損害保険最大手の東京海上ホールディングスが成長に向けた施策を相次ぎ打ち出している。国内市場は人口減少の影響で縮小が予想され、創業130年以上の“ガリバー”も変革を迫られる。総額1兆5000億円を超す海外M&A(合併・買収)や生命保険事業の強化で祖業の殻を破る。
●東京海上グループの首脳陣(敬称略)
2015年12月、東京都千代田区の東京海上ホールディングス(HD)本社24階。年に1度開かれる「CEO(最高経営責任者)会議」は同社の世界戦略の方向性を決める重要会議だ。参加者の顔触れはこの10年で大きく変わった。円卓を囲む約30人のうち、半分以上が外国籍の経営幹部で、当たり前のように英語が飛び交っている。
「短期間で新しい仲間とのシナジーを発揮してくれて、本当に感謝しています」。この日、永野毅社長はそう挨拶した。「新しい仲間」とは同10月に9200億円という巨費を投じて買収を完了した米保険会社HCCインシュアランス・ホールディングス。同社のクリス・ウィリアムズCEOが永野社長に促されて挨拶に立つと、メンバーから大きな拍手が起こった。
わずか5カ月間の短期決戦
日本の損害保険業界全体の正味収入保険料(売上高に相当)は2014年度で約8兆800億円ある。このうち5割程度を占めるのが主力の自動車保険だが、人口減少による自動車販売台数の頭打ちや若者の車離れによる影響は不可避。自動車保険に次ぐ収益源となっている火災保険も、将来的に住宅件数の減少が予想されるなど厳しい。国内で従来型の損保業務の殻に閉じこもっていては、じり貧は見えている。
活路の一つは海外。東京海上HDは約10年にわたって断続的に海外で大型M&A(合併・買収)を続けてきた。その成果は業績にも表れている。2015年3月期の純利益は過去最高となる2474億円。このうち約半分を海外が占める。国内のライバルであるMS&ADインシュアランスグループHDの同じ期の純利益は1362億円、損保ジャパン日本興亜HDは542億円。大差をつけた主因は海外展開にある。
2016年3月期は昨夏の大型台風で保険金の支払いがかさんだため最終減益となる見通し。それでも過去2番目の高水準(2200億円)を維持できるのは海外収益の下支えがあるからだ。
2015年3月、分刻みのスケジュールをこじ開け、永野社長は英ロンドン行きの飛行機に飛び乗った。1泊3日の強行日程でも、自ら出向かなければいけない理由があったからだ。
「HCCの首脳陣が会いたいと言っています」。海外部門を担当する藤井邦彦専務がそう報告を上げてきたのは2月のことだ。
東京海上は常時、数十社の海外保険会社を買収候補としてリストアップし、毎月のように検討を繰り返している。HCCという日本ではあまり知られていない会社に永野社長がここまで反応したのは、「常にリストの最上位にいたが、業績が良いだけにまず市場に出てこないと思っていた相手」(永野社長)だったからだ。
世界の保険業界でM&Aは日常茶飯事。交渉しようとした矢先、目の前で他社にさらわれるケースも少なくない。ライバルに悟られないため、交渉役は永野社長や藤井専務などごく限られた幹部だけに絞り込んだ。保険関係者の多いロンドンで訪英が噂になるのを避けるため、永野社長らはHCCの現地拠点にすら立ち寄らなかった。
市内のホテルで始まった両社のトップ会談は、ホテル内のレストランに場所を移しながら深夜まで続いた。「一緒に組めば、あんなことやこんなこともできる、と話が盛り上がって止まらなかった」。永野社長は会談の手応えをそう振り返る。「また、すぐにお会いできるといいですね」。別れ際、握手をしながらどちらともなく交わした挨拶は、その後すぐに現実のものとなった。
6月、東京海上はHCCを傘下に収めると発表。折しも円安が鮮明となっていた時期だけに、「高値づかみではないか」との指摘もあった。それでも「為替相場を気にして交渉しているわけではない」と永野社長が強気の姿勢を崩さなかったのは、海外事業こそが成長ドライバーだというぶれない信念があるからだ。
「高値づかみ」批判は気にせず
もっとも、そう言い切れるようになるまでには一定の授業料も払っている。東京海上が初めて大きな海外M&Aを手掛けたのは1980年。米国のヒューストン・ジェネラル保険グループを約120億円で買収した。
ところが現地経営陣をコントロールするノウハウがなく、代理店などの販売網も含めて任せきりにしていた。その結果、シナジーを生み出すどころか、傾き始めた業績を最後まで立て直すことができないまま98年に売却に至った。
「任せる経営」は聞こえは良い。しかし買収会社をグリップできていないことの裏返しでもある。そこで世界の保険市場に自らの身をさらし、経験とノウハウを積むことにした。最終目標は世界最大の米国市場や英ロイズ保険市場で活躍する保険会社を買収すること。海外戦略は大きく変わった。
小さな一歩は2000年に英領バミューダ諸島で始めた再保険事業だ。欧米系の保険会社と交渉するノウハウを蓄積するため、他社の保険リスクを引き受けるシビアな交渉で担当者を鍛える狙いがあった。その後、全ての大型M&Aに携わることになる藤井専務もバミューダで経験を積んだ一人だ。
海外武者修行を経験した人材を集めて、2007年に海外事業企画部を発足。買収を手掛ける体制を整えて、最初の大型M&Aに踏み切った。相手は英ロイズ保険市場で名の知れたキルン。940億円という買収額は当時の国内保険業界としては破格の規模だった。
これを皮切りに、東京海上の海外M&Aは加速。2008年には4715億円で米フィラデルフィア・コンソリデイティッドを買収。2012年には米デルファイ・ファイナンシャル・グループを2150億円で傘下に収めた。
●東京海上HDの主な海外買収・出資案件
3社の買収に投じた総額約7800億円に対し、3社合計の純資産額は約4600億円。差し引き3200億円の上乗せ分を払ったが、2016年3月末までに3社が生み出した累計利益は4000億円に上る見通しだ。
買収した海外子会社は会社役員賠償責任保険や農業保険などの得意分野をそれぞれ持っており、それを持ち寄ることで多様な保険需要を持つ顧客を東京海上グループだけで囲い込めるようになった。HCC買収で永野社長が「高値づかみ」の声を気にもとめなかったのは、海外事業企画部が発足して以降の経験と実績があるからだ。
海外主要子会社の首脳はすべて東京本社の重要な会議に呼び、グループの意思決定に参加させるようにしている。こうした「委員会」はM&Aや運用、IT(情報技術)などに細分化され、それぞれに知見を持つ幹部が積極的に参加している。永野社長は「結局、才能のある人材に投資したということだ」と話す。世界中の子会社からアイデアや情報を吸い上げて共有し、それを他の子会社のビジネスに生かす狙いだ。
世界でトップクラスの保険会社には、いくつかの共通点がある。損保は自然災害など地理的なリスクが経営に大きく影響するため、営業地域を分散させるためのグローバル化が必要になることは言うまでもない。その上で違いを出せる分野が「生命保険」だ。「世界トップクラスの保険会社は、多くが生保事業から発祥している」(大手生保首脳)。海外で勝ちぬいていくためにも、一般的に損保に比べて収益性が高い生保の育成が不可欠となる。
社長人事が示す「生損保一体」
今年1月、東京海上が発表したトップ人事は生保への注力姿勢を内外に示す象徴となった。東京海上グループでは、これまで持ち株会社と主要子会社である東京海上日動火災保険の社長を一人で兼務するのが、グループ発足以来の常だった。4月からは永野氏が持ち株会社社長のまま、東京海上日動では会長に就任。後任として北沢利文副社長を昇格させた。
北沢氏は東京海上HDの子会社である東京海上日動あんしん生命保険に6年近く出向し、同社長も務めた異色の経歴を持つ。あんしん生命の社長職はこれまで「上がりポスト」と見なされており、北沢氏自身も「まさか自分が選ばれるとは思わなかった」と振り返る。
東京海上にとって生保市場の開拓は急務だが、国内には40以上の生保会社がひしめく。後発組のあんしん生命は個人契約件数が約500万件(2014年度末時点)で業界10位程度。約2400万件の契約を持つ日本生命保険や同約2300万件の米アメリカンファミリー生命保険(アフラック)などの大手と同じ舞台で勝負しても勝ち目は薄い。
そこで、国内大手が強い死亡保険と、海外大手が強い医療保険の間にある「生存保障」分野に力を入れる。要介護になった場合や働くことができなくなった場合などへの保障を手厚くし、それまで事実上の「空白領域」となっていた分野に打って出た。
「元気でいた分だけ契約者が得をする」仕組みにも着目。2013年1月に発売した医療保険「メディカルKit R」は「所定の年齢になると使わなかった保険料がすべて返ってくる」という今までにない商品性が話題を呼び、発売開始から2015年末までに約53万件の契約を獲得するヒット商品となった。最大の販売チャネルである損保代理店を通じた生保の販売を強化するため、生損保で分かれていた代理店の支援担当者も一本化した。
業法で損保と生保に分かれてはいるが、顧客目線で考えればどちらも保険という意味では同じ。ただ、損保発祥の東京海上は、どこか生保を縁遠いものと考える癖があったという。社内に染み付いた序列や慣習を打ち壊す──。成長株のあんしん生命をこれまで以上に重視し、生損保一体の経営方針を内外に打ち出すための施策が北沢氏の起用だった。 東京海上の世界における立ち位置は「14~15番目程度」(永野社長)。合従連衡を繰り返して巨大化した欧米勢は言うまでもなく、国内の大手保険会社も続々と数千億円単位の海外M&Aに踏み切るなど、生損保の垣根を越えた競争が世界中で激化している。
東京海上は約10年をかけて「M&Aを成功させる手法」を模索し、着実に実行してきた。買収案件の大型化など、ステップアップを続ける“ガリバー”が示す次の一歩に、世界中の保険会社の注目が集まる。
永野毅社長に聞く
「損保」にはこだわらない
お客様の目線で見ると損害保険と生命保険という区分けはよく分からないものだ。お客様が興味あるのは、「自分と家族がどうしたら安心して暮らせるのか」だけ。保険会社はトータルで安心を提供するのが大事で、そのためには業法による壁を取り去っていくべきだと考えている。
私自身も「損保」ということに、全くこだわらない。大切なのはお客様の視線。保険会社は自分が売りたい商品をお客様に押し付けることが長年続いた業界だったという反省がある。我々の企業スローガンは「To Be a Good Company」。つまり、まだグッドカンパニーにはなっていない、という気持ちで常に取り組む必要がある。
10年以上前から海外を目指してきた。世界中の保険会社と比べると、弊社は14~15番目くらいに位置している。欧米の会社は買収を繰り返して大きくなった。上のランクに入りたいという思いもあるが、無理な買収を繰り返して健全性を台無しにしたら元も子もない。そこをブレないようにしていけば、必ず数字は上がってくると信じている。
日本は地震など災害が起こりやすい地理的な条件を抱えている。そこで海外や生保などを織り交ぜ、ポートフォリオを分散して経営していくことが必要になる。
ただ、日本市場の成長を諦めてしまったわけではない。我々の既存商品がお客様のニーズを捉えていないだけで、知恵を絞れば新たな成長分野は必ずある。
今年4月に初めて持ち株会社と東京海上日動火災保険の社長を分けた。グローバル経営の第2ステージに入ったと考えている。世界大手の仏アクサグループや独アリアンツグループなどに単純な物量で勝つことはできない。
これから海外で得た知見や人材を国内で生かしていけるかどうかがカギになる。日本流のやり方でグローバルでの存在感を高めていきたい。
どこから来た誰であろうと、優れた専門性や経験を持っている人がいたら、グループとしての重要な意思決定に参画してもらう。既にHCCやデルファイのトップなどには重要な経営会議にメンバーとして入ってもらっている。
最も意識を変えなければいけないのは、東京海上日動というドメスティックな会社だ。これはまだできていない。北沢氏を社長に指名したのは、そこを改革したいという思いがあったからだ。(談)
(写真=2点:竹井 俊晴)
日経ビジネス2016年4月11日号より転載
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