論文紹介は八百屋で野菜を売るようなもの

今日は id:smly くんによる論文紹介。週末大学が新しい研究棟を作るために全学停電になってしまうので、最後駆け足になってしまったが、きちんと消化して読んでいてすごいなぁ、と思う。すでに博士の学生くらいの貫禄ある……(入学した当初からそうだったかもしれないけど(笑))

同じく DMLA 組(データマイニングと機械学習とリンク解析に関する勉強会)の M1 の人としては、id:tettsyun くんも先週進捗報告していて、しっかり研究していてさすがだな、と思う。manab-ki くんと一緒にあーだこーだ言いながら論文読んだりしていて、楽しそうである。

翻って自分のことを考えてみると、自分が論文の読み方、特に勉強会でどの論文を紹介すればいいかという勘所が分かってきたのは、つい最近のことである。少なくとも、Microsoft Research に行って帰ってくる前は分かっていなかった。重要な点としては、(1)自分の研究に関係している(自分がその論文で提案されている手法を実装する、もしくはベースラインとして考えている、くらいが望ましい)、そして(2)同じ勉強会に出ている他の人の役にも立つ、という2点かなと思う。

やってしまいがちなこととしては、自分がおもしろい、もしくは興味がある論文を紹介するのだが、そこまで自分の研究に関係ない(書かれている手法を自分が実装する気もないし、もしくはそのタスク自体もやる予定がない)論文を紹介したり、あるいは他の人の研究テーマで読んでおくとよさそうかなと思った論文を紹介する、というパターンかな。前者はまだ自分がおもしろいと思っているだけましで、問題点としては、せっかく時間かけて読むにも関わらず、自分の研究にほとんど貢献しないような論文を紹介するので1回のチャンスを使ってしまうのがもったいない、という点。目標としては、自分が書いている国際会議の論文、もしくは修士(博士)論文に「先行研究(関連研究)」として入れられるような論文を読むべきであり、1本論文を書くと参考文献には20本くらい論文が並ぶはずなのに、年間数回しか勉強会で論文を紹介するチャンスがないので、そういう論文を紹介せずに関係ないものを紹介するのは無駄撃ちのように思える。後者に関しては、もし本当にそれが同じグループの他の人の研究テーマに関係するのであれば、その人に教えてあげてその人に読んでもらうべきであって、その機会を奪っているわけで罪深い(「俺はこんな論文先に見つけたんだぜ、という虚栄心は満足できるかもしれないが……」)。

例外としてはその年に開かれた国際会議から新しい研究テーマやおもしろい手法が登場したときに紹介するというもので、これは自分の研究との関連性というよりは、業界がどういう方向に向かっていて、なにが盛んに研究されているのか知るためのものであり、これはこれで意味ある論文紹介だと思う。もっとも、「○○会議の論文読み会」という形でみんなで集中的に読む形式がこのタイプの論文紹介には合っていると思うし、わざわざ1時間半-2時間かけて読むようなものでもないように思う。紹介する側も聞く側も負担は大きいが、一日で100本以上の論文のサマリーを紹介しあうVLDB2009勉強会みたいな形で、1本につき数分でざっくりまとめるのをひたすらやる、というのが効率いいように思う(その中から深く掘り下げたいと思うトピックが出てくるかもしれないし)。

妻の研究室では我々の研究室でいうところの勉強会を「抄読会」と言うそうなのだが、これは毎回論文の紹介者1人と、その紹介に対してコメントや質問や批判をするクリティークと呼ばれる人1人をつけ、クリティークになった人も紹介者と同じくらい論文を読み込んで会に臨むそうなのだが、これはこれでいいシステムだと思う。かなり事前に論文を決めて告知しないという点は問題だが、「自分が読んで勉強会の1.5時間だけ乗り切れればいいや」と安易に考えるのではなく、他の人(少なくとも1人)にも同じだけのコミットを求めるので、変な論文を選べなくなる。また、紹介者の手間は松本研での論文紹介と同じだが、自分がクリティークする側に立つ場合、論文を単に紹介する立場ではなく、他の方法がなかったのか、とか、関連する研究との違いや、実験結果の解釈について批判的に読める練習、またスタッフや先輩が批判的に読む内容を聞くだけでも参考になるのではないかな(少なくとも自分は勉強会に聴講者として出る理由の大きな一つとして、先生方の批判的なコメントを聞くためだと思っている)。

批判だけうまくなって自分の研究はいまいち(難癖だけつけて対案を出せない)というドツボにはまる危険性はあるが、それでも批判能力が鋭ければいいんじゃないかとも思う。評論家は小説書く人や映画作る人と比べて何も作ってないじゃないか、とネガティブにとらえる人もいるが、作り手に愛を持って尊重して、世の中に出るべき作品を紹介する、というのはそれはそれで役目があると思うのだ(農家と八百屋の関係と言った方がいいのかもしれないが)。