な」感想を述べることでお礼に代えさせていただきたい。

※おことわり
敬称についてはずいぶん悩みましたが、著者の方々は全員「さん」付けで呼ばせていただきます。もちろん著者全員に敬意は十分払っておりますので、寛恕いただきたいと思います。また、文中では書名を「もうダマ」と表記させていただきます。

この新書はまず大阪大学サイバーメディアセンター教授の菊池誠さんの文章から始まる。菊池さんは早くからニセ科学の問題点に着目し、ご自身のブログでそれら個々の問題を取り上げたり、ネット上に「ニセ科学入門」などの文章を公開したり、いくつか著書も出されている。それらのコンテンツに早くからアクセスしてきた自分にしてみれば、今回の文章にはさほど目新しい点はない。しかし、早くから取り組んで来ただけあって、様々な人と対話を繰り返した経験を生かした語り口は相当こなれてきていると思える。
また、菊池さんは誠実に物事を語っていると思う。自分の努力の及ぶ範囲を無理に拡張しようとしていないからである。
「もうダマ」では最初に掲載されている菊池さんの文章が比較的ニセ科学の全体像を網羅的に理解するのに適している。とりあえず問題点を理解するだけならここだけ読んでもいいかもしれない。しかし、菊池さんの文章で入門編を済まし、練習問題が解けるようになったら個別の応用編に進むのがいいだろう。そして最後の付録で実戦形式に望む、と言うわけである。

つぎに、京都大学大学院文学研究科准教授の伊勢田哲治さんが登場する。伊勢田さんは科学哲学の立場から、科学の考え方の及ぶ範囲について考察している。恥ずかしながら、私は「科学」の隅っこに関わる仕事をしていながらここで登場する「ローカルな知」や「モード2科学」という言葉はこの本で初めて知った。これらの言葉のイメージがなかなか固まらなかったため、この伊勢田さんの章にはずいぶん苦労させられた。理解しようというモチベーションが高ければさほど問題とは思えないが、軽い気持ちで読み始めた人にはこの章はかなり高い壁になるかもしれない。そういう意味で、この本がメインターゲットとしている層に届かせるためには少し考え直した方がいいかもしれない。
しかし、農業の現場で生産者と関わる仕事をしている自分にとって、ローカルな知やモード2科学は重要なポイントとなるというか、自分の仕事はまさしくここにあると言っても過言ではない。もちろん、いかなる事象も細かく分解すればすべて「理」で動いていることは間違いないが、その個々の現象があまりに複雑に入り組んでるため、大まかに拾って現象を理解するローカルな知の重要性が増してくるのである。
それだけに、逆に言えば農業は「ニセ科学」の入り込む余地が大きいと思う。しかし、ここで取り上げられているローカルな知は間違いなく科学の及ぶ範囲であり、農業もまた広い意味での科学で拾えるもの、いやそう考えていかなければならないだろう。そういう意味で、自分の今後の仕事についても参考になる章であった。

3番目は元毎日新聞記者で現在はFOOCOM.NETを運営するサイエンスライターの松永和紀さんである。さすがに元新聞記者だっただけあって、メディアが物事を伝えようとするときにどういう考えでどういう力(社内等での雰囲気)が働いて記事ができあがるのかをよく知っている。その上で、メディアが伝えること、伝えきれないことを解説することで科学(には限らないが)の報道をどう読み解くかを述べている。
松永さんは記憶では農芸化学出身の人だったと思うが、そのおかげか生化学分野の記述に強い。いやもちろん、その他の分野もよく勉強されているのだが。
それにしても、松永さんの章を読むといかに過不足なく物事を伝えることが難しいか思い知らされるような気がする。自分はジャーナリストではないが、人に物事を伝える文章はよく書く。というか書かねばならない。しかも、それは不特定多数が対象であり、なおかつ意欲も知識も様々なのである。そこで、できる限りの情報をてんこ盛りにすると意欲があまりない人には読んで貰えない。わかりやすさを重視して書けば意欲ある相手にはもの足りず、知識の少ない人には情報が不足してしまう上、書くべき内容の取捨選択が自分の判断にゆだねられ、誘導的な文章になりかねない不安がある。
そんな中で、松永さんはジャーナリズムが果たすべき役割について、自身にも問い続けたことを実例を交えて丁寧に解説している。自分自身(松永さん)をも疑えとまで書かれている。「もうダマ」の中にあって、メディアリテラシー実践編その1といった趣だろう。もう騙されない事を主眼に置くなら、この章と付録の合わせ技がが役に立つと思う。

本文最後の章は大阪大学コミュニケーションデザインセンター准教授の平川秀幸さんである。専門は科学技術社会論なんだそうだ。
ここでは、科学的コミュニケーションの問題として「欠如モデル」という概念が出てくる。科学に詳しくない一般の人が正しい判断が出来ないのは知識が不足しているせいで、その「欠如」を埋めることができれば正しい判断が出来るようになるのでは、 という考え方である。
もちろん、平川さんはそれで十分だと考えているわけではない。ある物事に対して、そのことが解ることと、納得がいくことは別物だからである。従来の科学コミュニケーションはこうした欠如モデルを基本的考え方として活動が行われてきており、一方的に近い情報発信だったものが様々な科学の信頼が危機にさらされることで不十分であったことが明らかになってきたことから、対話などを重視し、様々な立場を取り込んだ包括的なコミュニケーションへ移行しつつある、ということの解説を行っている。また、そうあるべき、という提案もなされている。
ここでの話は、震災以降ここに至ってやや生ぬるい印象も受けるが、平川さんの立場を抜きにして考えれば、こういう基本を振り返る場も必要かなとも思う。こういう基本的な話から、科学コミュニケーションを進展させるきっかけが生み出されればそれも悪くないかもしれない。

最後に付録であるが、細胞分子生物学を専門とする片瀬久美子さんである。片瀬さんは普段からツイッターでもやりとりをさせていただいており、リアルでも一度お会いしてそのもの柔らかな雰囲気は、この本や菊池さんのブログのコメント欄で見かける文章からは想像できずにずいぶん驚いた印象がある。まぁ、そんなことは本文とは関係ないので話を元に戻したい(笑)。
片瀬さんの章は、ネット上などで流されてくるデマなどの見分け方や対処方法について具体的に述べられている。網羅的でないという意見も散見されたが、個人ではリソースに限界があるし、経験のないものまでカバーするのは不可能だろう。その中で彼女はできうる限りの経験を伝えている。いずれにしても、彼女が経験したことと全く同じ事が起きるわけではないので、それを見た人は自分で応用するしかないのである。本来、傍目で見るなり議論に参加するなりして経験を積んでいくものであるが、それを系統立ててまとめてくれているのであれば、それを利用しない手はない。彼女が苦労した部分を、同じように苦労する必要はないのである。それこそが、片瀬さんが望んでいることではないだろうか。
私は、片瀬さんがツイッターなどで苦闘している様子をたびたび目にしている。あのような丁寧な対応は自分にはできない。ただ、彼女は突っ走りすぎてやや危なっかしく思えることもあるので心配なところもあるが・・・。しかし、そんな彼女の苦労を無駄にはしたくないとも思う。この本を手にされた方はここまでの章で全体像と科学コミュニケーションって何だろな、というところまでたどり着けたら、ぜひ付録の文章を応用できるよう頑張ってみていただきたい次第である。

とある友人が言っていたことであるが、いわゆる一般人が自らリソースを割くことなく科学者が情報を提供してくれる事ばかり期待していてはいけない。今の時代は自ら情報を求めていかなければ生きて行きにくい、科学的素養がこれほど求められている状況はないのである。そのきっかけとして、この本を手に取り、締めて760円の金銭と少しばかりの時間を消費すればその端緒にはつけるのである。普段、このような本を手に取らないかたがたにも是非おすすめしたいと思う。ただ、ちょっとばかり壁が高いところがあるのが難点であるが・・・。

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