[書評]がんの花道 患者の「平穏生」を支える家族の力(長尾和宏、藤野邦夫)
村上春樹の短編『神の子どもたちはみな踊る』(参照)に収録されている『タイランド』という短編小説の冒頭、主人公のさつき(50歳を越えていた)は、タイに向かう飛行機のなかで、乗客に医師がいるかとの機内アナウンスを聞いて名乗り出るか、ためらう。乗客に緊患が出たのだ。が、彼女は病理医であって臨床医ではない。以前、似たような状況に遭遇して名乗り出たとき、たまたま乗り合わせた別の開業医から、間接的ながらも、病理医の必要はないと諭された。開業医には、前線で指揮をとっている古参将校にも似た落ち着きがあったと、さつきは感じた。
がんの花道 |
対談集ということからもわかるように、読みやすい本である。対談のもう一人は翻訳家でもあり、自身も前立腺癌治療を受けたこともあることから、癌患者のサポート活動を続けている藤野邦夫氏である。
対談の目的も、非常に明確で、癌患者を支える家族をどのように応援するか、ということに尽きている。まさに、身近に癌患者のいる家族のための本であり、またそうなる可能性の高い人のための本でもある。読みながら、患者自身のための本であるとも思えた。
対談は軽妙に進行するのだが、言葉の一つ一つが重く、そして具体的かつ実用的である。癌患者家族のための実用書としてもよい。がんの告知をどのように受けたら良いか。セカンドオピニオンはどのように得るべきか。巻末にもまとめられているが「がん拠点病院」の利用法、医療補助の受け方など、詳しい話がある。どれも役立つ。
全体は5つの章で成り立っていて、各章を追って、初期、治療期、小康期、終末期、その後と進む。圧巻は、終末期を描く4章「自宅での平穏死を選ぶ「家族の決断」」だろう。補助題には「抗がん剤治療のやめ時、在宅療養、そして看取り」とあるが、抗がん剤治療のやめて死を迎える終末期が扱われている。
本書の二人は、抗がん剤治療を否定していない。それどころか、2章の治療期などを読まれるとわかるが、抗がん剤治療の有効性にも言及している。しかし、当然ながら、抗がん剤治療は万能ではなく、患者によっては限界がくる。そこで患者にも家族にも悩みが生じる。抗がん剤治療を継続すべきか。
そういう状況で継続するとどうなるか。
現在の日本では、がん患者さんの約9割が病院で亡くなっています。そこでフルコースの延命治療が行われた結果、耐え難い苦しみに襲われて暴れられるので、最期は麻酔をかけて意識を無くしたまま亡くなっているのが現実です。
臨床医の経験的な証言という限定ではあるが、おそらくその通りだろう。
病態の変化によっては、抗がん剤治療を打ち切る時期が検討される時期があるだろう。であれば、そこから死までをどのように家族と生きるかが、問われる。
その時期については、当然ながら、臨床医の観察と示唆が重要になるが、長尾医師は最終的には患者本人の自己決定としている。正解はないと彼は述べながらも、一般的な目安として「はっきりと痩せてきた時」としている。
その結果を「平穏死」として受け取るのは、本書の対談を読み進めるにつれ、抽象的に過ぎるとわかる。というのは、具体的に、水の補給を含めた栄養点滴を最小限とし、脱水・誤嚥・餓死を怖れないとした対応が語られるからだ。軽妙な語りのなかで壮絶な光景が浮かぶ。それは緩和な安楽死なのではないかとの疑問が読者に付きまとうかもしれない。こうした点にも対談は丁寧に説明されている。
読後の率直な自分の思いを述べれば、往診可能な開業医のもとで、在宅で家族と共に最期を迎えられるならそれは幸せな死の姿だろうということだ。そして誰もがそうすることは可能なのだろうかと疑問ももった。いろいろと具体的な難関も思い浮かぶ。そもそも長尾医師のような開業医は少ないだろう。終末期のその対応は、医学というより開業医の、やはり全存在をかけた医療の成果でもあるだろう。そうした開業医を私たちの社会は十分にもつことができるようになるだろうか。
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コメント
人は歩けなくなって、それから食べることが出来なくなって死に至ります。
自分で食べることが出来なくなってきたら、死が近いのです。
そのことが、患者本人と家族に理解出来るのであれば、経済的に問題がないのであれば(年金等)、長尾医師のことは理解されるでしょう。
今は多分、少数派であるのでしょうが、その理解が日本の保険制度を守る最前線なのかもしれません。
投稿: val | 2013.09.18 20:42