『斬(ざん)』

移転しました。
移転先:http://souryuusei.blog61.fc2.com/

■2006年7月アーカイブ

2006å¹´07月31æ—¥ | ç›®æ¬¡
■2006年7月アーカイブ

2006年6月← / →2006年8月

★★★☆☆ 過去記事を紹介しようとする気持ちについてあれこれと 2006.07.29
★★★☆☆ 記事内リンクについて考える 2006.07.27
★★☆☆☆  点  2006.07.25
★★★☆☆ なぜ「なんでもExcel(エクセル)」なのかを考える (後編) 2006.07.23
★★★☆☆ なぜ「なんでも Excel (エクセル)」なのかを考える (前編) 2006.07.21

★★☆☆☆ 小 倉 優 子 考 2006.07.19
★★★☆☆ 長文が読まれないのは内容以外の比率が高いため2006.07.17
★★★★☆ はてブコメントにおけるプロモーション効果はあるのか!? 2006.07.14 2006.07.15
★★★☆☆ ブログから学んだ事のエトセトラ 2006.07.13
★★★☆☆ いい機能をわざと悪くダメに使ってみる 2006.07.011

★★★☆☆ 未来の自分がどんな記事を欲しいかが分らない問題 2006.07.09
★★★☆☆ はてブの「お気に入り」について考える 2(感想編) 2006.07.07
★★★★☆ はてブの「お気に入り」について考える 1(歴史編) 2006.07.05
★★★☆☆ 「購読」って表現で合っているのか? 2006.07.03
★★★☆☆ 自分のブックマークがあてにならないのは、記憶が曖昧だからだ 2006.07.01




[参考] オレの記事おすすめ度を5段階にしました。

★☆☆☆☆ …たまにツボにハマルかも。
★★☆☆☆ …マニアックにはウケるよ。
★★★☆☆ …おすすめ!
★★★★☆ …超おすすめ!!
★★★★★ …まずは読んで見て!!

過去記事を紹介しようとする気持ちについてあれこれと

2006å¹´07月29æ—¥ | ãƒ–ログの話
・heartbreaking.:過去記事は無理して読まなくてイイです
・BLOG STATION:過去記事を読まれて違和感を感じるケース
・こんな世界のはしっこで・・・:[ピックアップ]文章から人はわからない
・こんな世界のはしっこで・・・:ネット上では「見せたい自分」が作られる?
・斬鉄剣:ネットで人間性を判断できるか?
・『斬(ざん)』:ネットでの人格はナゼやさしいのか?

 上記リンク先は、この記事との関連のあまりない記事もありますが、この記事を書くにあたって“気付き”を生んだ流れであったので、記しておきます。

・関連記事を読み進めていったら、自分の記事に辿り着いた。まさに『北の大地から送る物欲日記 - ブログを読んでて過去の自分に遭遇』に書かれてることと同じ状況を、偶然にもつい最近オレは体験した。過去にもあっただろうけど、忘れてるし“気付き”がなかった。

・過去記事を紹介するのも、現在進行形の話題から自分の記事が掘り起こされる可能性があることを身をもって知っているからか。関連として取り上げてもらいたいというのが無意識のなかにあるのかもしれない。

・自分の過去記事の全てを一字一句覚えているブロガーは少ない(ってかいないんじゃないだろうか?)。それが、ある日突然、忘れてた記事に、別箇所からの誘導で辿り着く。その時、また新鮮な気持ちで自分の記事を読めるし、書いたときとは違う感想や気付きもあるかもしれない。そーいったことが嬉しい面もあるのではないか。

・自分の忘れていた過去記事を読んで、やっぱりいい記事だな、と自画自賛できるとしたら、それはそれで至福な時ではないだろうか?逆に赤面したくなる場合もあるだろうけど。

・関連する話題が繰り返されるのを見るに付け「それ、以前オレがもう書いてる」ってのが、出てくる。その時に、直ぐに自分の書いた記事を読みたくなったり、差異や今の思いを新たに関連記事として書きたくなるときもある。そーすると、自分の過去記事は財産だな、と思えたりもする。

・そう思うと、これは自分だけがわかるような過去に埋れさせるより、より多くの人に簡単に辿り着いて読んでもらえないだろうかと思う。参考として一読してもらえれば、また別の発想や考えが広がらないだろうか?それは同じ話題に興味を持った者同士として、さらに追求していける面白さに繋がるんじゃないかと。

・忘れる事で、新鮮な気持ちを再度味わえる。それとは別に覚えている事で、新たな事を発見できる。その両者を両立させる事が出来れば理想的だと思う。

・忘れた記事を直ぐに取り出せる方法。覚えてる記事を直ぐに取り出せる方法。その両方を叶えるのは、やはり過去記事をいかに取り出しやすくするかではないだろうか?それは自分にとっても読者にとっても、良い事だと思うから。

記事内リンクについて考える

2006å¹´07月27æ—¥ | ãƒ–ログの話
■304 Not Modified: リンクの多い記事

からの触発というか、自分の考えを書く。
1.見栄えが良くない
2.文中リンクは、リンクを先に読んで欲しいの?
3.リンク先を読まなくても理解できる記事を
 と、3項目を見出しとしてあげられています。

【見栄え】
 これは、CSSで、文字色、背景色、リンクの色やカーソルを当てた状態での色付け、アンダーバーの有無などを変更させれば対応可能となりますね。特にはてなやSeesaaのように、キーワードが勝手にアンダーバー表示される場合は気になりやすいと言えますからね。オレも正直アレは読みづらい感があります。それとキーワードリンクと記事リンクの違いが分らず紛らわしいですね。さりとてアンダーバーをなくしたりリンク色と文字色を同じにすると、リンクなのか分らず、リンク先に気が付かない場合もあり、これも結構不便に感じます。目立たせないようなリンク色にするってのは、やろうかな。

【文中リンク】
リンク先は先に読んで欲しいのでしょうか?
 自分の場合で言えば、一番最初に入れる場合は、この記事のように言及先であり、まず言及先記事を読んでの前提となりますね。当然その場合は引用する場合が多く、その都度取り上げてますね。それと、あとキーワード的に入れる場合があります。難しい単語や分りにくいカタカナ文字は、辞書へのリンクがあったりします。これは補足として、単語を知らない人にはその意味を分ってもらえるようにという趣旨ですね。ジャーゴン対策ともいえるかな。

・「○○でも書きましたが」……参考、参照ですね。過去記事紹介。
・「○○で言われているとおり」……これは、リンク元に対する礼儀かな。最後に参照で入れるより、その場で入れる方が分りやすいからですね。
・「詳細は○○で」……これは、単純に省略して楽したんでしょうね。
多分補足程度だと思うのです。だったら、注意書きつけて記事の最後にリンクを挙げればいいと思う
 確かにそうだとも思いますが、注意書きを付けるより、そこにリンクがあるほうが、記事作成側は楽です。そして、リンクされる側から考えても注意書きにすると一手間余分になるし、後では忘れる場合もあるから、記事の最後の参照リンクからでは、飛ばれる確率も下がるかと。タイムリーに考えると注意書きよりいいかなと思います。それと、自分を読者に見立てた場合に、後で読み返したときにその方が飛びやすいというのもあると思います。
リンク先を読んでいる間に元の文章を忘れてしまいます。
 忘れるけど、思い出しますね。以前芋づる式にリンク先記事から読まないとよく分らない場面がありました。言及の応酬だったので、元を辿った結果だったわけですが、それでも、元から読みすすめて、最終的にその記事まで戻って読みましたよ。その方が記事の深みはやはり違いましたし、理解も深まった。

【リンク先を読まなくても理解できる記事】
 これは、常々気をつけています。リンク元記事が消えてもいいように最低限の引用をして、記事として成り立つようにはしていますね。まさに同意です。


 ほとんど、お返事&回答ですが、そんなところですね。

[TB:304 Not Modified: リンクの多い記事]

 点 

2006å¹´07月25æ—¥ | ãƒã‚¿
 先日久しぶりに文字を書く。
 今じゃ殆ど打ち込みだから文字を書く機会も少ない。

 そこで、書いたのが


「十中八九」


 しかし、どうしても


「十中八丸」


と書いてしまう。

 2度消しゴムで消しても
3度目も「丸」と書く有様。

 もうねぇ~、なんちゅうーか
癖ってヤツだね。

 勝手に点を入れたがるんですよ!
点を入れないと流れが変なんですよ。
終われないんですね。

 そこで、結局その点を最終的に

「十中八九 、」

として、最後に「、」を消したってな訳です。
 なんで止められないんでしょうかね?

 相変わらずヘンなヤツでしょ? オレってば

 たぶん「恵」も勝手に最後「`」入れますよ。
きっとね。

なぜ「なんでもExcel(エクセル)」なのかを考える (後編)

2006å¹´07月23æ—¥ | é›‘æ„Ÿ
 前編はこちら。


 ま、一番の問題は罫線なんですけどね。Word で最初につまずくのは、そのハードルが超えられないから、罫線がしやすい Excel で書いてしまうのです。
138 :名無しさん@そうだ選挙にいこう :2006/06/29(木) 13:37:24
(中略)
何を使うかは、どんな表をどういった使い方をするかで
決めていくものであって、まずソフト有りきは本末転倒。
ここのヤツに言ったて分らんだろうが。
表つくるならWord と Excel どっち使う?

 ということで、文章作るのに、どんなツール(ソフト)を使おうが、最終的に本人がよければいいじゃないの?って思いますよ。

 以前オレは、『眞鍋さんのブログにトラックバックしてもアクセスなんて増えないよ』の中で、ブログの記事を書くのに Word で書くことに苦言を呈しています。しかし、それは Word で書いてることがいけないのではなく、最初から記事を書くなら、もっといい適してるアプリケーションを使ったほうがいい、ということであって、今まで Word で書いていて、それで不便でなければそれでいい、と思います。

 よく「Word が使えないソフトって言ってるヤツは、Word を使いこなすスキルが無い事の言い訳だ」と書かれているのを見ますが、合っているけど、ちと疑問。それは自動車で言えば「最大トルクの設定」(最大のパワーを必要とする値)が違うんだと思います。もっとも一般層に受け入れられるトルク値ではなく、もっと上に設定しているため、乗り心地(使い心地)が悪く、「使えない」になってしまうのです。

 だから、何でも Excel が悪いのではなく、Word が悪いのが根源なんです。

  ……とか、書くと Excel も…… って突っ込まれそうだな。


[参考]
・あんたジャージでどこ行くの: トンデモ本
・がんばれ!アドミンくん 第31話 - @IT

なぜ「なんでも Excel (エクセル)」なのかを考える (前編)

2006å¹´07月21æ—¥ | é›‘æ„Ÿ
 文章作成といえば多くの場合に、microsoft の アプリケーションソフト Word を用いるのが一般的かと思いますが、文章作成に Excel を用いる人も多い。
 何でもかんでもPowerPoint症候群の弊害を日記で書いたのだが、それよりも世の中に広く広まっている病的な物と言えば、なんでもかんでもExcel症候群であろう。とにかく通常の表だけに飽きたらず、提出書類から報告書まで何でもかんでもExcelなのである。つまり「何でもかんでもExcel症候群」とはExcelだけですべての仕事が完結してしまう恐ろしい病気なのだ。

 その病巣の由来を簡単に予想するとすれば、子供の頃に升目の入ったノートで漢字の書き取りをやらされ(つまりカーニングとかに無頓着になる)、読書感想文などの類は原稿用紙で書かされ、漢字は少ない文字数で情報量を詰め込めることからすっきりとした表が書きやすく、何でもかんでも表にしないと気が済まないという日本人の悲しい習性に由来する物であろうと思うのだ。
なんでもかんでもExcel症候群:けんたろうのへや Diary of 2005/11/22

と、ここではその由来を予想されているのだけれど、オレは違うと思ったのです。結論から言えば

  Word が文章作成ソフトとしては、初級者に対して敷居が高い

のが原因だと思います。“Word が(文章作成ソフトとして)使えないソフト”という話は巷でよく耳にしますが、それは厳密には“使いこなせない”でしょう。では、なぜ“使いこなせない”かというと、“わかりづらい”または“覚えにくい”からでしょう。そして、最も重要なのがニーズにあっていないからだと思います。

 Word は“フェラーリの操作性を持ったカローラ”だと思っています。つまり、大衆車であるのに、扱いづらいという事です。フェラーリと言えば、「跳ね馬」の愛称で親しまれているエンブレム同様、一般的に運転しにくい車として有名です。で、カローラ(今ならヴィッツといったほうがいいのかな?)は、誰でも使いやすく乗りやすいように作られている。操作性もよく初心者でも扱いやすい。

 しかし、Word は幸か不幸か、グローバルに普及してしまった文章作成ソフト。日本語なんて日本でしかほとんど使わないけど、文章を作る場合は、世界で流通してしまった Word で書かないといけない場合が多い。しかし、そこは“フェラーリ並みの操作性”ですから、多くの場合は使いこなせない。ってか、ご近所にちょっと買出しに行くのに“わざわざフェラーリ”でもないのである。

 結局は、文章作成を重点的に必要とする人にとっては、流通してる Word を覚え、使いこなせるようになるけど、それほど文章作成する必要が無く、必要に迫られた場合にのみ使うくらいでは、使いづらいし覚えにくいソフトなのです。なので、文章作成ソフトではないけれど、Excel で書いたほうが早いし、楽だから Excel で文章を書くのです。

 ほとんど結論は出ていますが、後編へつづく

小 倉 優 子 考

2006å¹´07月19æ—¥ | æƒ³ã£ãŸäº‹ã€æ„Ÿã˜ãŸäº‹
 何かと話題の小倉優子さんなのですが、彼女のアレは、作ってるとかそうでないとか、よく話題にされるわけですが、こんな動画もありますね。

注:ファンの方は観ない方がイイかもね。
「夜もヒッパレ」時代の小倉優子さんの動画

 しかし、ホントの事がどうあれ、もしアレが作られたもモノだったとしても、あれだけ上手に化けて(?)いれば、立派だと思います。

 女性は元々、化粧や、服、靴(ハイヒール)、髪型、なので、男を騙す(?)ために化けている(それだけではないとは思いますが)のですから、化けていてもそれが、似合っている、または、分からなければイイのですよ。いわば、それを反則だとか、ズルイなどと言うのは単なる同性(女性)からの嫉妬であると思えます。

 彼女は、(グラビア)アイドルなのですから、そのキャラクターも、事務所からすれば商品なわけです。どのようにすれば男心をくすぐり、魅力的に惹き付けるかを戦略として取り入れ、それを実践し、結果として利益に貢献していればそれでいいのです。

 以前、「恋のから騒ぎ」で、彼女同様に作ってると疑われている河島未怜さんについて、スペシャル版で女子高生が多数出演してた時に、ある女子高生が話していたのですが、

「たとえ彼女が作っていたとしても、似合ってるしカワイイから許される。」

とかなんとか同様なニュアンスの事を言っていたのを聞いて、確かにキャラとして、それが許される場合と許されない場合があるだろうなとは思ったのです。

 しかも、そのキャラを演じるのは、結構たいへんであろう事は分かるわけで、それによって、もし男が騙されたのだとしても、騙されても構わないとも思わせてしまえばイイわけで、その場合は騙された男が悪いわけで、その女には罪は無いのです。

 話を戻しますが、結局のところ、多くの男性を(女性もか)騙してる、作っているキャラだとしても、それによって幸せを感じる男が多数いるわけで、その事で他者がとやかく言うのもおかしな話ではないでしょうか。

と、言いつつも、そのオレがとやかく言ってるわけなんですがね。

長文が読まれないのは内容以外の比率が高いため

2006å¹´07月17æ—¥ | ãƒ–ログの文章・書き方を考える
■読める
・短文
 ・見た目で読みきれる気軽さ
 ・集中力が持続できる
 ・要点を絞りやすい
 ・時間がかからない

・読みやすい
 ・難しい漢字がない
 ・一文が短い
 ・行間が開いている
 ・文体が統一している
 ・心地よいテンポがある

・観やすい
 ・段落わけ
 ・構成が優れている

・引き込まれる
 ・文体が面白い
 ・書き手とシンクロする
 ・情熱的である
 ・興味対象の視点が自分のツボと合う
 ・表現が個性的

・関連性
 ・他の記事の補完や別視点での考察
 ・関連する話題のまとめや経緯

・紹介によって
 ・紹介元記事が評価している
 ・紹介元記事の補完または参考、関連による
 ・興味をもてる確立が高い


■読めない
・長文
 ・文章が長い
 ・集中力が切れる
 ・要点が読み取りにくい
 ・または要点が複数ある
 ・時間がかかる

・読みにくい
 ・難しい漢字が多い
 ・一文が長い
 ・行間が詰まっている
 ・文体が変わる
 ・言い回しが判りにくい
 ・表現がわかりづらい
 ・文法がおかしい
 ・誤字脱字が多数ある
 ・文章が堅い
 ・ジャーゴンが多い
 ・専門用語が多い

・観にくい
 ・文字が小さい
 ・一行が長い
 ・改行がない
 ・段落最初に一文字開けていない

・つまらない
 ・内容が面白くない
 ・感情が入っていない
 ・読まれようとする工夫がない
 ・独り言になっている
 ・意味が分らない

・時間が無い


【結論】
 ・短文は、読まれなくなる理由が、内容による比率が他に比べ高い。長文の場合は、内容以外にも複数の要因がある。その結果、長文のほうが読まれにくい。また書き手よりも読み手の事情による要因が多いからもある。短文で良い内容に仕上げればいい。でも、それはまさに言うは易し、行うは難し。

はてブコメントにおけるプロモーション効果はあるのか!?

2006å¹´07月15æ—¥ | ãƒ–ログの話
 お蔭様で『はてブの「お気に入り」について考える 1(歴史編)』には、数多くのブックマークと反応コメントを頂きました。いやらしい話ですが、今まで書いてきた記事の完成度などから推測して、ある程度のブクマ数はあるのではないかと思っていましたが、数については期待通りでとても満足しています。しかし、コメントでつづきの記事を期待するという予想外の書き込みが何件かありまして、つづきを知ってる自分としては、ちと続きに期待させる書き方については申し訳なかったと反省した次第です。ただ、単純に長くなってしまったので、キリのいい歴史的リンク集の形で一まとめにしておこうという、安直な考えでした。

 そこで、ちと罪悪感が生まれたため、セルクマ(セルフブックマーク)して、

「この記事に全体の8割のエネルギーが費やされている」

という趣旨のコメントを書き込んだ(今は既に削除してます)のです。そこで思い付いたことが、果たしてセルクマのコメントによる影響というのはあるのだろうか?ということです。

 だから、遊び心で少しこのコメントが知られるまで待ってから続きの記事、『はてブの「お気に入り」について考える 2(感想編)』をアップしました。実験的にこの記事にはどれくらいブクマが付くのか、はたまた付かないか?その動向も気になりました。

 その途中で感じたのですが、セルクマコメントによる宣伝効果いわばプロモーション効果みたいなことが可能なのかなぁーと思ったのです。もちろん、オレが取り組んでいる記事分割方式のように1つの記事を1エントリーで完結せず、前後編に分けたり、数回に分ける場合でないと無理なのですが。もしも、あのコメントを

「期待通りの一押し記事ですのでお見逃し無く!」

というような文面で宣伝したらどうったのだろうか?
と考えた。

 正直、つづきの記事が、2割というのは、大げさで3~4割が本音でした。ただ、相対的に考えた場合に、エネルギーの8割はやはり前の記事に使ってます。調べたり纏めたり検証したりという作業面とリンク集としての価値という面においてはです。

 つづきの記事を2割にしたのは、予想外の期待感に対するへたれな部分です。自分でも期待される事が予測出来ていれば、イケイケなコメントや謎めきコメントを用意しておいて盛り上げる演出効果も可能たっだ。それにつづきの記事は前の記事には見劣りしたとしても、自分レベルでの完成度としてはそれ程低いわけではなかった。だから勝負に出ることも出来た。というか、勝負した方が結果良かったのでは無いかとさえ思えた。

 それは、たとえそのコメント内容により期待を裏切り批判を浴びたり、バカにされるコメントが付いたとしても、そういったリアクションの中から本音が聞けるというのは、面白いだろうし盛り上がる。リスクはあるがツッコマビリティを考えた場合に、あのへたれなコメントは失敗したなぁと。

ということで、分割記事にすれば、時として、はてブコメントのセルクマにより、プロモーション風の演出効果を期待できる可能性があるということに気が付いた。

ブログから学んだ事のエトセトラ

2006å¹´07月13æ—¥ | æƒ³ã£ãŸäº‹ã€æ„Ÿã˜ãŸäº‹
 ブログを公開するということで、記事を書いても必ず推敲し見直しをする癖がついた。そのお蔭で、何事に対しても、一旦引き、客観視する事が出来るようになった。もちろん以前からもしていたけど、無意識にそーゆー行動が取れるようになったことは収穫として大きい。

 これからは様々な場面で、パソコンから大多数に情報を発信する機会が増えるだろう。グループウェアで社内 SNS や社内ブログなどが取り入れられる可能性もある。そうした時、素人な場合は脊髄反射的な書き込みをして失敗する可能性も高そう。そういった意味でも、ブログで記事を書いてきたことは応用が利く。

 ・文字を扱うという事
 ・画面の向こう側への配慮
 ・感情的な文章の危険性
 ・拙い文章による誤読の可能性
 ・文章では、一部分しか伝えられない事
 ・相互間の温度差の違い
 ・立場による見方、捉え方の違い

 etc.etc.

 ブログもまんざら役に立たないわけじゃない。要は、どう取り組むかと応用次第ということだ。

いい機能をわざと悪くダメに使ってみる

2006å¹´07月11æ—¥ | ãƒ–ログの話
 最近オレは、新記事を上げる時に、ping を飛ばしていない。ってか、goo ブログの仕様なのかどうか分らないけど、編集画面で草稿中の記事を先に作り、アップする時に現在日時にして完成にチェックして投稿する。そうすると、どうやら ping が飛ばないようだ RSS には、直ぐに反映されないようだ(パソコンの時間を進めていて、未来時間になるからの可能性大)。

 で、毎日というか、いつも定時間にオレのブログを読みに来る読者には、更新されているかがよく分る。場合によっては、最新で読む事が可能。しかし、RSS リーダーなどを入れていて、更新されると表示されたり印が変わったりとお知らせするタイプの物を使っていると、いつ RSS に反映されるか分らないので、実際は更新直ぐの最新記事を読むことが出来ない。

 本来なら、ping を飛ばして、更新したことをお知らせする方が親切かも知れないけど、別にそうじゃなくてもいいんじゃないかと思う。何か新記事上げたから、読んで読んでって言ってるようで、どうもいやらしい気持ちがあった。先日も、新記事で ping を飛ばそうかって思ったときがあったけど、やっぱりやめた。いつ RSS に反映されるかわからないのが、とてもゆるかったりしていい感じ。はてなブックマークでも、クリップされる時にそのタイムラグがよく分って面白かったりもする。

 最近のオレの妙なこだわりで、新機能を無効化(逆行)する方向で利用することを試している。これって遊び感覚で面白い。

「こーゆーイイ機能が出来ました。こーゆーふーに使って下さい!!」

を、あえて

「その機能は、そーゆーふーには使いませんよ。」

とひねくれる。
言われるがままは嫌いなんです。無駄だらけな、その使い方こそが面白い。遠回りすることで今まで気が付かなかったことが発見できたり、別の視点から何かが見えてきたりします。

 でも、ほとんどの場合は、やっぱり推奨されてる使い方のほうが良いので、最終的には、そっちに落ち着くんですけどね。ただ、その過程に、面白い事や、次に繋がるヒントが隠されている場合があるんですよ。ダメ元でも、やってみる価値があるんですよね。だって、それは自分自身にしか気が付かないし、見つけられないんだから。


追記(2006.07.15)
※ ping は飛んでいるので、「ping が飛ばないようだ」→「RSS には、直ぐに反映されないようだ。」に訂正。goo の RSS には未来時間の記事は直ぐに反映されない。未来時間の ping には、投稿時反映されないツールが見受けられる。

未来の自分がどんな記事を欲しいかが分らない問題

2006å¹´07月09æ—¥ | ãƒ–ログの話
 えーと、またまた検索の話です。反響が悪いのですが、自分でトコトン追求していきたいので、お暇な方はお付き合いください。

 今まで書いてきた
・自分が探した記事の検索方法を明記する
・これまでの過去記事検索から学んだ記事検索を早くする方法
・自分のブックマークがあてにならないのは、記憶が曖昧だからだ

さらに
・明日は明日の風が吹く - 自分が探した記事の検索方法を明記する/これまでの過去記事検索から学んだ記事検索を早くする方法(from 『斬(ざん)』)

の記事から気が付いた事ですが、オレが必要とする検索したい記事ってのが、多くの人とはかなり違うのかな?って思いましたね。求めてるものが元々異なれば、検索方法も違って当たり前だな、と。

 それで、オレが欲しい記事ってのを考えた。最近(1,2週間)の記事なんかは、探しやすい方法がいっぱいあるので、困らない。つまり、今まで書いてきたことは、検索する時に困る記事を探す場合の検索方法なんだなって事です。

 薄ら覚えに近い記事を探す場合ってのがあって、それはホント、イメージや断片の印象しかない。そこから細い糸をたぐり寄せる方法として最適な検索手段を探しているという事なんです。

 欲しい記事を読んだのが、何ヶ月前とか、一年前、もしくはいつだったかさえ分らない場合もある。でも記事を読んだ印象はあるし、その記事がどこかにあることは(その記事を書いた先で消されていなければ)分る。そんな場合の検索って非常に難しい。でも見つけたいし、見つかった時は嬉しいわけで。そこから新たに書く記事に厚みを持たせることも多い。

 で、検索方法の話になるんだけど、タイトルにもあるように、結局自分がするクリップ(ブックマーク)って、今の自分がクリップするのであって、未来の自分がクリップするわけではないんですよね。未来の自分が欲しいと思った記事が、必ずしもクリップされているとは限らないし、それを今の自分が予測するのは不可能です。しかも、今の自分も曖昧ですから、基準となるクリップ方法すら確立できないでしょう。今日の基準と明日の基準は違いますし、一年前の自分の基準も当然違うのだから一年先の自分の基準もまた違うでしょう。つまり、自分の集めたクリップ集は、それ程、統一性の高いデータベースにはならないということです。もちろん、その高さというのは前述してるような、薄ら覚えに近い記事を探す場合についての高さです。自分がクリップしたことが確実に分るような記事なら、検索して探すのは容易ですからね。

 だから、「そこにいけば探し物があるだろう」の確率は、高くないのです。結局はてなブックマーク全体でのタグの絞り込み検索が容易になる、または複数単語検索が可能になれば、オレの欲する記事がクリップされている場合が多いので、「そこにいけば探し物があるだろう」の確率が高くなり、尚且つ「そこなら、探しやすいだろう」の確率も高くなる。そうすれば、薄ら覚えに近い記事を探しやすいと言えるのです。

 あぁ、あともう少し掘り下げたいなぁ

はてブの「お気に入り」について考える 2(感想編)

2006å¹´07月07æ—¥ | ãƒ–ログの話
 前回、『はてブの「お気に入り」について考える 1(歴史編)』からのつづきです。読まれていない方は、まずは、そちらからお読みください。

■好奇心と怠惰の間 - はてブの「お気に入り」とは何なのか?

からの触発なのですが、以前『斬(ざん)』:ブログ+SBMは2極化される? (検索元:『斬(ざん)』「ソーシャルブックマーク」ブログ内)の中で、
問題はソーシャルブックマーカーとして注目を集めるステータスを表すものが今のところ存在していないと言う事です。だからブックマーカーとして人気を集めても、意味が無いので、そこで頑張る人はいないように思う。あくまでSBMは個人(自分自身)が便利に使うツールであって、同じ興味ある話題で繋がる事を主としていて、個人が人に情報を提供する事は、あまり考えられてはいないようだ。しかし、考え方を変えればそーゆー方向に持っていく事によりステータスをつけるサービスが提供される可能性は充分あるだろう。
 と、予想していて、丁度その頃(この記事は2005年05月09日にアップされていますが、書いたのはもっと前でした)、「お気に入りユーザー数」が表示され始めました。まだ、この頃はブックマーカーの人気=ブロガーの人気であり(今でもその傾向は変わらないけど)どうなるのか、注目していました。その結果が、今まで上記してきた内容でもわかるように、ステータスを与える事でブックマーカーは、ヒエラルキーを形成していきました。
[参考]
・BLOG STATION:ソーシャルブックマークの可能性

 そして最近、話題になった『こにのつぶやき: はてブのお気に入り数』にもあるように、被お気に入り数表示があるがために、気になる方々も多数いるようです。そして、『断片部 - floating between - お気に入り数を気にしたくない人のために』にあるような、はてブのお気に入り数の表示を消す方法も紹介されています。そんなオレも、この階層別や数値によって分けられるのはあまり好きではないです。それが最近、はてブをあまり使っていない理由の一つでもあります。

 頭では、数じゃないと分っていても気になるのも事実です。それが単純な権威付けでは無かったとしても、そう受け取る人もいるだろうし、全く無いとは言い切れない。少ないより多いほうがイイ場合が多いのだから、増えれば嬉しいし減れば悲しい面はある。

 でも、感じるのは、自分のブログやサイトを引き立たせるツールとしてはてブを使っている場合が多いんじゃないかということ。その結果、被お気に入り登録数が増えていく場合が多く、純粋なブックマーカーのみで登録数が多い人ってたくさんいるのかなぁ?

 それにしても、数に振り回されますね。アクセス数、コメント数、TB 数、ブクマ数、お気に入り数等々。どれも指標の一つでしかないんだけどねー

 数字で判断するっていうのは、もっとも判り易いのだけど、中身をよく観ないから偏ったり誤ったりしがちなんですよね。数から本質にどこまで見通せるかが重要だと思うんですけどね。急成長するよりちょっとずつ大きくなっていくほうが、味わい深くていいと思うんですけどね。まやかしの人気は、いづれ破綻しますから。何事もホドホドが肝要かと。

はてブの「お気に入り」について考える 1(歴史編)

2006å¹´07月05æ—¥ | ãƒ–ログの話
 元々、機能としてなかった、はてブの「お気に入り」が追加されたのが
◆2005年04月16日:『機能変更、お知らせなど - はてなブックマーク日記 - お気に入り機能の追加について』

そして、各ブックマークに数字が表示されるようになったのが
◆2005年05月06日:『機能変更、お知らせなど - はてなブックマーク日記 - お気に入りに追加しているユーザー数の表示について』

ここで、はてなが、オフィシャルな立場として正式に、「お気に入りユーザー数」というブックマーカー(またはクリッパー)の人気度を数字によって表示するようになりました。いわゆるヒエラルキーが出来る土壌が生まれたのです。その時のブックマーカーの被お気に入り登録数調査記録が
◆2005年05月07日:『RERO!! - はてなブックマーク被お気に入り登録数調査05/05/07』

にあります。その後、ユーザー側から
◆2005年08月05日:『はてなブックマーカーランキング - Ceekz Logs』

が発表され、大反響に。その結果
◆2005年08月05日:『Hatena Bookmarker Ranking』

により、さらに、ヒエラルキーの明確さを加速させることになる。その直ぐ後に Hatena Bookmarker Ranking を活用した上位者によるクリップランキング(ニュース形式)
◆2005年08月13日:『Alpha Clipper Clips(はてなブックマーク超注目リスト)』

が、公開(はてなブックマークの日付による)され
◆2005年08月19日:『YappoLogs: 統計的手法?で人気がでるURLを予測するサイトを作った』

にて、開発者ブログにより発表されました。この時点で、Alpha Clipper という線引きによりヒエラルキーが出来上がりました。また、その日は丁度はてなブックマークがβ版から正式版になった日でも有ります。そして、その案内である
◆2005年08月19日:『機能変更、お知らせなど - はてなブックマーク日記 - はてなブックマーク正式版リリースについて』

では、
トップページにて人気ブックマークがランダム表示されるよう変更しました。
 とあるように、被お気に入り登録者数が31以上になったときには、トップページにランダムで表示される特典が付きました。はてなでも正式に、差を付けたのです。
[参考資料]
◆2006年06月16日:『b# - [はてブ]人気ブックマーク』 

そして、その約二ヵ月後、そのヒエラルキーをネタにした
◆2005年10月18日:『シナトラ千代子 - 巨大寿司店『はてブ寿司』を支えるひとびと』

がエントリーされ大ウケ。さらにそこから生まれた、“大旦那”、“旦那衆”、“若旦那”という階層から数字による線引きをしたのが、
◆2005年10月22日:『ブロシキ - blogとWikiは個人サイト構築の両輪・・・ならSBMはエンジン?』
◆2005年10月25日:『はてなブックマーク - はてなブックマーク被お気に入り登録数調査はてブWiki版』 (2005年10月25日~ 2006年03月22日が現時点での最終編集日)

 これらの、はてブの[お気に入り」関連記事やツールにより、はてなブックマーカー(クリッパー)の、数による階層別権威付けがその意図があったかどうかには係わらず行われてきました。いわば、はてブの歴史の一つです。

 それで、ここからやっと本題なのですが、長くなったのでつづきにします。

[参考]
・シナトラ千代子 - ブックマークエントリで見るはてなブックマークの歴史

追記(2006.07.07)
[関連]
・『斬(ざん)』:はてブの「お気に入り」について考える 2(感想編)

・はてなブックマーク - 『斬(ざん)』:はてブの「お気に入り」について考える 1(歴史編)

「購読」って表現で合っているのか?

2006å¹´07月03æ—¥ | æƒ³ã£ãŸäº‹ã€æ„Ÿã˜ãŸäº‹
 オレが無知なだけかもしれないが、

「 RSS リーダーで購読する」
とか

「はてブで購読する」
とか

「メルマガを購読する」
ってよく見かけるけど、「購読」って買って読むことだよね。
参考:こうどく【購読】 - goo 辞書

 どーも、この購読って表現を見るたびに引っ掛かるのですよ。

「別にそれ買ってないよね?」
ってね。確かにそれに代わる適切な言葉ってのが、あまり見当たらない気もするけど。

 実際、こーゆー使い方は、合ってんですかね。取得とか登録なんでないかい?
ただ、読むってことを表現したいんだと思うんですが。
で、「購」の字の「購う」(はじめて使ったよ「あがなう」だそうな)を調べてみた。その結果、「(1)買い求める。」と「(2)ある物と引き換えに別の物を得る。」とあるので、やっぱり RSS にしろ、メルマガにしろ、ちと表現としてどうか?って感じます。

 じゃーどんな表現が適切かってのが気になったので、それらしいのをピックアップ。

 【愛読】、【閲読】、【看読】、【拝読】あたりを選べばいいように思うんですが、いかがなものでしょうかね。個人的には【閲読】が、一番適してるじゃないかと思いますが。

 「購読」を使うのが好きな方、反論願います。ちゅーか、何でそれが広まってるのかが謎なんですよね。メルマガ購読 - Google 検索とか観ると、AllAbout も出て来るし。その道のプロも購読してんだろうね。CNET や楽天でも使ってるしなぁ。

 購読は無料ってのも見かけるけど、それじゃ購読っていわなくねぇ?

 メルマガ大手の「まぐまぐ!」では、無料の場合は読者登録で、有料で初めて購読という表現がされているようです。これが適切かと。
参照:ヘルプ:メールマガジンを登録するのにお金はかかりませんか
 もう一つ大手の「melma! [メルマ!]」では、購読って書いていますね。いかにも、運営会社らしい表現かな。

 RSS もはてブもアンテナもほとんどは無料登録で読むことが出来るので、購読はないんじゃないでしょうかね。RSS による全文配信を有料でやるようなサービスもあるようですから、その場合はいいのでしょうけどね。

あ!「受読」ってどうですか?オレが今、思いついて作ったんだけど、受信して読むってことで。ダメ?

 同じような事感じた方がいたっぽい。すべてのクリエイターのために【日刊デジタルクリエイターズ】 | melma!「■笑わない魚 110」の下のほうにありますね。

 なんだか「購読」を根付かせて、今後 RSS は有料配信にしてビジネスで儲けるんだ、という刷り込み戦略が見え隠れしてるように思えるのは、オレの穿った見方なのかなぁ。無料と有料とは、はっきりと区別して、差別化しないと誤解を生みやすいんじゃないでしょうかね。