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2011年4月26日 (火)

新卒者就職問題の構造的背景と今後の課題

B9f5e3a261d97434d2928fb4d025dd54 『月刊社会民主』5月号は「まなぶ・はたらく」という特集で、そこにわたくしも「新卒者就職問題の構造的背景と今後の課題」という文章を寄稿しています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/shaminshinsotsu.html

途中までは今までの歴史叙述が主ですので、今日の問題を論じている最後の2パラグラフをこちらに引用しておきます。

>若者が置かれた過酷な状況

 今日の問題の原因は、職安なり学校なりといった生徒・学生を保護する主体が介在することによって成り立っていた新卒一括採用システムという枠組みを、広大な労働市場に無力な生徒・学生をばらばらに放り込む形で維持し続けようとしている点にある。これは矛盾に満ちている。

 近代社会における労働者の採用の基本モデルは、労働市場において企業が一定のスキルを要するジョブについて必要に応じて求人を出し、それにふさわしい求職者が応募し、採用に至るというものである。日本の職業安定法もそのような原則に立っている。しかし、日本の労働社会ではそのようなルートで入ってくる労働者は企業にとって周縁的存在であった。企業のメンバーたる「正社員」は、学校卒業とともに上記新卒一括採用で入社し、定年まで勤続することを期待される。その入口は長らく国家や学校の保護下にあった。

 ところが、高卒者の一部やとりわけ大卒者の採用市場が自由化し、生徒・学生が個人として広大な労働市場のまっただ中で就職活動を繰り広げなければならなくなったにもかかわらず、つまり職安や学校が責任を持って就職先を見つけてくれるわけではなくなったにもかかわらず、彼らは学校卒業までに自力で就職先を見つけなければならない。企業が正社員を新卒一括採用に限定している限り、これを徒過すると非正規労働者としての道しか残らないからである。しかもその市場で彼らが企業に売り込まなければならないのは、具体的に高校・大学で学んだことではなく、「人間」としての潜在的能力である。これは、とりわけ入学時の偏差値の低い学校の生徒・学生にとっては、極めて過酷な状況をもたらすことになる。
 
解決の方向-短期と中長期と

 これに対する処方箋は、短期的に現実的なものと、中長期的に実現されるべきものに分けて書かれなければならない。短期的には、新卒一括採用システムを含めた日本企業の雇用行動様式が急激には変わらないことを前提に、かつての中卒・高卒採用のような保護主体の介在するマッチングを復活させることがもっとも効果的であろう。同世代人口に対する割合から考えても、現在の大卒者の相当部分はかつての中卒者と重なる。できるだけ高校・大学自身が、それが困難であれば公的機関が、責任を持って卒業までに就職先を見つけるのである。これはあまりにもアナクロであり、パターナリズムと見えるかも知れないが、目の前で矛盾に苦しむ若者を救うためには、ある種の逆戻りはやむを得ないと思われる。

 しかしながら、成人に達した大学生を未成年の中卒・高卒と同じように扱うことが社会のあるべき姿とは言いがたい。中長期的には新卒一括採用システム自体を変えていく必要があろう。自由市場で求人と求職が結合するという本来のモデルが適切に作動するためには、ジョブとスキルでもってマッチングするためのインフラ整備が不可欠である。それがメンバーシップに基づく日本型雇用システムの中核的構成要素の全面的転換を意味する以上、かなり長い時間をかけたプロセスとならざるを得ない。

 筆者も参加した日本学術会議の大学と職業との接続検討分科会の報告書(2010年7月)は、表面的なマスコミによって「卒業後3年間は新卒扱い」といった枝葉末節的な部分ばかりが取り上げられたが、主たる論点はむしろ構造的問題への提起にあった。すなわち、まず何よりも大学教育の職業的意義を向上させ、それを前提として専門性を重視した職業上の知識・技能に応じて正規・非正規間でも公平な処遇がなされる労働市場を確立し、その間では大学で学んだ内容と求める人材像との適合性を重視し大学教育の概ねの課程を修了してから就職・採用活動が開始され、また卒業後も求職活動や適職探索を幅広く行えそしてそれらを生活支援と訓練支援のセーフティネットが支えるというイメージである。

 やや皮肉な言い方をすれば、こういう教育と労働市場の在り方にもっとも消極的であるのは、「学問は実業に奉仕するものではない」と称して職業的意義の乏しい教育を行うことによって、暗黙裏に日本的企業の「素材」優先のメンバーシップ型雇用に役立っていた大学教授たちであろう。彼らの犠牲者が職業的意義の乏しい教育を受けさせられたまま労働市場に放り出される若者たちであることは、なお彼らの認識の範囲内には入ってきていないようである。

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コメント

厳しい就職最前線の裏側を児美川孝一郎さんに聞く(前編)「企業は採用実績の出身大学を公表してほしい」
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110915/284081/

"――震災だったり、就職氷河期だったり、入学した年によって就職の運命が決まってしまうのはどうにかならないんでしょうか。

児美川 ほんとうに不条理だと思います。年々で採用数がこんなに違うのは学生たちに説明がつかない。"

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