「ライフログ運動の中心としてのニート」

 「ニートを社会運動の中心にする、ってのは既定路線」
 「ジャーナリズムとはライフログの編集である」 ⇒ winny こそ史上最強のジャーナリスト
 「社会にコモンナレッジ(共通知識)は必要なのかというのが根本問題」
 「社会がニートに依存する状況がないと結局、話は前に進まない」


  • 「抑圧を解放する」とか「告白」とかの実存べったりではなく、ライフログ即物的徹底のほうが有効に思える。
  • 既存の社会性は、《抑圧と隠蔽への加担》を意味する。 支援業界も、水面下の差別と暴力ばっかり。
  • 「隠してあげなければいけない」のは、「隠そうと思えば隠せる」が前提だから。 「どうせ誰も隠すことなんかできない」が前提になれば、倫理が変わる。
  • 100%のライフログが共通認識になれば、分析は自動生成するんじゃないか。 ガタリ的な制度分析は、やむにやまれず出てきてしまう分析を許可する、という運動でなければ。 「分析しなければならない」だと、やらない人を縛りつけてしまう。 《解放》であるはずなのに、かえって拘禁になってはどうしようもない。
  • 目撃者としての価値的な制作過程を、全面暴露で置き換える。 ⇒「隠蔽がなくなれば、政治は必要ない」と言えるかどうか。