軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

目的と目標

 北朝鮮の核問題で、世界は揺れている。特に「戦略なき我が国」では、お茶の間の格好の話題になっているが、その無責任な解説ぶりには気になるところが多い。
 軍事力を行使するとき、つまり、戦争を遂行しようと決定する場合、重要なのは「目的と目標」を明確に見定めることである。
「統帥綱領」には、「目的と目標を誤ってはならない」とあり、「忙時、山、我を見、閑時、我山を見る(忙しいときでも、暇なときでも、山は見えているのであるが、目前の小事にとらわれていると、遠くのことに気がつかない)」と戒めている。
 現在、北朝鮮問題解決の柱は、何を置いても「米国」の決断にかかっているが、ブッシュ大統領は、国連の行動を優先させつつも、最後の手段としての「軍事力行使」をも視野に入れて指導していることだろう。
 つまり、軍事力行使を含めた国家戦略の基本は、「敵国の重心」に向かって、総力を結集して突進しなければならないのである。
「統帥綱領」はその重心として、次のようなクラウゼヴィッツの言葉を引用している。
1、武力国家では「軍隊」にある。
2、党派対立のために分裂している国家では「首府」にある。
3、大国を頼みとしている小国では、その「大国」にある。
4、数国が同盟を結んでいる場合は、「利害の中心点」にある。
5、民衆が武装蜂起している場合は、「首領および世論」にある。
 そして「これらの重心をついて敵の均衡を破ったら、回復の余裕を与えないように突進を継続する」と書かれている。
 これを北朝鮮の現状に当てはめてみると、先軍政治であるから「軍隊」は第一の目標である。党派対立の状況も絡んでいそうだから「首府・ピョンヤン」もそうである。
 第3の、北朝鮮が頼みにしている大国の「ロシア」も「中国」も、米国の目標となっていて、すでに唐家旋氏がワシントンを訪問した事が示しているように、米国は「重心」を抑えつつある。
 クラウゼヴィッツは、「敵国の重心を目標としない攻撃では、他の正面を防御する必要が起こる。敵は一部を持ってわが攻撃を防ぎ、主力を持ってその思うところに突進してくるから」とも書いているが、湾岸戦争や、アフガン、イラク攻撃で、米国は「目標と目的」「重心」を聊か読み間違えたから、未だにてこずっているのだが、その教訓から、北朝鮮に対する「武力攻撃」を遂行するときは、迅速的確に行動するだろう。
 もっとも、統帥綱領は「原爆、水爆を持った国は、最初から敵国生存の策源地を狙い、一撃でその死命を制することを企図するであろう」とも書いているから、北朝鮮が「本物の核兵器」を展開する前にこれを「排除」する必要がある。
 上記4の「利害の中心点」は、イラン、イラクなどの悪の枢軸のほか、テロリストグループが考えられるが、おそらく米国は「厳戒態勢」をとりつつあるに違いない。
 5の「民衆が蜂起している場合」は「首領」が目標になるから、イラク戦争のときサダム・フセインを「目標」にした場合と同様の攻撃態様になるが、「世論の動向」が読めない北朝鮮ではかなり難しい。北朝鮮国内に潜入しているCIA要員がどのような報告を上げているか興味があるが、反金正日派の動向をつかむのは難しいだろうから、決心しづらいであろう。
 しかし、我が国のテレビなどでは、金正日「将軍」一家は『ロイヤルファンミリー』と称されているが、彼の出自は極めていかがわしいことを米国は知っている。本物の金日成将軍は、ソ満国境地帯で、抗日行動をしていた旧帝国陸軍士官学校23期卒の「金光端」騎兵中尉(騎兵第1連隊所属)であるという説が最も信憑性が高い。
 金親子の神格化と暗黒の独裁を糾弾し、北の欺瞞を暴くことに生涯をかけた『李命英』氏の著書「金日成は4人いた(成甲書房・2000年5月発行)」には、4人目とされる金日成(本名聖柱)は、本物の金日成将軍に対する民衆の憧れをソ連が利用して作り上げた「偽者」であり、「馬骨の一味になったとき以来、金聖柱は、暴力の味を覚えただけではなく『共産革命』という唱え文句さえ掲げていればすべての略奪や殺傷が合理化できるという、便利極まりない口実を覚えてしまった。彼は『共産主義理論』をまず学んだのではない。『略奪と殺傷』から自らの邪悪な思念を紡ぎ出し、それを共産主義というオブラートでくるむすべを学んだのである」と喝破している。
 そうなると、その長男『正日』将軍の「戦法」は、受け継いだ?その性格から、近代戦略学とは縁遠いものではあるが「敵将の性格を知る」という点では、米国軍事専門家たちにとっては、判断材料になるかもしれない。
 さて、そのような状況下にある同盟国から「実力行使」を含む「協力要請」があった時、軍事学の基礎素養にかける嫌いがある「日本の政治家たち」の反応が気になるところであるが、毅然たる行動を取りつつある安倍氏には、大いに期待できそうである。補佐官たちの「不眠不休」の協力に期待したい。